弱者
張りつめた雰囲気の中、銀の槍が飛ぶ。
常人の域を超えた速さだが、半変貌しているシアンの眼に止まらぬ速さではない。
ただ、彼女の戦闘経験からすると、この槍は本気で突かれたものでは無いと感じられた。
小手調べにしては、あまりに軟弱だ。
槍を払い落として反撃に転じようと考え――――その場から跳んだ。
「……私を怒らせようというのなら、良い判断です」
「がべらぁ」
外套を目深に被った槍使いが、不思議そうに首を傾げて見せる。
銀色の槍が狙っていたのはシアンではなく、彼女の背後に控えていたヨアネムだった。
確かに、息子の実力を測るには絶妙な威力の突きではある。
「まったく、やってくれますね」
目の前に立ったシアンを無視して攻撃したことに加え、子供に手を出そうとする槍使いの態度には、冷静さを保つのが難しい程に怒りを覚えた。
庇われてしまって、申し訳なさそうな声が聞こえる。
「は、母上……」
「何をやっているのですか。早く下がりなさい。……行きますよ」
今度はシアンから攻撃を仕掛けた。
槍使いの目的は、間違いなくヨアネムだ。
それが何を意味しているのかまでは判断出来ないが、自分の息子を攻撃されて、平静を保つのにも限界がある。
相手に向かって飛び込みながら、曲げた手首を構える。
自慢の愛剣は、魔王城に置いてきた。
武具を持ち出すのに気付かれると、部下に動揺が走るからだ。
頼みの綱は、己の肉体のみ。
魔族の本分としては、まったく正しい。
「あぶんぶほおお」
しかし、槍使いがシアンに頓着することはなかった。
まるで造作も無い障害物を避けるかのように、身軽な所作で飛びあがる。
「甘いですね」
彼女は、決して拳が届かない距離で腕を振るった。
手首を返し、その鋭利な毒爪が伸びる。
そこでようやく、槍使いがシアンの爪を確認した。
「ぎしじい」
「くっ――――」
突風がシアンの頬を叩いたかと思うと、彼女の手首が地面に落ちた。
魔族の再生能力を考えても、即座に治るものでは無い。
傷口から、血が溢れ出る。
「――――くく、この程度で怯むと思われては困ります」
シアンは確信していた。
毒爪を認識して切り落とすと言うことは、効果的であると敵が証明してくれているのだ。
止血もせずに落ちた毒爪を拾い上げ、流れる動作で突き出した。
そこで、僅かな疑念が心の隅に残る。
――――どうしてこの槍使いが、私の切り札に気付いたのでしょうか。
彼女の記憶に残る、香りがした。
僅かな刻ですら、戦っている最中には勝負を分けることになる。
銀光を宿した槍の穂先が、シアンの目の前にあった。
「……まったく、今まで何をやっていたのですか」
彼女の視界が、光に染まった。
声をかけられる。
「空から敵を探していたのだが、そもそも姉上に言われたくない。無茶をしないで欲しいぞ?」
半変貌したティルアが、槍使いを睨みつけながら立ちふさがっていた。
輝く金髪をざわつかせながら、シアンの怪我を横目で確認する。
ぎしり、とティルアの乱杭歯が噛みしめられた。
「ここは任せるのだ。姉上が居なくては、魔王国が成り立たぬからな」
「待ちなさい。何をする気ですか」
「これから起こることは、すべて私がやったことだぞ」
そう言ったティルアが、完全変貌を始めた。
矮躯が膨れ上がり、強靭な鱗に覆われる。
鉤爪が大地を掴み、その巨体を支えて立った。
金色の竜種が、その咢を大きく開いた。
――――閃光砲。
竜種の中でも光竜しか放てない、大地すら焼き溶かす一条の光だ。
まともに放てば、街すら貫く。
その場に住む魔族とて、跡形なく蒸発するだろう。
コロセウムとはいえ、魔王国なのだ。
自国民ごと敵を焼く判断は、正しいとは言えない。
槍使いを屠ったとして、その後に待つのは犯罪者の汚名だ。
無抵抗な民の大量虐殺は、処刑に違いない。
仮に相手がアルベル連邦の者であったとしても、ティルアの首を差し出すことで釣り合いは取れる。
どちらにせよ犠牲が出るのなら、愛する者の礎となれ。
ティルアが笑う。
その口端から洩れた光が、周囲を埋め尽くした。
光の奔流が溢れ出す。
有り余る熱量が空気を焼き、何もかもをかき消した――――はずだった。
「――――ぬ」
焼けた大地に、槍使いが立っている。
銀色の穂先を突き出して、閃光砲を凌いで見せた。
流石に外套の端々が焼け焦げているが、それでも健在でいるのは驚異でしかなかった。
「げぎぎゃばいばば――――」
槍使いの叫びと共に、光竜へ飛び掛かる。
その巨体ゆえに、並みの攻撃は鱗で弾き返すことが常だ。
だが、閃光砲すら貫いた銀槍が、並みであるはずも無い。
「やらせません!」
シアンが、横から割って入った。
彼女の肩口に、深々と槍が突き刺さる。
槍使いがシアンを蹴り飛ばし、槍を引き抜いた。
倒れた彼女に槍を振り上げて止めを刺そうとしたところ、今度はティルアがその巨体を横滑りさせて、シアンに覆いかぶさった。
何度も、槍が振り下される。
強固な竜鱗を割り裂きながら、血の音が響いた。
「あ、ああ、あああ――――」
その光景を、ヨアネムが泣きながら見つめていた。
嗚咽を飲み込んで、歯を食いしばる。
弱いと言うことは、こんなことを受け入れねばならないほど悪いことなのだろうか。
愛する者を助けられないと言うことが、こんなに苦しいものか。
理不尽な強さは、何をやっても許されるのか。
何に祈っても、何に願っても、この身が張り裂けても、構わないと思った。
強さが欲しいと、心の底から求めた。
しかし――――そんなものは誰も与えてくれなかった。
誰も助けてくれない。
英雄なんていない。
正義や悪など嘘の塊で、目の前の暴力と、自分の弱さが現実なのだ。
悲しい。
ただ、悲しかった。
自分が無力であると言うことが、こんなに悲しいことだとは思っていなかった。
空に向かって叫ぶ。
悔恨と憎悪を思い切り吐き出しても、空の青さに変わりは無かった。
諦めが滲む。
何も変わらない。
悲しみは終わらない。
誰も――――救われない。
「ふざけるな」
水面に波紋を起こすような、響き渡る一声があった。
何も変わりの無かった空から、半変貌した年若い竜種が落ちてきた。
その男は地面に墜落するなり、大きく腕を振りかぶり、槍使いを殴り飛ばした。
そして、二人の母の前に立ち、槍使いに向かって鋭い眼光を向けた。
「お前が何者だろうと、俺が許さん」
高らかに、そう宣言してみせた。




