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騎士になりました  作者: 比呂
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入都


 潮のざわめきが耳から離れなくなった頃、ウィードたちの乗った軍船が、ようやく港が見えるところまで辿り着いた。


 甲板に出れば、常に肌を叩く潮風に加えて、降り注ぐ日光と海面の照り返しに焼かる。

 船室に籠れば、揺れと湿気に悩まされる。

 食事は日が経つにつれて粗末になり、潮風でべたつく肌を洗う水も無い。


 とても快適とは思えない船旅だった。

 それは軍船であることもあり、快適性よりも速度と耐久性を重視した造りなので仕方がないとも言える。


 ただ、流石に練度の高い軍船ともなると、軍船自体が一個の生き物と見紛うほどの動きだった。


「……おぉ、凄い」


 ウィードは振り当てられた船室にある丸い窓から、外側を見ていた。

 誰かが見れば子供らしい姿ではあるが、その眼は鋭い。


 妖精皇国海軍の運用方法は素晴らしく、この船の構造と船員の動きを把握して、魔王国でも利用することを考えていた。


「一隻くらい貰えないものか……いや、貰ったら貰ったで借りになるなぁ。士官も船員も貰えるはずが無いし。そもそも、船を置く場所が無いか」


 元々、ヴァレリア王国は山岳地帯の内陸国で、海に対する備えはあまり考えなくても良かった。

 しかし、ある事件で海洋国家グランエルタの戦いに巻き込まれ、自前の海軍力の必要性を感じたのだ。


 そしてグランエルタが同盟国となってからは、経済協力の名のもとに、海軍力の一部を借りていた。

 これでは自前の海軍力も育つはずは無く、そもそも国家予算さえ回されなかった。

 そんな中、ウィードは構想だけでも持っておこうと、準備していた。


「グランエルタで見た船とは、少し違ったか」


 軍船は任務にもよるが、外洋を往くものは竜骨を主体としていた。

 ただし、妖精皇国とグランエルタでは、軍船の運用思想が違っているように見えた。


 妖精皇国の軍船は旋回力と速度重視で、グランエルタは継戦能力と火力重視だ。

 どちらが正しいとは言えないが、想定している環境と敵の違いだと考えられる。


「もっと中身を見たかったなぁ」


 乗船時に見学と称し、セイカを連れて船内を駆け巡り、船員から苦情を受けていた。

 その話が伝わったジロウから怒られ、あまり外を出歩けなくなった。


 それでも、軍事機密に関わるような所を避けて見学していたのが幸いしたのか、甲板にだけは出ても良いと言われていた。


 仕方がないので、航海の初めの内は甲板でセイカの修行を見てやっていたが、メインマストを斬り飛ばしそうになって、彼女の帯刀が禁じられた。


 それからというもの、セイカは彼の船室に入り浸っている。

 やる事が無くて暇でござる、と泣きながら訴えられたので、閉所での白兵訓練と称して暗殺術を教えてやった。


 すると驚くほど飲み込みが早く、こいつ将来何者になるんだろう、と師匠としてあるまじき感想を持つに至った。


「……うむぅ」


 そんな彼女が、彼のベッドで寝返りを打った。

 修行が終わると、勝手にウィードのベッドに潜り込んで寝てしまうのだ。


 それならば、と彼がセイカの船室に行って眠ろうとすると、いつの間にか同じベッドに潜り込んでいるのである。


「暗歩、教えなきゃ良かったか?」


 彼が修行を見るごとに、その技術を最大限に活用されていた。

 特に気配遮断や無音行動など、ウィードが培ってきたものを、単に彼の近くへ寄るためだけに使っている節がある。


 恐るべき才能の無駄遣いだった。


 対するウィードも、負けてはいられない。

 師匠としての面目を保つべく、セイカの剣術や呼吸を盗み、富嶽一刀流を捌いてみせるだけの技を否応なく手に入れた。


 前の身体が海藻だっただけに、富嶽一刀流の技術も宝の持ち腐れだったのだろう。

 彼が感心するような体術が散見されていた。

 身体を動かすということについて、ここまで深く考えられているのかと、感心せざるを得なかった。


 ベッドで眠るセイカの後頭部を横目で見てから、視線を窓の外へ戻す。


「さて、もうそろそろ上陸みたいだが、どうするんだろうな」


 窓から見える陸地が、すぐ傍まで近づいている。

 船内の慌ただしさが伝わってくるようだった。


 この軍船に入ってからは、ジロウやアンリとあまり顔を合わせていない。

 彼らは国家の要人なので、船長室に通されていた。


 当然、ユウメはジロウの世話をするので船長室側だ。


 ウィードやダンゾウらは、一等船室とまで言えないものの、それなりの部屋を宛がわれているので文句は無い。

 むしろ、彼らのために割を食って船室から出て行かされた上級船員の方が気の毒だろう。

 軍船に、余裕のある空間など存在しないからだ。


 そんなことを考えていると、船室のドアがノックされた。


「どうぞ」


 ウィードは何も気にしないで返事をした。

 そこに現れたのは、ユウメだった。


「うーさん、もう上陸の準備しといた方がええよ――――って、ん?」


 彼女がベッドに横たわるセイカを見つけて、目を見開いた。

 修行の後で着衣が乱れており、汗をかいて乾いた跡が見え隠れする。


「あ、あらぁ? うーさんはもう、セイカはんに上陸しはった後やったん?」

「少し頭を冷やせ。もしくは出直して来い」


 真顔で対応する彼に、ユウメが口元を隠して笑う。


「……ふふふ、冗談やえ? 部屋に入った時の、匂いでわかりますよって」

「いちいち生々しいことを言うんじゃない。他に用事は無いのか」


「せやねぇ。ジロウ様と陰陽頭(おんみょうのかみ)様はお迎えが来とるよって、先に出ますえ。ダンゾウはんらは、持ち場に帰ってはりますわ。せやから、うちの仕事は護衛役から案内役に変わったんよ」

「ふぅん」


 ウィードは顎に手を添えて、子供らしくない態度で窓の外を見ていた。

 すると、軍船が行き足を止め、わずかに船体の軋む音がした。

 太い綱で係留され、板橋が降ろされている。


 それを彼は真面目な眼つきで見つめていた。

 これにはユウメも眉を顰める。


「あの、うーさん? あんまり興味無さそうにされはりましても、うち、寂しいんよ」

「ん、ああ、悪い。ちょっと気になる事があってな」


 そう言いながらも、彼は窓から視線を外さない。

 気になったユウメが、彼に覆いかぶさって窓の外を見た。


 ちょうど彼女の胸が頭に乗せられる体勢となり、逃げようとしたウィードが彼女の両腕に捕まった。


「何かありはります? うちにはよう分かりまへんけど」

「さっきから、この部屋だけに向けられた視線が三つある。……今は無いけどな。あと、国家の要人を迎えるには警備が少ない」

「視線についてはうちには無理やけど、警備はこれでも多い方やえ? まあ、今回は形式として兵部頭様と陰陽頭様の来港いうことになりますよって。これがもし、皇族としてのジロウ殿下と、裏司としてのアンリ様やったら、衛府が出張って来はります」

「衛府って何だ?」

「身辺警護の近衛兵やわ。ここは都やからねぇ、気張るのも無理はないんやけど、うちはあんまり好かんわぁ」


 嫌な思い出でもあるのか、彼女が苦笑いを浮かべた。

 何と言っていいか考えていると、厳重に護衛された一団が軍船から降りていった。


 大きな日傘で姿を隠しているが、ジロウ達に違いない。

 魔道具での遠距離攻撃対策だろうが、逆に言えば居場所を教えている様なものだ。


 そこで、ユウメが頭の上に体重をかけてきた。


「心配してくれるんは有難いんやけど、ここを守護しとるんは相当な腕っこきばかりやわ。それに、ああ見えてジロウ様も強いんよ?」

「まあな。あいつらは心配してないんだけどな」

「え? それ、どういうことなん――――」


 彼女の言葉の途中で、いきなりセイカが起き上がった。

 寝ぼけ眼でベッドから飛び出し、ドアに向かって突進しようとする。


 ウィードが足を出して、彼女を転ばせた。


「ちょっと待て。殺すな」

「べぶっ!」


 床板に顔面を打ちつけるセイカだった。

 急にドアが開いて、海軍服を着た船員が襲いかかってくる。


「問答無用か」


 ウィードはドアと反対方向にユウメを突き飛ばし、その反動で船員と向き合う。

 毒薬らしき液体に濡れた短剣が、鋭く突き出された。


「ったく、これが妖精皇国式の挨拶か」

「――――くっ」

「ふん、子供の姿でも躊躇なく刺しに来るとはなぁ。大方、命令は皆殺しってとこだな」


 彼は喋りながら毒短剣を避けていた。

 腕を引いた船員の表情が苦悶に歪み、短剣を持っていた左腕を押さえる。


「ぐうぅ」


 船員の左肘が逆関節に折られていた。

 相手が腕を引く動作に合わせて関節を極めてやれば、子供の力でも容易く折ることが出来る。


 ウィードと船員の視線が合った。


「見ない顔だな。誰かの手引きで入って来たな?」

「…………っ」


 彼は船を見学したときに、この軍船の乗組員をすべて把握している。

 その中に、この船員の気配は無かった。


 つまり、軍船が接岸したと同時に侵入してきた者だ。

 ウィードの気配探知では、部屋の外にも二人いることが分かっている。


 彼は後頭部を掻いた。


「まったく、命が狙われてるとは聞いてないぞ」

「あいたたた……師匠、酷いでござる」


 顔を押さえて身体を起こすセイカだった。


 敵が増えたことを確認した船員が、ドアの外まで下がった。


「ここを何処やと思うとるん? 皇帝陛下のお膝元やえ!」


 ユウメの怒声にも、船員の表情は揺らがない。

 その代わりに、廊下の奥にもう一人いた仲間の船員が出てきて、何かを投げつけようとした。


 それを見て、彼が表情を変えた。

 空中に呪札が放り出される。


 こんな閉所で榴弾札が爆発すれば、船員諸共に全員爆死するだろう。


「――――何考えてる!」


 飛び出したウィードは、空中の呪札を掴んだ。

 呪札を掴んだ右手が吹き飛ぶ覚悟で、《魔晶変換》を行う。


 それでも爆発は止められなかった。

 衝撃波が起き、彼は上下も分からぬまま吹き飛ばされて打ち付けられた。


 視界が霞む中で、地面を叩いて確認し、立ち上がった。


「……痛い」


 寝ぼけた様子で自分の右腕を確認した彼は、子供の手を見ることが出来た。

 《魔晶変換》の効果で、榴弾札の威力が格段に少なくなっていたのだろう。


 そのため、ユウメとセイカも無事であり、心配そうにこちらを見つめている。


「あー……まあ、俺は大丈夫だ。気にするな」

「ほんまなん? 見た目ぼろぼろやけど……」

「――――拙者の師匠に、よくも」


 ウィードが無事だと理解した途端、セイカが立ち上がって船員に歩み寄った。

 船員らは倒れており、呻いている。


 彼女なら、彼らの首を斬り落としかねない。


「待てと言ってるだろ、セイカ」

「しかし!」

「こいつらには黒幕を吐かせる必要があるし、ここで船員を殺してみろ。俺たちが犯罪者にされる。……ジロウの乗っていた船で騒ぎを起こさせるくらいだ、方々に根回しは終わってる後に違いない。軍に影響力がある権力者の仕業だな」


 彼はユウメに視線を向けた。

 彼女が事態の重大さを確認した表情で頷く。


「あんまり面白うないことやけど、それしかあらしまへんなぁ。すんまへんけど、ここはうちに預からせてくれまへんか。そこの二人の処遇は、きっちりしますえ」

「二人か?」


 ウィードの呟きに、セイカが頷く。


「もう一人は逃げたでござるよ」

「え? 三人もおったん?」


 ユウメが首を傾げた。

 彼女に気配を悟らせないのだから、それなりの実力者で、戦闘に参加しない連絡役だったのだろう。


 爆発に巻き込まれていないところを考えると、自爆を決意した瞬間に逃げ出したはずである。

 この用意周到さを考えると、これで終わるはずも無い。


 彼は大きな溜息を吐いた。


「……はぁ。このままなら、すぐに敵の息が掛かった奴らが乗り込んできて、俺らの身柄を拘束しようとするはずだ」

「確かに、このまま済むとは思えまへんけど……来るとしたら衛府やろかなぁ」

「まあ、特に俺は素性が明かせないから、捕まってしまえば取り調べは長引く。尋問に見せかけて殺されるかもしれないな。あと、ジロウが権力を使って俺を助け出そうとすれば、敵に政治利用されかねなない」

「何やのん、それ。ずっこいわぁ」

「強権を振るうってことは、それなりにリスクがあるんだ。爆発騒ぎを起こして船員に怪我をさせた犯人を庇ってるんだろ、って言われたらそれまでだからな。本当のことじゃないが、嘘でもない」


 襲ってきて爆破させたのが船員で、怪我をしたのが船員でも、言い方次第でどうにでもなる。

 敵が欲しいのは、素性の知れない者を自国民より優先して庇った、という政治的失点なのだ。


 ウィードは口を曲げて言った。


「とにかく、殺されるのは御免でね。俺たちは逃げるが、ユウメはどうする?」

「えっと、セイカはんを連れて行くのは決定事項なん?」

「こいつに駆け引きは無理だ。俺を守るために敵と斬り合いになる」


 そこで目を輝かせたセイカが、腕組みをして口元を綻ばせる。


「殺るでござるか」

「殺りません、逃げます。……というわけなんだが」


 彼の言葉に、ユウメが頷いた。

 懐から紙片を取り出して、ウィードに握らせてくる。


「そやねぇ、うちはジロウ様に報告せなあかんから、一緒にいけまへんわぁ。その代り、落ち着いたら紙に書いてある連絡先へ寄ってくれへん?」

「わかった。落ち着いたらどうにかしよう」

「お願いやわ。でも、ここから逃げるにはどうするん」


 騒ぎを聞きつけた敵が乗り込んでくるなら、素直に船の中を歩かせてくれないだろう。

 この軍船の周囲も、取り囲まれているに違いない。


 逃げ場などないと思える環境だが、彼は何でも無いことのように言った。


「まあ、少し疲れるけど、歩いて逃げるさ」

「歩き……はるん?」

「ゆっくりな。ユウメは大丈夫か?」

「えぇと、そやねぇ。うちはこれでもジロウ様の直属やえ。それなりの権限は持たせてもろうとります。……でも、うーさんらを助けられんのが歯がゆいんやけどな」

「そこは気にするな。相手が一枚上手だっただけだ。ただまあ、誰が絡んでるかは知らんが」


 彼は視線を逸らした。

 相手が呪札を出してきたことを考えると、アルベル連邦が絡んでいてもおかしくない。


 ただ、呪札の製造方法だけなら、アンリだって知っている。

 今回、都に呼び出したのは妖精皇国の皇帝だった。


 誰が敵かも分からない中で、迂闊なことは言えなかった。


「何なん?」

「いや、忘れてくれ。それじゃあ、もう行かせてもらう」

「……気いつけ行きなはれや」

「ああ、ユウメもな。早くこの船から出た方が良いぞ」


 ウィードは部屋から出て行こうとした。

 セイカがそれに慌ててついてくる。


「師匠、拙者の刀は何処にあるのでござるか?」

「ああ、ダンゾウの居た部屋だ。船から出るときに、取りに行く手はずだったんだよ。そいつを回収してから行くぞ。必要になるからな」

「はあ、何に使うのでござるか」

「いやなに、船を斬ってもらおうかと思ってな」


 ウィードは悪戯小僧の笑みを浮かべた。

 そして結果、悪戯と言うには度を越した損害になることを、彼以外には誰も想像していないのだった。




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