騎士の学舎2
「何をやっているのですか、あなた方は」
ウッドゲイト兵術学校の校長室に入室した途端、ユーゴは年下の魔族に怒られてしまった。
彼女はエルザ・タワーズで、元魔王陸軍総司令官カール・タワーズ大将の娘だった。
長命な魔族ではあるが適齢期までの成長は早く、ある種の貫録さえ漂わせていた。
軍服を模したスーツスカートを着こなし、後ろでまとめた灰色の髪と、鋭い目つきが印象的だ。
特に彼女の場合、幼い頃からカールによってスパルタ式に育てられ、数度の戦争も経験している。
血筋も経歴も申し分ないが、性格だけが玉に傷だった。
例え元魔王であろうと、怒るときは容赦ない。
「そこの生徒……正座しなさい」
「わかった」
ユーゴは言われるがままに正座した。
彼の隣に立っていて、それを見たフルクスが不機嫌そうに言う。
「旦那に、そこまでさせるってのか。てめぇ」
「これはフルクス・エイロン様。失礼しました。しかしこれは内政問題であります。此度の支援は感謝しておりますが、我が国の、我が校内の生徒に反省を促しているだけであります。これ以上何か問題があるようでしたら、正式な書簡で提出下さい」
「おい――――」
「ここで魔族の流儀を見せるのも、私は一向に構いません」
視線だけで火花が散り合う中、ユーゴは床を叩いた。
「こら、二人とも喧嘩は止めるんだ。俺には強い知り合いが沢山いるんだぞ。女王とか、フラン・タワーズ女史とか、告げ口してもいいのか?」
「ぐっ」
「……そこで母上の名前を出しますか」
二人の視線は床に下がり、一応の争いはなくなった。
ただそれも表面上だけで、二人とも口を開く気はなさそうだった。
ユーゴが正座したまま、エルザに言う。
「ともかく、校門から堂々と、自分たちの立場も考えずに肩を並べて歩いてきたのは悪かった。それについては謝ろう。だがな、フルクスは俺のことを思って腹を立ててくれたのもわかってくれ」
「ええ、承りました。ただし、現時点からユーゴ様は、ただの生徒であるユーゴ・クロックとして扱わせてもらいます。よろしいですね」
「了解した」
ユーゴは重々に頷いた。
フルクスなどは、けっ、と呟いて面白くなさそうにしている。
感情の籠らない顔で、エルザが言った。
「ようこそ、ユーゴ・クロック。私はあなたの入学を歓迎します」
「光栄です」
正座をしたまま、ユーゴは敬礼した。
それを馬鹿にして、フルクスが嗤った。
「何やってんだ、旦那。こんな小娘ごときに敬礼とは見損なったぜ」
「小娘、ですか――――」
途端に、エルザの雰囲気が変わった。
彼女の心臓に当たる部分から、淡い光が漏れた。
魔族が忌み嫌われ、そして強者である理由が現れる。
それは変貌と呼ばれ、種族ごとに特徴のある姿に変わり果てた。
エルザの場合は、灰白熊だった。
本来ならば人間ごとき、人の形を残した半変貌で充分だが、相手は海洋国家グランエルタの重鎮にして、『紅き爪』と恐れられた武人だ。
魔族が全力を以って戦うに不足ない相手である。
「……魔族を侮ったこと、後悔させてあげましょう」
「別に、魔族のすべてを馬鹿にしてるわけじゃあないぜ。俺が馬鹿にしてるのは、安い挑発に乗っかるお嬢さんだけだ」
対するフルクスは相変わらずの自然体だが、その存在感とも言うべき厚みが増していた。
エルザの拳から、大鎌のごとき爪が伸びる。
言葉はもう無用、とばかりに、エルザの戦闘態勢が整えられた。
それでも、フルクスは飄々としていた。
「同じ種族以外に、旦那しか生殖成功例が無いお前らだ。命を無駄にするもんじゃない」
「もう口を開くな――――」
「いい加減にしなさい」
エルザが全力で地を駆る刹那、ユーゴが立ち上がった。
彼女はユーゴを塵屑でも払いのけようとして、逆に腕を取られる。
何があったか理解できないまま床に転がされ、何の痛みも無く拘束された。
魔族の怪力で逃れようとするが、その度に力を上手く流されて体勢を入れ替えられ、関節を極められて身動きを取れなくされていた。
「――――なっ、何で、何が!」
「はっはっは、若いな、エルザ。ウチの嫁なら二秒で抜け出すぞ」
「いや、それ旦那の嫁が寝技に強いだけじゃねぇか?」
呆れた顔で言うフルクスだった。
そんな二人に見下ろされている状況に嫌気が差したエルザが、全力で暴れた。
しかし、本来ならば大樹を圧し折り岩を砕くその暴力が、全て空を切った。
どれだけ力を籠めても、どれだけ速く動いても無駄だった。
そして遂には活動力の限界を迎え、エルザが力なく倒れた。
「――――くっ、ぅ」
正面切って打倒されたならば、まだ救われた。
圧倒的な暴力で屈服させられるなら、納得も出来た。
だが、彼女自身も傷つかないように、丁寧に力の無さを教え込まれたのは、彼女にとって生まれて初めてだった。
エルザは、悔しくて泣いた。泣いたのも生まれて初めてだった。
「う、うぅぅ――――っ」
「ああ、ほら、泣かない泣かない。お姉さんだろ、しっかりな。エルザの親父さんも、魔族で上位に食い込むぞ、って褒めてたんだからな」
「うわぁぁぁぁ――――っ」
泣いている途中で優しくされると、どうしようもなく感情が溢れるエルザであった。
変貌が解けてへたり込む彼女を、ユーゴは抱きかかえて頭を撫でる。
「大丈夫、エルザは強いよ。俺なんかより、まだ伸びるさ。俺が保障する」
「……凄い絵面だぜ。密告しようかと思っちまうな」
フルクスが呟く。
傍から見れば、泣いている裸の女性を抱きしめて慰めている状況だった。
人間から見れば、年若い魔族と思えないのは当然である。
「さて――――」
ぐずるエルザに外套をかぶせてやったユーゴは、ゆらりと立ち上がった。
肩を一周回してから、フルクスに向き直った。
「口封じが必要だな」
「だ、旦那? 落ち着こうぜ……」
「いらん事を口走るから悪い。ただでさえ、ウチのシアンはご立腹なんだぞ。その上に不倫騒動なんぞ持ち上がってみろ、ヴァレリア王国が滅びる」
「そんなことが」
「無いと思うか」
「…………いや」
気まずそうに顔を逸らすフルクスであった。
「ちっ、こんなことなら『紅き爪』を持ってきとくんだったぜ」
「残念だったな」
ユーゴは朗らかに微笑んだ。
その彼の姿が、陽炎のように揺らぐ。
フルクスが首を庇いながら、迷わず後ろに飛び退いた。
風を切る音がして、首を庇った腕に切り傷が現れる。
「相変わらず旦那は容赦ねぇなぁ!」
「お前に手加減は必要ないだろ」
いつの間にかフルクスの背後に立ったユーゴは、義足の調子を確かめていた。
常人なら腕ごと首を切り飛ばしている威力が、浅い切り傷程度に減退させられていた。
「……ったく、旦那は人を乗せるのが上手いぜ」
頬を吊り上げて獰猛な笑みを浮かべたフルクスが、拳を握る。
それだけで、場の空気が軋んだ。
泣いていたエルザが、顔を上げる。
「な、え――――」
彼女が相手にしていた時は、まだ『人間として』理解できる強さだった。
エルザでも殺せる範囲の生物だった。
しかし、彼女がいくら頑張ったところで、この大海のごとく闘気を溢れ出させる存在に、手が届くことは無い。
それこそ、山を砕き、海を割る、伝説じみた力が必要となる。
ユーゴは溜息を吐いた。
「はぁ、誰がこの後の修理費を出すと思ってんだよ」
「悪いね、旦那。自慢の魔導具コレクションでも売っちまってくれ」
フルクスが大きく腕を振りかぶる。
まるで素人の、隙だらけな動作だった。
力を溜めるだけ溜めて、威力だけを研ぎ澄まして、破壊のみを目指して貫いた結果がこれだった。
「幾らすると思ってるんだ」
ユーゴも覚悟を決める。
相手が隙だらけの内に逃げても良かったが、義足に打撃を受けてしばらくは動けそうになかった。
ユーゴが初撃を放って交錯した刹那、反撃を喰らっていたのだ。
それに、位置取りも悪かった。
彼が逃げ出せば、攻撃の余波でエルザに被害が及ぶ。
何にせよ、もうフルクスの一撃を受けるしかない状況だった。
「いくぜ――――『紅拳』」
そうフルクスが言うと、彼の拳が空気の層を突き破った。
摩擦熱で一気に白熱化し、とてつもない衝撃波が生まれる。
「『威射磁手』――――機関、開放する」
ユーゴは右腕の義手を突き出した。
義手の装甲が割れ、花のように咲いた。
魔導機関が点火される。
周囲すべてを吸い込むかの如く、異様な音をさせて衝撃波を巻き込み始めた。
衝撃の大瀑布の中で、それを裂き分けて立つユーゴだった。
巻き込まれなかった衝撃の余波が溢れ、校長室の壁を吹き飛ばした。
噴煙撒き散らし、そこに立つのはユーゴとフルクスだけだった。
「旦那、一芝居って、こんなもんでどうだ」
「まあ、いいんじゃないか? 後は俺が上手くやるさ。助かったよ」
「水臭いぜ、旦那。また呼んでくれよ。今度はマジでやろうぜ」
「断る。俺は友と戦わん」
「つれないねぇ」
そう言いながら、笑うユーゴとフルクスだった。
二人を呆然と眺めていたエルザが、これでもまだ本気ではないのかと思い、肩を落とすのであった。