集合
ヴァレリア城の応接室は、混沌と呼ぶに相応しい空気が溢れていた。
入り口近くの扉の前に、人の姿となったバートンとフィンレイが正座させられている。
「これからどうなるんだっけかねぇ」
「知るか。むしろ知ったことか」
怪我人は出さずに喧嘩を演じていたが、ついに力尽きて、後からやって来たトリーニャに取り押さえられたのだった。
処刑か独房行きか、と思っていた二人組だが、彼らの目の前にいる魔族たちには、それを告げる余裕も無いらしい。
彼らの傍に立つトリーニャも、顔を引きつらせたまま棒立ちしているだけだった。
「相変わらずでありますなぁ、この方たちは……」
彼女の吐息には、ありったけの諦念が込められていた。
それもそのはず――――夫婦喧嘩は魔族も喰わないのだから。
「ですから、そろそろ手を離しなさい」
シアンが我慢を滲ませる言葉を向けた。
その相手――――ティルアは両手でユーゴの胴を捕まえたまま、彼の影に隠れる。
彼女は人の姿に戻ってからも、決して彼から手を離さなかった。
いつものティルアであれば、シアンの言うことであれば素直に応じるのが常だ。
それがこの状態であるから、当事者のシアンですらも困惑を隠せていない。
ならば当然、矢面に立つのはユーゴとなる。
「ま、まあ、いいじゃないか」
「ユーゴは甘やかし過ぎではないですか? 最終的には私も同じように抱きついて離れませんが、それでいいですね」
「俺は構わないが……息子が見てるぞ」
彼が視線を逸らした先には、応接室のソファに座ったヨアネムが、目の前に置かれた山盛りの菓子を、食べても良いものかどうか思案している所であった。
「……え? あ、僕ですか?」
「良いのですよ、ヨアネム。今だけは好きなだけお菓子を食べても構いません」
「ありがとうございます! 母上!」
目と顔を燦然と輝かせ、菓子を頬張る息子の姿を見て、それを邪魔することなど出来ない。
それはそれとして、シアンも頬を膨らませる。
「では参ります」
「……どうぞ」
ユーゴの胸の辺りに頭を寄せたシアンが、彼の背後に手を回した。
前後ろから抱きつかれている彼は、トリーニャたちの視線を受けて苦笑いを浮かべる。
「はっ」
「けっ」
決して好意的では無い竜種たちの態度を見ても、何も言い返せないユーゴであった。
そこで彼の耳に、微かな喧騒と足音が聞こえた。
足音が更に近づいてきて、応接室の扉を突き破る。
まず先に巨狼が転がり込んできて、テーブルの角に頭をぶつけて倒れた。
後からふわりと降り立ったフィーナが、俯いていた。
小さく呟く。
「――――なさい」
「うん?」
よく聞こえなかったユーゴが聞き返すと、彼女の声が震えているのが分かった。
そしてそれは、再会を喜ぶものでは無かった。
「ごめん、なさい」
「いや、フィーナが謝ることは何も無いだろ」
ユーゴが首を傾げると、感情を溜めこんだ彼女の眼が涙を湛えていた。
「だって、私が――――私があの時何もしなければ、お父さんは無事だったのよ。ママや母様たちが、こんなに悲しまなくても済んだのに……」
「それは違う。フィーナは良くやった。今まで悲しませて本当にすまないと思ってる。フィーナは何も間違ってなんか無いさ」
「ううああああぁぁぁぁ――――」
ついに感情が崩れ落ちた彼女が、大声を上げて泣いた。
二人の母親が束の間だけユーゴから離れ、両側からフィーナを支え、彼の傍まで連れて行った。
ユーゴの胸にすがりついて泣き続けるフィーナと、それを両側から支えて抱きつくシアンたちだった。
彼の眼にも涙が溜まっていたが、それを堪えて、菓子を咥えたままこちらを見ているヨアネムを手招きする。
「なあ、ヨアネムもフィーナを支えてやってくれないか」
黙って頷いたヨアネムが、小走りでやってきてフィーナに抱きついた。
それが微笑ましくて、つい、一筋だけ涙がこぼれた。
「……本当に、帰って来られたのか」
感傷と安堵が一緒になって彼の心に押し寄せ、膝から力が抜けそうになる。
それでも立っていられたのは、抱きついている家族がいたからだ。
そこでようやく、ユステンの意識が回復する。
「う、ううん……あれ、あ、ユーゴじゃないか。生きてたんだな。何やってんの? 僕も混ざって――――痛い」
「ユス・チェン。貴様はこっちだ」
正座していたフィンレイが、狼種の毛皮を引っ張ってユーゴたちから遠ざけたのだった。
困惑顔の狼が、恐る恐る口を開く。
「あのう、僕はユス――――」
「知っている。顔と種族を見れば、大体のことは判明した。だがな、我らが姫が、貴様をユス・チェンと呼ぶのであれば、それは真実なんだ。――――わかるな?」
人の姿をしていても、竜種に牙を剥いて睨まれれば、大抵の魔族は頷いてしかるべきだ。
ユステンとて例外では無い。
「そうですねぇ……」
乾いた笑いを浮かべたユステンが、視線の逃げ場を探してベランダを向いた。
穏やかな風が入り込み、貫けるような青空が広がっている。
そこに、彼だけが見える赤が灯った。
遅れて血の臭いが漂う。
ふわりと放物線を描き、千切れた片腕だけが飛び込んできた。
床で跳ねた人間の左腕が、毛足の長い絨毯の上で止まる。
そして、ベランダに女性が立っていた。
その微笑みはすべてを見透かし、愛おしげなものだった。
「ごめんね、あいつ逃がしちゃった。それ御土産ね。……あ、シアンもティルアも久しぶりー。元気してた?」
人差し指と中指を立てた手――――ピースサインを見せつける、ジゼル・アークライトの姿があったのだった。




