孤島
水面が陽光を反射して煌いていた。
小型の帆船が風を受け、滑るようにして湖面を走っている。
湖に映る光景にも見飽きた頃、ウィードは目的地へ辿り着いた。
「はあ、ここがアヴァロン島か……」
小舟が桟橋に接岸し、船頭の合図で乗船客が次々と降りていく。
その中に混ざり、彼も桟橋へ降り立った。
続いて、セイカが静かに彼の後ろに控える。
「師匠、遠方から監視されているでござる」
「ああ、気付かない振りをしといてやれ。どうせここは王権派の本拠地なんだから、監視くらいはあるだろ」
彼はそう言って、むしろ気楽にさえ見える表情を浮かべて歩き出した。
富嶽一刀流師範代――――ドウゼンから頼まれたことは、サワリ・ミノウという裏切り者を連れて帰ることだ。
ならば当然、サワリの居場所を知らなければ話にならない。
ドウゼンから聞き出した話では、アヴァロン島にある王権派の本拠地『ワルハラ』だということだった。
妖精皇国に存在する最大の湖に浮かぶ島、それがアヴァロン島だ。
島と言っても、小国が丸ごと入る大きさの島で、周辺の街との流通も存在している。
特産品は、御多分に漏れず魔導具で、それなりに品質も良いらしい。
そして何より驚いたのが、アヴァロン島は観光地だった。
内戦も辞さない考えの王権派の本拠地が観光客を呼び込むなど、人質目的としか思えないウィードであった。
それでも観光客は多く、中には他国の冒険者も混ざっている様子が見える。
これは危機管理の薄い国か――――それとも自信のある国のどちらかだろう。
ウィードが歩きながら後ろを見ると、はっとした様子で彼に駆け寄るセイカだった。
「おんぶでござるか?」
「いや、違う」
真顔で首を横に振る彼に、項垂れて元の位置へ戻る彼女である。
富嶽一刀流の娘を連れて敵の本拠地を歩くなど常軌を逸しているし、何より叛意有りと王権派へ喧伝しながら歩くようなものだ。
それを知っていて連れて来たのならば――――つまり、それがウィードの狙いなのだ。
下手をすれば、セイカの入島が内戦勃発の切っ掛けとして処理されかねない事態だろう。
ただし、それが子供連れで、一度破門されていた者だとしたら、王権派は何を考えるだろうか。
富嶽一刀流の道場に兵士を動かす気配は無く、静観しているとなればどうだろう。
真っ当な考えを持つ者ならば、裏に何かあると考えるはずだ。
小娘一人と子供であれば、本拠地の武力でどうにでもなる。
よって、交渉事の類だと予想するのが妥当だろう。
そうなれば交渉事の中身が判明するまで、ウィードたちは身の安全を保障されたようなものだ。
王権派が内戦を望んでいるのなら、既に皇帝派を攻撃しているはずである。
それをしないのであれば、王権派とて共倒れを望んでいる訳ではない。
交渉のテーブルにつきたいのは、王権派も同じなのだ。
内戦は回避したいが、目的は果たしたい。
富嶽一刀流が他国出身のウィードを捨て駒に使おうとした理由と同じで、王権派もまた、軍船で彼を殺そうとしたのである。
「……冷静に考えると、いいように使われてないか、俺」
自分の命が政争のために転がされているのを考えると、何とも面倒なことに足を突っ込んでしまったと嘆きたくなる。
ここまで連れて来たジロウに対する恨み言の一つでも呟きたくなるが、言ってもセイカにしか聞こえない。
「ふむ」
彼は顔を上げて、周囲を眺めた。
桟橋から少し歩いてきたようで、石積みの塁壁を通り抜ける所だった。
門番は立っているが、通行証の必要も無く、誰もが自由に行き交っている。
塁壁の中は、エルフ様式とはまた違った建物が並んでいた。
その殆どが、石を削りだして作った街並みだった。
流石に細々としたものは木製のエルフ様式だが、それ故に街並みだけが浮いて見えた。
そこで、背後からセイカに声をかけられる。
「おや、どうかなされたでござるか」
「ああ、珍しい街だと思ってな」
「観光地と言えば物珍しいものだと思っておりましたが、師匠の国では違うのでござるか」
「そんなもの……なのか」
「まあ、遺跡自体が街になっていると考えれば、驚くのも無理は無いのでござるかな」
「古代遺跡が、街だって?」
「そうでござるよ。塁壁から内側はすべて遺跡でござる。……といっても、本格的な探索が出来るのは、あれに入らないといけませぬ」
彼女が指差した先には、巨大で異質な建造物があった。
異質というのも、山の岩壁を削って掘り出した姿だったからだ。
後ろ半分は、草木が生い茂る山のままである。
「あれが、『ワルハラ』か」
「はあ。拙者も、あの中まで入ったことは無いでござる」
王権派の本拠地だもんな、と心の中で呟くウィードだった。
しかし、そこで新たな疑問が生まれた。
ドウゼンは『妖精王オーベロン』のことを遺跡だと言っている。
会えばわかる、と説明を放り投げていたので、観光地となっている場所ではないと思いたい所だった。
「けどなぁ、見ても分からないもんか」
「見ても分からなければ、食べてみれば分かるでござるよ」
「ん?」
セイカが示した方向には、菓子を売る店があった。
店舗の軒先にある長椅子に座って、器に盛られた菓子を食べている観光客がいる。
どうせセイカのことだから珍しい食い物に釣られたんだろう、と仕方なしに肩を竦めた。
「一杯だけだぞ」
「承知」
二人で近づいていくと、前掛けをした女性の売り子が声をかけてきた。
「いっらしゃい! 何にします? お品書きから選んでくださいな」
「小豆でござる」
「あ、小豆ですね? 君は何にする?」
まさか真っ先にセイカから注文されるとは思っておらず、驚きながらも笑顔を崩さない売り子だった。
ウィードは観光客たちが食べているものを観察しつつ、無難そうなものを選んだ。
「抹茶を頼もうか」
「えっと、あれは甘くないよ? 蜜柑とか、蜂蜜の方が甘くて美味しいよ」
「では、蜜柑と蜂蜜もお願いするのでござる」
「え?」
再び驚く売り子である。
彼が溜息を吐きつつ、セイカを一歩下がらせた。
「お嬢さん、申し訳ない。小豆と抹茶だけお願いします」
「え、あ、はい。ありがとうございます……お嬢さん?」
腑に落ちない気持ちを残しつつ、売り子が店の中に消えていった。
彼は横目でセイカを睨む。
「一杯だけと言ったよな」
「……そうでござるが、甘くて美味しいのならば、一度は食してみたいものでござるよ」
「気持ちは分からんでもないが、店の品書きを全制覇する羽目になるのは御免だからな」
「はぁい、でござる」
そうこうしている間に、二人の前へ小豆と抹茶が運ばれてきた。
硝子の器に盛られているのは、氷菓子だった。
氷を鋭い刃物で削り取り、その削り出た氷粉を山盛りにして、上に甘く煮た小豆や粉抹茶が乗せられていた。
「これが、菓子か」
「はぐ?」
既に食べ始めているセイカがこちらを見るが、いいから食べてなさい、と無言で促す。
雪みたいだな、と思いながら、抹茶のかき氷を口に入れた。
雪山での行軍中に、喉が渇いたからと言って雪を食うなと、当時の上官から注意されたことが、嫌でも頭の中に思い起こされた。
幸せな顔をしてかき氷を食べる娘と、渋い顔をして抹茶のかき氷を食べる少年の姿は、少し目立っていた。
視線を受け過ぎて恥ずかしくなってきたウィードだが、辛抱強くセイカが食べ終わるのを待ってから、勘定を済ませた。
無論、飲食代をウィードが払うところで売り子に再び怪訝な顔をされたが、それも仕方ないことだと割り切って歩き出す。
彼女に財布を持たせると、中身が無くなるまで食い歩きが始まりそうだったためだ。
そして、観光客だらけの大通りを進んでいった。
塁壁の門から一直線になっている大通りは、そのまま『ワルハラ』へと続いている。
さしたる妨害も無ければ、菓子屋で毒を盛られることも無かった。
何も障害は無く、素直に『ワルハラ』へ到着してしまう。
「……これでいいんだろうか」
「何がでござるか?」
「何でも無い。それじゃ、入るか」
彼の目前にある『ワルハラ』は、巨大な館に見えた。
石が素材の為、堅牢さは言うまでもないが、城のように戦いを意識した造りにはなっていない。
むしろ光の取入れと利便性を重視した、住居を主軸とした造りだった。
入口も門は開け放たれており、今も冒険者が出入りしている。
ウィードの知る雰囲気としては、冒険者ギルドの受付に近いもので、やっていることにも違いは無い。
建物の様式もエルフ様式では無く、彼が暮らしていた様式に近いものだった。
ただ、冒険者用の受付で働いている者は皆、白いローブを纏っているのが気になった。
アヴァロン島を管理する王権派――――セイズ家の受付窓口まで行き、彼は受付嬢に聞いた。
「あの、富嶽一刀流の方から来た者ですけど。ここの一番偉い人と会えませんか」
「――――はい?」
受付の女性は、笑顔のまま首を傾げて固まってしまった。
意識が復活したかと思えば、少々お待ちください、と言い残して後ろの方へ消えてしまう。
退屈そうにしているセイカが眠らないように注意しつつ待っていると、先程の女性が帰って来た。
「お待たせしました。今からお会いになられるそうなので、お部屋までご案内します」
「どうも」
先頭に立って歩く受付嬢の後を追い、階段を上って行く。
偉い奴は高い所で仕事をしたがるのか、単なる権威づけなのか、と考えつつ歩くと、外から見える場所では最高階の五階に辿り着いた。
彼の見る限り、他にも上る階段があったので、山に隠れた部分に別の階があるのだと推測出来る。
受付嬢がドアをノックすると、どうぞ、と部屋の中から女性の声が響いた。
ドアが開かれ、ウィードとセイカだけが部屋の中に入ると、ドアが閉められる。
部屋は執務室として使われているようで、大きな机と応接用の簡易なソファが備え付けられていた。
こちらの方がウィードとしては慣れたもので、デスクで書類を眺めていた女性から声をかけられるのを待つ。
その女性――――グルヴェイグ・セイズが書類から目を離し、軽く微笑む。
ウェーブがかった髪が肩の辺りまで伸びており、恰好も着物では無く、白いブラウスに紺のタイトスカートといった姿だった。
「あら、ごめんなさい。お座りになってくださって構いませんよ。えっと、富嶽一刀流の方から来られた方たちでしたね」
「御挨拶が遅れました。俺はウィードと申します。私の後ろにいるのが、セイカ・コウゲツです」
「私はグルヴェイグ・セイズ。知っての通り、セイズ家の当主で『ワルハラ』の管理人よ。あなた達に会えて光栄だわ。……さっき貰った資料に書かれていたのだけど、流石にかき氷を全種類用意することは出来ないわ。ごめんなさいね」
「いえ、俺としてはそちらの方が有難いので……」
「ところで――――私たちに握手が必要かしら?」
微笑みながらグルヴェイグに言われ、彼は肩を竦めながらソファに座った。
セイカもついてきて、ソファの上で正座する。
「あら、お嬢さん。足は伸ばしてくれて結構よ。あと、刀は話し合いの場に持ち入らないのが礼儀ではないかしら」
「…………」
セイカは返事をせず、黙って執務室の隣の部屋へ続く扉を見た。
ウィードの気配探知でも、隣の部屋――――恐らくはグルヴェイグの私室に数名の気配を感じている。
セイズ家当主が、悪びれもせず笑った。
「いいわよ、許します。それで、何しに来たのかしら」
「喧嘩の仲裁、かな。取りあえず、王権について教えてくれないか?」
ウィードが前かがみになり、両膝の上に肘を置いた。
合わせた手の上に顎を乗せ、子供の笑みを見せるのだった。




