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騎士になりました  作者: 比呂
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湯船


 冷たい夜気の中に、間隙を突く静寂が舞い降りた。

 闇の中で鈍く光る刀身は、微動だにしない。


 そんな息を呑む雰囲気が崩れたのは、頬を歪めて笑うヤブキが刀を鞘に納めたからだ。

 一触即発だった空気が、見る間に弛緩する。


「――――っ、はぁ」


 鮨屋の店主が、ウィードとセイカを庇う位置で立っていた。


 顔は青ざめ、溢れんばかりの冷や汗を垂らしてはいるが、先程の剣閃を素手で捌いたのは彼に他ならない。


 その様子を眺めていたヤブキが、鼻で息を抜く。


「腕は錆びちゃあいねぇようだな――――タヘイ」

「勘弁してくだせぇ、今でも口から心臓が飛び出そうでさぁ」

「お前のあがり症がなけりゃあ、良い剣士に成れたのになぁ。……今からでも遅くねぇぜ。道場に帰ってくる気はねぇか?」

「有難ぇ話ですが、あっしはこいつでやっていくと決めたもんで」


 タヘイがそう言って、自分の屋台を眺めた。

 決して立派とは言えない屋台だが、綻びなく手入れされている。


 今の立場に不満を覚えている様子は、微塵も感じられなかった。


 そこで腕組みをしていたウィードが、振り返ってセイカに小声で話しかける。


「……どういうことだ?」

「タヘイは、元門下生でござるよ。仲間内では上位者からも一本奪う強者でござったが、御前試合では連戦連敗でして……よく腹を下していたでござる」

「気の毒になぁ」

「しかし、皆には好かれておりました。拙者もよく、色々な屋台に連れて行って貰ったでござる」

「だから『お嬢』だったのか」


 彼が呑気に納得していると、ヤブキから鋭い視線を向けられた。

 しかし、彼の眼に殺気は見当たらない。


「とにかくお前ら、道場へ来い。飯と風呂は用意してやる。……特にそこの餓鬼。根性あるのは嫌いじゃねぇが、師範代の前で同じことしやがったら只じゃおかねぇからな」


 そう言って、我先にと歩いて行ってしまった。

 背後に控えていた提灯持ちの見回り衆が、小さく頭を下げて通り過ぎる。


 すると、タヘイが慌てた様子で声をかけてきた。


「ほら、坊ちゃんたちもついて行きなせぇ。色々と事情はあるかもしれねぇが、悪いようにはならねぇさ。ああ見えて、ヤブキの旦那も面倒見がいい御仁でなぁ。道場から離れた今でも、たまに目ぇかけて貰ってんのさ」

「ふぅん。ところで、タヘイさんはどうする?」

「あっしは屋台があるんでね。ここでお暇させてもらうぜ。また鮨でも食いに来いよ、坊ちゃん」

「俺は坊ちゃんじゃ――――はぁ、もういいか。また来るよ」


 説得を諦めたウィードは、先を行く提灯に向かって進み始めた。

 それにセイカが追いついてくる。


「ふっふっふ、ついに敵の牙城へ乗り込むのでござるな? 道場までの行き方は存じておりまする故、そこの二人は提灯だけ貰って斬り伏せるでござる」

「刀を抜くなよ。俺も話がしたいから、斬るのは無しだ」

「はあ。では、話し合いが終われば斬っていいでござるか?」

「いや、何でそんなに斬りたいんだよ。家族だろ」


 彼の言葉に、動きを止めたセイカであった。

 彼女が腕組みをして、首を捻る。


「ふぅむ……、勘としか言いようが無いでござるなぁ。今のうちに斬り伏せておかぬと、後々に面倒そうな気がしてならないでござる」

「無茶苦茶言うな」


 セイカの勘を信じない訳ではないが、ただの勘で殺し合いを始めるつもりは無かった。

 ウィードが前を向くと、ヤブキたちはそれほど進んでいない。


 子供の足であることを考慮して歩いてくれているようだった。


「見た目より良い人っぽいな」

「そうでもないでござるよ。皆、剣士でござる」

「おいこら。それは剣士の皆さんに失礼だろう」

「そうでござろうか」


 彼女が人差し指をあごに添えて、物思いをして上を向いた。

 何を考えているのかは知らないが、転んでも危ないので、彼がセイカの手を引いた。


「……むふふふ、お散歩でござるな」

「しっかり前見て歩けよ」

「承知でござる。師匠から目を離すことなどできませぬ」

「その言い方だと、俺の方が危なっかしそうに聞こえるな」

「そうでござろう?」

「……そうかな」


 微妙に言い返せないウィードであった。


 濡れて張り付く着物に辟易しながら、二人は手を繋いだまま、夜に浮かぶ提灯の後を追う。

 程なくして、漆喰の白壁に囲われたエルフ式建築の屋敷が姿を現した。


 流石に武張った見た目を隠そうともせず、華やかさも感じられない。

 ただ、修練で磨き上げもののみが醸し出せる荘厳さがあった。


「おう、帰ったぞ。客が二人いるから通してやんな」


 分厚い木で造られた表門で、門番に告げるヤブキだった。

 その後は挨拶も何も無く、勝手に屋敷の中へ消えていく。


 濡れたままの恰好で立ち尽くすウィードたちは、提灯を持っていた見回り衆の男に声をかけられた。


「こちらへどうぞ。まずは風呂で温まっては如何でしょう。お召し物もご用意いたします。その後に、師範代がご挨拶に参られます」

「承知したでござる。細かいことは拙者が存じて居る故、案内はいらぬ。ご苦労だった」

「――――はい」


 一礼した見回り衆が、ほんの僅かだけ視線を残して去っていった。

 セイカが短く息を吐き、手を繋いでいない方で頭を掻いた。


「変でござるなぁ……」

「何が?」

「はい、この屋敷のことでござる。普段であれば、もう少し騒がしいと思ったのでござるが」

「ふぅん」

「それよりも師匠、風呂はこちらでござる」


 彼女に手を引かれ、石畳の続く道を歩く。

 簡素な庭を通り過ぎ、屋敷の裏手側へ回ると、灯篭に映し出された別棟があった。


 入口の引き戸をセイカが開くと、大きな木桶と板張りの床が見える。

 木桶の中からは湯気が立ち、冷えた身体には心地よいだろう。


 頷いたウィードは、風呂から出て行こうとした。


「よし、それじゃあセイカが先に入れ。俺は外で待っておく」

「お待ちを、師匠。弟子が先に風呂へ入るなど聞いたこともありませぬ。どうか、師匠が先にお入り下され」

「馬鹿言うな。体の冷えた女子供より先に風呂へ入れるか」

「ならば、子供である師匠が先に入るべきでござろう」

「子供……いや確かに見た目はそうかもしれんが、ここは譲る気は無い。師匠命令だ。先に風呂へ入れ」

「ぐぬぅ! しかし、そのような不義理をするわけには――――ん? 師匠。拙者、妙案を思いついたでござる」


 手を叩き、表情が晴れるセイカであった。

 何を言いだすか予想は出来ていたので、先に釘を刺しておく。


「一緒に風呂へ入ると言うのは無しだからな」

「何故それを!」

「それくらい誰でも思いつくだろ。一応、俺は男でセイカは女だからな。ケジメは付けておくべきだ」


 彼の身体が海藻であった頃はそれほど意識していなかったが、今は子供の姿だった。

 中身のことは迂闊に話せるものでは無いが、それでも人間に戻れたのだから、人間らしくあるべきだと考えていた。


「はあ。そういうものでござろうか。小さな湯屋では、誰も関係なく混浴でござるよ?」

「……え。大丈夫かエルフ」

「町では大っぴらに火を使えませぬからなぁ。家も木造でござるし。湯屋も限られております故。この屋敷でも火を使えるのは、飯場だけでござる」

「あー……なるほど。道理でここも、風呂桶に湯を溜めてる訳だ。しかしなぁ」

「ならば、服を脱がなければ良いのでは?」


 彼女の何気ない一言が、ウィードの気持ちを動かした。

 このまま押し問答を続けていたら二人とも風邪をひいてしまうので、セイカの案を採用することにした。


「……よし、それでいこう」

「決まりでござるな。では、師匠から」


 彼女が手桶を拾い上げ、湯船の湯を汲んで渡してくれた。

 それを頭から流して、一応の汚れを落とす。


 濡れた服のまま湯に入ると、ウィードの胸のあたりまで湯に浸かった。


「――――あぁ、気持ち良いなぁ」

「御免でござる」


 同じ様に頭から湯を被ったセイカも、湯船に入り込んできた。

 流石に二人も湯桶に身体を浸けると、大量の湯が溢れる。


 服を着たまま風呂に入るのは妙な罪悪感を覚えるが、冷えた身体が温まる心地よさが何とも言えない。


 そうなれば自然と気も緩むというもので、声をかけられるまで入口の気配に気づかなかった。


「失礼します。お召し物と手ぬぐいをご用意いたしました。入口の前に置いておきますので、ご使用ください」

「ご苦労でござる」


 セイカが当然の様に応対した。

 入口から気配が消え、湯気で天井に出来た雫が落ちる。


「…………ふむ」


 道場主の娘となれば慣れたものだろうか、と彼は考えた。


 その隣で、湯を両手で掬って顔を洗うセイカである。


「至れり尽くせりでござるなぁ。何かあったのでござろうか。この分だと、夕飯も期待できそうでござる」

「……ん? これが普通じゃないのか」

「いえ、普段であれば気心の知れた、もっと粗雑な扱いでござる。拙者が帰ったくらいで、歓待されることは有りえないでござる。やはり、何も言わずとも師匠の威光が漏れ出しているのでござろう」

「あー……そうか。これ、捕まったってことだなぁ」


 威光が漏れ出すのは論外として、何の理由も無く面倒を見てくれるはずも無い。

 問題は誰の陣営に肩入れしているか、ということだ。


 富嶽一刀流――――つまり武術指南役は、政略結婚を勧める皇帝派だと無条件で考えていたが、それにしては即座に皇帝側へ引き渡される気配も無い。


 気合いを入れ直したウィードが気配探知を行うと、要所に見張りが立っている気配があった。

 警備の者と言い張れば言い訳が出来るくらいには絶妙な配置だ。


 騒ぎを起こさず逃げ出すのは容易ではない。

 ただし、彼も逃げ出すつもりは無かった。


「まあ、とりあえず飯だな。もう疲れた」

「そうでござるなぁ」

「お前、あれだけ鮨を食っておいて、まだ食う気か」


 木桶に足をかけて湯船から出たウィードは、彼女の大食ぶりに驚いた。

 続いて湯から上がったセイカが、真顔で言う。


「鮨は別腹でござる」

「あ……そう」


 湯気の立つ着物を引き摺りながら歩いて入り口まで戻り、戸を開く。

 すると足元に、編み籠へ入れられた衣服と手ぬぐいが置かれていた。


 すぐに子供の服が用意されたことを不審に思いながらも、手ぬぐいを手に取ってセイカへ投げ渡した。


 そして濡れた着物を脱ぎながら、ウィードは富嶽一刀流の思惑を考えようとした。


 ジロウの言っていた通りなら、完全な皇帝派だろう。

 ならば、このまま皇帝へ引き渡されるのが当然だ。


「まあ、師範とやらに会えば分かるか」

「決戦であれば、是非に拙者も帯同するでござるよ」


 そう言いながら、セイカが素っ裸で彼の目前を横切った。

 片手で両眼を押さえながら、彼は呟かざるを得なかった。


「せめて前は隠せよ、なあ?」


 湯気が雫となって天井から落ち、音を立てて湯船に消える。

 夜気を含む風が彼の頬を撫で、温もった頬を冷やしていくのだった。



 

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