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1章11 『救命者』にして『求命者』


「……デュオンさん。……ソールさん」


 思わず二人の名が口をつく。どうしても二人の顔が頭から離れない。村の中央広場に集まった村人たちが恐怖に身を震わせ、口々に『魔人』が憎い、『魔人』が村の平穏を奪ったと叫んでいても、それは変わらなかった。むしろ、その声を聴くたびに、エレナの胸中は二人のことでいっぱいになっていく。幼いころ見せてくれた、ソールの優しい笑顔。自分は化け物だと、悲しい顔で語るデュオンの表情。彼女には、どうしても二人が世に言う災厄だとは思えなかった。ソールの優しい顔は、自分にとって希望だった。デュオンの悲し気な顔は、化け物なんかではない同じ人間としての悩みだった。だからこそ、デュオンに逃げろと言われたあの時の二人の顔が忘れられない。見たことないようなソールのギラギラした瞳。それは、まさしくみんなが言うような化け物のものだった。邪魔だとエレナに告げたデュオンの言葉。あの場で私がどれだけ喚いても何もできない無力感。私には、何もない。あの二人を、本当の意味で助けられるような力も知恵も何もない。それが、彼女にとって一番耐えがたい絶望だった。結局、自分が今まで理想にしてきたことはただの夢物語だった。それを認めたくなくて、けれど、ソールもデュオンも助けられなくて――


「ルナさん……アンラさん……わたしには何もできないんですか……?」

 思わず、彼らに一番近しい人に助けを求めてしまう。そうだ。すごいすごいと憧れるだけで、結局私はルナのことを何も知らない。『魔人』と恐れられているソールのことを本当に愛していると知っているだけで、その苦労を知らないのだ。全部、デュオンの言った通りだ。


「そんなことはないぜぇお嬢ちゃん。ちゃーんとあんたにも果たせる仕事ってものがある」


「え?」


 身を潜めて恐怖震える村人たちが、一斉に口をつぐみ、その声の主へと目を向ける。そこには全身が土に塗れ汚れてはいるが、その右目だけは爛爛と赤く輝く『魔人』――ソールの姿があった。直後、エレナは叫喚の嵐に呑まれる。しかし――


「はーい!皆さんごちゅうもーく!今から誰か一人でも声を挙げたり、一歩でも動いたりしたらその瞬間にそいつの首から上を消し飛ばしますんで――殺されたくなかったら一歩も動くな」


 その声だけで、混沌としていた村人たちの動きも声も止めてしまった。大人はもちろん子供さえも一切動かない。幼い子供でさえ涙を目じりにため嗚咽を漏らすだけで、声は一切上げなかった。それほどまでにソールの眼光は鋭く、なにより冷たかった。


「……」


「おっと、そこのお嬢ちゃん――エレナとか言ったか?あんたは別だぜ?あんたはデュオンとの交渉に使えそうだからな?――まぁ、あんまし意味ないんだけどよ。それでも使える手は使わないにこしたことはないからな」


「…ソールさん。……本当にどうして…?」


「はぁ…盛り下がることは言いっこなしだぜ、エレナさんよぉ。最初っからずっと言ってるじゃねぇか。俺は、お人形さんを手に入れに来ただけだ。そのためにデュオンとかいう「化け物」を選んだだけ」


 けらけらと笑うソールに、エレナが知るソールの面影はない。どこまでも酷薄で冷酷。底が見えないほどの狂気に身を沈めている。もはや、目の前にいるのは本当にソールではなく「化け物」と認めざるを得ない。目の前が真っ暗になる気持ちだった。それでも、答えてもらえないと知っていても聞かずにはいられないことがあった。


「ソールさん……ルナさんはどうしたんですか?」


「ルナ……?」


 ぴくりと、ソールの動きが止まる。まるで何かに縛り付けられているかのように。


「そうです……。あなたがソールさんだって保証はない。本当はソールさんの偽物かもしれない。そう……思いたかった。けれど、たぶんあなたは本当にソールさんです。証拠も何もないけど、ソールさんを真似る理由も何もない。だって、ソールさん。言ってましたから――自分は」


「――」


「自分は最弱の『魔人』だって!」


「――」


 ソールの瞳が揺れる。右目は赤く輝き、体は人形のように固まって一切動かない。瞳だけが彼が生きていると示すようだった。その様子に、エレナは彼がやはり本当のソールだと確信する。


「やっぱり、ソールさんなんですよね。ずっと、ルナって愛しい人の名前が聞こえると、動きが一瞬止まります。瞳が一瞬優しくなります。赤く輝く瞳は、何も「化け物」の証なんかじゃない。ちゃんと、私たちと同じように優しさだって伝えてくれるんですよ」


「エレナ――」


「ソールさん?」


「逃げろ……俺からも。デュオンからも」


「!?ソールさん……本当にソールさんなんですね!?」


「もう俺は――俺じゃない!このままここにいると……全員不味い!

今すぐ逃げろ!」

「……どういうことですか!?どうして!?」


「ぐっ……!?とにかく、逃げろ!」


「ソールさん!!」


 何かと戦いながらもエレナに逃げろと伝えるソール。それは、確かにあの時、自分が憧れ恋い焦がれたソールの優しい瞳だった。自分が何かに苦しんでいる最中にあっても、その優しい光は失われていない。だからこそ、ソールがなぜあんな凶行に走ったのか、エレナには理解できなかった。そして、なぜソールがデュオンから逃げろと言うのかも。


「ソールさん!?」


「……黙れ小娘!私の人形に何を吹き込まれたのか知らないけれど、これ以上余計なことを吹き込むと、冥府の獄門に食べてもらうわ」


「!?」


 しかし、次の瞬間にはソールの面影は消え、代わりにソールの姿をした何かがそこに立っていた。しゃべり方も瞳に湛える感情も、立ち居振る舞いも仕草すらもソールのものではない。そこには無邪気な狂気があった。


「うふふ。あまりに調子に乗って表に出てきちゃったから、強制的に排除させてもらったわ!後でお仕置きね!悲しいわ!苦しいわ!お人形さんにはできるだけ綺麗でいてもらいたかったのだけれど」


「あ、あなたは……誰なんですか?」


「あら、私は黙れと言ったのよ?」


「!?」


 背筋がすっと寒くなる。それは目の前に置かれた死の予感。あぁ、これが死なのかと理解させられるほどの殺気。一切不純物のない殺意だけが自分に向けられていた。


「それと、そこのあなた!逃げては駄目といったでしょ?」


「!?」


 エレナとソールの会話を好機と見たのか、数人の村人が広場から逃げ出そうとしていた。その村人たちがソールの言葉に足を絡ませ、受け身もとることができずに転ぶ。


「さっき動くな声を上げるなって言ったわ。お人形さんにする価値もないあなたたち……うふふ!お首だけ残して冥府の犬の餌にでもなりなさいな」


「ひっ…!?」


 逃げ出そうとした村人たちが悲鳴を上げようとした瞬間、エレナの目の前を風がよぎる。ソールの姿をした誰かが右手を村人たちに向け、拳を開いている。エレナの頬は少しばかり切れて赤い血が流れだしていた。


「うふふ!お首だけが消えちゃったわ!悲しいわ!悔しいわ」


 子供じみた無邪気な声を狂気に染めて、誰かは笑う。その手の先には、首だけ消え去った村人の死体が血を噴き上げて倒れていた。倒れてすぐの死体は痙攣し、ぴくりといまだに腕や脚が動いている。それが、形容しがたい不快感を感じさせる。


「うっ……!」


 こみ上げる吐き気をどうにかして抑える。今吐いてしまうのはもっと怖い。目の前の何かが怖い。これは優しいソールではない。ソールの皮を被った誰かだ。そして、ソールは今までこの誰かと戦っていたのだ。だから、自分に逃げろと言ったのだ。もう、それも襲いようだが。


「……デュオン…さん?」


「うふふ!急にお人形さんが調子に乗っちゃったから出てっきちゃったけど、まだお人形遊びは続いているのよ。だから、あなたの要望通りまた遊んで(ロールして)あげるわ」


「ろー…る?」


「つまりはこういうことだよ。俺の姿をしている間、俺は俺という人格で遊んでいるのさ。もっとも、たまに今みたいに反抗的なお人形さんは俺から体を奪い返してしまうんだがな。そんなこともできないように手術しているはずなんだけどな」


 話し方、仕草すべてがまたソールのものに戻る。それでもやはり地が変わっているからか違和感が残る。というよりも、エレナは今しがた本物のソールの言葉を聞いていしまった。だからこそ、このソールがもう本当のソールではないと分かっている。今目の前にいるのが偽物だと分かったのだ。だからといって、理不尽な暴力の前に自分ができることはない。何の力も自分にはないのだ。


「エレナ…お前にはデュオンを動けなくするための人質になってもらうぜ。多分、通じないけどやってみる価値はあるからな」


 自分はこの言葉に唯々諾々と従うしかない。たとえソールが最弱の『魔人』だと知っていても、彼には勝てない。そこに『魔人』という力が立ちはだかっているのだから。だから、やはり頼ってしまう。今、目の前にいる憧れを救うためにも。自分の気持ちとしても。来てと願ってしまう。それが――本物のソールから逃げろと伝えられた人物だとしても。


「――デュオンさん!」


************************************************


 ソールと、その近くにエレナの姿。そして、その奥に首のない数体の死体。それを見た亜瞬間、頭の中の思考は一切消えた。


「離れろ「化け物」――その人に触れることは許さない」


 赤い槍を何本も射出し、ソールに向けて必殺の一矢を放つ。しかし、案の定やはり泥の壁に阻まれる。


「よう!待ちくたびれたぜぇデュオン!おまけにアンラの嬢ちゃんもいるみたいだな。この状況で俺が勝てる見込みは一切ないな。なんせ俺は強くないからな」


「なら、今すぐその人から離れろ。それでお前のことを許すことはないけどな」


「デュオンさん…!」


 エレナは顔面蒼白で、今も肩が震え、膝が笑っている。おそらく、自分たちがここに来るまでひと騒動あったのだろう。その証拠が奥に見える死体だろう。


「お前の目的は俺だろう。だったら俺だけを狙えよ!周りの力のない人間まで巻き込むな」


「おいおい。そりゃ無理な話だろ。俺だけの力でお前に勝てっこないだろ。今までお前と戦えていたのは、曲がりなりにも200回ほど死んで覚えたからだぜ?そんな力のない俺が、他人の力を借りずにお前を動けないような状態に持っていけるわけないだろ?」


 多分、事前にアンラと話していなければこのソールの言葉の意味も分からなかっただろう。実際、ソールは自分の能力を何度も自白していたのだ。しかし、それは初めて聞く人間には一切理解できない。むしろ、それを悟られないと分かっているからぺちゃくちゃとヒントをしゃべっていたのだろう。まぁ実を言えば、ほとんど推測の域を出ない結論とはなったのだが。


「まぁ、まずはお互い落ち着いて話をしようということでいこうじゃないか」


「それは、君が背後にいる村人全員を人質に取って言う言葉じゃないんだよ」


「くっくっ!違いないが、こうでもしないと俺はお前らに瞬殺されるだろ?人質でも取らないと俺はお前らに敵わない。それどころか交渉の席にも着けないような『魔人』だぜ」


「お前だってそれなりに俺たちと戦えていたんだ。弱いなんてお飾りな言葉、通じないだろ」


「はぁ……猿芝居も行き過ぎると疲れるぜお二人さん?どうせ、俺の能力なんておおかた予測ついてるんだろ?いいぜ、種明かしの時間だ。そのうえで俺はここにいるんだからな」


 エレナを含め、村人全員を人質に取ったソールは、そんな風にこちらへと言葉を投げかける。いらぬ気遣いだが、このままソールを瞬殺するには自分たちには手札がない。エレナを盾に取られている状況では、デュオンの槍もアンラの魔法もエレナを巻き込んでしまう。

それに、村人にソールの対処を示す意味でも話しておいた方がいい状況だ。このままソールの言いなりも嫌なところだが、とりあえずソールの『魔人』としての力が危険ではないということは示す必要があるだろう。


「ソール君、君の魔人としての力はそんなに派手なものじゃないんだよ。首から上が切り刻まれ肉片になっている死体だったり、泥の壁だったり、風の刃だったり――様々な派手な魔法を使っていたようだけど、それは君の力じゃないんだよ」


「ほうほう」


 ソールはアンラの言葉に余裕をもって答える。一切の焦りが見えないのは、やはりその能力ゆえだろうか。


「デュオンから聞いた話では、君は火の魔法だけは魔鉱石を使って起こしたそうだよ」


「あぁそうだな。あの時はちょっと追い詰められていたしな」


「そして、村中に火の魔鉱石を置いたのも君だと。そうすると、君は事前にこの村に細工をしていたということになる。どうしてそんな細工が必要なんだよ?」


「俺は弱いからな……事前に準備していないとお前らに勝つのは度台無理なはなしだ」


 ソールが村中に火の魔鉱石を配置したとすると、もとからここでデュオン達と戦うことを想定していたということである。しかも、アンラが火の魔鉱石が村中に散らばっていることを不審に思うことまで計算に入れての行動だ。しかし、ここまで用意周到に作戦を練られているのは奇妙だ。なぜなら自分たちは目的を持っているとはいえ、根無し草の旅人と何ら変わりない。目的地はアンラの気分で決められている。そんな自分たちを待ち伏せるのはかなり難しいだろう。


「事前に準備できるってことは、あたしたちのことも知っているってことなんだよ。それもかなり詳細に。あたしが火の魔鉱石を感知できるってこともデュオン以外に人に漏らしたことはないんだよ。それをどうして君が知っているのか。そこが一つ疑問点なんだよ」


「……ほう」


「二つ目に、君は何度も「見た」という発言をしているそうなんだよ。それが何を意味するのか。これはただのブラフの可能性もあるけど、それでも参考にはなるんだよ」


「そんなことは確かに言ったぜ!俺はこの光景も見ている」


 「見た」というソールの発言が意味するもの。それが何かは戦っているとき考えてはいなかった。だからこそ流していたのだが、今思えばソールは確かに何度も見ているのかもしれない。


「まぁ本来の君の能力は後で解決するとして、今は君を派手にさせているその強力な魔法の正体から明かしていくんだよ。君はたくさんの魔法を使っているように見せかけている。でも、本当は魔法なんて一切使っていないんだよ。それは――」


 アンラが被っている大きな魔女帽の中から何かを取り出す。淡い赤色の魔力で包まれたそれは、粉々に砕け散った石だった。


「これが示しているんだよ。これは風の魔鉱石なんだよ。しかもこれ、結構魔力が強い石だ。こんなのを砕けばそれは強い魔法が打てるんだよ。他にも土の魔鉱石、水の魔鉱石の破片もある。あたしは火の魔力しか追えないから、君はデュオンと戦うときこの3つを主体に戦っていたんだろう?」


 追い詰められたといったあの時以外、ソールはその3属性の魔法しか使わなかった。それは、アンラに場所を気取られないためでもあったのだ。


「君は魔法を使うと見せかける際、いつも余計な動作をしているんだよ。例えば風の魔法を打つとき。君は右手を拳にし、それを開いて魔法を打つそうだね。それは君の魔力を魔鉱石に込め、そのうえで石を砕く必要があったからなんだよ」


 それ以外にも、例えば地面をダンと踏みつける動作もそれにあたる。あれは地面に用意していた魔鉱石を踏みつけ、砕くことによって魔法を発動させているように見せかけていたのだろう。


「本来、魔法はじっとしていても打てるものなんだよ。あたしは杖なんて持ってるけど、本当はそれを敵に向ける必要はないんだよ。あたし個人がいれば、魔法は成立する。上手下手は別にするけど」


「ご名答だ!それは俺のカモフラージュ。俺が魔法を使っていると見せかけるための演出装置だ。実際これがなけりゃ俺は魔法なんて一切使えねぇ。これ、結構手に入れるのに苦労するんだぜ。1個あたり5000コルは下らない。まぁ払わずに奪ってるんだけどな」


 ソールの魔法の正体は、魔鉱石だ。ソールが火の魔鉱石を使わなかったのは、アンラとデュオンを分断するため。その方が、ソールも楽だったからというのは言うまでもない。しかし、これではまだソールの能力の方に説明がつかない。

「さて、では俺の能力についてもその名探偵ぶりを発揮してみてくれよ。二つ名なんて欲しいままなデュオンと違って、俺には二つ名が付かないほどの弱い能力を」


 ソールは一切余裕を失っていない。それどころかむしろ楽しんでいる風でもある。けらけらと何がおかしいのかわからないが、不気味に笑う。エレナは相変わらず顔を青ざめさせて口もきけないほど怯えている。デュオンとしては早く助けてやりたい。しかし、アンラの準備が整うまで待っていないといけない。この時間はその時間を稼ぐための、アンラによる演技だ。アンラはソールと話しながらも、手は後ろに構えていつでもデュオンに合図を送れるよう構えている。しかし、その合図はまだない。


「君の『魔人』としての能力。それは――「未来予知」なんだよ」


「未来予知、ねぇ」


「君は何度も「見た」という発言をしている。そして、あたしが火の魔力を感知することができることも知っている。あたしとデュオンしか知りえないことを知っている。そして、デュオンとどこでどう戦い、どんな結果になるか知っている。だから、「覚えた」なんて言葉も出るんだよ」


 実際、そうとしか説明のつかない部分もあった。特に顕著なのは、俺に馬乗りになったときだろう。あの時、完全に自分は相手の不意を突いた攻撃をした。なのに、ソールはそれを避けたのだ。もちろん反射神経の良さという可能性もあるかもしれないが。これが推測の域を出ない部分だ。説明不足感があるが、それでもそうだと考えるほかない。これなら攻撃性の全くない能力で、最弱と言われるのも説明がつくからだ。敵の言葉を鵜呑みにすると、こうした結論になる。まだ力が隠されている可能性もあるが。


「これでどうなんだよ?いろいろ何でそんなところに落ち着くのかって部分もあって、あたしとしても納得はいってないんだよ。でも、魔鉱石を攻撃に使っている時点で、攻撃性のある能力ではないと予測しているんだよ」


「いやいや、正解だとも。もっとも、俺としては「未来予知」なんて便利な言い方されるのは癪だけどな。俺としては「悪夢」の力と言ってもいいんだがな。俺がこの先のこと全部知っているかと言われるとそうでもねぇ。ある特定の事象付近の未来しか知らないぜ」


「特定の事象……それは?」


「死だよ。俺が死ぬ瞬間の未来の前後ならみることができる。死ぬ瞬間なら、右目を閉じるだけで見ることができる」


「死ぬ瞬間?」


 そういえば戦っている最中に数を数えていたことがあった。あれは死んだときの記憶を思い返し、どのようにすれば生き残れるかの回数だったのだろうか。だとすれば、あいつを殺すことは出来ないことになる。攻撃性はないが、恐ろしい能力だ。


「だがな、今目を閉じるともうここで死ぬ未来は見えない。もう別の場所での死の瞬間になっている。ということは、俺はもうここでの術がない。あとはもう手探りってことになる。だから結構追い詰められてんだよ」


 次の瞬間、アンラの手が合図を示した。しかし、その瞬間に思ってしまったのだ。ソールの見た死の瞬間が、今この場のものではなく別の場所での死の瞬間なのだとすれば、もうこの場でソールに止めを刺すことはできないのではないのかと。その一瞬の動揺を置いて、アンラはすでに魔法を唱えていた。


「ハノ・ラーヴァ」


 ラーヴァ。闇魔法の一種で、重力を操る魔法だ。この魔法は、個々人で操る重力の程度に違いを出すことができる。誰かの重力を大きくし、また別の誰には小さくしたりできる。だから、今回は時間がかかった。エレナとソール、デュオン、そして村人。一人ひとりに重力を設定し、異なるように設定する時間が欲しかったのだ。欠点は、設定しなかったものには無条件で大きな重力がかかるということ。


「ぐっく……これは……闇魔法!?」


「ラーヴァだよ。火水風土の基本4属性とは異なる光と闇の特別魔法。そのうちの闇魔法の一種。これなら君の動きも阻害出来て、村人を助けるために動くことができるんだよ」


 もちろんソールには大きな重力をかけている。膝をつき四つん這いの姿勢になっているソールは全く動けないでいるようだ。その間にデュオンは、逆に重力を小さく設定していたエレナを掴み、アンラとは反対側、村人を守るような立ち位置へと移動する。


「エレナさん、大丈夫ですか!?」

「は、はい……大丈夫です…ありがとうございます」


 まだ放心状態なのか、エレナは顔を青くしたまま首を振って短く応答するだけで精いっぱいのようだ。頬にできている切り傷が痛々しい。彼女を傷一つなく守ることもできず、村人の命も数人守ることができなかった。その事実にデュオンは俯き、自身の不甲斐なさを憎む。しかし、今はそれよりも優先すべきことがある。


「今のうちに!」


「駄目なんだよデュオン!今君が槍を射出しても、重力の設定に槍は加えていないから攻撃に使うことは出来ないんだよ。」


「くっ!」


 事前に言われていたことではあるが、やはりもどかしい。この間に攻撃さえできれば確実に勝てるはずだ。だが、それができない。魔法が影響をする時間は短い。ほんの10秒ほどでラーヴァの魔法効果は切れた。その瞬間を狙い、槍を放つ。


「フィーア!」


 アンラも火炎弾を作り出し、ソールに向けて魔法を打っている。しかし、ソールの方もすぐさま体制を整えている。こちらの攻撃が届く前に何かを足で砕いている。すると足元から竜巻が吹き上がる。ソールを守るように周囲で荒れ狂い、槍も火炎弾も弾き飛ばしてしまう。

しかし、魔鉱石の攻撃ならば魔力の切れ目がいつか訪れる。その隙を狙って槍を打てば――


「ま、待って!」


 しかし、そうして好機を狙っているとエレナがデュオンに縋りつき訴えかけてくる。まだ腰が抜けているにも関わらず、デュオンの服の裾を掴んで訴える様子は必死そのものだった。


「ソールさんを殺さないで!あの人は、あの人はソールさんなんです!」


「っ!まだそんなこと言ってるんですか!?あの人はもうただの「化け物」で」


「違うんです!」

その必死な訴えは、デュオンの怒声を遮り止めるほどで、彼女の大きな瞳が直接その思いをぶつけてくる。その瞳にはかすかな希望しかないけれど、しっかりとした確信があった。


「まだ優しいソールさんが生きているんです。でも、ソールさんは誰かに体を奪われてしまっているんです!だから、だからソールさんを殺さないで!助けてください!」


「っ!?」


 涙を溢れさせ、訴えかける彼女にデュオンは狼狽える。しかし、戦況は常に動いている。竜巻が収まり始め、ソールの姿が風の切れ目から見え始めている。しかし、攻撃すべきかすべきでないのか、デュオンは迷ってしまった。その間隙のあいだに、ソールがいる地点で小さな爆発が起きた。


「ッ!」


「ソールさん!?」


 エレナが悲痛な声を上げる。ソールは竜巻の中から爆発の威力で吹き飛ばされ、地面をバウンドして転がる。明らかに無事では済まない距離での爆発だ。


「自爆?」


 ソールの体が雪の上に転がり、止まる。もはや意識もなくただの物理法則によって動いただけの死体のようだった。これではまるでただの自爆だ。どういうことだ、と頭を悩ませ始めようとしたとき、その吹き飛ばされたソールの体がむくりと起き上がったのだ。まるで幽鬼のように。まるで糸の切れた人形のように。しかし、その瞳だけは赤い瞳をギラギラ輝かせ、笑みは口が裂けそうなほどに広がっていた。


「あはははははははははははは!あははははははははははは!やっぱりこのお人形さんじゃ敵わないのね!面白い力を持ってるから使っていたのだけど、このお人形さんも変え時かしら?」


「なん、だ?」


「急に雰囲気が変わったんだよ……!」


 ソールの話し方の急変にデュオンもアンラも動揺を隠せない。もちろん周囲で息をひそめている村人たちも怯えを隠せずソールを見ている。そのソールの話し方は無邪気な子供そのもので、仕種までもが子供のようになっていた。あくまで姿は変わっていないが、しかし明らかに雰囲気が違う。ソールではない。これは――ソールの姿をした何かだ。その無邪気な狂気は、狂気に身を任せ、ボロボロな姿でありながら踊りでも踊りそうな陽気さでデュオンに語り掛ける。


「このお人形の命とあなたの体を取り替えっこしましょう?そうしましょう!あたし、嬉しいわ!楽しみだわ!」


 そこにソールという人格が宿っていたのか疑わしくなるほどの変化。その何かは、吹き飛ばされた地点近くに積もった雪に手を突っ込む。


「このお人形さんで最後に用意していたものよ!この町の中心には大きな魔鉱石があって、それがこーんなに多くの魔鉱石の魔力を消してくれるんだって!便利だわ!感激だわ!」


 そう告げた時には、ソールの手には麻袋いっぱいの火の魔鉱石があった。村人たちは息をのみ、一切動けずただただ見ているばかりだ。それも当たり前かもしれない。人類の天敵である魔人が2人もその場にいるのだから。事態を正しく見れる人物なんてこの場にはいないのかもしれない。


「アンラ!?」


「まさか、村の中心にある魔物除けの4属性の魔鉱石に紛れさせるなんて気づかないんだよ!その大きな魔力によって火の魔鉱石の方が魔力をかき消されてしまうんだよ」


「あれが爆発してしまったら?」


「多分この村全体が焦土と化すんだよ」


「っ!?」


 それは駄目だ。何とかしてあの魔鉱石を奪って爆発させないように処理しなければならない。でなければ、ソールもろとも爆発に巻き込まれ、村人全員が死体も残らず悲惨な最後を迎えてしまう。


「あははははははははははは!あははは!アは!あははははハハハハハハハハハハ!みんなみーんな連れていってあげるわ!お人形さんも体さえあればいいのだから、最初からこうすればよかったわ!アハハははははハハハハ!」


 狂ったように笑いをあげるソールは、もはや誰も見ていない。ただ狂笑し、その場で笑い転げるだけで何もしてはこない。しかし、それがもはやこの場の趨勢を決めてしまっていた。


「やめろソール!狙いは俺だろう!?なら、この村の人々を巻き込むな!?」


「うふふふふふふふふふふふふふふふふ!何を言ってるの?みんな連れて行ってあげなきゃ寂しいわ!みんな一緒に天国と地獄よ!あははははははははは!」


 その言葉とともに、ソールは持っている麻袋を高く掲げる。


「これをここから落としてしまえばすべての始まりよ!それじゃ始めましょう!お人形さんの品評会よ!」


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 叫びをあげ、デュオンは即座に槍を作り出す。麻袋めがけて槍を射出し、それを破壊することなくソールの手元から奪い去ろうという最後の一手だった。しかし――


「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!それは今さっき見たわ」


 右目の赤い瞳を閉じたソールはにたりと気持ちの悪い顔を浮かべ、手に持っていた麻袋をそのまま槍に奪わせた。射出した槍は麻袋の中身を傷つけることなくソールの手から麻袋を奪い、そのさきの民家の壁へと突き刺さる。


「……どういうことだ?」


「うふふ!もう手遅れなの!麻袋の中身にはもう罅の入った魔鉱石があるのよ!遅かれ早かれあの麻袋は爆発することになっていたの!賢いわ!抜け目ないわ!」


「――」


 そんな――それでは、この戦いは最初から意味がなかったというわけではないか。

村人を守りたいと必死になり、エレナの願いを叶えたいと願った日々は、まったくの無駄ではないか。そんなことは許せない。認められない。理不尽ではないか。


「うふふ……わたし、痛いの嫌いだから先にお暇するわ!後でまた会いましょう!新たなお人形さん!うふふふふふふふ」


 その言葉を残して、ソールの体が膝から崩れ落ち、倒れた。まるで魂の抜けた人形のように。しかし、それはデュオンも同じだった。顔面は蒼白で、微動だにしない。表情はなく、ただただ虚空を見つめるばかり。


「ソールさん!?」


「エレナ君近付いちゃ駄目だよ!まだ終わっていないんだよ!魔鉱石の魔力がどんどん高まってる――このままじゃ……デュオン?」


 焦燥感に駆られ、事態をどうにかできないかアンラは頭を回転させる。不用意に倒れたソールへ近づこうとするエレナに対し忠告を飛ばす彼女だが、その彼女自身落ち着けている

自身がない。麻袋はもはや熱を発しはじめ、周りの雪を解かすほど熱を上げ始めている。打つ手なしかとアンラがデュオンを見た時――彼女は異変を知った。


「!?駄目なんだよデュオン!?それをしたら君はまた――」


 どうあがいても理不尽を許せない。どう転んでも絶望にしかつながらない。また大切な人を守り切れない。復讐する約束も果たせない。何もかも中途半端で為すこともできない。どうしてエレナが死ななきゃならない。何もかも納得できない。何一つ救えない。何もかもが失われる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――誰を、ゆるさない?


 逃げた奴は許さない――


「―――――」


 ストッ――


ただ、そんな軽い音が、広場の静寂の中に響いた。

麻袋の光は輝きを失い、周囲の熱は再び冷気をはらんだ肌寒いものへと戻っていく。麻袋の中身は爆発する様子もなく、ただ壁にぶら下がっているだけだった。

そしてそこには、どす黒い瘴気を帯びた漆黒の槍が1本、麻袋を貫いていた。


「――――」


 村は時が止まったように静寂に包まれる。まるで今さっきまでここで爆発が起きようとしていたことなど忘れ去られたかのように。


「――デュオン……さん?」


 やがて、その静寂を破ったのはエレナの不安げな声だった。倒れたソールの下へと走ろうとし、アンラによって引き留められた彼女は、今ソールの目の前にいる。腰が抜けて、足がふらふらとおぼつかないが、それでもしっかりとこちらへと歩んでくる。


「どうしたんですか、デュオンさん?」


 優しい表情で、慈しみを向けてくる彼女の表情にデュオンはどれだけ救われただろう。この村に来て彼女に出会って、自分は幸せを感じずにはいられなかった。彼女のような存在を大切にしたいと思った。何に変えても守りたいと思った。


「――――」


「返事してください、デュオンさん……私たち無事じゃないですか。ソールさんも無事じゃないですか。デュオンさんが何とかしてくれたんですよね?」


 ソールに『救命者』と言われた時、一瞬自分を忘れた。それほどまでの怒りを感じた。けれど、そんなのは見当違いだ。まさしく彼の言う通りでしかないのだから。世界から恐れられ、恨まれ、敵視されるのにはそれ相応の理由がある。何も理由なしに敵視なんてされちゃいない。正当な理由があってされているのだ。だから――この出会いは最初から間違っていた。


「デュオンさ」


 どさりっ


「え?」


 どさりっ


「な、何ですか?何が起こっているんですか!?」


どさり。どさり。どさどさ。どさどさどさ


「どうしてみんな、倒れていくんですか!?」


どさどさどさどさ


「――あ、あれ……?どうしてだろ……」


どさどさどさどさ……


「体のどこにも……力が……入んない……ですよ……?」


どさどさどさどさどさどさ


「寒くて寒くて……あれ?立てない……」


どさどさ。どさり。


「デュオ……さ……。わたし……こわ……」


どさり。どさり。


「………」


どさり。


「――――」


 めのまえに、えれなさんがいる。めをみひらいて。まるでにんぎょうみたいだ。


「――――」


 えれなさん、からだがつめたい。こおりみたいだ。はなしかけてもぜんぜんきづかない。

どうしてしまったんだろう……。


「デュオン――」


「――――」


「もう良いんだよ。そんなことをしても彼女は目を覚まさないんだよ」


「――――」


 なにいってるんだ、あんら?そんなことはないだろ。


「いや、もう目を覚まさない。君はもう何度も見てきただろう。ただ、彼女のように君の身を案じてくれた最後があったことは1度としてなかったけれど……」


「――――」


 さいご?あんら、さっきからなにいって――


「赤き月の夜――あたしは誓ったんだよ。君とともにいると」


「―――ぁ」


「悪竜に復讐を果たすその時まで。悪竜に復讐を果たす誓いがある限り、あたしは君のそばにいるんだよ」


「う――ぁ――」


「だから、今はゆっくり休むんだよ。あたしが君のそばを離れないんだよ」


「――う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 『救命者』――命を救う者と、世界は俺に名付けた。それが皮肉を込めてだということは誰の目にも明らかだ。なぜなら俺は、『救命者』にして『求命者』――命を救う代わりに命を求める『魔人』なのだから。


 その日、ある一つの村がなくなった。村人は全滅。しかし、奇妙なことにその死体には傷の一つもついておらず、ただ眠っているように死んでいる。知らぬ人が見れば人形が寝かされているとしか思えぬ光景だ。しかし、100人以上もの死体が傷の一つもなく、また抵抗した形跡もなく死んでいる光景は異常としか言いようがない。そして、それはある一人の『魔人』によって引き起こされる災禍である。その『魔人』は命を救いたいという。しかし、実際にその魔人に救われたものの末路は、命を求められ傷一つなき死体となるのである。

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