導師
ウィードは何食わぬ顔で、妖精王の居室から出た。
すると彼の背後で、巨大な門扉が音もなくゆっくりと閉まる。
海藻を食べ終わって、手についた粘液を舐めようかどうしようか迷っているセイカと、肩を震わせるグルヴェイグがいた。
とりあえず、セイカに注意しようとして踏み出した彼だったが、横からいきなり縋り付かれる。
「ああ、我らが導師様!」
「――――はあ?」
彼の腰に、歓喜の表情を浮かべるグルヴェイグが抱きついていた。
態度の変わりように理解が追いつかないが、真っ先に彼女を引き剥がす。
グルヴェイグが地面に手をついて言う。
「何をなさるのですか、導師様!」
「いや、態度変わりすぎて気持ち悪い」
「今までの失礼の数々、大変申し訳なく思っています。ですが、何卒、このアヴァロンをお見捨てにならぬよう、伏してお願い致します! 我が身で償えるのであれば、今すぐにでもこの首切り落としてご覧に入れましょう!」
「別に首切らなくていいから、俺の話を聞いてくれないか?」
「は! 何なりとお申し付けくださいませ!」
眼を輝かせて彼の言葉を待つグルヴェイグは、妄信と呼べる態度を示している。
過度な敵意も不快なものだが、過度な好意も迷惑なものである。
しかし、このまま放っておくことも出来なかった。
彼女を放置しておけば、アヴァロンと富嶽一刀流の争いが勃発し、内戦が起きてしまう。
それだけは避けたいウィードなので、利用できるものは利用したい所だった。
彼女の態度が変化した理由を考え、素直に訪ねる。
「導師様って何だ?」
「無論、あなた様のことでございます。『王権』を使わず門を開くことなど、至高人であらせられる方しかおりません! ようやく、ようやくこの日が訪れました。我々を導き、あの皇帝に一泡吹かせてやりましょう!」
「それは困る」
「ええ、そうでしょうとも! 困りますわよね! ……え?」
急に我に帰ったグルヴェイグが、彼の顔を凝視した。
わなわなと震える手を抑え、精一杯の作り笑顔を見せる。
「で、ですが、ワルハラの復権なくして、水晶湖の国――――《クリスタルム》の討伐は不可能かと思われますが」
「そもそも俺は《クリスタルム》の討伐を考えたことはないけどな。至高人の意志とか言われても……ん?」
そういえば、と彼は思い出した。
アルベル連邦のキュロスが、『人族を総べる王――――アレク・レオこそが至高人』と言っていた。
彼の国が妖精皇国を手にしようとする理由を考えれば、理屈の上で辻褄が合ってしまう。
「アルベル連邦は《クリスタルム》と戦うために、妖精王を手に入れようとしたのか?」
そうであれば、妖精王オーベロンが《クリスタルム》と戦うための切り札である限り、妖精皇国が狙われ続けるだろう。
人類以外を敵視するアルベル連邦が、妖精皇国を懐柔してまで手に入れたかったものは、魔導具の産出地帯ではなく、妖精王こそが本命と言えるのだ。
それに加えて、『ワルハラ』の意志とも合致している。
妖精王オーベロン――――あの骸骨と大きな墓にどんな効果があるのか知らないし、アルベル連邦が《クリスタルム》と戦う理由も『人族以外であるから』というもの以上の理由がありそうだった。
人類を滅ぼす、とジゼルが言っていた――――『永遠蜘蛛』。
「……ふむ、アンリなら何か知ってそうだなぁ」
「あ、あの女狐を頼りになさるのですか、導師様?」
作り笑顔が若干引きつって見える彼女の問いに、ウィードは頷いた。
「まあ、付き合い長いし」
「おのれぇ、女狐めっ、我らが導師様を誑かしたわねぇぇぇぇっ」
銀色の槍を振り回し、怒りを発するのであった。
面倒くさいことになった、と後悔するも、彼女の肩に手を添える。
「まあ、そう怒らなくてもいいだろ。それなら、君たちが《クリスタルム》と戦う理由を聞かせてくれないか」
「は―――はぁ、そうですね。至高人の意志ということもありますし、我らに言い伝えられたのは、《クリスタルム》が敵であることですね。それに、奴らは『心』を喰らう、と言われています」
「へえ。ところで『心』って、心臓のことじゃないよな」
「我らも詳しくは分からないのですが、言い伝えには、ほぼ全ての至高人が喰われてしまったということです。肉体だけなのか、精神だけなのかは不明です」
「ふぅむ」
《クリスタルム》を訪れたことのあるウィードにとって、自分が喰われなかったことが疑問として残る。
到達者は少ないなりにも、彼が見た時点では人が喰われているようなことはなかった。
「……あー、わからん」
不明なことが多すぎて混乱してきたので、取りあえず、目の前の問題に集中することにした。
何にせよ、妖精国の内戦を回避しないと未来が無い。
「さて、グルヴェイグさん」
「あ、いえ、呼び捨てでよろしいのですが」
「それじゃあ、グルヴェイグ。悪いようにはしないから、降伏の準備をしてくれ」
「なっ――――それでは、ワルハラの民は!」
「うん、俺は悪いようにはしない、と言った。君たちが殺され略奪されるなら、俺がワルハラの民を守るために戦おう。それは約束する」
「おぉ、導師様!」
腰元に抱きついてこようとする彼女を華麗に避ける。
ずっこけたグルヴェイグが、それでも気味の悪い笑顔を浮かべ、銀の槍を差し出してきた。
「で、では、これをお持ちください」
「何だ、これ」
「妖精王オーベロンが造り上げ、幾星霜の時を超えて鍛え上げた退魔槍――――《獣の心髄》に御座います。我らワルハラの民は、この槍を持つ御方に忠誠を誓います」
貴い人物へ献上するように、膝をついて槍を掲げられるのであった。
受け取るのは断りたいウィードであったが、ここで拒否すれば話がこじれる。
妖精皇国が占領されれば、魔王国とて危うくなりかねない。
家族のため家族のため、と自分に言い聞かせながら、彼は《獣の心髄》を手に取った。
「――――っ」
針で刺した痛みが、手の中に生まれる。
痛みに合わせて、彼の胸にある《魔玉》が鳴動した。
それで、この槍が生きていることに気付く。
槍の意志など分かるはずもないし、命の定義など当て嵌めようも無い。
しかし理由も無く、この槍が生命であることに確信が持てた。
「……不思議な槍だな」
ウィードも、一通り槍捌きは訓練を受けている。
兵士の基本は槍なのだ。
ただ、それを差し引いても異常な扱いやすさだった。
まるで使い手の気持ちが分かっているような気配さえ感じられる。
簡単に槍を振ってみると、意のままに操ることが出来た。
「ほぅ、流石でござる」
今まで黙っていたセイカでさえ、感嘆を押さえずにはいられなかったらしい。
グルヴェイグなどは言わずもがなだった。
「あぁ、何と美しい、やはり導師様はご立派であらせられます」
「いやまあ、それはどうでも良いんだけど――――お?」
気恥ずかしくなったウィードは、槍を肩に乗せた。
そのとき、妙な視線を感じたのだった。
原因の方を振り返って見ると、最初に守護兵が鎮座していた場所へ――――破壊したはずの守護兵が復活していた。
出会った時と同じように、まったく動かない彫像と化しているが、彼らが戦った守護兵と寸分たがわぬものだった。
「……なんだと」
妖精王オーベロンが、無造作にフギンの頭部を放り投げた理由も理解できる。
幾らでも生まれ出る存在ならば、それほど重きを置く必要は無いのだ。
フギンとムニンの表情が微笑しているため、こちらを嘲笑っているようにも見えた。
得意そうにグルヴェイグが頷く。
「守護兵は妖精王様の手足ですから、一度や二度の破壊で失われなくても不思議では御座いません。今まで時間が掛かったことはありますが、祝詞を奉じたにも関わらず拒否されたことは一度もありませんわ」
「まあ、破格だな。誰でも欲しがるのは間違いないか」
これで守護兵を増産されでもしたら、頭が痛いどころの騒ぎでは無い。
守護兵一体を戦場に投入するだけで、どれだけの戦果を得られるか。
兵器としては申し分ない結果をもたらすことだろう。
その上、抗魔金属や《獣の心髄》を作り出すことさえ可能なのだ。
戦況どころか、戦争そのものが変わってしまう。
そこで、グルヴェイグが口元を抑えて微笑みながら言う。
「ご安心を、導師様。妖精王オーベロン様に命令できるのは、『至高人』が最優先となっています。次に《王権》を持っている者になりますが、我々には導師様がおられますので問題ないでしょう」
「……いや、そうでもないと思うけどな」
ウィードは口を曲げて呟いた。
彼の知っているだけで、『至高人』はもう一人存在する。
その者がオーベロンに願い事を告げたならば、どうなるか分かったものでは無い。
ただ、一先ずの安心材料としては、その人物がアルベル連邦の頂点だということだ。
そう簡単に、この場所まで訪れることはないだろう。
彼は気分を切り替えて、地上へ戻るための石室へ急いだ。
「とにかく、戦いを止めに行くぞ。サワリが何を仕出かしているか分からないからな。……ところで、あいつを止める方法は無いのか?」
彼の問いに、グルヴェイグが小さく首を振った。
「妖精皇国の諸侯を蜂起させて、皇帝を転覆させると聞いていました。けれど、具体的な作戦などは任せていましたのでわかりませんわ」
「ふぅん。あいつ、中々の傑物ではあるんだよなぁ。面倒なことに」
ウィードは顎に手を添えて考える。
富嶽一刀流に潜入するだけの実力があり、王権派の反乱を計画した上に諸侯を取り込む外交力は侮れない。
ある意味では、サワリ一人で妖精皇国を手玉に取ったと言えるだろう。
そんな男が、切り札を用意していない訳が無いのだ。
サワリの言っていた『後ろ暗いこと』の意味について、嫌な予感を覚えたウィードであった。




