陣営
トランキアル霊廟街から東に向かい、なだらかな丘を超えた所へ森林地帯があった。
距離としては徒歩で三日ほどの場所だが、戦鎧騎を伴っての進軍のため、倍以上の時間が経過していた。
訓練生を含む風車騎士団の面々は、森林手前の草原へ陣地を構え、待機している。
臨時の風車騎士団詰所となった天幕の中で、髭の塊のような男が難しげな声を出した。
「いいかぁ、此処が俺らの正念場だ! 気合い入れやがれ!」
その場にいた騎士達の声が、重なり合って響く。
騎士達がそれぞれの持ち場に帰り、戦いの準備をすることだろう。
一通りの作戦会議が終了し、後は開始を待つだけとなっていた。
そして、臨時詰所に残されたのは、騎士団長とユーゴ達だけとなる。
風車騎士団長――――ナイガンが重々しく口を開く。
「そう言うわけだ、手伝って貰うぜ」
「いや、俺は何も聞いてないんだが」
いきなり訓練生と一緒くたに纏められると、風車騎士団の行軍に参加させられていたユーゴだった。
つい先程、ユミルに天幕へ連れて来られた彼にとっては寝耳に水の話だ。
ナイガンの視線が、筋骨逞しい眼帯メイドに向けられる。
「おい、ユミル。説明してねぇのか」
「私はお嬢様の世話で忙しかったんだ。そこまで手が回るかよ」
「ちっ、まあいい。そんじゃあついでに嬢ちゃんにも説明するか。……俺たちがこのディエンの森へ出張って来たのは他でもねぇ。レオ様の消息がわかったからだ」
「え?」
即座に、アレク・レオの娘であるアリアドネが反応した。
行方不明であった国家元首が、思いの外あっさりと見つかった事に拍子抜けするが、それはそれで疑問が残る。
「どうしてこんな場所で見つかったんだ?」
疑問を持つ者の代弁をするように、ユーゴが言う。
ナイガンも頷き、厳重に封がされていたであろう羊皮紙を、懐から取り出した。
「執政府から届いた作戦指令書だ。本来なら俺らまで届かねぇ類の代物だわな。義勇軍つっても、正規軍に比べりゃ装備も戦力も、一枚ほど格が落ちるのは知っての通りだ。それでも俺らを頼るって事は、相当切羽詰まってるってぇもんだ」
「ふぅん」
興味なさそうな態度のユーゴに対して、額に青筋を立てながらも、ナイガンが我慢強く言う。
「ちっ、この作戦指令書を読んだ限りなら、精鋭部隊がレオ様の救出に向かったらしい。敵は《クリスタルム》の亡獣だ。遅延戦闘を行いながら撤退してるが、損耗がひでぇことになってる。そんで、風車騎士団に白羽の矢が立ったて寸法よ」
髭面の言葉に、ユミルが難渋な言葉を返す。
「……本営の精鋭部隊が手に負えない相手だろ。訓練生まで引っ張り出して、どうするつもりだ親父」
「そりゃあ、アレク・レオ様をお守りするに決まってんだろうが。言っとくがなぁ、『騎士』っつうのは戦うのが役目だ。訓練生も野戦任官扱いで昇進済みだぜ。今戦わなくて、いつ戦うってんだよ」
「んなこたぁ言われなくても知ってんよ。無駄死にを減らすのが親父の仕事じゃねぇのかって聞いてんだ」
「当たり前だろうが馬鹿野郎!」
会話を始めれば喧嘩が発生する親子に状況を任せていては日が暮れてしまうと思ったユーゴが、ユミルの肩を叩いた。
「なあ、ちょっといいか」
「いま取り込み中だ――――あ、いや、御主人様。すいません」
ヒートアップしていた彼女も、彼の顔を見た途端に落ち着いた。
ユミルが一歩引いて、ユーゴの後ろへ控える。
ようやく口が挟めるようになった彼の言葉は、思いの他よく響いた。
「それで、俺は『騎士』になったってことで良いのか?」
「……ああ、野戦任官っつぅことにはなるが、この戦闘後も恩賞に加えて貰えるらしいぜ。この作戦指令書に署名したキュロス・メゾット研究局長のお墨付きだ」
「キュロス?」
露骨に嫌な顔をするユーゴであった。
妖精皇国で出会ったことのあるアルベル連邦側の人間だが、嫌な思い出しか浮かばない。
顔を見かけたら殴るかもしれないなぁ、と彼が心の中で呟く。
それを知ってか知らずか、ナイガンが大きく頷いた。
「ったりめぇよ。聞いて驚け。この戦鎧騎だって、キュロスの旦那が作り上げたんだぜぇ」
「ああ、確かに碌なもんじゃない」
「ああん? アンタ、知り合いか?」
「いや、知り合いでもない。二度と関わり合いになりたくないだけだ」
あまり思い出したくないので、ユーゴは話題を変えることにした。
「なら、俺はこの戦いが終われば無罪放免ってことだな?」
「そういうことになるぜ。まあ精々気張んなってぇことを言いたかっただけだ。素手で戦鎧騎を倒すアンタなら、何とかするだろう」
「あんまり適当なことを言わないでくれ。それより、亡獣について聞きたいことがあるんだけどな」
「何だ? まさか亡獣まで見たことねえって言うんじゃねぇだろうな」
ナイガンの髭面が、潰れた毛玉のようになってしまった。
だからと言って、知らないものを知っていると言い張るつもりもない。
「知らん。見たこともない」
「どうなってんだ、こいつぁ。戦鎧騎だって亡獣と戦うために造られたもんなんだがなぁ」
「そうか。亡獣ってのはデカいのか」
ユーゴは戦鎧騎の身長から、大体の亡獣の大きさを思い描いた。
ナイガンが天幕の天辺を指さす。
「大体、こんなもんだな。四本足の獣だったり、巨大な虫だったりするが、何といっても奴らの体が水晶で出来てやがるからな。硬くて仕方ねぇのよ」
「水晶、か」
そう呟いた彼が真っ先に思い浮かべたのが、『永遠蜘蛛』だった。
ナイガンの言うサイズとは比べ物にならないほど巨大な生物――――否、生命の定義すら見失いかねない存在であった。
物思いにふけるユーゴを見てどう思ったのか、ナイガンが笑う。
「はっ、大丈夫だ。ひよっ子を矢面に出すかよ。『騎士』の戦いにゃ、足手纏いだぜ。アンタらには、森を囲んで火を放ってもらう。始末は本職に任せとけ」
がはは、と豪快に大笑するナイガンである。
これだけ見れば面倒見の良い団長にも思える。
もう少し短気を直せば理想的な親分になれるのだろうが、人には性分というものがあった。
口を尖らせたユミルが言う。
「だから、そいつを早く言っとけよクソ親父」
「あんだとコラぁ!」
「まあまあまあ」
強引に二人の間に入ったユーゴは、背中でユミルを押し離しながら、ナイガンに聞いた。
「それで、作戦が始まるのはいつなんだ」
「斥候からの連絡によりゃあ、正午前くらいにはここまで来そうだとよ。飯の支度をしてる暇はねぇから、携帯食料で済ませるしかねぇなぁ」
残念そうに言う髭面だった。
基本的に携帯食料は不味かったからだ。
そこで思いついたユーゴは、懐に手を入れて、海藻を取り出す。
「これでも食べてみるか?」
「どっから何てもんを取り出してんだ、アンタ。んで、何だその黒い板は……乾いた草か?」
「似たようなものだけどな。海藻を干したもので、俺の弟子には好評だったぞ。皆も挑戦してみるといい」
ユーゴは海藻を折り、ユミルやアリアドネにも渡した。
彼の海藻から出る粘液には傷を癒す効果があり、怪我にも効いたらいいなぁ、という願望が含まれていた。
海藻を受け取ったアリアドネが、静かに頬を吊らせる。
「お弟子さんがいたのですね。では、頂いてみましょう」
「お嬢様、いけません! そんな不浄なところから出てきた汚い草を食べるなど!」
「あら、そうですか。ならば、ユミルに毒見して貰いましょうか」
「へえ? え、いや、その……し、仕方ありません。気は進みませんが――――」
恐る恐る、ユミルが海藻を口に含んだ。
その瞬間、芳醇な旨味の香りが爆発する。
神経を犯しつくすほどの快感によって、舌を貫いて頬を串刺しにされたとさえ感じられていた。
一人で盛り上がり、感想すら言えずに悶えるユミルの姿を見ていたアリアドネが、同じく海藻を口に入れた。
「あぁ、これは――――」
この時、アリアドネは感情のままに笑えた。
どこか懐かしささえ感じられるその味に、逆らうことなど出来なかった。
最後の一人であるナイガンが、訝しさを隠そうともせず言う。
「おい、こいつは危ない薬じゃねぇだろうな」
「身体に悪いものは入ってない……と思うぞ。よく食べてる弟子も、特に異常はないしな」
「ほんとかよ」
目を細めたナイガンが、信じられない者を見る態度で、手の中の海藻をズボンのポケットに仕舞うのだった。




