言訳
生唾を飲み込む音さえ聞こえそうな静寂の中、得意げな顔で歩を進める者がいた。
勝手知ったる我が家だと言わんばかりに、慣れた様子だった。
腰よりも長く伸びた黒髪が揺れ、黄金よりも貴重だと思える微笑が漏れる。
そして何より、農夫の娘が着るような服装が中身と釣り合っておらず、とてつもない違和感を醸し出していた。
「あまり変わってないわね、もっと模様替えすればいいのに……ん?」
彼女にとって見覚えのある調度品を眺め、その後で自分に視線が集まっていることに気づいた。
「え? あれ、もしかしてユーゴから説明聞いてない?」
「すまない、その暇がなかったんだ」
ユーゴは困った顔を見せたが、彼女――――ジゼルがいたずらを思いついた笑顔を見せる。
「まあ、見ればわかるわ。感動の再会だもんね。私はお邪魔虫だったかしらん? 腕なんて放り込んでごめんねー」
「それは確かに」
素直に頷くユーゴに、ジゼルが鼻を鳴らす。
「えー、でもね、六本も生えてたら、一本くらい取るでしょ。エドガーくんだっけ? もう人間にカテゴライズしていい生物じゃないよね」
何があったんだ、と心の中で呟くユーゴだったが、それよりも、彼に巻きついていたティルアの手が離れたことに気づいた。
「ジゼル、様」
「うん、おひさ。相変わらずシアンを追っかけてるのかな。いつ見ても君たちは仲がいいねぇ」
「あ、いや、その、お体は?」
珍しく言い淀むティルアに対し、ジゼルが眼を細める。
「無いわよ。ティルアが焼いたじゃないの。確かに魔族は寿命が長いけど、ボケちゃだめよ」
「――――うぐ」
心の古傷を無邪気に抉られたティルアが所在無さ気になり、身体を小さくする。
それを庇って、ユーゴが前へ出た。
「ボケてるのはどっち……いや待て。わかった。話し合おう。喧嘩は良く無い」
「そうよね、レディに年齢の話を持ちかけるのは、愚か者のすることよ。ちなみに、私から年齢の話をしたら、優しくフォローするのが鉄則よ」
眼を細め、右手を竜種の腕に変貌させて、鋭利な鉤爪をユーゴの首元に押し付けるジゼルであった。
しかし、その鱗が黒色――――黒竜ものであったことに、その場の魔族たちが息を呑む。
特に、同じ種族であるティルアの驚愕が顕著だった。
「始祖様――――」
「ああ、勘違いしないでね? エキドナはまだ生きてるから。そもそも物理的に彼女は殺せないのよ。肉体を間借りしてる身としては気楽でいいんだけどさぁ」
口笛さえ吹きかねない気楽さで言うジゼルと、両目を手で押さえるユーゴの姿が印象的だった。
ジゼル以外の視線が、ユーゴへと集まる。
氷青の瞳を辛辣に向けたシアンが言う。
「そう言えば、ユーゴも竜種となっていましたね。しかも、黒に近い色だったと記憶しています。……何か弁明はありますか」
必殺の毒爪を持つ彼女の手が、ゆっくりと彼の胸元を這う。
折角、急いで帰ってきたのに、嫁に殺されていては世話が無い。
ユーゴは両手を上げた。
「弁明、してもいいかな」
「どうぞ」
「俺はエキドナを倒すために自爆して――――気づいたら海藻になっていたんだ」
息を忘れるような静寂があった。
思考が強制停止された後で、シアンがいち早く立ち直る。
「ええ、わかりました。とりあえずベッドに横になりましょう。ユーゴは疲れているのです。今は充分に休んでください。無理を言ってすみませんでした」
シアンが頭を下げ、次に彼を見つめるときの眼が慈愛に満ちていた。
思っていなかった反応をされたユーゴは、眉を寄せる。
「いや、ここは謝るようなところでもないんだが」
「私はユーゴが帰って来ただけで満足しています。どんなユーゴでも面倒を見ますから心配しなくてもいいですよ」
「違うんだ。確かに俺は海藻になって、妖精皇国に居たんだよ」
「ええ、そうですね。ユーゴは海藻になって、妖精の国に行っていたのですね。それは大変でしたね。熱を測りましょう。何か幻覚作用のあるものを食べませんでしたか?」
「大丈夫だ。俺は酔っぱらってなんかいないぞ」
「酔っぱらいは皆そう言うのです」
「あ、信用してないだろ」
「いえ、心の底から信用していますよ。海藻、だったのですね。どんな感じなのですか?」
シアンの手が、彼の背後に回された。
優しく背中を押されたユーゴは、小さい歩幅で歩きながらも説明を始める。
「食べると美味しいらしいが、そう言えば自分で食べたことはなかったな」
「そうですか。葉っぱを食べたのですね」
悲しげに首を振るシアンだった。
彼女がアイコンタクトでティルアを呼び込み、ユーゴを両側から優しく拘束した。
応接室の出口へと誘導されていく。
「俺は食べてないって、言わなかったか?」
「気の所為です」
「ああそうか――――とはならないだろ。ところで、俺はどこに連れて行かれてるんだ?」
そこでティルアが寂しそうに微笑んだ顔を見せる。
「ふむ。ユーゴは良く戦ったのだ。もう休んでもいいのだぞ。私もおしめを換えられるから、心配しなくていい。これでも子育ての経験はあるのだぞ」
「何でここで、おしめが出てくるんだ?」
今までそろそろと後を追って来ていたフィーナが、拳を握って言う。
「私、頑張るからね、お父さん」
「うん、頑張るのは良いが、一体、何を頑張るんだ?」
「言いっこ無しよ。お世話するんだから」
「ああ、まあ、そうだな。ところで、いまいち俺の状況が良く分からないんだが――――」
「はい、ストップ」
ジゼルが手を叩いた。
破裂音が響き渡り、応接室に居た全員が動きを止める。
苦笑いを浮かべたジゼルが、腰に手を当てていた。
「ユーゴが言いくるめられてるのを見るのも面白いけど、それじゃあお話が進まないからね。少しお話しましょうか」
危うく寝室に連れて行かれそうだったユーゴの身柄は、それでようやく、応接室にいることを許されたのだった。




