誤解
舞い上がった土砂が降り注ぎ、息を止めざるを得ない雰囲気が広がった。
剣を持っていた男の一人が、戦鎧騎に向かって大きく手を振って異常を知らせる。
すると鎧の巨人が剣を大地から引き抜き、後ろへ下がった。
剣の影から現れたのは、眼帯メイドの上へ覆いかぶさったユーゴの姿だった。
「おい、大丈夫か」
「ぐ、むぅ」
いきなり突き飛ばされて転び、その拍子に後頭部を強打していたユミルの意識が戻る。
その様子を確認したユーゴは、彼女に触れていた手を離した。
彼女の顔に積もった土埃を払いのけて言う。
「痛むところは無いか?」
「……やめろ」
彼の手を払いのけた彼女が、ようやく状況を思い出す。
アリアドネが現れたことに動揺し、戦鎧騎の振り下した大剣の前へ飛び出してしまっていた。
完全な殺傷圏内にいたはずの彼女を助けたのは、当然ながら一人しかいない。
不機嫌な顔をしたユミルが言う。
「どうして助けた」
「いやなに、貸しを返して貰う前に居なくなられても困るんでね」
「――――ふんっ」
苛立たしげに横を向いた彼女が、身体を起こした。
それに慌てるユーゴである。
「あ、おい。本当に痛むところは無いのか?」
「当然だ、騎士を舐めるな。私のことよりお嬢様が心配だ」
周囲を見回した彼女が、アリアドネの不器用に心配する顔を見つけた。
怪我が無いことに安堵して、立ち上がろうとする。
それをユーゴは、手で制した。
「待て、安静にしておいた方が……」
「うるさい。助けて貰ったことに感謝はするが――――」
立ち上がって直ぐに、メイド服のスカートが落ちた。
彼女の足首にまとわりつくスカートと、風に舞う布きれ。
ユミルが寒々しい己の下半身を確認すると、何も身に付けていない両足が眼に入る。
遠くに飛んでゆく布きれが、何処かで見たことのある色をしていた。
そして、ちょうど股間の辺りにユーゴの頭があった。
「――――ふぁっ!」
「待て、眼を閉じているから心配するな!」
「黙れっ!」
顔を真っ赤にしたユミルが股間を隠す前に、腰の入った握り拳を叩き込もうとする。
彼はそれを、難なく手で受け止めた。
「み、見てるだろ、貴様!」
「いや、見なくてもわかる」
眼を閉じたまま言うユーゴだが、それを信じるユミルでは無い。
拳を掴まれ、反対側の手で股間を隠しながら叫んだ。
「どれだけスケベなんだ貴様は!」
「……ん? いや、君の股間のことを言ったわけじゃない」
いくら相手が歴戦の騎士だとはいえ、白兵戦闘ではユーゴに軍配が上がる。
頭に血が上って冷静ではない者の拳など、眼を閉じていても気配でわかる。
ただし、頭に血が上っているからこそ、彼女の知能は低下していた。
「黙れ黙れ黙れ! その首へし折ってやるっ!」
「あら、私の恩人を殺すのですか?」
顔を歪めて笑うアリアドネが、彼女の背後に立っていた。
しかし、どう見ても眼だけは笑っていない。
何も映さぬその瞳だけが、全ての感情を物語っている。
「加えて、貴方の恩人でもあるのですよ、ユミル。私は貴方をそのような恩知らずであるとは思っていませんでした」
「お、お嬢様……恩人、と言いましても、この男の所為で地位を剥奪されたのではないですか!」
恥じ入って股間を隠しながら、沈痛な顔で身体を小さくするユミルである。
すべてを理解した上で、アリアドネが頷く。
「違います。すべては私の意志でした。……しかしながら、貴方が恩人に対して狼藉を働いたのも事実です」
そうして彼女が、自分の背中に手をやった。
服を留める紐を外す。
「つまり、責任は私にあるということです。私も貴方と同じ格好を致します。貴方はそこで見ていなさい。上に立つものの矜持というものを――――」
「いや、心の底から止めて欲しいんだが」
本当に嫌な顔をして、ユーゴは言うのだった。
別に彼女らに服を脱いで欲しいわけでも無い。
ユミルによって集められたであろう男たちも殺気立っており、お世辞にも雰囲気が良いとは言えなかった。
手を止めたアリアドネが、表情を戻す。
「御不満ですか?」
「ああ。不満と言うなら、最初からそこの娘の計画を知っていながらついて来て、結果、怪我をしそうになったな。そのことだけだ。それ以外は、どうでもいい」
「怪我をした、の間違いでしょう?」
彼女が鋭く言葉を挟む。
戦士であれば、殺気と呼ぶべき真剣さだった。
確かに戦鎧騎の大剣は、大地と共にユミルの胴体を両断した。
土砂が舞い上がる中、只一人ユーゴだけが飛び込んで、彼女の分断された肉体を治癒したのだ。
だからこそユミルの服だけが飛んで行って、要らぬ誤解を受ける羽目になったのである。
誰よりも遠くでその光景を見ていたアリアドネだけが、それを知っていた。
「ええ、そこは本当に私の落ち度です。もっと早くに止めるべきでした。ごめんなさいね、ユミル」
「何を仰いますか、お嬢様! その男の言うことはすべて出鱈目です! 信じてはいけません! どうせこの変態ドクズが妙な手を使ったに過ぎないのです!」
「……酷い言われ様だな」
助けた相手に嫌われることは慣れているユーゴだったが、思わず言葉を漏らした。
それを聞いたアリアドネも、流石に嗜める。
「ユーゴ様は王族ですよ? それはもう見たことも無い美女ばかりを集めて毎晩のように取り替えている方が、卑怯な手を使う理由がありますか?」
「ちょっと待て。擁護になってないし、見てきたように嘘を言うな」
そんなユーゴの言葉など、この場で誰も信じるはずが無かった。
周囲の男たちの殺気は凄まじいものになり、ユミルの眼も見開かれる。
「だから故郷に帰りたがっているのか……」
「あー、もう否定するのも面倒になってきたな」
彼は手で両目を抑える。
アリアドネが首を傾げた。
「違うのですか? 聞いていた噂と違いますね」
「……どうせ碌でもない噂だろうが、内容を聞かせて貰ってもいいか」
「はい。女好きでその性癖は凄まじく、気に入った娘がいれば他国の者であろうとその操を奪いに行く好色家であると。最近はエルフが被害にあったと聞いております」
彼女の言葉が告げられると、視線がユミルへ集まる。
股間を隠した眼帯メイドが、武者震いを見せて口を開いた。
「気に、入った? 操を奪うだと?」
「まあ、そうでした。では、ユミルをユーゴ様付きにしましょう。我が身を頑なに断られている私としては、そうするしかありませんね」
「そんな、お嬢様!」
懇願さえ見て取れる表情のユミルだが、己の主に強い否定を示すことが出来るはずも無い。
そして、アリアドネもこの意見を取り下げる気は無かった。
「これは決定事項です。貴方がこれを聞き入れない場合は、私は右腕を切り落としましょう。そして、貴方を処刑します。この御方は、それほどまでに重要な方なのです」
「――――っ」
息を呑むユミルだった。
アリアドネの覚悟を見た彼女の心が、ここにきて固まった。
主人が身を賭けてまで意を通すのであれば、その理由があると言うことだ。
「……御意に御座います」
「あの、俺の意見は?」
そして、一番のとばっちりを受けたユーゴは口を挟んだ。
事実無根な噂を流され、助けた相手には牙を剥かれ、散々な境遇だと自認していた。
せめて話だけでも聞いてもらいたい所だったが、それもアリアドネの言葉に止められる。
「御嫌でしたら、そう仰って下さって構いません。ですがその場合、ユミルは貴人に対する暴行罪で、処刑か百叩きは免れません。……周囲に向けて、罪一等を減じるという証明を示さねばいけません。どうか、お付き合い願えませんでしょうか」
彼女の言葉の後半は、周囲の者にも聞こえない小声だった。
そして、追い打ちをかけられる。
「それに噂を否定されるのであれば、ユミルに手を出さなければ良い証拠が出来ます」
「……まあいいけど。貸しにしとこうかな」
彼は眼を細めた。
ここまでくれば、彼にだってアリアドネに嵌められたことが理解出来た。
ユーゴがユミルを傷つけないことを前提にして、人質にされたようなものだ。
それを分かって条件を呑むというのだから、貸しの一つでもつけたくなる。
彼女も、素直に頷いた。
「まあ、高くつきそうですね」
「君次第だな」
彼女が何を企んでいるか、見当はつかない。
しかし、相手が貸しも忘れる不義理な者であれば、ユーゴも心置きなく敵対出来ると言うものだ。
今のところは協力関係だが、この先は分かったものでは無い。
ここまでしてユミルを彼の傍に置きたかったのは、監視か懐柔か、と考えた所で首を振る。
懐柔は無いな、とユーゴが意識を改めたからだ。
彼は上着を脱いで、ユミルに渡した。
「な、なんだ―――ですか、御主人様」
「取りあえず、服を着替えてからだ」
「わか……りました」
慣れない態度で、彼の上着を腰に巻いたユミルが建物の方へ消えて行った。
その背中を見送っているユーゴの背に、アリアドネの声がかけられた。
「どうです? 可愛いでしょう」
「…………」
彼女の言葉に、何も返す気が起きないユーゴであった。




