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騎士になりました  作者: 比呂
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師父


 ウィードらは、エルフ様式の部屋に通されていた。

 それは畳敷きの広間で、床の間にある掛け軸くらいしか見る物は無かった。


 四方に足の長い燭台が立ち、灯水晶が穏やかな光を放っている。

 胡坐をかいて座っている彼の前には、大量の麦飯と香の物、炙った鯵の干物が膳に盛られていた。


 彼の隣に座るセイカなどは、明らかに期待を外された顔で麦飯を頬張っている。


 そして、次に視線を変えた先には、眼鏡をかけた壮年の男が座っていた。

 男がそれに気付く。


「ああ、貴方も一杯やりますか」


 小さな膳に熱燗と香の物だけを置き、一人で酒を飲む男――――ドウゼン・コウゲツがそう言った。

 セイカが飯を食いながら、目を細めてドウゼンを睨む。


「……………」

「おっと、これは失礼でしたね。貫禄……というか、存在感が凄いので、ついお酒を勧めてしまいました」

「いや、こんな身体でなければ付き合いしたかったのですが。エルフの酒は美味いですから」


 彼は過去に呑んだことのある酒を思い出しながら、お茶を啜った。

 特に記憶に残っている『天樹の雫』などは、二度と飲む機会が無さそうだな、と考える。


 そこで、ドウゼンが眼鏡の位置を直しながら言う。


「こんな身体、ですか。貴方も余程の苦労があるのでしょう。ジロウ様は、中々に人使いが荒い御方ですからね」

「ああ、いえ、あいつには迷惑をかけられていますが、身体のこととは関係ありません」

「あいつ――――ははは、なるほど、ジロウ様が気に掛けるわけですね。私も貴方を直に見て納得致しました。そうでなければ、この部屋が血に染まることになっていたでしょう」

「拙者の師匠に刀を抜く気でござるか」


 口元にご飯粒をつけたセイカが、腰を浮かせた。

 それを冷ややかに見下すドウゼンだった。


「誰もそんなことは言っていません。勝てない戦いはやらない主義です。勝てないと思ったから刀は抜きません。命は大事に使いなさい」

「剣士として、その言葉は無いと思うのでござるが……」


 呆れ果てて腰を落としたセイカが、助けを求める目でウィードを見る。

 彼は彼でドウゼンの言葉に違和感を覚えつつも、大筋では同意見だった。


「俺は剣士じゃないからな。剣士の何たるかを言えた義理じゃない。ただ、道理は通っていると思うけどな」

「む、むむむむむぅ。師匠、そこは拙者の味方をして欲しかったのでござる」

「味方はしてるさ。それは勿論、俺だけじゃなくて、ドウゼンさんもだけどな」


 彼の視線を受けたドウゼンが、少し意表を突かれていた。

 その男二人の顔を見比べ、溜息を吐いたセイカが立ち上がった。


「拙者、少し夜風に当たって来るでござる」


 そのまま障子を開けて、部屋から出て行ってしまった。

 急に訪れた静寂に、徳利を傾けて酒を注ぐ音が響く。

 ドウゼンが、それを飲み干して言う。


「いやはや、申し訳ありません。娘のことになると、どうも平静を欠いてしまうもので」

「わかります。俺にも娘がいますから」


 そこで、ドウゼンの動きが岩の如く固まった。

 思考停止なのか葛藤していたのか、外からでは理解出来ない。


 ただ、彼の眼鏡が曇る程度には知恵熱を発していた。


「む、娘さんが?」

「はい。あまり顔を合わせることが出来ず、苦労を掛けてしまったのですがね」

「なるほど? 小人族の方で?」

「違いますが」

「――――わかりました。余程の情事……もとい、事情があったのでしょう。お察し致します。我らエルフ族も長命のため愛憎入り乱れることが珍しく無く、その辺りの理解は他種族よりも深いものとご理解ください」

「何か勘違いをされていますね」

「御心配は無用です。ただ、娘からは三歩以上離れて行動してください」

「……あの、やっぱり勘違いかと」

「関知外ですかそうですか。私は勝てない戦いはやらない主義ですが、負ける戦いをやらないとは言っていませんよ殺します」

「落ち着いてくださいっ!」

「はっ! いけないけない、私としたことが」


 我に返ったかと思われたドウゼンが、徳利を掴んで一気飲みした。

 鼻から酒臭い息を抜き、胡坐をかいて項垂れる。


「ふぅ、御見苦しいところを見せて申し訳ありません」

「まあ、仕方ありませんよ。それに、ドウゼンさんが娘を想っていることが知れて良かったと思います。御前試合も、わざと負けましたね?」

「お恥ずかしい。そんなことまで話していましたか」


 小さな笑いを漏らしたドウゼンが、息を吸い込んで姿勢を正した。

 先程の態度とは打って変わって、その眼に宿る色は深い。


「実力でセイカが勝っているのは事実です。本気で殺し合えば、まず間違いなく私の娘が残ります。……だからといって、我が子を傷つける理由にはなりません」

「俺もそう思います」


 彼が頷くと、ドウゼンが頬を少し緩めて頷いた。

 中身が無くなってしまった徳利を眺めてから、言う。


「ただ、私の父――――つまり富嶽一刀流師範、フリュウ・コウゲツが孫娘の才能に惚れ込んでいましてね。様々な手を使ってセイカに修行をさせるのです。あの子が道場から出されたのも、師範が仕込んだものでした」

「はあ……まあ、彼女の才能は恐ろしささえ感じますからね」

「ええ、そうでしょう。だからこそ、娘を成長させる礎として、御前試合で対戦させられたのです。皇帝の前では私が手を抜かないと師範も考えていたのでしょうが、そうは行きませんよ。娘のために全力で戦っている振りをしました」


 それはそれで間違ってるんじゃないかなぁ、と思うウィードであった。

 彼の態度にも気づかず、ドウゼンが拳を握って語る。


「結果負けたのですが、あの師範はこともあろうに、体面を理由にして娘を放逐しましてね。ようやく赦免されたかと思えば――――婚約だという話ではないですか」

「……そうですねぇ」


 彼は言葉を濁して横を向いた。

 自分の所為ではないはずなのだが、ドウゼンの視線を正面から受ける気分にはなれなかった。


 セイカの血筋を微妙に感じつつ、話を聞く。


「これも国家存亡のためと言われてはいるのです。わかっては要るのですが――――娘の居る少年に、我が子を差し出したいと思う親がいるでしょうか」

「……気分は良くないでしょうねぇ」

「その通りです。ですから、貴方の方から婚約放棄を訴えてください。この国の者で良いなら、他の者を紹介します」

「ん?」

「そして、あの子の言っていた師弟関係も解消して頂けると助かります。こちらからの見返りとしては、大陸行きの軍船を手配しましょう。これでも武術指南役です。海軍にも伝手はありますから」

「――――ふむ」


 ウィードは腕組みをして、眼を閉じた。

 何を考えるでもなく、単に瞼の裏を見つめていた。


 それをどう思ったのか、ドウゼンが続ける。


「断ると言うのであれば、軍船を沈めた件で、反皇帝を掲げる王権派に引き渡します。状況から言って殺されることは無いでしょうが、死なない程度に拷問をされるでしょうね。どんな状態でも生きてさえいれば、交渉には使えますから」

「ほぅ」


 彼が僅かに微笑んだ。

 話を真面目に聞いていないと思ったらしいドウゼンの殺気が、細く鋭く放たれる。


「どうかしましたか」

「うん、そうだな。親バカは国が違っても一緒だな、と思ったら笑えてきただけだ。気にするな。俺も似たようなもんだから」


 子供の姿で、砕けた態度を見せるウィードだった。

 そこで、ドウゼンの表情から感情が抜け落ちた。


「そちらが本当のあなたと言う訳ですね。……貴方の手からは、血の臭いが漂い過ぎています。我が娘ながら、これを師と仰ぐなど愚かに過ぎます」

「俺もそう思うよ。――――だけど、これ以上はセイカのことを悪く言わないでやってくれ。まだ、俺の弟子だ」

「よくも抜け抜けと、富嶽一刀流の門の内で言えたものですね。我ら一門を敵に回しても、まだそんなことを口に出来ますか」


 ドウゼンがそう言った途端、襖が乱暴に開かれた。

 その奥で、白い襷をかけたエルフ剣士たちが、真剣な面持ちで刀に手をかけている。


 ウィードが探知した気配からして、手練れがこの一間を取り囲まれていた。

 槍を持った門下生が、後詰として庭に集まっている。


 一触即発の雰囲気が漂う中、少年は高らかに笑った。


「はっはっは、一つ言っておこう。俺はセイカの味方をする。師匠が弟子を見捨ててたまるか」


 すると突然、彼の足元にある畳の下から、笑い声が聞こえてきた。


「わしゃしゃしゃしゃしゃ――――おえっげふぉ、ぐほっ。なんじゃい、縁の下くらい掃除しとけ! もうええわい、出るぞぉ」


 そう言った途端、床板と畳を突き破って、体躯の良い筋肉質の老人が現れた。

 埃と床板の破片を撒き散らし、煤で汚れた顔をウィードに向ける。


「んん? 小童と思っとったが、よく見たら違うな? まあ、どうでもええか。一本付き合え」

「――――はあ?」


 酢頓狂な声を上げている間に、老人とは思えない速度の拳が迫る。

 彼が寸でのところで躱そうとすると、拳が抜き手に変わり、指で耳を千切ろうとしてきた。


「こなくそっ」


 老人の手を弾いて難を逃れ、その反動で距離を取る。

 逃がすまいと、老人が突進して距離を詰めてきた。


 覆すことの出来ない体躯と重量であれば、子供の身体で抗うのは難しい。

 ただしそれが、幾千の戦いを越えてきた者であれば話は別だ。


 針を縫う隙間に、ウィードの拳が突き出された。

 首を逸らして避ける老人。


 そこで彼は、手の中に握り込んでいた床の破片を指で弾き飛ばした。


「ぬっ」


 避けた体勢では、これ以上身体を動かすことは出来ない。

 そのまま顔面に破片を喰らえば、ウィードの追撃を受けることになる。


「わしゃしゃしゃっ! 小癪っ!」

「おい……」


 彼が苦笑いを浮かべた。


 老人が足の指で畳を掴み、無理矢理体勢を変えたのだった。

 無論、筋肉質である老人の体重すべてを支えて耐えられる畳では無く、齧られたように破れ散った。


 何枚か畳を吹き飛ばしながら体勢を整えた老人が、顎を撫でてほくそ笑む。


「ほうほうほう、面白い素材じゃ――――お?」


 一歩踏み出して、自分が出てきた穴に片足を突っ込んだ。

 その勢いで顔面を強打し、短く呻く。


 そこへ、部屋の外から『鞘走り』を帯刀したセイカが走り込んできた。


「爺様、今こそ御命頂戴でござる!」

「前口上はいらんから、黙って刀を振り抜け、ばかもん」


 老人――――フリュウ・コウゲツが強打した自分の顔を押さえつつ、左腕だけを出した。


 その逞しい腕から伸びた指だけで、セイカの抜き放った刀身を挟んでいた。

 彼女は手から刀を離し、組打ちに移行しようとして、ドウゼンに止められた。


「こらこら、セイカ。そこまでですよ。師範も、無駄に隙を作って孫娘で遊ぶのは止めてください」

「わしゃしゃしゃ、これがわしらの挨拶代わりよ! で、ウィードと言ったか」

「ん?」


 いきなり話を向けられ、嫌な予感がした。

 ここにいるコウゲツ一家が達人でなければ即座に逃げ出していたことだろう。


 富嶽一刀流開祖が、満面の笑みを浮かべて頷いた。


「合格をやったるわ。セイカと結婚しろ。別に流派は継がんでも構わん。ただし、曾孫が出来たら見せに来いや」

「…………え?」


 彼が首を振って、ドウゼンを見た。

 眼鏡の位置を直しながら、セイカの父親が言う。


「申し訳ありません。すべて師範が考えたことです。孫娘の婿になる男はどんなものか、試したかったそうです。……まあ、私もまさか武門を敵に回す発言が出来るとは思っていませんでした。凄いですね。男に二言はありませんよね。あと、責任はそこの老人にありますので、お好きにどうぞ。ただ、かなり強いので戦うことはお勧めしませんよ?」

「あ、師匠。爺様と戦うのであれば、拙者も混ざるでござる」

「……いや、もういいよ。取りあえず、もう寝かせて貰えないか?」


 ここに来て言いようのない疲労感を覚えたウィードは、疲れた顔でそう呟くのだった。




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