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騎士になりました  作者: 比呂
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消失


 早朝特有の、澄んだ空気が肌を撫でる。


 久方ぶりに自宅のベッドで眠りに落ちたユーゴは、前後不覚に陥るほどの寝心地を堪能していた。

 だからだろうか、自室に入り込まれるまで気配に気づかなかったのは――――。


 衣擦れの音に耳朶を打たれ、微睡む瞼を僅かに開く。

 真っ白いシーツに、頰を染めながら入り込もうとしている娘がいた。


「…………」

「ふ、うふふふふ――――」


 何をしたいのか理解できず、ちょっと危なげな瞳の色をしたフィーナの行動が怪し過ぎる。

 ただ、楽しそうにしていたことはわかったので、少しだけ見守ることにした。


「既成事実、既成事実っと」

「…………?」


 妙な事を口走り始めたフィーナの口からよだれが垂れそうになったところで、声を掛けた。


「……よだれ?」

「うひえっ、ユー……お父さん、起きてたの?」


 驚いて中腰になった彼女の姿は、入り込もうとしていたシーツを頭から被ったお化けにしか見えない。

 狼狽えているようだが、表情は読み取れなかった。


「ふむ」


 どうしてベッドなんかに、と考えた直後、あることに思い至った。


 ――――子供が親の愛情を求めている。


 幼い子が親のベッドに潜り込むことは知っていたし、何より、子供らの幼少期を一緒に過ごしてやれなかった罪悪感にも後押しされた。


 幼いと言うには少々成長しているとは考えたが、親バカとは罪深いものである。

 ユーゴは肌寒さを感じながら、ここに来いとでも言いたげにベッドを優しく叩いた。


「よし、一緒に寝るか」

「え……え? あの、その、いいの?」

「もちろんだ、存分に甘えても構わない」

「……あ、うん、お願いします」


 頬を染めたフィーナが、口元を引き締めて恐々と彼の隣に寝転んだ。

 ユーゴはいい加減、自分の娘にティルアの血が半分ほど流れていることを覚えておくべきだった。


 まさか自分の娘が、とは露にも考えない辺り、ティルアの趣向性――――血筋というものを侮っているだろう。


 夜討ち朝駆けは、戦場だけで使われるものでもない。

 フィーナの狙いの半分は成就された。

 後は、なし崩し的に行ける所まで行く算段であったが、彼女にも誤算があった。


 腕枕のあまりの心地よさに、彼女の意志が蕩けてしまう。


「ふ、ふわぁ……」


 母とはまた違った人肌の温もりと、何処までも包み込んでくれるような安心感が堪らない。

 もうこのまま眠り続けていたいと、ユーゴの暖かさが感じられるベッドの上で身悶えていたところ、予想外の乱入があった。


 寝室のドアが、ノックも無く勢いよく弾き飛ばされる。

 好戦的に口元を緩ませたジゼルが、震える足取りで近づいて来る。


「そこまでよっ! 私も交ぜて欲しいわ! 特に私のボディ担当が血の涙を流さんばかりに悔しがってるから何とかして!」

「……そう言われてもなぁ」


 難しい顔をするユーゴであった。

 寝床を奪われまいと身体にしがみ付く娘の姿を見ると、無理に引き剥がすことは出来ない。


 かと言って、黒竜に半変貌しかけているジゼルを放っておくと、自宅が吹き飛んでも不思議では無い。

 シアンとティルアと、三人で初めて暮らし始めた思い入れのある家屋なので、失われるのは困るのだ。


 折衷案としては、無難な所へ落ち着けるしかなかった。


「今後一切、俺の家族を傷つけないと言うなら、好きにすればいい」

「乗ったわ」


 一も二も無く即答であった。

 あまりに返事が早すぎたので若干の嘘臭さも感じられたが、ジゼルの表情は真剣そのものだ。


 それくらいに切羽詰っていたということだろうが、何がそこまで彼女を駆りたてるのかユーゴには理解出来ない。


 ふわりと綿毛が落ちて来るように、彼の脇へジゼルが倒れ込んできた。

 艶のある黒髪が頬を流れ、微かな花の香りに鼻腔をくすぐられる。


 彼が横目で彼女を確認すると、真っ黒な瞳に見つめられていた。

 これは確かにジゼルではないな、と感じられる程には感情の見えない眼であった。


 すると、ベッドの反対側で唸り声が聞こえる。


「うぅー」


 面白くない顔をしたフィーナが、威嚇していた。

 そんなことは気にもせず、瞬きもしない瞳で凝視してくるジゼルである。


「どうしてこうなった……」


 愛娘と、かつての敵に腕枕をしながら、ユーゴが呟きを漏らす。

 彼の気分としては、ベッドへ磔にされたのと大差ない。


 この時がどこまで続くのかと思われたが、弾き飛ばされたドアの向こう側に人影が現れる。


 長い金髪を揺らす、ティルアその人だった。


「ふむ、流石はユーゴだ。私の妄想の一手先を往くとは思っても見なかったぞ」

「好きでやってるわけじゃないんだが」


 彼は首だけ浮かせて抗議するが、説得力など無いに等しい。

 ただし、彼の憮然とした顔へ返すティルアの表情は優しかった。


「邪魔をして悪いが、朝食だぞ。今日は天気も良いので、外で食べようと思う。姉上も賛成してくれた」

「……賛成してくれたって、ん? 朝食? 誰が用意したんだ?」

「私だ」

「ワタシダ?」

「信じられないのも無理はないが、私とて料理を覚えはするのだ。それなりに苦労もした」

「は――――あ?」


 瞳孔を広げっ放しにしたユーゴが、隣で寝転ぶフィーナに顔を向ける。

 すると、真顔で頷く娘の姿が目に映った。


 力が抜けて、彼の頭は枕に崩れ落ちる。

 見覚えのある天井に、何の違和感も無い。


 それなのに、こんなことで時間の長さを思い知らされるとは考えてもいなかった。


「あぁ、そうか。そうなのか……」

「まあ、気になったら食べに来るといい。早くしないと、エルフの娘にすべて食いつくされるぞ」

「え、あ、行く、行くよ」


 セイカが既に朝食を貪っていることに不安を感じたユーゴであった。


 ティルアの忠告も的を外していない。

 食事が美味ければ大人しいのがセイカである。


 あの弟子が、朝から食事を要求してこないことに対する理由は明白だ。


 焦るユーゴを見たフィーナが、身体を起こした。

 身軽な動きでベッドから降りると、ふふん、と振り向きざまに笑う。


「お父さん。朝食はきっと、山鳥のシチューよ。私の一番好きな料理なの」

「――――そうか」


 まだ見ぬ料理に思いを馳せる。


 味も当然、美味しいのだろうが、それ以上に心へ沁みるものがあった。

 初めに言う言葉も決めてある。


 そうしていると、もう片方の腕枕も軽くなった。

 音もさせずに、ジゼルが床へ立っている。


「さぁて、私もティルアちゃんの朝御飯、食べたくなっちゃったかなぁ」


 後頭部で手を組み、呑気な鼻歌を響かせて彼女が部屋を出る。

 それを案内するために、ティルアが続いた。

 フィーナも彼女らの背中を追いかけて行く。


 彼の自室に、静寂が戻った。

 庭の方に喧騒が移り、微かな笑い声が聞こえる。


「……帰って、来たんだよな」


 そう呟いてベッドから降りると、壁に掛けておいた上着を羽織る。

 何度も通った廊下を歩いた。


 眩しい輝きに溢れた戸口を抜けると、庭に出されたテーブルへ知った顔が集まっていた。

 朝食だと言うのに、さながらホームパーティの様相である。


「んぐぅおっ」


 勢い込んでシチューを貪り、喉を詰まらせるユステンと、それを呆れた顔で見つめるオリバーがいた。


「うおぉ、マジか」

「マジだ」


 料理の入った器を崇め奉る、竜種のフィンレイとバートン。

 ヨアネムが、ほくほく顔で上品にスプーンを口へ運んでいる。


 お代わりを催促しようかどうか、エルザが迷っていた。

 人一倍大きな木椀で、食事を堪能しているセイカがいる。


「…………」


 自然と、ユーゴは声も出さずに笑っていた。

 彼の隣に、シアンが寄り添う。


「嬉しいですか?」

「ああ、嬉しいよ」


 感無量と言っても良い気分であった。

 シアンも仕方なさそうに笑う。


「すこし、妬けますね。あのシチューだけは、私も敵わない料理なのです」

「うん、大丈夫だ。一緒に食べよう」

「何が大丈夫なのかは知りませんが、ええ、異論はありません」


 彼ら二人が、大きなウッドテーブルの端に座った。

 そこへ、ティルアが器を二つ持って現れる。


 二人の前へ、湯気の立つシチューが静かに置かれた。


「召し上がるのだ」


 ティルアがそう言って、二人を見つめられる場所へ座り込んだ。

 肘をテーブルにつき、褒められることを疑わない顔をしている。


「頂きます」


 ユーゴは、木製のスプーンを手に取った。

 シチューにスプーンを差し込み、口へ運ぼうとする。


 ――――からん。


 シチューを乗せたスプーンは、目的を果たすことなくテーブルに落ちた。


 シアンの隣に居たはずの人影が、消えてしまった。

 ティルアの見つめていた人影が、失われている。


 時間が凍りついたように動きを止め、そして、歯車を回し始めた。

 その場に居たジゼルだけが、空に残る痕跡を睨みつける。


「さて、そうまでして私を敵に回したいのかしらねぇ」


 その言葉と同じくして、大気に焼き付いた『糸』が完全に消え去る。

 ジゼルが、落ち着いた表情でシチューを口に運ぶのだった。



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