女官
妖精皇国の都には、中心部に森があった。
整然と並んだ建物群の中に突如として現れる森林は、異様なものがあるだろう。
しかし、その森林に高貴なる者が住んでいるとすれば、畏敬の念にもなる。
木々に埋もれたエルフ風庭園と、神殿を思わせる巨大な邸宅が、妖精皇国皇帝の宮殿だった。
その一室、客間と思しき部屋に連れて来られているウィードは、分厚い座布団の上に胡坐を掻いていた。
彼の前後左右には、着物姿の女官が数名ほど控えている。
彼女らは何も口を開くことは無く、感情を見せるほど表情の変化も無く、ただただ立っているだけだった。
「あの、お茶下さい」
ウィードがそう言うと、彼の隣にいた女官が、黙ったまま小さく頷く。
すると、すぐに襖が開いて別の女官がやって来て、お茶だけ置くと去って行った。
「……ありがとう」
礼を言う前に去って行ったので背中に声をかけることになったが、反応は無かった。
熱過ぎず温くも無い絶妙な温度のお茶を啜り、ふぅ、と息を吐いた。
はっきり言って、息苦しいことこの上無い気分だった。
アヴァロン島から黒い鎧武者たちに連れて来られてから、ずっと客間で待たされているので、かなりの暇を持て余している。
最初にお茶だけ貰えたので、試しにお代わりを言うと貰えたのだった。
それで間を持たせるために飲み続けているが、限界はあった。
ちなみに、お茶の飲み過ぎで厠に行くときは鎧武者たちが四名も同伴する――――しかも厠の中までついてきた。
普段より時間が掛かったのは仕方がないことだろう。
「うん、落ち着かん」
彼がそう言うと、一斉に女官たちが動いた。
ウィードの視界に入らないように、音も無く彼の背後へ集まった。
そして、黙ったまま控えているのである。
彼女たちの仕事とはいえ、辟易してしまう気分だ。
抜け出してしまおうかと考えたこともあった。
まだ客間に連れて来られたばかりの頃、気配探知を行ったときには鎧武者たちが一斉に集まって来て厳戒態勢を取られてしまったので、手練れがいるのは間違いない。
つまり、抜け出すにも手間がいるし、アヴァロン島に残してきたセイカたちがどうなるかも不明だった。
いい加減、この軟禁状態と緊張に嫌気が差してきたので、彼は開き直った。
胡坐をやめて座布団を二つに折り、枕にして寝転がることにした。
これはこれで快適なようで、女官の気配さえ気にしなければすぐにでも寝られそうだった。
そう言えば、ゆっくり寝られるのはいつ振りだろう、と益体も無いことを考えていると、瞼が重くなってきた。
意識が落ちかけた所で、廊下側の障子から乱暴な足音が響いてきた。
女官たちの制止の声を振りほどき、男が入って来る。
「余だ、入るぞ――――っと、そなた何をしておる」
「え、ああ、寝てない寝てない」
目を擦りながら言うウィードに対し、ジロウが呆れを飲み込みながら部屋に入って腰を下ろす。
近くにいた女官が世話を焼こうとすると、手を振って追い払っていた。
「……まったく。合流場所をユウメに伝えさせてあったというのに、待てど暮らせど姿を現さなかったな。まあ、その姿では分からなかったかも知れぬが」
眼を細めるジロウだった。
子供から青年の姿に変わっていることを言ったのだろう。
それに関しては彼としても、何とも言い難い。
「俺も成長するとは思ってなかったよ」
「海藻から人間に変わるほどでは無い。それくらいでは驚かぬ。ただ、そなたを探したユウメの気持ちくらいは汲んでやれ」
「すまん。セイカの実家で色々とあったんだ」
「知っておる。ダンゾウの情報網に引っかかったと思えば、妖精皇国の政争に顔を突っ込んでおったそうではないか。頭痛を通り越して、笑いが出て来るぞ」
「他人事なら、俺も笑っていられたんだけどな」
彼は顔を顰めた
ジロウが話の途中で、面倒そうに肩を上げる。
「余の国のことであるぞ。本気で笑えるわけがあるまい。それに、先ほどドウゼンから話を聞いたところだ。お飾りとはいえ兵部省の頭だからな」
「うん? ドウゼンは部下になるのか」
「理屈の上では、だがな。有能ではあるが、彼奴は皇帝という器を愛しすぎておる。余に敬意を持つのも血筋故よ」
どうにもならん、と言外に匙を投げた格好だった。
人の上に立つ身であっても、苦労からは逃れられないということだ。
短い間ではあるが国家元首も経験した彼にも、ジロウの言うことは理解出来た。
要するに、部下が思い通りに動いてくれることは無い、という訳だ。
「辛いところだな」
「なに、お主よりマシよ。そなたもワルハラの王となったのであろう」
「はあ?」
間の抜けた顔を見せた彼に、仕返しが成功したとばかりにジロウが笑う。
「導師であったか。あの堅物であるグルヴェイグが、お主を返すまで徹底抗戦の構えを見せておるぞ」
「なにやってんだか――――あ、セイカはどうなった?」
彼が抱えていた頭を急に上げると、ジロウが今度ばかりは苦笑いを浮かべる。
「ああ、セイカ・コウゲツは心配しなくともよい。フリュウに任せてある」
「そうか、助かる。そうすると、俺が首謀者ってのは、ワルハラの王様になったからか」
「うむ、姉上の言っていたことだな」
ここに来て、ジロウが難しい顔を見せた。
苦いものを飲み込んでから言う。
「このままでは収まりがつかぬ。どういう沙汰を出すかはわからんが、何をしでかすかわからんのも姉上の怖いところだ」
「……なるほど」
ウィードが静かに納得する。
出会った時の印象と、ジロウの態度から考えるに、妖精皇国皇帝は傑物――――であるが問題児でもあるといったところだ。
戦場の英雄も、平時では無用の長物に過ぎないこともある。
反乱を治めた手腕は見事過ぎるチサキだが、切れすぎる才能を国内に向けたとするならば、各地の諸侯は生きた心地がしないだろう。
彼の考えていることを察してか、ジロウが息を吐いた。
「まあ、姉上が出陣するときは、伝家の宝刀であるからな。何度も抜くものでは無いし、何度も抜けるものでも無い。覇軍衆もしばらくは動きがとれまい」
「何だそれ」
「黒い鎧を着た武者がおったであろう。妖精皇国最強最精鋭の者達だ。あれらは武力ではあるが兵部省の枠には入らぬ。近衛を率いる衛府にすら属さぬ、中務省の奥の手よ。皇帝の懐刀であるから、皇帝自ら出陣せねば戦いに参加出来ぬのが、せめてもの戒めであるな」
「ふぅん。要するに、皇帝直轄の兵士たちってわけか」
「そうなる。経費も皇帝が自分で払っておるしな。……しかし此度の件で、欠員が出てしまったのだ。うちから何名引き抜かれるか分かったものでは無い」
「誰かにやられたのか。強そうだったのに」
不思議そうに言うウィードであった。
ジロウが首を横に振る。
「自爆だ。サワリ・ミノウが取り調べを受ける前に、覇軍衆も巻き込んで自爆しおった。時を同じくして、拘束しておいた魔族兵も爆発しおってな。現場は大混乱だったぞ。しかしまあ、魔族と言うものは恐ろしい生き物だな」
「いや、勘違いするな。全部の魔族が爆発するわけじゃないから。爆発したのはサワリの術だよ」
「……ふむ。それはつまり、アルベル連邦であれば使える類のものか」
「あー、そうだな。誰がどこまで使えるのかまで知らないけど」
話が途端に飛躍したので、ジロウの頭の回転が速いことを実感するウィードであった。
そうなると、ジロウに眼を細めて見つめられることにも納得するより他は無い。
「そなたは使えるのか」
「使えないことは無いけど、それなりに代償がいる。魔族としては、勝手気ままに使える物じゃないし、使おうとも思わないだろ」
「アルベル連邦であれば、気ままに使えるのであるか」
「そこまで内情を知らないさ。ただ、使わないとは言い切れないな」
ウィードは両手を上げた。
彼が知っていた呪札の技術と、アルベル連邦で使われている呪札が同じものであると言い切れなかったからだ。
特に、サワリの身体能力を底上げしていた呪札の技術などは、研究してきた結果だろう。
どこまで呪札が進歩しているかも、わかったものでは無い。
ジロウも息を吐いた。
「これほどの知識は、やはり惜しいものであるな。とにかく、余としてはそなたを同盟者とするともりであったが、姉上が表に出てきたとなれば致し方ない。何とかして生き残ってくれ」
「え、処刑でもされるのか俺」
「場合によってはそれも有り得る。余の言葉は届かぬであろうな。くれぐれも怒らせるでないぞ」
「王権派が内乱を起こすかもしれないぞ?」
「それでもやるのが、姉上だ。ただし、今まで間違ったことが無いのも事実でな。どんな隠し玉を持っておるか、実弟の余でも知らんよ」
「ああ……そうなんだ」
乾いた笑いを浮かべるウィードであった。
どうしよう、と思っていると、対策を考える暇も無く、女官が廊下から姿を現した。
「皇帝陛下がお呼びです。謁見の間までご案内致します」
「はあ、そうですか」
乗り気では無いが、呼ばれるのを無視するのは何が起こるか分かったものでは無いので、ついて行くことにするのだった。




