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騎士になりました  作者: 比呂
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一刀


 太陽が沈み、夜の天幕に星々が現れ始めた。

 河口には背の高い葦が群生し、風に吹かれて波を打つ。


 川面に夜空が映った幻想的な風景の中、まるで蛙が顔を出したように、草玉が二つ浮き上がった。

 それらは水面に波を引きながら、川縁に近づいた。


 静かに水を割って現れたのは、大小二つのワカメの塊だった。


 小さい塊が先行して上陸し、大きい塊についてくる様に合図を送る。

 しかし、大きい塊がゴソゴソして動かなかった。


「だから、食うなって言ってるだろうが」

「むぐ」


 ワカメの小さい塊が、大きい方を引っ張った。

 それぞれの姿が葦の中へ隠されると、ようやくワカメの塊から人の姿が現れる。


「やっと水から上がれたな」

「疲れたでござる」


 ウィードは手から生やしていた海藻を回収した。

 それでも海藻は残っているが、これは偽装用に海底から拾ったものだ。


 全身ずぶ濡れのまま上陸したので、身体が震えるほど寒かった。


「とにかく、何処かで暖を取ろう」


 彼の言葉に、無言で頷くセイカだった。

 彼女の唇に血の気は無く、肌も真っ白になっている。


 それというのも、長い時間をかけて海底を歩いてここまでやって来たからだ。


 軍船の中で逃げ場のないウィードらには、脱出路が必要となった。

 海上は小舟で警戒されているだろうし、港に逃げ出すことも出来ない状況であった。

 

 そこでウィードが考えたのが、船底を小さく斬り取って、海中に脱出することだった。


 勿論、船底を斬った途端に海水が溢れ出すことは想像していた。

 だが、水が充満してから潜って逃げだそうと考えていた矢先、セイカが溢れた海水を斬ろうとして、船底丸ごとぶった斬った。


 ゆっくり沈むはずだった軍船が、いきなり沈没しかけた。

 彼は急いで海藻を出し、捩じり込んで筒を作った。


 簡易の呼吸管としてセイカに渡し、腰縄代わりに海藻を彼女へ結び付けた。

 後は、浮かばないように海藻を地面へ突き立てながら、誰も居なさそうな所を探して歩いた。


 逃げている途中、我慢しきれなくなった彼女が、口に付けていた海藻呼吸管を食べて溺れかけることもあった。


「……よく無事にここまで来られたもんだ」


 次はもう少し説明してから行動しよう、と彼が考えていたところ、セイカに袖を引かれた。


 振り返ると、彼女が土手の上を指差している。

 そこには、提灯をぶら下げた屋台があった。


 彼女が言う。


「あの屋台、知り合いのものでござる。この辺りは拙者の知っている土地ですな」

「そうなのか。……まあ一応、俺たちはお尋ね者になってると考えておけよ」

「承知でござる」


 濡れて張り付く着物をわずらわしく思いながら、土手を這い上がる。

 ようやく土手の上に立つと、踏み固められた通り道があった。


 そのまま、べちゃりと音を響かせながら屋台へ近づいていくと、店主が怪訝な顔でこちらを睨んでいた。


「な、なんでぇ、あんたら。もののけか? それとも心中に失敗したのかい?」

「どちらでも無いでござる。久方ぶりでござるな、タヘイ」

「馴れ馴れしいな、あんた! ……いや、それより、なんであっしの名前を知ってるんでぇ」

「取りあえず、鮨を頂くでござる。海老はあるでござるか?」

「注文より先に、質問に答えてくんねぇかなぁ」


 困り果てた顔のタヘイが、セイカとウィードを交互に見た。

 そこで仕方なく、彼が助け船を出す。


「セイカ、食事は後だ。店主も困ってるぞ」

「ほぉ、中々利発そうで生意気な小僧だねぇ――――って、今なんつった?」


 目を見開いたタヘイが、震える手で彼女を指差した。

 全身ずぶ濡れで屋台の鮨桶を見つめる彼女が、不満そうに言う。


「タヘイ、穴子で我慢するでござる」

「間違ぇねぇ! あんた、お嬢だな! よく戻って来なさった! 今まで何処に行ってらしたんでぇ! ……はっ!」


 感極まっている店主が、真顔で立っているウィードを見た。

 口元を押さえ、震える声で言う。


「まさか、子供たぁ――――ぼ、坊ちゃんなのか? それにしちゃあ、耳がエルフとは違……いや、すまねぇ! 忘れてくれ!」


 両目を手で押さえて天を仰ぐ店主の脳内では、壮大な物語が想像されていそうだった。

 しかし、それが終わるのを待つよりも、先に済ませたい事がある。


 彼が濡れた服を示そうとすると、セイカが口を尖らせた。


「もう玉子にするでござるよ……」

「さっきから食い物の話しかしてないよな、お前」


 ウィードの言葉に反応して、満面の笑みを浮かべる彼女であった。


「師匠は何にするでござるか?」

「シショウっていうのか、その坊ちゃん。変な名前……じゃねぇぞう! おう、良い名前じゃねぇか! なあシショウ! 腹減ってんのか? もういいや、今日は店じまいだ! 食え、全部食え!」


 呵呵と笑って屋台の前に立ち、鮨桶の蓋を取るタヘイだった。

 酢を混ぜた握り飯の上に、茹でた蛸や海老が乗せてある。

 それを全力で勧められ、彼は苦笑いを浮かべる。


「違うんだけどなぁ……先に暖を取りたいんだけど」

「おお、そいつはいけねぇや! 風邪ひいちまうなぁ。手に持てるだけ鮨持ちな! 移動するぜ! しかし、ここからってぇなると、湯屋へ行くよりかは、お嬢の家の方が近ぇってもんだが……」


 再び、セイカと彼が交互に見つめられる。

 居心地の悪い彼が横を見ると、片手に一つずつ鮨を持ち、遠慮なく食事をしている彼女の姿があった。


 額に手を当てて呆れるウィードだったが、タヘイが神妙そうな顔で言う。

 彼の視線は、通り道の向こうからやってくる者たちを見つめていた。


「ありゃあ……見回り衆かぁ。こいつは渡りに船じゃねぇか」

「見回り衆?」

「ああ、坊ちゃんは知らねぇやな。あっしらがこんな夜遅くまで店を広げられんのも、あの人らが見回りしてくれてっからだ。富嶽一刀流門下の剣士だぜ。役人より安心できるってもんだ」

「ふぅん」


 こちらに近づいて来る手持ち提灯を眺めながら、彼は腕組みをしていた。


 逃げるにしても当てはない。

 逃げられたとして、食事さえままならない状況では、セイカのように食べられるときに食べておくのは理に適っていると思えた。


 そこで彼は、食事をしているセイカよりも、タヘイに聞いた。


「なあ、タヘイさん? セイカは富嶽一刀流を除籍されたみたいだけど、彼らと会ってもいいのか?」

「なんつーかよう、母ちゃんを呼び捨てにすんのは良くねぇと思うぜ……いや、すまねぇ。そう呼ばねぇといけねぇ事情があるんだよなぁ。あっしが悪かったぜ。許してくれるか、坊ちゃん」

「坊ちゃん違うし、そんな事情も無いんだが」

「いや、皆まで言うな! あっしだけは分かってんだ、ちくしょうめ! まあ、そういうわけだシショウ。元気出せよ、な」

「……話を聞けよ」

「ん? ああ、お嬢の除籍を気にしてんのか? まあ、実家の話だもんなぁ。でもな、それに関しちゃ問題ねぇさ。こないだ御上から赦免状が届いてたらしいからなぁ。何でも放浪先で人助けしたことを評価されたらしいじゃねぇか。流石はお嬢だぜ!」

「人助け――――ねぇ」


 この時期に赦免状を出された意味を、ウィードは間違えなかった。


 人助けとは、カラハギの騒動のことだ。

 そして、政略結婚とも無関係ではないだろう。


 除籍された娘と武術指南役の令嬢では、政治的価値が天と地ほどに違う。

 つまり、政略結婚の話は進められている証拠だった。


 それでもウィードたちに軍船まで刺客を送り付けられたのは、政略結婚を望まない派閥が妖精皇国内に存在するからだろう。

 妖精皇国の政争に巻き込まれた形だ。


「……考え過ぎかなぁ」


 彼女の師匠としては、あの娘が幸せになるようにしてやりたいところである。

 どうすればいいのやら、と溜息を吐いていると、すぐ傍まで見回り衆の提灯が近づいてきていた。


 一人は提灯を持って控えており、もう一人は編笠を被った偉丈夫だった。

 黒い着流しを着ていて、腰には大刀を差している。


 その偉丈夫が剣呑な殺気を放っており、眼光鋭くセイカを睨みつけた。


「よぉ、久しぶりだな。セの字」

「…………」


 セイカは殺気も挨拶も無視して、鮨を頬張っていた。

 ようやく食べ終わったところで、手のひらの米粒を一舐めし、毛づくろいする猫が視線を向けるように偉丈夫を見た。


「ヤブキでござるか。相変わらず、無粋な男でござる」

「ドウゼンさん――――師範代がお待ちだ。行くぞ」

「それはお主が決めることでは無いでござる。拙者は既に、師を得ているのでござる」

「ああん?」


 不機嫌さを隠さずに、ヤブキが周囲を見回した。


 タヘイに目が止まるも、鮨屋台の店主は、流れた冷や汗が飛び散るほどの首振りを見せた。

 次にはウィードを見るが、憐れむような視線で一瞥されただけだった。


「……その師とやらは何処にいんだよ」

「よくぞ聞いたでござるな! さあ、師匠! どどんと、どどんとおいでませ!」


 セイカがその場に膝をつき、臣下の礼を取った。

 嫌そうな顔をしたウィードだった。


 出て行くのが、凄く恥ずかしかった。

 しかし、このままではセイカだけに恥をかかせてしまうので、仕方なく一歩前に出た。


 その姿を見たヤブキが、目を細めた。


「……っ。何やってんだ、小僧。呼んでねぇぞ」

「お前に呼ばれたつもりもないんだけどな――――わぶっ」


 いきなりタヘイが飛びついてきて、彼の頭を押さえた。

 ふへへへ、と気味の悪い愛想笑いを浮かべながら、自分の背後にウィードを隠そうとしていた。


「いやあ、ヤブキの旦那じゃねぇですか。旦那自ら見回りたぁ、頭が下がるってもんですぜ。あ、鮨でも食っていきやすかい?」

「鮨は間に合ってるぜ、タヘイ。それより、何を隠してやがる」

「そんな滅相もねぇ! 旦那に隠し事なんか出来ねぇさ。それよりねぇ、せっかくお嬢――――セイカ様が帰って来なさったんだ。荒事は無しにしましょうぜ」

「荒事、かよ」


 ヤブキの頬が緩んだ。

 酷薄そうな笑みが、殺気を倍増させた。


 空気が張りつめ、手先が緩やかに腰元の刀へと添えられた。


「そいつは――――こういうことかい」


 剣閃が飛んだ。

 殺意の練り込まれた刹那の技だ。


 殺すつもりで放たれた刀身は完全に振り切られ、夜空に輝く星々を映していたのだった。





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