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騎士になりました  作者: 比呂
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閑話



 ――――エトアリア共和国。


 かつては王国だったこともあった。

 隣国に魔族の住まうヴァレリア王国が存在し、当時のエトアリア王国はこれに挑んだ。


 戦略的な意味でも北の要害となるヴァレリア王国――――通称、魔王国は放置できず、ましてや危険な魔族を平定するという王に、誰が逆らえる者は居なかった。


 そして、大平原の争いに魔族を引き摺り出し、後方から急襲する作戦が決行される。

 結果、魔王を斃したのは『勇者』だった。 


 この好機を逃さぬよう、エトアリア王国は全軍を以って魔王国の殲滅に乗り出そうとして――――阻止された。


 たった一人の勇者と、魔族の二人によって。


 敗戦を悟った王侯貴族と特権階級が逃げ出したのは誰しも驚きを隠せなかったが、今となっては何者かの手引きがあったのだろうと考えられている。


 国家の中枢を失ったエトアリア王国は、急速な治安の悪化が進んだ。

 魔族の復讐に怯え、取り締まる者の居なくなった国の衰退ぶりは、逆にヴァレリア王国の危機感を煽った。


 今までダイニール平原を支配していたエトアリア王国が無くなることで、周辺諸国が奪い合いを始めないとも限らない。


 ならば、降りかかる火の粉は払うのが道理だ。

 そこでヴァレリア王国は、人の住まう土地に介入し、保護することにした。


 無論、魔王国が強制的に占領しようとすれば、周辺諸国が連合を組んで戦争になり、人魔の喰らい合いとなるだろう。

 流石に魔族と言えど、大陸全土との消耗戦など考えたくも無い事態だった。


 ――――故の、融和政策である。


 人族と魔族が共に暮らせる場所として、エトアリア共和国が誕生した。


 まずは、先のような王の専横を許さない共和制を採択し、大統領に人族を据えた。

 いずれは魔族の大統領が出ることも可能な法整備を行っているが、それでも幼い国家にそれを認めさせるのは時間が掛かると考えてのことだ。


 多大な資金援助と労働力、兵力の供与があって初めて、彼の国は前を向いて歩き始めた。

 その歩みが、決して平坦であることは無いと、誰もが想像していた。


 国家間の小競り合いさえ、何度もあった。

 そして、未だに争いの火種が完全に消えたとは言えなかった。


 ――――焦げ臭さが鼻腔の奥に張り付く。


 人族の剣幕が耳に響いた。

 聞くに堪えない罵詈雑言と、自分自身がいかに崇高な使命を帯びているかを語ってくれている。


 彼の手元には魔導具らしき短剣と、年端のいかぬ魔族の少女が人質に取られていた。


 曰く、魔族は年齢に関わらず、悪魔の使いにして邪悪の権化である。

 曰く、それに組みする者は悪性にして堕落しているので処刑しても罪には問われない。


 その他もろもろと、御高説を垂れ流している。


 物陰に隠れて様子を伺っていた魔族――――ユステン・ヒルトは鼻を擦った。


「で、まだなの?」

「腹が立つのも分かるが、急かすな。俺たちはヒヨコが失敗したときの保険だ」


 仏頂面だが悪意の無い声で――――人族のオリバー・ハリスが言う。

 彼らの視線には、騎士見習いが盾を構えて交渉する様子が映っていた。


 激高する男と、交渉役の騎士見習いの話し合いが続くも、平行線のままだった。

 少女の体力を考えると即座に助け出したいのは山々だが、それでは騎士見習いが育たない。


 彼らが育たなければ、続発する人質事件を解決することは不可能だ。

 不眠不休で永遠に働き続けられる肉体があれば、ユステンとオリバーの二人ですべての人質事件を救えるかもしれない。


 しかし、ユステンらとて、いつまでも騎士業務が続けられるとも限らないのだ。

 後進を育てることが、大勢の者を救うことだと分かっている。


 分かってはいるが、目の前の少女を今すぐにでも救いたい。

 誰を呪えばいいんだよ、と内心で呟きながら、ユステンが鼻を擦る。


 それでも交渉は平行線が続く。

 苛立ちを激しく表し始めた男が、少女の頭を短剣で叩き始める。


 これを見た騎士見習いの魔族が動いた。

 叫びながら男に突進しようとするが、それよりも男の動きの方が速い。


 やはり魔族は――――などと叫びながら、男が短剣を振り下した。


「あ、れ?」


 遅れて、短剣を握りしめた男の手が床へ落ちた。

 不思議そうに己の切り落とされた手首を眺める男の前に、オリバーが立っていた。


 既に少女を助け出し、魔族の救護班へ引き渡している。

 状況が頭に入って来た男が、逃げ出そうとした。


「おい。自分一人になったら、とっとと逃げだすってのか」


 うるさい裏切り者、と男が叫ぶ。

 それを聞いたオリバーの眼が細められた。


 己の人生を振り返って見れば、まさにその通りだと思える。


「そうだな。俺もいつか誰かに殺されるだろう。地獄で待ってろ」


 酷薄そうに口を歪めたオリバーの手が、男の腹にめり込む。

 意識を手放した男が、力無く崩れ落ちた。


 すぐさま救護班が近づいてきて、男の手首を止血した。

 縛り上げてから担架に乗せ、連れて行かれる。


 その様子を見つめながら、オリバーが呟く。


「……まあ、生きてる間に地獄が拝めるなんて、滅多にあるものでもないぞ」


 連れて行かれた男が治療されたのは、背後関係を調べるために尋問を行うからだった。

 言葉を喋れなければなければ、尋問は出来ない。


 逆を言えば、喋れさえすれば、それ以外はどうでもいい。

 次の人質事件を起こさないためにも、情報は必要だった。


 眼を閉じた彼の耳に、ユステンの声が響く。

 その声があまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、オリバーは仕方なさそうに笑った。


「馬鹿者―っ!」


 ユステンが仁王立ちして、我慢しきれず飛び出した魔族の騎士見習いを正座させていた。

 歯を食いしばる魔族の騎士見習いは涙さえ流していたが、ユステンらが居なければ最悪の状況を引き起こしていたかも知れないのだ。


「――――お前は何者で、何がしたいんだ!」


 ユステンの問いかけが、屋内に響き渡る。

 祖国の大英雄に、いつか彼が問いかけられた言葉だった。


 魔族の騎士見習いが、涙声で叫ぶ。


「自分は騎士見習いですがっ、あの女の子を助けたいと思いましたっ!」

「よろしいっ! だったら訓練しろ! あの男が動く前に動けるように、強くなれ!」

「はいっ!」

「うん、では各自、兵術学校に帰って装具点検後、反省会だ。報告書は後で提出するように」


 それだけ言って頷くと、ユステンはオリバーに近づいた。

 彼の肩に、軽く手を置く。


「意外と繊細だよね、オリバーって。僕の鼻は誤魔化せないよ。裏切り者って言われて傷ついたんだろ」

「……お前は、自分の良さを全力で打ち消しに行く奴だな」

「へ? 何言ってんの」

「いや、いい。俺の勘違いだ」

「何だよ教えてよ、気になるだろ」


 何度も肩を叩かれるオリバーであったが、決して自身が思ったことを口にすることは無かった。

 ユステンが一方的に談笑しながら、二人は屋外に出た。


 太陽が傾き始める頃で、朝食すら食べられていなかったことに気付く。

 人質の命が何より優先されるとはいえ、緊張が途切れれば腹も減るというものだ。


 事件解決の度に散財していては騎士などやっていられないが、友人を励ますために使う金ならば仕方ない。

 ユステンが笑う。


「なあ、久しぶりにフィーナを誘って、酔忘亭の灼熱パイでも食べに行こうぜ」

「お前らだけで行けばいいだろう」

「僕だけで誘って、フィーナが来るわけないだろ!」

「何なんだよ、その自信は……。その脱げない鎧のことでも言えば来てくれるだろうに」


 オリバーの指差した先には、魔導具の鎧があった。

 瀕死のユステンを救うために着せられたが、決して脱げなくなるという副作用は未だに続いている。


「あのねぇ、命の恩人を脅迫するっていうのか? 僕はそこまで恩知らずじゃないぞ! でもその考えは最後までとっておくよ!」

「…………ああ、そうだな。いつものお前だ」


 顔を手で覆うオリバーと、言われている意味が分からず首を傾げるユステンであった。

 そのとき二人の脳裏に思い浮かんだのは、彼らがまだ騎士見習いだった頃の出来事だ。


 国家存亡の危機に関わる事変を乗り越えたことが、本当に遠い記憶となってしまった気になった。

 この場所に居ないフィーナ・アイブリンガーは、ヴァレリア王国の要職に就いている。


 おいそれと呼び出せる相手では無いし、何より魔王国の姫君だ。

 連れ出して面倒が起きるのは、二度と御免だった。


 口をへの字に曲げたオリバーが、薄い溜息を吐く。

 今夜はまたユステンの愚痴に付き合いながら、絶品のはずの灼熱パイを不味い顔して食べなけりゃならないのか、と思った。


 ――――肩を、叩かれる。


「何だ、フィーナを呼び出せって言うなら俺はもう帰るぞ」

「いや、そうじゃない。ヤバい。あいつはヤバい」


 振り向いた先のユステンが、総毛だっていた。

 今にも完全変貌したい気持ちを堪えていることが、長い付き合いのオリバーにはすぐに分かった。


 彼の探知能力は、魔王国で最高だと確信している。

 それが、最大級の警報を発しているのだから、否応にも興味を惹かれようと言うものだ。


 ユステンの視線の先を辿ると、そこには茶色い外套を頭から被った旅人がいた。

 何処にでもいる旅人姿で気配も鋭く無く、外套で隠れてはいるが女である。


 腰に見慣れない湾刀を差していることが、珍しいと言えばそうだ。

 歩くたびに揺れるフードの下から覗く顔は、確かに綺麗であった。


 旅人であっても透き通る肌と、あの美貌であれば、エルフだと大体の見当は出来る。

 そのエルフが、横目で一瞬だけオリバーを見た。


 彼女の口元に、笑みが浮かぶ。


「――――っ」


 何の変哲も無い仕草だったが、それだけで自身の奥底を覗かれた気がした。

 まるで、戦わずとも勝敗が分かっていると言われた気分だった。


 ここ最近、自分より強い者と出会っていなかったオリバーは、己の油断を恥じた。

 あのエルフと戦っても彼女を無傷で終わらせるつもりは無いが、そのためには命を捨てなければならない覚悟が必要だろう。


「くそ、夕飯まで食えなくなりそうだ」

「何だあいつ、ほんとに」


 無意識に犬歯を剥いているユステンに対し、オリバーは真剣な顔をして問い詰めた。


「あのエルフ、どれくらいの強さだった?」

「少なくとも、僕らには手が負えないね。恐らく、魔王国でも相手に出来るのは王族クラスだよ」

「……くそったれめ」


 彼の読みとユステンの読みは同じだった。

 少なくとも、戦闘特化した魔族の中でも一握りの者に比肩するエルフだと言うことだ。


 種族としてはそれほど強くないはずのエルフが、此処までの高みにどうやって上ったのか疑問は尽きないが、そんな存在が自由に歩き回っていることには恐怖を禁じ得ない。


 これならまだ、フィーナを呼び出して喧々囂々と言い争いが起きる中、頭から酒を浴びせられた方がマシだった。


「おい、ユステン。お前は魔王国に帰って、フィーナに事情を説明して来い。俺はあいつを追う――――ん?」


 目前に居る友人が、瞳孔と口を開きっ放しにしていた。

 何をふざけているのかと思っても見たが、自国の危機にここまで馬鹿な顔をする奴では無い。


 オリバーが、顔を横に向けた。


「――――は?」


 彼でさえ、口が開くことを抑えられなかった。

 先程のエルフが、同じような恰好をした旅人に頭を下げている。


 それもふざけた風では無く、本気で平謝りしているのだった。

 その旅人からは、何の強さも存在感も感じられない。


 何処かの王族とその従者かとも考えられるが、それにしては高貴さが微塵も見て取れない。

 彼の大英雄でさえ、少しなりとも権威と言うものが見え隠れしていたのに、と考えていると、事態に変化があった。


 旅人が空の革袋を逆さにして振っているところを見るに、有り金全部、何かに使い果たしてしまったのだろう。

 気の毒なことだ、と思いそうになった瞬間、意識の虚を突かれていた。


「え、あれ、なんだ?」


 ユステンが眼を擦っている。

 彼も己の眼を疑った。


 さっきまでいた二人の旅人が、消えてしまったのだ。

 瞬きでもしてしまったのかと考えてしまうほどの早業だった。


 瞬間移動――――もしくは何らかの魔導具が使われたか。


「……消えたってことは、俺たちに気付いてたってことだな」


 オリバーが頭を掻きながら、無造作に歩き出した。

 ユステンがそれを追う。


「あ、ちょっと、確かに匂いはしないけど、罠があったらどうするんだよ」

「それこそ、通行人だっているのに放っておけないだろ」

「そっか、そうだね」


 納得するユステンを放置して、彼は旅人達が立っていた場所へ辿り着いた。

 周囲を観察しても、見張られている感じはしないし、罠も無さそうだった。


 しかし、何かの欠片が地面に落ちているのを発見した。

 拾い上げて、まじまじと観察する。


「乾燥した……草か。見ない形をしてるな」

「しょっぱい匂いがするね。たまに塩に混じってるから知ってるけど、それ海藻だよ」


 ユステンの指摘に、オリバーが首を捻った。


「あいつらは、海辺の出身者か。だとすると、ここまで来るのに相当な距離だぞ」

「旅人の恰好してたからね。塩の行商人……にしては強すぎるけど」

「まあ、どちらにせよ、上層部へ報告だ。あの強さは度を越している」

「こういうことでフィーナを呼び出すのは嫌なんだけどね」

「戦うと決まったわけじゃない。それより、呼ばなかった時のことを考えておけよ。殴られるぞ、お前」

「……だよね」

「わかったなら、いくぞ」


 オリバーはそう言って、手に持った海藻を放り投げて歩き出した。

 少しだけユステンがもったいなさそうな顔をしていたが、すぐに表情を引き締める。


 二人は別々の方向へ、走り出したのだった。


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