旧友
ワイルドギース酒場の入り口には、常連でも見たことが無い看板が下げられていた。
曰く、立ち入り禁止。
完売でも休日でもなく、入ることを禁じたそれは、周囲の魔族を戦慄させるには充分過ぎた。
怖いもの知らずの魔族でも、コロセウムの歴史そのものであるワイルドギース酒場を敵に回そうとは思わないだろう。
頭の弱い魔族がここぞとばかりに酒場の襲撃を計画したとしても、周囲の者達が全力で阻止をする。
なぜならば、この世には絶対に触れてはいけないものがあるからだ。
それは、怒りの象徴ともいえる――――竜種の逆鱗である。
誰彼かまわず巻き込んで滅びを与える、災厄の種。
そんなものがごろごろしている酒場に入れるのは、同じ逆鱗を持つような竜種くらいだ。
蒼い髪をした青年と思しき男が、怒りを露わにして酒場の扉を開く。
「ティルア様っ! どうして俺を一番に呼んでくれなかったのですか!」
「フィンレイか。よく来たな。褒めてやるぞ」
肘置き付きの豪奢な椅子に腰かけ、足を組んでいるティルアが小さく頷く。
顔立ちの整った蒼髪の青年――――フィンレイは複雑そうな顔をした後で、一礼した。
その後で、ニヤニヤ笑っているバートンを睨む。
「おい、その薄ら笑いを今すぐ止めろダニ野郎。ケツを蹴っ飛ばして二度とクソが出来ないようにしてやるぞ」
「あぁん。やってみろよ、逃げ足だけの蚊蜻蛉め。ティルア様が最初に声をかけたのは俺様だっけな」
勝ち誇ったバートンが、口端から小さな炎を漏らす。
眼を細めるフィンレイの手からも、鋭い風が吹いた。
ティルアは我関せずといった様子で、何杯目かのミルクを飲み干した。
一触即発の雰囲気が流れる中で、ムーアの溜息が大きく響く。
「……はぁ。お前たち、この儂の店で喧嘩を始める気か? それならそうと早く言え。姫の手を煩わせることなく、骨まで溶かし殺すぞクソガキ共。――――あと、姫が真っ先に声をかけたのは儂だからな。覚えておけ」
「爺、お代わりをくれ」
「ほっほっほ、只今用意しますぞ」
ティルアの一声で、完全なる好々爺となったムーアが、カウンターの奥に消えた。
ばつの悪そうな顔をした二人は、言い争うのを止めていつもの椅子に座る。
他の椅子を眺めたバートンが、首を傾げた。
「あん? グレンジャーがいねえっけな。寝坊か?」
「あいつは黒陽戦争で戦死しただろうが。相変わらず脳みそが少ない竜だな」
「そうだっけか。原因は?」
「自分とこの新入りを庇って焼かれたのさ。黒竜にケツを取られて逃げ回るよちよち歩きの若竜の代わりに、墓に入ってやったんだと」
「あーあ。あいつも、若好きは女だけにしとけばよかったっけなぁ」
詰まらなさそうに、バートンが苦笑する。
近場のテーブルにあった酒瓶を拝借して、二つのグラスに酒を注いだ。
グラスを鳴らすと、片方の酒を喉に流し込む。
酒臭い息を一気に吐き出すと、据わった眼でフィンレイを睨む。
「つーことは、だ。生き残ってんのは俺たちだけか? 少なくなったっけな」
「ふん、安心しろ。最後の一兵になっても姫は守ってやるから、お前は先に逝っていいぞ」
「そうかい。まあ、マシな魔族の心意気でも見てろ」
「………言い返さないのか。気持ち悪い男だ」
調子の合わない面持ちで、フィンレイが口元を結んだ。
そこでようやく、ティルアの前にミルクが運ばれてくる。
そのジョッキを掲げた彼女は、静かに眼を閉じた。
「グレンジャー。私は悲しい。だが、貴様は胸を張って良いぞ」
黙祷の後で、ジョッキが傾けられる。
美女らしからぬミルク髭を袖で拭うと、彼女の視線がフィンレイに向けられた。
「貴様には作戦立案を頼みたいのだ。想定は魔王クラスの敵兵が、領内に浸透突破してきたと考えろ。味方の戦力は我々しかないものとする」
「敵の所属は判明していますか?」
彼の眼が鋭くなった。
首元を緩め、傍から見ても何かを考えているのが分かる。
「現時点では不明だ。よって、目的も不明だな」
「そうですね、もう少し情報収集しましょう。仮にアルベル連邦の威力偵察にしても、魔王クラスとは度が過ぎています。こちらに存在を悟らせている辺り、何かほかの意味合いがあるかもしれません」
「ふむ? アルベル連邦以外の可能性もあるのか?」
ティルアが首を傾げた。
その仕草に、少しの間だけ頬を緩めたフィンレイだったが、気を持ち直した。
「はい、可能性の話です。ですから、発見者も確保しておいた方が良いと思われます。魔導具で騙されている可能性も否定できません」
「ああ、その心配は必要ないぞ。あれが敵の強さを計り間違えることはまず無い」
「余程の強者なのですか」
「そうでもないが、鼻が利くのだ。ユス……ふむ。ユス・チェンという娘の家来だ」
「はあ、初めて聞く名ですね。これでも魔王国の縁者には詳しいつもりだったのですが」
「目立たん男だが、中々面白い奴でな。格闘技ではそこそこ強いし、奇抜な動きを見せるのだ。たまに自滅するのが玉に傷だがな。まあ、奴には別の仕事を与えてある」
「なるほど。覚えておきます」
ふんふん、と頷きながら頭の中にその名前を焼き付けるフィンレイであった。
彼にも、往々にしてティルアの言うことを鵜呑みにする傾向があるのは否定できない。
ただ、この時ばかりはタイミングが悪いとしか言いようが無かった。
「では、敵の居場所を探る所から始めましょう。流石にこの人数では難しいので、軍部に手伝って貰おうと思います」
「アルベル連邦に隙を見せる訳にはいかんぞ」
不可侵条約の期間があり、それなりに国力が回復したとはいえ、それでもアルベル連邦との全面戦争は回避したいところであった。
正規軍を動かせば、その挙動は確実にアルベル連邦へ伝わることだろう。
もしも間違って魔王クラスの間者と戦いになれば、救援と称して不可侵条約を破棄し、一方的に戦争が始まりかねない。
しかし、放っておいて重要人物の暗殺などをやらせるわけにもいかない。
魔王クラスの自爆攻撃があれば、誰にとっても命の保障は無いだろう。
ただ、それを知らないフィンレイではなかった。
竜種の中でも知恵者と賞される彼とて、今の状況で戦争を始めようと考えてはいない。
「ええ。ですから、我々を原因として国中の警戒レベルを上昇させます。そうすれば、軍部が動いても不思議ではありません。軍が警備を行えば、自然と余所者が浮き上がってくるでしょう。そこで逃げ込むとすれば――――治安が悪く、余所者が居ても不思議では無い場所だと思いませんか」
「……コロセウムに誘き寄せるつもりだな?」
ティルアは腕組みをした。
確かに、幾ら軍部でもコロセウムを制圧することは困難だった。
戦い好きの魔族たちが、嬉々として兵士たちに襲い掛かるからだ。
違う意味で心配事が増えるような気もするが、敵の位置が分からなければ、戦うことすら出来ない。
「ふむ、仕方あるまい」
最悪の場合――――ティルアが全力を出して魔王クラスの間者を殺し、その代償として自分の首を差し出す決意をした。
国を、娘を守るのには、高い代償では無い。
そして、ほんの少しだけだが――――愛する人と同じ場所へ行くのも悪くないと、思ってしまったのだった。




