亡獣
ディエンの森は、背の高い樹木が乱立している中に街路があった。
それほど整備されているわけでもないが、戦鎧騎が走れる広さの街路だった。
理由は、トランキアル霊廟街へ材木を届けるための輸送路でもあるからだ。
風車騎士団の戦鎧騎が、樹木を使ってその街路を狭めていた。
彼らは、樹木を積み上げた裏側へ配置されている。
遠くから、地響きが聞こえてきた。
「よぉし、戦闘準備だぁ!」
膨れ上がる緊張感を消し飛ばすために、ナイガンの号令が飛んだ。
応、とそれぞれの戦鎧騎が槍を掲げる。
その中の一番端にいたユーゴは、戦鎧騎に乗り込んでロープを持っていた。
「これなら攻撃に……ならないのか?」
難しい顔をして呟く彼だったが、誰からも返答はない。
操縦席には遠見の魔導具と補助用のスリットが設けられているが、周囲が森林であることも手伝って、視界の見通しが悪かった。
天幕に残してきたアリアドネとユミルのことも気になるが、それを考えている暇はなさそうだった。
地響きが肌で感じられるようになり、街路の奥に細身の戦鎧騎が現れる。
風車騎士団の戦鎧騎とは段違いの出力で、三騎がこちらに向かって走ってきた。
狭められた街路を走り抜ける精鋭らしき戦鎧騎の一騎が、一瞬だけ敬礼の動きを見せた。
それを読み取ったナイガンが、大声を張り上げる。
「来るぞぉっ!」
全員が街路の奥を睨みつけている。
しかし、何もやって来ないと考えた瞬間――――上から降ってきた。
衝撃が走り、積み上げていた樹木が倒れる。
薄暗い陽光を体内に湛えた水晶の獣が、そこにいた。
長い牙を持ち、四肢で大地を駆る巨獣で、確かに戦鎧騎で戦わねば人間には手の余る巨大さだ。
見た目は猫だが、その口元から延びる鋭い牙が攻撃性を増している。
「やれっ! 目標はあのスミロドンだ!」
ナイガンの指示が出たので、ユーゴはロープから手を離した。
今までそのロープで固定されていた大樹が、周囲の木々を巻き込んで倒れる。
巨大な剣歯虎――――スミロドンが異常に気付き、叫ぶ。
「馬鹿めがっ!」
猫科特有のしなやかな動きで飛び上がった。
そして、大樹が倒れると同時に、槍を構えた戦鎧騎へ向かって飛び降りた。
着地の衝撃で、戦鎧騎が中身の騎士ごと踏み潰される。
スミロドンの縦に割れた瞳孔が、ユーゴの戦鎧騎を睨みつけていた。
「愚かなり外法の者よ! そこに隠れたつもりか!」
「……亡獣って、喋るんだな」
彼はいつでも動けるように間合いを取りながら、小さく呟くのだった。
すると、水晶の亡獣が首を傾げる。
「うぬ? 誰だ貴様。いつの間に入れ替わった? いやしかし、気配は同じだが?」
「人違いだろ。さっさと帰ったらどうだ」
「……まあよい。どちらも殺せば同じことよ」
そう言うなり、鉤爪の伸びた前脚が振り下ろされる。
ユーゴの駆る戦鎧騎が、間一髪で爪を避けたと思ったところで――――装甲が弾けた。
吹き飛ばされて後ろに下がるが、何とか態勢を立て直す。
「爪は確かに届かなかったはずだけど、見えないか」
目を細めてスミロドンの前脚を見つめるが、鉤爪さえ手の中に隠れて確認できない。
対する亡獣の態度は変わらなかった。
「ネズミにしては機敏である。だが次はない」
「ああそうかい……って、おい」
彼が思わず腰を浮かしかけたのは、ユーゴの戦鎧騎を守るようにして、風車騎士団が動き出したからだ。
あくまで今のユーゴは、騎士になりたての見習いという認識がされていた。
古参の騎士たちが槍を掲げ、新米騎士を守るために戦いへ臨む。
攻撃が効かなくても意識を引ければ充分だと考えているのか、数体の戦鎧騎がスミロドンの背後へ回り、槍を叩きつけていた。
別段、効いた風でもないスミロドンだが、煩わしいのは確かだろう。
「邪魔だ」
亡獣の尾が掻き消えたと思われると、一帯の戦鎧騎が薙ぎ払われた。
腕部や正面装甲が舞い上がり、飛ばされた戦鎧騎が樹木にぶつかって地面に落ちる。
「――――次だ、叩き込め!」
ナイガンの号令で、別の大樹が倒れ込んできた。
それを見上げたスミロドンが、牙を剥き出しにして跳躍する。
およそ亡獣自身の体格を一回りも大きい大樹が、中ほどから切り飛ばされた。
「我が剣歯を侮るなよネズミども……ちっ」
再度、スミロドンが戦鎧騎を巻き込んで着陸しようとして、咄嗟に体躯を捩った。
何もない空間を、数本の槍が飛んでいく。
ユーゴは落ちていた槍を拾い上げ、スミロドンの眼へ向けて投擲したのだった。
「ふむ、亡獣に対しては攻撃出来るんだな」
「小癪なネズミだ! 中身を引きずり出して噛み潰してやる!」
「追いかけっこか? 悪くない提案だな」
彼の戦鎧騎が、足元に落ちていた槍を蹴り飛ばした。
亡獣の肩に僅かだけ突き刺さるも、すぐに抜け落ちる。
「貴様ぁっ!」
「やれるものならやってみろ」
彼が笑い声を漏らしながら、鬱蒼と生い茂る森の中へ戦鎧騎を飛び込ませた。
スミロドンが勢いに任せて飛び込むも、そこには影も形も見当たらない。
場所を変えようと身体を動かすたびに、樹木にぶつかっていた。
その隙を狙って、槍が投擲された。
大した損傷など与えられるはずもなく、時間だけが過ぎる。
森林地帯において、亡獣の巨躯は不利であった。
それでも、俊敏な動きと関節が無いような猫科の動きでユーゴを器用に追いかけていた。
時流が変わったのは、当初の戦い始めた場所から遠く離れたときだった。
「……なるほど。ネズミにしてはよくやった方だ。貴様に対する評価を改めよう」
先に使い潰れたのは、ユーゴの操る戦鎧騎の方だ。
想定以上の負荷をかけて不整地を駆け回り、落ちているものは何でも拾って全力投球していたのだから、その損傷具合は再起不能な程である。
最早、指先さえも満足に動かせない戦鎧騎の中から、その身一つでユーゴが姿を現す。
「もう追いかけっこは終わりなのか? ここからが良いところなんだけどな」
「評価を改めると言ったはずだ。そのような弱々しい身体で何が出来る? 敬意を表して、噛み潰さないでやる。首を差し出せ」
「断る」
腕組みをした彼は、断固として言い放った。
何処となく顔が引きつっているスミロドンに、見間違いは無いだろう。
「き、貴様、頭がおかしいのか? それとも、おかしくなったのか?」
「勝手に決めつけないでくれ」
「いいだろう、愚か者よ。その矮小なる身を呪うがいい」
亡獣が大口を開く。
このまま何もなければ、鋭い剣歯によってユーゴも真っ二つになることは間違いない。
しかし、そうはならなかった。
一条の光が、スミロドンの頭を消し飛ばした。
胴体だけ残った剣歯虎が、その巨躯を森林に沈める。
「――――え?」
空気を焼く光の元を辿ってみると、そこには銀髪の痩せこけた男がいた。
手に拳銃を持ち、年の頃は壮年と思われる。
みすぼらしい服を着て、無精髭を生やしたままだ。
そして、何も興味の無い眼をしていた。
今しがた、風車騎士団の戦鎧騎を紙屑のように扱っていた亡獣を撃ち殺しても、何の感慨も持っていないようだ。
その証拠に、踵を返して何も言わずに去ろうとする。
「なあ?」
ユーゴが声をかけた。
銀髪の男が立ち止まるものの、振り向きもしない。
痩せぎすの背中へ、ユーゴは言う。
「助かった、って言った方がいいのか?」
「……好きにすればいい。僕はもう行く」
それだけ言い残すと、今度こそ立ち去ってしまった。
―――――これこそ、ユーゴとアレク・レオが初めて出会った瞬間だった。




