黒銀
空から落ちてきた竜種は半変貌状態で、銀色に鈍く輝く黒鱗に覆われていた。
その場にいる魔族たちの誰もが、一度も見たことの無い種族だった。
ただ、シアンとティルアの二人だけが、信じられないものを見る眼をしていた。
黒銀の竜種は、威容を放ちながら足を踏み出す。
「もう一発殴られなきゃ、フードも取れないか」
「あじゃばらびればればぁ――――これは失礼したね。お久しぶりの再会……って、再会でいいのかな? 中身はユーゴくんでも、外側が変わり過ぎてるよね」
「ふざけるな、って言っただろ。《クリスタルム》が俺のことを知らない訳が無いだろう。お前がエドガーなら、尚のことだ」
「ふひひひ。その様子なら、もうジゼルに会ったのかな?」
槍使いがフードを上げると、そこには相変わらずの優男顔があった。
人族であれば老人になっていそうなものだが、見た目に変化が無い。
しかし、見た目通りなのかは定かでは無い。
仮にも魔王国における諜報機関のトップだった男だ。
変装くらいはこなすだろう。
黒銀の竜種――――ユーゴが眼を細めた。
「教える必要があるか?」
「まあ、知ってるんだけどね」
エドガーが槍を掲げて見せる。
銀色の槍には、蜘蛛が模られていた。
それは水晶湖の女王から下賜される武具の証明で、性能は折り紙つきだ。
エドガーは既に手甲を下賜されている。
複数持ちの者など、前代未聞だった。
「けどね。あんまりユーゴくんが待たせるものだからさぁ、先に始めちゃったじゃないか」
「いくら旧知の人間だろうと、ここは俺の故郷で、お前が手を出したのは俺の家族だ。お前なら――――わかるだろ」
大気が軋んだ。
そう勘違いしてしまいそうなほどの、拳を握りしめる音だった。
流石にエドガーも薄笑いしながら冷や汗を流し、湿った視線を湛え――――しかし狂喜する。
「あぁ、最っ高だよ。僕はずっとこうしたかったんだ。君のその顔が見たかったんだ。そのために魔族の一匹や二匹くらい、どうなっても良かったんだけどね。けど、女王から止められてたんだ。苦しかったんだよ? でも、ユーゴくんの子供が男女一人づつ生まれたからね。もうこいつらは用済みで――――」
喋っている途中で、エドガーの身体が浮いた。
ユーゴの拳が彼の顎を捉え、勢いを殺さずに地面へ打ち付ける。
「そんなわけないだろ」
「ぐっ、ぐふぅ……いやぁ、久しぶりのユーゴくんの拳は効くねぇ。あ、歯が砕けてる」
地面で身体を跳ねさせたエドガーが、その反動を利用して距離を取り、立ち上がった。
唾ごと折れた歯を吐き出し、薄笑いを浮かべる。
「いいねぇ、僕はユーゴくんとずっとこうしていたいけど――――邪魔が入ったね」
彼の表情に、酷薄さが戻った。
その冷たい瞳が捉えた先に、一軒家の窓がある。
窓際にはイスとテーブルが置かれており、そこで優雅にお茶を飲む人影があった。
彼女が薄らと口を歪め、細くしなやかな指を振った。
そこで、エドガーの姿が掻き消える。
同時に窓際でお茶を飲んでいた女性の姿も消えていた。
危険もなくなったところで、ユーゴは振り返った。
「――――ふぅ、大丈夫か?」
「大丈夫ではありません」
シアンが珍しく唇を尖らせ、彼を睨みつけながら近づいてきた。
手が届く距離になったところで、彼女が飛びつく。
「大丈夫では、――――ありませんでした! どうしてあなたはいつも、私たちが危機にならないと帰ってこないのですか! 平和に過ごしたいとは思わないのですか!」
「すまん。帰りたいとは思ってた。一緒に居たいとも思ってたよ」
彼は片手でシアンの頭を撫でながら、もう片方の手で彼女の手首を治癒した。
いまではもうすっかり懐かしくさえ見える苦笑いを見せてしまう。
それが、何よりもユーゴの存在を証明していて、彼女が泣き崩れた。
どうにかシアンを片手で支えながら、呆然としている少年を手招きする。
「ヨアネム、来てくれないか?」
「え、え? 僕ですか」
色々なことが急に起こって困惑気味のヨアネムが、泣いているシアンの様子を伺いながらも傍に寄った。
それをユーゴが捕まえて抱きしめた。
「うわっ」
「話には聞いていた。すまない。俺を許さなくていい。ありがとう。これからもシアンを支えてやってくれ」
「は、はあ、それはいいんですが……あなたは僕の父上、なんですかね」
「そうだな。お前がそう思ってくれるなら」
「なら、どうして竜種なのですか?」
「あー、別に蜥蜴種にもなれるけど、此処まで空を飛んで来たからな。そっちの方が速かったんだ」
「父上はお強いですが、節操は無いんですね」
「……うん、すまん」
何も言い返せないユーゴだった。
言ったヨアネムにしても、相手を謝らせるつもりではなかったので恐縮している。
年齢の離れた初対面の親子に、それほど多くの話題は無い。
次に紡ぐ言葉をお互いが考えていると、ユーゴの背後に影が差した。
それが誰か心当たりがあったので、渡りに船とばかりに振り返る。
「あ、ティルアか。元気だったか――――」
――――がぶり。
ユーゴは頭から黄金の竜に食べられてしまった。
誰もが間の抜けた顔をしていた。
初めは何が起こったのか分からない様子のシアンだったが、目の前の金竜鱗を見て我に返り、いきなりユーゴを口に入れたティルアに注意する。
「……ええ、私だけ先に取り乱してすみませんでした。ですが、これでは会話も出来ません。ユーゴを放してあげてくれませんか」
「――――」
少しだけ悲しげな瞳を見せたティルアが、完全変貌のまま竜の首をふいっと背け、うつ伏せに丸まってしまった。
シアンが彼女の鱗を優しく撫でても、竜の巨体はじっとして動かない。
「拗ねてしまいましたか……これは長引きそうです」
仕方ありませんね、と呟き、今までの長かった日々を思い出す。
悲しみは深かった。
立ち直るまでに流した涙も少なくない。
普段は平気そうな顔をしているティルアでさえ、一人のときは泣いていたことを知っている。
その彼女に対し『あ、ティルアか。元気だったか』という第一声はあまりにも無神経過ぎた。
ユーゴを失ったと思って、元気な訳が無い。
「まあ、あの人らしいと言えばそうなのですが……」
シアンが腕を組み、濡れた頬をそのままに微笑みを漏らす。
口の中にいるユーゴの息が続いているのか心配だったが、ティルアの傷が治っていくので、まだ生きているのだろうと思った。
再び、ティルアの鱗を撫でる。
「窒息する前に出してあげて下さいね。フィーナにも会わせてあげたいですから」
「…………」
返事をするように、光竜が身じろぎをしたのだった。




