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騎士になりました  作者: 比呂
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思惑


 白地の窓枠から、陽光が差し込んでくる。

 腰が一段ほど沈み込む柔らかさの椅子に座っているユーゴは、目前の丸テーブルに置かれたパンを手に取って齧った。


 良い小麦と塩を使っているのか、程よく柔らかくて甘い。

 これだけでアルベル連邦の資金力を計るのは早計だろうが、少なくともアリアドネの屋敷にいる料理人の技術は高かった。


「……ふむ」

「よろしければ、こちらもどうぞ」


 丸テーブルの対面に座るアリアドネから、ティーカップを差し出された。

 花の香りがする紅茶で、一口飲んだ後からも香りが立ち昇る。


 余韻を感じながら、彼は周囲を見回す。

 壁際には背の高い本棚が置かれており、小さな暖炉も存在した。


 ここは彼女の書斎か、もしくは応接室だろうと見当をつける。

 アリアドネが、小首を傾げた。


「何か気になりますでしょうか」

「いや、別に。それより、服のことは感謝してる」


 ユーゴは会釈した後で、己の格好を確認した。

 何処にでもある使用人の服装だが、悪目立ちしないので気に入っている。


 しかし、彼女の表情は曇っていた。


「感謝されるほどのことでは御座いません。むしろ、この屋敷には男物の服装が少ないのです。王族の方にお出しするものではなかったのですが……」

「いや。むしろ、これが良い」


 ユーゴは安堵しながら、紅茶を飲む。

 王族に相応しい恰好など、堅苦しくて仕方がなかった。


 彼を見て難しそうな顔をするアリアドネであったが、彼女の疑念はドアの向こうから聞こえるノックに打ち消された。


「失礼します」

「――――お邪魔する」


 ドアが開いて現れたのは、眼帯を付けた体格の良いメイドと、叩き上げの兵卒然とした男だった。

 その二人の間に流れる空気は、険悪なものを隠そうともしていない。


 兵卒然とした男が、眉根を寄せて言う。


「それでは、アリアドネ・レオ様。貴方様の官位を、グラウコス・レオ様の権限にて剥奪致します。本日中に、この屋敷から退去を願います。この勧告に従われない場合、強制的に排除いたします」

「本日中、ですか。即時退去かと思っていたのですけれど。お兄様にしては優しい命令になりますね」


 アリアドネの問いに、兵士然とした男が憮然な顔をして眼帯メイドを見た。

 それでも、腕組みをした眼帯メイドが不満げな表情で横を向く。


 この二人の間で、相当なやり取りがあったに違いなかった。

 小さく頷いたアリアドネが、不器用な笑顔を見せた。


「どちらにも苦労をかけます。……それでは、その指示通りに致しますので、手続きはお願いしますね」

「感謝いたします」


 兵卒然とした男が、精一杯の謝意を込めた敬礼を行ってから、踵を返した。

 その後の沈黙を破ったのは、女偉丈夫――――眼帯メイドであった。


「お嬢様、申し訳ありません。このユミル、いつでも首を差し出します」

「構いません。すべてはランヒ……いえ、お兄様のお考えです。貴方の外出を許したのも私です。貴方に責はありません」

「しかし、メイド長としてあるまじき失態です。厳罰は必要かと」

「……そうですか? では、テーブルの前に四つん這いになりなさい」

「はっ!」


 勢いよく返事をした眼帯メイド――――ユミルが、言われた通りのことを行った。

 続いて、アリアドネが言う。


「では、ユーゴ様。ユミルの上に座って頂けますか?」

「いや何言ってんだお前」


 もう少しで、飲んでいた紅茶を吐き出しかねないユーゴであった。

 テーブルの下から、ユミルの声も飛ぶ。


「貴様っ! アリアドネ様をお前と呼ぶとは何事だ! 貴様に座られるのは屈辱極まりないが、自ら望んだ厳罰だ! 座れ!」

「もう何なんだ、こいつら……」


 非常に迷惑そうな顔をしてみせるが、彼の意志など関係ないらしい。

 アリアドネなどは、やはり首を傾げている。


「そんなに変なことを言ったかしら、ユミル?」

「いえ、お嬢様にそのようなことはありません! ……頼む、座ってくれ」


 眼帯メイドが、腹の底から絞り出した声を出した。

 そんな忠義に心を打たれる――――訳も無いユーゴである。


 しかし、ここで眼帯メイドの頼みを断ると後が怖そうだった。

 ユミルが額に青筋を立てて言う。


「借りだ……借りにしてくれていい。頼む」

「わかった」


 彼は渋々頷いた。

 ユミルの体格と眼帯から見て、雰囲気は戦士のそれだ。


 戦士が『借り』と言うなら、それは戦場で命を懸けるに値する約束である。

 裏切ればそれまでだが、そんな者は戦士と呼ばれない。


 こんなところで借りを作ってまで頼むことかな、と思わなくも無いユーゴであるが、世の中とは難しいことだらけであった。


 椅子から腰を浮かせた彼は、そのまま横に移動して、彼女の背中に尻を置いた。


「……これは」


 生暖かくて、相当に座り心地が悪い。

 それというのも、筋骨が発達していて、ユーゴの身体が跳ね返されかねない弾力があったからだ。


 彼の気持ちも知らず、アリアドネが聞いてきた。


「どうですか?」

「ああ、かなり肉付きがいいな」


 戦士としての膂力があるのは間違いない。

 無駄のない、戦うための筋肉だった。


 これほどまでに鍛えあげているのだから、その苦労は並大抵のものではないだろう。

 戦いに身を置く者としては、彼女の筋肉を褒めるのに少しの逡巡もない。


 ただ、その感想を本人がどう受け取ったかは別である。


「に、肉だと、貴様ぁっ! いやらしい男だ! どこを見ている!」

「そうですね。ユミルはこう見えて胸も大きいのですよ」

「うん。立派だと思う。そこらの男なら相手にもならないさ」


 ユーゴは大きく頷いた。

 背中でこの筋肉量なのだから、大胸筋も硬く分厚いものだと容易に想像できる。


 剣を扱わせても並以上だろう。

 事実その通りなのだが、言われた本人は四つん這いで憤っていた。


「勝手なことを言うな!」

「まあ、照れているのですね」


 口元に手を当てて笑うアリアドネだが、やはりその表情には不器用さが張り付いていた。

 しかしユミルは慣れているのか、情けない声を出している。


「お嬢様ぁ……」

「ええ、冗談が過ぎました。それではユーゴ様、ユミルを許してあげてください」

「許すも何も、俺は巻き込まれただけだろ」


 彼が元の椅子に戻ると、ユミルが立ち上がった。

 鋭い眼光で睨んできたと思えば、アリアドネの横に立つ。


「ふん! 私を女扱いしたこと、後悔させてやるからな」

「え?」


 いつそんなことしたっけ、と首を傾げるユーゴであった。

 ただし、それを素直に口に出さない分別だけは身に付けている。


 伊達に嫁が二人も居ない訳では無い。

 彼が何とも言えない表情をして黙っていると、アリアドネが口を開く。


「では、退去の刻限も迫っていることですし、結婚しましょう」

「だから、何を言ってるかわかってるのか?」

「無論です。結婚した方が良いと思いますよ」

「良い悪いの問題じゃないだろ」

「そうかもしれませんが、今後のこともありますし」

「俺は国に帰りたいんだよ」

「それは知っています。まずは落ち着きましょう。やはり私の裸を見られますか?」

「見ないから。俺の裸を見たことのお返しだろうけど、そんなことしなくていいから忘れてくれ」

「努力は致しますが、あの光景が衝撃的過ぎて、暫くは難しいと思います」

「嘘でも忘れたと言ってくれないかなぁ」


 ユーゴが頭を抱え始めたところで、ユミルから助けが入った。


「ところでお嬢様。そこの男は、アルベル連邦の戸籍事情を良く知らないのではないですか?」

「ええ、そうですね。『糸』で引き寄せましたから、何も知る機会は無かったと存じます」

「そうですか。……おい、男」


 ユミルが眼を細め、口を曲げて言った。


「このトランキアル霊廟街は、アルベル連邦のどの都市に比べても戸籍が重要だ。何せ、『人類が始まった場所』だからな。研究施設も多いし、余所の国の者が簡単に出歩いて良い場所じゃない」

「ふぅん」


 そんな重要な場所に呼び出して欲しく無かった彼だが、そんなことを言っても始まらないので黙っていた。

 得意そうにユミルが語る。


「そこでな、手っ取り早く戸籍を作るのには、結婚が一番早い。例え相手が奴隷だろうと、身分の高い方と結婚すれば、体裁を整えるために金銭で身分が買えるんだよ」

「なるほど、だから結婚だったわけか」

「まあ、そうとも言える。貴様は故郷に帰りたいみたいだが、トランキアル霊廟街から国外へ抜けるには、少なくとも尉官クラスの身分が必要だ。お嬢様と結婚すれば尉官どころか佐官になれたかもしれんな」

「しかしなぁ」

「心配するな。既にお嬢様は官位を剥奪されている。結婚しても意味は無い。奴隷からスタートだ。ざまあないなぁ、んん?」

「そうだったのですか……」


 驚きを隠せていないアリアドネの表情があった。

 ユミルが慌てる。


「あ、いえいえお嬢様。奴隷からでも尉官を取れる制度があるのですよ」

「ええ、そうですね。しかし……」


 彼女の表情が陰った。

 ユーゴが話を聞いていた限りでも、果てしない困難があることは容易に理解出来た。


 頬を歪めたユミルが言う。


「『騎士』になれば、誰もが尉官となります。それでも無謀だとは思いますがね」


 両手を上げて見せた彼女の態度が、すべてを物語っていた。

 それでも、ユーゴに諦める道理など無い。


「まあ、やってみるさ」


 帰らねばならないのだ。

 故郷が――――故郷に残してきた一部の者達が何を仕出かすかわかったものでは無いなぁ、という気持ちにも、幾らか後押しされていたのだった。





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