行先
腕を組んだウィードは妖精皇国側の入り江から、遠くに霞むアヴァロン島を眺めていた。
涼やかな風が、アヴァロン島の湖面をさざめかせる。
踏み荒らされた船着き場や、入り江には焚火の後が散見されていた。
大勢の富嶽一刀流の兵士たちが戦いに臨み、引き上げていったことがわかる。
「うちの弟子は大人しくしてるかなぁ……」
一抹の不安を抱えながら、こちらに向かってくる帆船に目を細めた。
徹底抗戦の構えを見せていたグルヴェイグたちには、早馬で彼直筆の手紙を送っておいた。
手紙だけではセイカに信用されないかもしれないので、油紙に包んだ少量の海藻を添えてある。
すべては、チサキに頼まれたことだった。
妖精皇国の宮殿ではチサキに追い回されたが、彼女の体力が早々に尽きた。
その飛び抜けた聡明さと相反するように、小柄な見た目に相応しい体力しかなかったらしい。
彼女が息の切れた声で、後は弟にまかせておる、と言って退室した。
それからはジロウの差配で、妖精皇国側の入り江で会談を行うことになった。
ジロウは諸処の調整で走り回り、あまり顔を合せられていない。
しかし、代わりにとばかりに、ウィードの後ろには外套を目深に被ったハリィが立っていた。
ウィードは後ろを振り向かずに言う。
「……暇なのか?」
「暇だったら帰ってるよ。これも仕事だね。君が暇だったら、何か話してくれよ」
「いや、そこまで話すことは無い」
「そうかい? いずれ知ることになるとはいえ、本人からの観点は参考になるんだけどな」
「どういう意味だ」
彼が横目でハリィを見ると、外套の下から笑い声が漏れた。
「世界が救われるのさ。俺たちが『こう』なったのも、君たちを理解しようとした結果だよ」
「はあ?」
彼が首を傾げて、ハリィに再び問いかけようとしたが、船の方から知った声が聞こえてきた。
「おお、我が導師さ――――へぐっ」
「師匠ぉぉぉぉ、御無事でござるか!」
船から身を乗り出したグルヴェイグを踏み台にして、セイカが湖へ躍り出た。
水面を蹴りつけて水柱を上げ、怒涛の勢いで向かって来る。
富嶽一刀流の門弟が見せた技術であるが、彼女が走ると速度が違う。
しかし、さっきまで喜色満面だった彼女の笑みが、ウィードの背後に立つハリィを見て陰った。
いつでも刀を抜ける体勢で、入り江に降り立つ。
「お主、何者でござるか」
「ん? そんなこと、どうでもいいんじゃないのかな。斬りたければ斬ればいい。俺もそうする」
頭から被った覆いの下で、ハリィが笑う。
それに眼を細めるセイカである。
溜息を吐いたウィードは、ハリィに言う。
「セイカには手を出させないから、物騒なことはやめてくれ」
「君がそれでいいなら、いいけどね」
外套を脱ごうともせず、彼はセイカから意識を外した。
ウィードの言葉を聞いた彼女も、戦闘態勢を解いて彼の側に寄る。
「師匠、こいつ気持ち悪いでござる」
「こら、思ったことをそのまま本人の前で言うんじゃない。俺だってそう思ったけど言わなかったんだぞ」
「え、ちょっと待って。俺が傷つかないとか思ってる?」
震えているハリィだったが、表情は見えない。
ただ、妙な哀愁を感じたので、彼は苦笑いを浮かべて言った。
「いやいや、顔の話じゃ無いさ。気配の話だ。何と言うか、ハリィの気配は全体的にぬめっとしてるんだよ」
「拙者としては、にょめっとした感じでござるが」
ハリィが首を横に振る。
声色には、どこか諦めた感じが含まれていた。
「誰も顔とは言ってないだろ。あと、君たちの言う違いが分からないし、気配ってそんなにぬるぬるしたものなのかな。……まあ、俺が人間じゃないからかもしれないけど」
「ああ、やっぱり人間じゃないのか」
「納得でござる」
ウィードとセイカは、同時に頷いていた。
それをどう思ったのか、ハリィが肩を竦める。
「種族よりも先に、気配で罵倒されたのは初めてだよ。いい経験になったかな。……それよりほら、皇帝の弟が呼んでるんじゃないのかい?」
「あ、本当だな」
湖の入り江から遠くない所へ生えた松林に、人影が見えた。
少数の護衛を伴って、ジロウとドウゼンがこちらへ向かって来ている。
そうしているとワルハラ陣営の船も到着し、全員が揃った。
皇帝印の記された陣幕の中へ案内されたウィードたちは、それぞれの椅子に腰かける。
上座の中央に陣取ったのは、司会進行を努めるジロウであった。
「さて、今回の件に関しては、既に皇帝陛下から勅命が下されておる。皆、心して聞くがよい。――――此度の戦闘は、互いに己が本分を見間違えたことが原因である。見間違えることは誰にでもあり、一度の失敗を責め立てることは臣民の為に非ず。よって、罪としては罰せず。妖精皇国臣民に関しては無罪放免を言い渡す。ただし、この内乱を引き起こした者には、国外退去を言い渡す。……以上である」
無精ひげを撫でながら息を吐き、最後に不機嫌な顔でウィードを睨んだのだった。
その視線を受けた彼は、苦笑いで答える。
対照的に、激高して立ち上がったのはグルヴェイグだ。
「我らが導師様に対して、何たる増上慢! いざ――――もぐがっ」
彼女はすぐに、控えていた白衣の者達に取り押さえられた。
それでは収まりがつきそうになかったので、ジロウが視線を交え、どうにかしろ、と訴えてきた。
彼は面倒そうに椅子から立ち上がる。
「まあ、そう怒るなグルヴェイグ。悪い話じゃない。反乱だったら普通、一族郎党が処刑されてもおかしくないだろ。それが無罪になるんだからいいじゃないか」
「し、しかし、それで導師様を奪われるくらいならば――――」
「奪われるものか。俺は世界に出て見聞を広げるんだよ。それがどういうことか、グルヴェイグならわかってくれると思うけどな」
「――――はっ」
彼女は天啓に打たれて眼を見開いた。
頭の中で素晴らしい世界を眺めてきたであろう、夢想家特有の優越感を湛えた表情になった。
「流石です導師様。その道の苦難、いかほどと存じますが、このグルヴェイグ、しかとお持ち申し上げております。その――――導師様が世界を総べるその日まで」
「あ、うん。そうそう。多分そんな感じになるから。達者でな」
「では、僭越ながら、こちらをお持ちください」
彼女が合図を出すと、白衣の者達が、布に包まった槍を持ってきた。
布を外すまでもなく、中身は『獣の心髄』に違いない。
ウィードが視線をジロウに向けると、彼は頷いた。
妖精皇国としては、反乱材料になるくらいなら持って行ってくれ、ということなのだ。
理解した彼は、槍を受け取った。
その槍に影が差したかと思うと、ハリィが身を乗り出してきた。
「ふむ、確かに。力のある装置だね。良い線いってるよ。及第点だ」
「何かあるのか」
彼が聞くと、ハリィは首を横に振った。
そして何も答えないまま、勝手に自分の席に戻る。
「……何だったんだ?」
「素晴らしい武器に感動したのでしょう。ところでさっきの怪しい大男は誰なのですか?」
「あー、皇帝の知り合いだってさ」
まさか《クリスタルム》の者とは言えず、お茶を濁すのであった。
その代り、槍を持って礼を言った。
「感謝する。この槍は、大切に使わせてもらうよ」
「あぁ、あぁ、当然のことでございます!」
感極まるグルヴェイグだったので、これで大丈夫だと考えた。
それなりに彼女の部下たちも優秀そうなので、『ワルハラ』も何とかなるだろう。
「世界征服でござるか、師匠?」
「ちょっと弟子。これ食べてなさい」
不必要な疑問を持ち始めた弟子には、ポケットから取り出した海藻の切れ端を渡しておいた。
乾燥させているので保存性が良く、噛み応えも抜群の代物だ。
彼女がもぐもぐしている間に、話を先に進める。
ジロウの近くに控えているドウゼンに声をかけた。
「ドウゼン、悪かったな。依頼は失敗したよ」
「そうですか? 私としては内乱の回避と無罪放免で、結果に満足していますが」
眼鏡の位置を直しながら、ドウゼンがどこ吹く風の様相で答えた。
それなりに資金と兵力を損耗している割には、納得しているようだった。
彼の疑念に気付いたのか、横を向いたドウゼンが言う。
「国が割れてアルベル連邦に飲み込まれるくらいならば、この損失は対価として払えるでしょう。まあ、散った門弟たちの命が安いとは思いませんけどね」
ドウゼンの視線は、外套を被った大男――――ハリィに向けられていた。
彼の正体を知ってか知らずか、その視線は鋭いものだった。
そこでジロウが、わざとらしい咳払いをする。
「では、首謀者への沙汰を言い渡すぞ。……現在、妖精皇国は鎖国中である。なので特例として軍船を貸し渡し、大陸へ行ってもらう。そこからは好きにすると良い。余の意見としては、魔導具を売って国を渡る商隊に混ざれば良いと思う。ダンゾウの昔の仲間がやっているそうだ。護衛として雇われれば、衣食住くらいは用意してくれるに違いない」
「そうか――――ありがとう」
ウィードは頭を下げた。
ジロウの言葉を言い換えれば、ヴァレリア王国がある大陸まで軍船で安全に送ってもらえ、尚且つ、旅の手伝いまで用意してくれているのだ。
ただ、ジロウの表情は晴れがましいものではない。
「礼などいらん。余は意見を言ったまでだ。そうであるな、ユーゴ」
「あ、うん。そうだな」
チサキから聞いたのかな、と彼は思った。
最初にウィードを名乗ったために本名を言い出せずにいたが、ジロウにしてみれば名前を偽っていたと思われても仕方がない。
先程からのジロウの機嫌が悪い原因に思い当たった気分だった。
「余は、ユーゴなどという男は知らぬ。しかし、ウィードなら知っておる。共に酒を酌み交わした仲だ。それを忘れることは無い」
「ああ、わかった。……あれは良い酒だった」
「ふむ。では、行くがよい。この先、互いにどうなるか分からぬが、幸運を祈る」
「お前もな」
「……おい。一応、ここは公式の場であるぞ。皇族に向かってお前とは何事だ」
「いえ、さっき言ったのはウィードです。俺はユーゴですから、何も言っておりません」
「ええい、屁理屈を抜かすでない! おもしろ三段変態びっくり魔族のくせに!」
「好きでやってるわけじゃないからな!」
「「ふんっ!」」
二人は睨みあった後で、どちらともなく背を向けた。
互いの顔は見えなくて確認できないが、確かに同じ顔をしているだろうと、彼らは確信していた。
そして言われた通り、ウィードは陣幕から歩いて出て行く。
最後の幕を潜り抜け、湖の風景が見えた。
この景色も見納めかぁ、などと思っていると、振袖を着たユウメがやって来た。
手には風呂敷包みを持っていて、それを渡される。
「これ、御土産やわ。うちはうーさんについて行けまへん。一応、うーさんは罪人になりはるもんやから、ジロウ様からも止められたんよ。政略結婚の意味もなくなってしもうたし。……ごめんね」
「謝る必要は無いだろ。ユウメにもずいぶん助けられたしな。俺も、これを渡しておくか」
彼は自分の胸元に手を突っ込み、大量の海藻を引っ張り出した。
それをごっそりとユウメの両手に抱えさせる。
「ちなみに教えておくとだな、皇女様が寒天餅を御所望だそうだ。作ってやるといい事があるかもしれないぞ」
「……そうやね。うん。うち、そうするわ。ほな、またね」
目尻に涙を溜めたユウメが、嗚咽を漏らしながら走り去った。
その背中を眼で追っていたが、途中で松の木に隠れていたアンリを見つけてしまった。
気づかれたことを知ったアンリが、そそくさと近づいて来る。
「お前は女心をしらん男かね。あれは『俺について来い』と言われるのを待っていたのだぞ」
「……そう言われてもなぁ」
「ふん。どうせお前のことだ。大方、魔王国までの道程は険しくて大変だから、と先々のことまで考えた結果なのだろう。だからエルフの一人や二人も嫁を作れんのだ」
「いや、作ろうとは思ってないけどな」
「ほう、愛人は一人で良いと言う訳か。中々都合が良いことを言うではないかね」
「都合が良いのはお前の頭だ」
ウィードは落ち着かない気持ちをそのままに、行先も無く歩き出した。
アンリがそれに追従する。
「さて、これからどうしたものかね」
「国に帰るよ」
歩きながら頭の後ろで手を組んだ彼は、遠い空を眺めながら言う。
しかし、アンリの言葉は重いものだった。
「それから――――の話かね。ジゼルもアルベル連邦も、そして《クリスタルム》でさえもお前に期待している中で、安穏と暮らせると思うのかね?」
「嫌なことを言うよな」
「逃れられないならば、仕方あるまい。私が《観測者》であるように――――」
アンリが立ち止まった。
歩いて行くウィードと、距離が離れていく。
彼は立ち止まらなかった。
背中に声をかけられる。
「次に会うときは、世界が終わっているかもしれないな。そうすれば私の《役目》も終わると言うものかね」
「そいつは物騒だな。それが良いことか悪いことか、見当もつかないけど」
「それを決めるのが、お前の《役目》かね」
「――――さて、どうしようか」
そう呟いて、彼は思った。
何か大切なことを忘れている気がして、首を捻る。
そしてそのまま、いきなり突進してきたセイカに吹き飛ばされた。
命の危険を感じそうなほど、首を捻ってしまっていた。
「い、てててて」
「師匠! 拙者、まだ褒美を貰ってないのでござる!」
「あ、そう言えばそうだったな。けど、その前に首を――――」
「捩じったでござるか? ならば拙者、良い医者を知っているでござるよ!」
「いや、自分で治せるんだけど……」
「そうと決まれば、行くでござる!」
あれよあれよと言う間に背負い直され、誘拐されるが如く連れて行かれるのだった。
その光景を見ていたアンリが、小さく呟く。
「馬鹿につける薬は無いと言うが、ある意味では、馬鹿も薬になるということかね」
彼女の言葉は、穏やかに流れる風に溶けて消えたのだった。
透き通る青空は深く、遠くまで広がっていた――――。




