宝物
湿り気の強い空気に、底冷えのする冷気が混じる。
石造りの内装が、殊更に肌寒さを感じさせた。
薄暗いそこは、ヴァレリア城地下にある牢獄であった。
かつてはアンリが怪しげなことを行っていたのだが、今では見る影も無くなっている。
「ふんふんふぅん」
妙な鼻歌を歌いながら、ジゼルが先頭に立って歩いて行く。
それに続くのは、ユーゴに加えて、魔王エルザと女剣士セイカの三名のみだった。
経緯を話し終えたジゼルが、案内したい場所があると言って歩き出したのは、つい先ほどのことだ。
他にも付添いを望む声は上がっていたのだが、ジゼルによって却下された。
ユーゴの嫁である元魔王シアンやティルアが異議を唱えたものの、王妃であったジゼルの権威が勝った。
現魔王のエルザなどは、謹んで魔王の座を返却しようとしたのだが、それはジゼルが拒否した。
その理由が――――だって、あなたは選ばれて魔王になったのでしょう、という正論だたので強く反論も出来ない。
そもそも、ヴァレリア王国の重鎮二名を黙らせる彼女に対等な物言いが出来るのは、ユーゴとエルフ女剣士ぐらいなものだった。
ここで魔王国の者なら当然の如く疑問が生まれる。
ユーゴはともかく、セイカ・コウゲツという女の扱いだ。
まさかシアン達よりも立場を上に置くことは出来ないが、ジゼルが彼女を傍につけるということは、それなりの立場であろう。
魔王としての権威を汚さないためには、どの程度の対応が正しいのか知っておくべきなのだ。
エルザが難しい顔をして、ユーゴに尋ねる。
「あの、すみません」
「ん? 何かあったのか」
何も考えていなさそうな彼の顔があった。
その実、戻ったら嫁の質問攻めにどう答えようか考えていたところだ。
エルザが耳打ちするために手を立てて顔を寄せた。
「そこのコウゲツ様という方は、何者なのでしょう」
「……そうだなぁ」
ユーゴは彼女の意図を正確に読み取り、腕を組む。
立場として政治的なものは何も無く、どちらかと言えば私人寄りだった。
前々代魔王の弟子というだけで、魔王国ではそれなりのステイタスだ。
加えて、ジゼルの知人というものがどれほどかはユーゴも知らないが、嫁二人を黙らせることが出来るというだけで、未だに彼女の権威は絶大なものがある。
そして実際問題、セイカの強さは魔王国でさえも群を抜いていた。
単純に一対一での真剣勝負であれば、下手をしなくてもトップクラスだ。
「まあ、俺の身内ということで――――」
彼が言いかけたところで、聞き耳を立てていたジゼルの眼が光る。
先頭を歩いていた彼女が歩を緩め、セイカの隣に立って肩に手を寄せた。
「ね、セイカちゃん。疲れたから背負ってくれない?」
「嫌でござる」
真顔で即答するセイカだった。
体力的にどうこうということでは無く、単純に師匠以外の者に背中を預けたくないというのが本音だ。
これがユーゴであれば、満面の笑みで了承していたことだろう。
しかし、こうなることはジゼルも承知の上だった。
彼女がやりたかったことは、セイカとの関係性をエルザに見せつけることである。
「そんなこと言わずにさー。いいものあげちゃうわよ?」
「遠慮しておくでござる」
「まあまあ、これから行く宝物庫には、お宝がいっぱいあるんだから」
「どうせそのようなものだと思っていたところでござる」
あからさまに呆れた顔を見せるセイカであった。
彼女を宝物で釣ることは困難を極める。
釣るならば食べ物――――しかも、彼女の舌を唸らせる必要がある。
だが、この釣り針に食いついたのは、困惑した表情のエルザだ。
「宝物庫、でしょうか。魔王城再建の際に随分と調査しましたが、そのようなものは見つかりませんでしたが……」
「それはそうでしょうねぇ。こっちも割と本気出して隠蔽してたんだから、《剣兵》ごときに壊される代物でもないわよ。あなたたちなら尚更ね。アンリも探ってたみたいだけど、あの子にだって開けないわ。ふふん」
得意げに笑うジゼルであったが、その意図が読めない三名は首を傾げる。
彼女が背負われることを諦めてセイカから身体を離し、何の変哲も無い石壁に手を添えた。
悪戯を思いついた童女がする表情と同じものが、彼女の顔に浮かんでいる。
「これを……こうして……こうよっ!」
そう叫んではいるものの、石壁に手を添えているだけのジゼルだった。
何か難しいことをやっている演出に見せたいらしいが、傍目には頭の可哀想な美女にしか見えない。
あまりにも見ていられなくて、ユーゴが声をかけようとした瞬間だった。
段々と積まれて出来ていた石壁の石が、それぞれ生き物のように動き出す。
組み合わせを変え、再び壁となってしまう頃には、人ひとりがやっと通れるほどの通路が出来上がっていた。
呆然とするユーゴに、ジゼルが微笑みかけた。
「何かお姉さんに言うことがあるかしら?」
「いや、別に……」
「ま、叫ぶ必要は何処にもなかったんだけどねー、うふふ」
彼を引っかけられて上機嫌になったジゼルが、先に通路へ入って行った。
残された三名も、仕方なしについて行く。
「……何だ、この部屋」
そう呟いたユーゴの眼には、延々と続く廊下が存在していた。
その両脇の壁に、様々な武具や装飾品が飾られてある。
見た目には魔導具――――しかもその価値が計り知れない程の物々しさが感じられた。
「ああ、そこいらはダミーだから気にしないでいいわよ。ところどころ、アンリが持って出てるみたいだし」
「……あいつは開けないんじゃなかったのか?」
彼の問いに、ジゼルが鼻を鳴らす。
「何か月も研究して暗号を突破してまで石戸を開いて何も無かったら、腹が立つじゃない? 折角だからご褒美に『失敗作』を並べててあげたのよ。欲しければ持って帰っていいわよー」
「そう、か」
ジゼルの感覚が良く分からないユーゴであったが、確かに良く見てみると、壁にある装飾品の一部が無くなっていた。
剣掛けや短剣を置く台座だけ、といった様相が見受けられる。
特に気になったのは、飾るものの無い鎧掛けが寒々しく鎮座しているにも関わらず、篭手だけ残されているものだ。
「どこかで見たような……」
恐らくはアンリが嬉々として持ち帰ったのだろうが、彼はその魔導具の行方に不安を覚えるのだった。
突然、ジゼルが立ち止まった。
廊下の途中で胸に手を当てて言う。
「あの子は自分だけで開くことが出来ないことが理解出来たのよ。こっちを開くには、《魔玉》が必要になることを知って、ね」
無限に続くかと思われた廊下の暗闇に突き当たりが出現し、その扉があった。
装飾は無い。
ただ、《獣の心髄》と似た素材で作られた銀色の扉だった。
重々しげな扉を、ジゼルが優しく押す。
すると、綿毛の如き軽やかさで開いた。
眼を覆いたくなるような輝きが溢れる。
暗闇に慣れていた瞳が順応するまでに、僅かな時間が必要だった。
「こ、これは――――」
最初に口を開いたのは、エルザであった。
まるで聖者に祈りを捧げる敬虔な信奉者のように跪く。
彼女の眼の前にあるのは、黒く輝く刃をした長剣だった。
訳の分からないユーゴが、恐る恐る声をかけた。
「どうしたんだ?」
「あ、ええ、失礼しました。私もこの眼で見るまでは御伽噺だと思っていましたが、この剣は、ヴァレリア王国を創生した偉大なる御方の武具で間違いないでしょう」
「そうなのか。確かに雰囲気あるもんなぁ」
魔導具コレクターの血が騒ぐかと思いきや、何故か心が動かないユーゴであった。
彼が宝物庫の中を見回すと、同じような武具が専用の台座に鎮座しているのが分かる。
そんなとき、部屋の真ん中に立ったジゼルが、自分に注目を集めさせるために手を叩いた。
「さて、魔王エルザ。取引と行きましょう」
「え、え、私、ですか」
祈りを捧げる格好でいた彼女が、腰を浮かせた。
呼ばれるとは思っていなかったらしい。
そんな現魔王に、元王妃が微笑みかける。
「ここにある物を、すべて差し上げます。だから、エキドナの罪を帳消しにしてもらえないかしら」
「す、すべてっ! この、伝説級の武具を、ですか……」
エルザにとっては目もくらむ話であった。
ヴァレリア王国の建国記にしか登場しない武具の数々は、まさに価値を計れるものでは無い。
その筋に流せば巨万の富を約束されるものであるし、国家の威信ともいえる国宝であろう。
この伝説の武具を装備していたのならば、黒竜の群れさえ恐れるに足りなかったかもしれない。
色々と国家財政に詳しくなったエルザにしてみれば、喉から手が出る程の代物だ。
ただ、それだけのものを、簡単に手放そうとするジゼルの意図が読めなかった。
――――恐ろしい。
そうエルザが考えても、何ら不思議では無い。
そんな様子を読み取ったユーゴが、口を挟んだ。
「なあ。この武具って、元々は国の物じゃないのか? 勝手に取引材料にしていいのか」
「そもそも、私が教えなければ誰も知らなかったでしょう? それに、ヴァレリア王国の者に渡すなら、損は無いわけじゃない? 私は約束を果たせるし、国は潤うし、どっちも得でしょう」
そんなものかなぁ、とユーゴは首を傾げた。
のどに刺さった小骨のような違和感が拭えていない。
そうやって悩む彼を尻目に、ジゼルが手の平に拳を乗せた。
「あ、そうそう。前にセイカちゃんにはご褒美の約束があったわよね。……この部屋のものは全部あげちゃうから、そっちの通路にある刀を持って行って欲しいわ」
「拙者、この刀で充分でござる。拵えさえ直せば、まだ使え――――」
腰元から鞘ごと抜いて見せた刀は、鍔元からぽっきりと折れてしまった。
重い音がして足元に転がる柄の部分と、刀身を残したままの鞘が静かに佇んでいる。
セイカが首を傾げた。
「使えるのでござる?」
「無理をしなくてもいいわよ。孫弟子の武器くらい揃えさせてね。そっちは確かに『失敗作』だけど、不良品ではないのよ。ただ、良くも悪くも使い手を選ぶの。……良いでしょう、ユーゴ?」
「ああ、まあ、そうだな」
話を振られて頷く彼と、師匠が言うのであれば、と納得するセイカの姿があった。
これを見ていたエルザが、静かに頷いた。
「ジゼル王妃様」
「元、王妃ね」
豊満な胸を押し潰してまで腕組みの格好を取り、鷹揚な態度のジゼルであった。
その先に続く言葉を知っていたからだろう。
エルザが頭を下げた。
「謹んでお受け取りいたします」
「良かったわ。ええ、本当に」
そう言う彼女の微笑は慈愛に満ちたものではあったが、約一名だけ唇を尖らせていた。
ユーゴがその理由を問う。
「どうした?」
「拙者の勘違いかもしれませぬが、僅かばかりに馴染みのある気配を感じたのでござる」
「うん」
「師匠。本当にこの方は師匠の師匠なのでござろうか」
「違うけど」
「やはり、そうでござるか」
納得するセイカの隣に、笑顔のジゼルが駆け寄ってきた。
その手を彼女の肩に置き、ふっくらとした唇が動く。
「ね、セイカちゃん。私の部下にならない? そのセンス、凄く良いわ」
「拙者、既に師を得ておりますれば、この身を分けることあたわずでござる」
「そう? お姉さん、振られちゃったわ。慰めてくれない? ユーゴってば」
「いや、必要ないだろ」
もう、と拗ねて見せるジゼルの態度には、ほんの少しも違和感は無かった。
ただ、ユーゴは思い出していた。
彼女が渇望して止まない、願いについて――――。




