経緯5
今にも迫りくる大地が、そこにあった。
耳障りな風切り音と、全身を叩きつける大気が通り過ぎていく。
地面に狙いを付けたユーゴは、セイカの肩を掴んで引き寄せた。
「背中に乗ってくれ」
「承知!」
言葉と共に、彼女が体勢を入れ替える。
流れるような体捌きで彼の背後を取り、力いっぱい抱きついてきた。
セイカの頭に乗っていたジゼルが言う。
「どうするつもり?」
「手も足も出ない、っていうのは御免だからな。取りあえず、手と足を出してみるさ」
「うん?」
《魔玉》が首を傾げるように斜めに傾いたところで、地面に到達した。
本来であれば、彼の身体は潰れて弾け飛んでいるはずだった。
そうならなかったのは、地面に穴が開いていたからだ。
これは以前、アンリと共にウィドン洞窟へ潜入したときの縦穴である。
今回もこの縦穴を利用して潜入するつもりだったが、空から直接落下になるとは思ってもいなかった。
「そういえば、前も舐められてこの穴に落ちたような……と、それどころじゃないな」
前回は『多螺離亜』の噴射で着地に成功したが、今回はそんなものを装備していない。
頼れるものと言えば、己の手足だけだ。
彼は思いっきり四肢を伸ばし、縦穴の壁に押し付ける。
「ぐうぉぉぉぉぉっ――――」
手足が岩壁に削がれ続ける。
その度に再生を繰り返し、肉と骨が見る間に生え変わった。
再生能力に物を言わせた力技であるが、何とか落下速度も弱まってくる。
「何とか、なるか」
「師匠、無茶をし過ぎでござる」
セイカも刀を壁に押し付けて抵抗を増やし、両足で彼を挟み込んでいた。
その所為で刀の拵えが無残なことになっていたが、命に代えられるものでも無い。
「すまん――――が、着地するぞ。そのまま動くなよ」
「しかし、拙者の重みが」
「たまには師匠らしいところも見せないとな」
一人と《魔玉》を背負ったまま、ユーゴは縦穴から抜け出た。
広い空間に出ると、自分の背骨にもう一度、《獣の心髄》を突き刺す。
空中で《完全変貌》を遂げた黒銀の竜種が、地面へ腹ばいに落下した。
「げほっ」
強く腹部を強打した感はあったが、それだけだった。
魔族特有の再生能力と頑丈さを加味すれば、痛みなどすぐに治まる。
そうしている内にユーゴの背中から飛び降りたセイカが、頭上を気にした。
「どうかしたのでござるか?」
「えーっと、まあ、確かにそうよね。一人は寂しいもの」
「はあ、その様なものでござるか」
曖昧な返事をするセイカであったが、その言葉が彼女に向けられたものでない事に気づかされる。
部屋の端で、蠢く肉塊があった。
襞のような肉の間から、強酸蟻が砕けて飲み込まれる様子が見える。
ジゼルが頭の上から飛び降りて、地面を転がって肉塊に近づいた。
「はぁい、久しぶり」
「――――放っておいて」
「それでいいの? うちの子を連れてきたのに」
思わせぶりな言葉を告げたジゼルが、《魔玉》を傾けてみせた。
すると、肉塊に変化が現れる。
どちらが表か裏かわかったものではない肉塊――――祖竜エキドナが、半回転した。
肉塊を震わせて喋りだす。
「嫌われてしまったのです。あたしは相応しくない」
「そんなことないわよ」
「でも、もう子供ができているもの。あたしは必要ないでしょう」
「あら、あなたがそんなこと言うの? この地に満ちた魔族は、全て貴方の子よ」
「ちがう。そんなものは、力のない抜け殻です。踏み潰しても構わないものでした。けれど、彼は抜け殻の方が大切なのだから……」
「そう? なら、私とは意見が違うわね。私は応援するわよ。試して見ない?」
「でも、嫌われているのです」
肉塊が一瞬だけ、ユーゴを向く。
それを感じ取ったジゼルが、自信たっぷりに言い放った。
「今までのことは、私が何とかしてあげる。あなたにもう一度、機会を与えましょう。ねえ、ユーゴ?」
声をかけられたユーゴは、眉を寄せる。
「状況がうまく飲み込めないんだが……」
「エキドナのやったことを、忘れてあげて欲しいのよ」
「俺については、まあ、ジゼルに任せても構わないけどな。ヴァレリア王国については、答えられない」
ユーゴ自身のことは、ジゼルに家族を助けられているので、何とでも言える。
彼女意見を尊重するのも吝かでは無い。
ただし、先の戦乱で家族を失った魔族たちの事を考えると、素直に頷けないものがあった。
そして彼は責任を取れる立場でも無い。
ヴァレリア王国がエキドナを許さないのであれば、ユーゴの意見も自然と魔王国側へ傾いて来ると言うものだ。
それを知らないジゼルでも無いのだろうが、彼女は何故か自信に満ち溢れていた。
「あー、そっちはどうにかなるから平気よ。ま、お姉さんの気がかりはユーゴの気持ちだけだったから、それなら良いわ」
言うなりジゼルが、肉塊に触れた。
優しい言葉で、問いかける。
「あなたが最下層に居なかったのは、何故かしら? たった一個で生きてきて、初めて同種に出会えた喜びを、忘れられなかったからでしょう? 素直になりなさいな」
そして、肉塊がひどく震えた。
悩んでいることが一目見てわかる動き方だった。
しばらく蠢いた後で、肉塊が言う。
「……では、契約を結びましょう」
「『あちら側』とは、もういいの?」
「契約不履行がありましたから、あのクソ人間を殺したことで相殺されました。現在、あたしを縛る契約はありません」
「いいわよ。それじゃあ、人の形になってくれないかしら? 私がそれを操って、ユーゴとの仲を取り持ってあげる。その代り、しばらく私の意志に任せて欲しいわ」
「前の身体は、どうしたのですか? クソにしては良く出来ていましたが」
「褒められてるのか馬鹿にされてるのか分からないけど、まあ、あれは焼かれて無くなったのよ」
若気の至りよねー、と恥ずかしそうにするジゼルであった。
肉塊が頷き、形を変えながら同意する。
「若さ故と言うのであれば、あたしも火山に落ちて、身体をクソ焼かれたことがあります」
「大変ねぇ。それでどうしたの?」
「溶岩から這い出ました。生まれ変わった気分がクソでした」
「……お姉さん、あなたの言葉遣いが、ちょっと不安だわ」
「大丈夫です。喋り方も勉強するわ」
エキドナの喋り方は、ジゼルを真似ていた。
肉塊だったものが、生前のジゼルの形を知っているかのごとく変形する。
ただ、髪の色だけが、金髪では無く、艶やかな黒髪をしていた。
一糸まとわぬ姿で、足元の《魔玉》を拾い上げ、自分の胸に押し付ける。
胸の肉を押しのけて、魔族の証が埋め込まれた。
彼女が息を吐く。
「はぁ、娑婆の空気は美味いわねー」
腕を上に伸ばし、形の良い胸が張る。
ユーゴはそっと目線をずらし、上着を脱いで彼女に渡した。
ジゼルが微笑んでそれを受け取り、躊躇なく羽織る。
「さて、身体も手に入れたことだし、エキドナのためにひと肌ぬいじゃおうかなー」
「あまり無茶なことをしないで貰いたいもんだけどな」
彼の言葉に、横目で見つめてくるジゼルだった。
その意味ありげな返答に、彼は苦笑いを返す。
ようやく家族と会うことが出来ると考えると、今までの長い道のりが思い起こされる。
妙な連れが増えてしまったが、それでも何とか辿りつけたという思いが強かった。
「とにかく、ジゼルの用事は済んだんだな? なら、帰るぞ」
そう言って、ユーゴは故郷へと、一歩踏み出す。
その彼自身の存在が騒動を起こしてしまうことについては、この時にはまだ、気付いていなかった。




