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騎士になりました  作者: 比呂
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竜姫


 ヴァレリア王国の城下にも、特に気性の荒い者達が集まる場所がある。

 そこは治安が悪く、喧嘩や決闘が絶えることはない。


 酒の入ったジョッキが砕け散り、流血の河が毎夜の如く現れる。

 魔族の本能が回帰する聖地。


 怒号と喧噪が渦巻く背徳の住処――――コロセウムと呼ばれる街だった。


 当然のように、街は古く汚いものだ。

 建物を建て替える大工が、仕事を終える前に決闘で命を落とすから、という話が当たり前に存在するからである。


 精々無事なのは、葬儀屋と酒場くらいなものだ。

 どちらも無ければ、コロセウムはとっくの昔に消えていただろう。


 前者は、街が死体で埋め尽くされてしまうから。

 後者は、決闘に勝っても酔えないから。


 今日も魔族たちは殺し合い、酒を浴びる。

 その中でも、魔族の性根を煮詰めたような馬鹿どもを生かし続ける――――最古の酒場の扉が開かれた。


 渡り鳥の描かれた看板が揺れる。


 荒くれ者の魔族が乱暴に扱っても壊れない、最高品質のゼルコバ材であつらえた木扉が軋んだ。

 薄暗い室内では、昼間から酒を呑んで目の据わった魔族たちがいた。


 その彼らが、息を呑んだ。


 地獄の掃き溜めに、肌の透き通る美女が颯爽と現れたのだから仕方ない。

 コロセウムの常識で考えると、こんな美女なら女魔族に嫉妬されて決闘か闇討ちに遭い、顔の皮を剥がれていることだろう。


 何にせよ、コロッセオの最奥にあるワイルドギース酒場に来るまで無傷ではいられない。

 そう誰もが思っていたのだ。


「邪魔をするぞ」


 少しも臆することなく我が道を闊歩する女性の、金髪が風に揺れた。


 彼女の拳は血塗れで、そのすべてが返り血だった。

 襲い掛かってくる魔族らを、拳のみで殴り倒してきた何よりの証明を見せつけている。


 バーカウンターでグラスを磨く初老の魔族が、口元を微笑ませた。

 彼女の言葉が、自分に向けられていたことを知っていたからだ。


 そして彼女は、他には目もくれず一直線に酒場の奥へと向かう。


 酒場の魔族たちが、再度、息を呑んだ。

 ワイルドギース酒場でやってはいけないことが、三つある。


 決闘は店の中でやらないこと。

 店主の言うことに逆らわないこと。

 最後に、店の奥で休んでいる竜種には手を出さないこと。


 その竜種こそが、コロセウムで頂点を極めた者であるからだ。

 筋骨隆々で魔族にしても大柄な体躯をテーブルに突っ伏し、家が建つほどの値段がする酒の空瓶を握りしめた王者の前で、彼女――――ティルアが立ち止まった。


「おい、話がある」

「……うるさい―――がぼぁ!」


 彼女の拳骨が、王者の頭にめり込んだ。

 入口の扉と同じ素材で出来た分厚いテーブルが砕け、王者が顔を地面につける。


 店の中にいた魔族たちは、我先にと逃げ出した。

 ここまでされた王者が、反撃しない訳が無い。


 竜種が完全変貌して咆哮を撒き散らせば、被害は恐ろしいことになる。

 しかし、王者は地面に顔を伏せたままだった。


「うん? 私の話を無視するとは、偉くなったものだな」

「…………」

「ほう、また無視か」


 ここで小さく笑ったティルアが、王者を仰向けに転がし、馬乗りになって殴り始めた。

 左右の拳が通り過ぎるたびに、血しぶきが舞う。


 されるがままの王者は、力なく手を伸ばしきっていた。

 ようやく、初老の魔族がグラスを置いて、苦笑しながら仲裁する。


「我らが姫よ、そのくらいにしておいてくだされ。いくらバートンでも、首が取れますぞ」

「答えぬこいつが悪い」


 殴る手を止めず、拳の速さがさらに勢いを増していく。

 流石に冷や汗を流し始めた初老の魔族が、首を横に振った。


「……答えないのではなく、答えられないのです。確かに姫の言葉を聞き洩らした馬鹿者が悪いのでしょうが、そやつに用事があったのでは?」

「そうだった。ふむ。起きろ」

「…………」

「――――良い度胸だぞ」


 振り上げたティルアの細腕が、筋肉を引き絞って軋みを上げた。

 今度こそ必殺の鉄槌が振り下され、見るも無残に弾け飛ぶ王者バートンの頭が、容易に想像出来る。


「お、お待ちくだされ。この爺めが起こしますので、姫はこちらでお飲物を飲まれては如何ですかな?」

「ミルクはあるか? ムーア爺」

「一度とて切らしたことはありませんぞ」


 胸を撫で下ろした初老の魔族――――ムーアが手慣れた様子で、ジョッキにミルクを注ぐのだった。

 彼女のお気に入りを、彼が忘れることは無い。


 ティルアはすっくと立ち上がると、カウンターのスツールに腰かけてジョッキを煽った。

 その隙にムーアがバケツを持ってバートンに近づき、水を被せる。


「――――…………ぶがはぁ! ……うえあ? 爺さん、何があった? また黒竜でも攻めてきやがったっけか? 天国で姫さんが手を振ってた夢を見てたんだが」

「馬鹿者。もう少し目を覚ませ。まあ、確かに姫は手を振っておったがな」


 お前の首が取れかねない勢いで、という言葉は伏せるムーアであった。


「ああ、でもまあ、夢でも姫さんに会えて嬉しかったっけな」


 視界が歪むのか、虚ろな視線を彷徨わせるバートンの手が、テーブルの破片を掴んだ。

 それを放り投げて、転がった先に、女性の脚を見つける。

 顔が上を向き、ティルアを発見した。


「あ、ああ――――」

「おい爺。落ちぶれていたとは聞いていたが、こいつはここまで弱っていたのか」

「ほっほっほ、こやつの頭が弱いのは元からですぞ。姫が気にする必要は無いでしょう」


 ミルクのお代わりを貰いながら、やっぱり止めようか、などと悩むティルアであった。

 そんなことも知らず、バートンが彼女の足元へ飛び込んだ。


「姫さんっ! 戻って来てくれたんですね!」

「ん? 何の話だ。私は軍には戻っていないぞ」

「――――え。……いやぁ、そう言えば俺も軍を辞めてったっけねぇ?」


 そんな二人のやり取りを見ていたムーアが、グラスを手に取って磨きながら溜息を吐いた。


「こやつは、姫が軍を引退したのに合わせて、同じく除隊しましてな。生き甲斐を無くしたと嘆きながら、コロセウムの戻って来たのですぞ。ここ最近のこやつは、クソにも劣る生き様でしたな」

「知っているぞ。だからここに来たのだ。我が隊の恥知らずにして面汚しを呼びにな」

「やべぇ。俺、そんなに良いところが無かったっけか……」


 項垂れるバートンだった。

 それにムーアが呆れた表情を浮かべる。


 様々な腕自慢の魔族が集うコロセウムで、王者を名乗るこの男が弱い訳がない。

 軍に所属していた頃は空中での格闘戦を得意とし、エースを名乗るに相応しい戦いを見せていた。


 ただ性格に問題があり、ティルアを崇拝しているのが玉に傷だった。

 彼女に関することに対しては著しく知能が減退する男――――それがバートンである。


 よって、ティルアの次の言葉にも簡単に頷いてしまう。


「よし、では私のために働け。勿論、給料は出んぞ」

「イエス、サー」


 即座に立ち上がって、彼が踵を打ち付けながら堂の入った敬礼を見せる。

 この辺りは立派なのだが、中身は無かったりする。

 条件反射で答えているだけだ。


「この国に侵入した敵は魔王クラスと考えておくのだ。一人とは限らんぞ」

「イエス、サーっ!」

「この国の――――魔族の子らの礎となる覚悟はあるか?」

「イエス、サーっ!!」

「よろしい。これで貴様はただの魔族では無く、少しマシな魔族になったぞ。誰が何と言おうと、私が認める」


 感涙に咽び始めたバートンを尻目に、皺を深くして笑うムーアが言う。


「爺に出来ることは御座いませんかな」

「ふむ、では店を借りるとしよう。他にも退役した魔族を集めて、戦わねばならぬからな」

「ええ、わかりましたぞ。……それにしても、魔王クラスですか」


 年老いた顔に、苦みを走らせるムーアだった。


 竜種は魔族の中でも最高峰の戦力だが、それは咆哮に依る所が大きい。

 周辺被害を恐れずに戦えば問題ないことでも、街中で魔王クラスと戦うのに咆哮を封じられていれば、戦力は半減以下になる。


 加えて、退役軍人を集めると言うことは、正規軍が動かせないということだ。

 状況としては最悪と言える中で戦わなければならない。


 こんな時に『あの男』がいれば――――と考えてしまうことも無理はなかった。


「不思議なことに、あの方を思い出してしまいますな」

「そうか。私はいつも思い出しているぞ」


 ティルアが優しく微笑んだ。

 穏やかな陽光を思わせるその表情は、深い慈愛を感じさせる。


「そうでしょうなぁ」


 魔族として長く生きてきたムーアが見るに、その優しさを育んだものは絶望と悲しみだ。

 かけがえの無いものを失ったからこそ、生まれ出たものだ。


 彼は、ティルアの幸福を願わずにはいられなかった。


「どうか、奇跡を――――」


 その呟きはわずかに大気を震わせ、風に消えるのだった。




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