偽戦
ヴァレリア王国の蒼天は、天下泰平を絵に描いた如く晴れ渡っていた。
清々しい青空の元で、魔族たちも洗濯物を干して額に汗を流している。
そこへ、完全変貌した二匹の竜種が舞い上がった。
「……お前の面を見るのも、これで最後にしてやる」
「はっ、やって見ろ。その前に黒焦げだぜ――――」
短い睨み合いの後で、互いに咆哮を放つ。
風の塊が空中で破裂し、大気を揺らした。
乱れ舞う炎が、大空へ撒き散らされる。
――――竜種同士の殺し合い。
これが単なる魔族同士の決闘であれば、暗黙の了解として見逃されていたかも知れない。
しかし、王国の空は魔王軍に管轄があり、許可の無い飛行は認められていない。
黒竜の大群が押し寄せてきた経験から、魔王国は防空索敵に神経を尖らせていた。
その甲斐もあって、魔王国の空を監視している兵士が即座に魔王軍へ伝令を飛ばす。
伝令の内容は魔王軍を駆け巡り、最終的に空軍の管轄となる。
場合によっては竜種を二匹も相手取らないといけないため、空軍戦力で最高練度の集団――――第一魔王航空作戦群へ命令が下った。
魔王空軍大将トリーニャ・クルグロフから、最悪の場合は殺害も辞さない、という強い
言葉を受け取ったのは――――史上最年少で突竜飛行隊を任された竜種だった。
母親譲りの金髪が揺れる。
強者以外は認めない、と豪語した突竜飛行隊の猛者たちを、実力で黙らせた彼女の表情が曇る。
「えっと、被害状況は?」
「家屋三軒が圧壊して、広場が延焼してるね……って、何で僕がこんなことやらされてるのさ」
狼種の魔族、ユステンが報告書を読みあげながら愚痴を言った。
彼の所属は魔王国の騎士だが、現在はエトアリア共和国へ出向している。
彼女――――フィーナ・アイブリンガーの命令に従う義務は無い。
命令系統としては、ユステンの上司に彼女が依頼することでようやくユステンに命令を下せるようになる。
ただし、彼女はユステンの上司よりも強者だった。
異論があれば実力でねじ伏せる。
このあたりも母親譲りであると、本人以外の誰もが感じていた。
「私が良いって言ってるんだから良いのよ」
何故かそこだけは母親に似なかった慎ましい胸を張りながら、フィーナがそう言った。
彼のことよりも頭を悩ませていることがあったからだ。
受け取った伝令の内容から、決闘をしている魔族の素性は判明している。
空中格闘戦の撃墜王、炎竜バートン。
もう一方は、空軍最高速度記録保持者の嵐竜フィンレイ。
二人とも素行は悪いが軍務には忠実で有能であり、決してティルアには逆らうことはなかった。
勲章を複数与えられた戦士であり、尊敬の念を抱く魔族は多い。
現在の突竜飛行隊にも彼らを師と仰ぐ者達がいて、今回の騒動へ関わりたがらない者もいたほどだ。
それについては彼女の命令で、突竜飛行隊は待機状態にある。
その間にこうしてフィーナが単独で出てきたわけだが、自分の母親と肩を並べていた猛者を、複数相手取るには荷が重い。
とりあえず巻き込んでも良さそうな相手を探して、たまたま見つけたのがユステンだった。
「そういえば、どうしてあなたが魔王城にいたわけ? エトアリア共和国にいるはずじゃなかったの?」
「え? あ、うん。僕にも色々とあるんだよ」
眼を泳がせるユステンであった。
これは何事かを隠している眼だ、と読み取ったフィーナであったが、彼の言い逃れる言葉に興味を引かれた。
「それよりさ、この報告書っておかしいよ。建物の被害はあるけど、魔族の被害は書かれてないんだ。これだけ派手に戦ってるなら、怪我人くらいは出るはずだよ」
「……ちょっと、その報告書見せて」
言いながら奪い取った報告書には、確かに被害者の数は書かれていなかった。
避難指示が出され、魔王軍による誘導も行われている。
空戦の余波は激しく、大気を震わせ、炎が舞い飛ぶ。
それにも関わらず――――被害者がいない。
決闘している彼らは空軍に所属していたため、嫌というほど魔王軍が空中警戒を行っていることを知っているはずである。
怒りで我を忘れて、というなら、民間人の被害など気にしないのが道理だ。
「違う目的がある? 下手をしたら処刑もありえるのに? ママの同僚が命を懸けてまで何かをしようとしてる?」
口をへの字に曲げて、独り言を呟くフィーナだった。
彼女の細まった目が、ユステンを捉える。
あまり期待をせずに、かまをかけてみた。
「何か隠しているでしょう。白状しなさい」
「うえあっ! な、ななな、何だよいきなり! 僕は何も知らないって!」
視線がさらに乱れ、彼が俯く。
簡単に引っかかったユステンを不憫に思いつつも、言葉は緩めなかった。
「ふぅん。知らない? 私は隠していること、と聞いたのよ。それで『知らない』と言うなら、あなたが隠しごとをしているのは明白ね。普通なら『何も隠していない』と答えるのよ。何を知ってるの? 答えて」
「…………いや、駄目だって」
眼を手で押さえながら天を仰ぐユステンが、血を吐く思いで答えていた。
それだけで事の重大さが伝わってくる。
フィーナの真剣な問いに答えないのだから、なお重い。
口止めしているのはティルアか、もしくは魔王に類する者の命令だろう。
「私の言葉が聞けないのね」
「う、いや、でもさ、でもなぁ……」
「ママには内緒にしてあげるから」
「だからその、シアン様から言われてるんだ。娘には伝えないで欲しいって」
「母様から? ……あなたが魔王城にいたのは、母様に情報を伝えた後だったって訳ね。母様が私に伝えないで、って言うのは――――私を殺せるくらいの相手がいるってことになるわね」
母様は優し過ぎるんだから、と苦笑するフィーナであった。
彼女は自身のことを、ヴァレリア王国を守護する剣だと思っている。
戦えば刃こぼれし、折れることもあるだろう。
しかし、それが剣の役割というものだ。
我が身可愛さに、宝物庫へ仕舞われる宝剣でありたいと思ったことはない。
無骨で頑丈な剣が良い。
折れても構わない。
守りたいものを守れる剣でありたい。
――――あの父のように。
「うん、よし。覚悟は決まったわ。敵がいるのね。それじゃあ私は敵を探しに行くわ」
「いや、ちょっと。竜種同士の決闘はどうするんだよ」
慌てたユステンが、歩き出した彼女を小走りで追いかけてきた。
フィーナは澄ました顔で言う。
「あれはあれで、必要だからやってるんでしょう? 負傷者もいないんだから、放っておけばいいのよ」
「トリーニャ様から命令されてるんじゃないの? 命令違反と敵前逃亡は重罪になるかもしれないぞ」
「敵から逃げるつもりは無いわ。命令違反は、まあ、ママ譲り……いえ、お父さんから続く宿命みたいなものね」
人族を裏切り、魔族を裏切り、挙句の果てには自爆してみせた男の血が、彼女にも受け継がれていた。
それを思うとなぜか嬉しくなる、そんな自分が好きだった。
ついでに、追いかけてくる同級生へ聞いてみた。
「私は行くけど、あなたはどうする?」
「行くよ、行くに決まってるだろ! ユーゴだったらそうするさ!」
半ば呆れ気味に叫ぶユステンだったが、意志は固そうだった。
彼らしい決意の仕方だと、微笑ましくなる。
「あー、そう。馬鹿って伝染するのね」
「どういう意味だよ」
「好きって意味よ」
「…………え。ん? ちょっと待って。うん、えっと、は? ええーーーーーっ!」
「うるさいわね。放っておくわよ。あ、そうだ。オリバーも呼ぼうかな。久しぶりに会いたいし」
「ぬえぇぇぇぇっ!」
「だから、うるさいって」
「げぶっ」
鎧の上からフィーナの拳をもらい、悶絶するユステンであった。
彼女は後ろも見ずに半変貌し始め、背中に折れた竜翼が生まれ出る。
今では誇らしくすらある己の翼に、光が灯るのだった。




