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騎士になりました  作者: 比呂
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政略


 水を打ったような静寂があった。


 その場に座する誰もが、開け放たれた障子の前に立つアンリの言葉を待っていた。

 彼らの視線には、何をしに来たんだろう、という疑念が込められている。


 しかし、当の本人は我関せずの態度を貫き、口を引き結んでウィードを見つめていた。

 そうなれば当然、睨まれている少年が口を開かなければ始まらない。


「えっと、どうかしたのか」

「勝手に私の傍を離れたな。どういう理由か、教えて貰おうかね」


 無遠慮に畳の縁を踏みつけて歩き、彼の隣に正座した。

 横目で睨まれたウィードだが、理由を問われる意図が分からない。


「水が飲みたかったから外に出ただけだ。そのくらいでアンリを起こさなくてもいいだろ」

「ふん。お前がそれでいいのなら構わんがね。私が隣で寝ていたことを察してくれても良いだろう」


 その言葉を聞いたジロウたちに、ほんの僅かな息の乱れがあった。

 色事かと勘違いされそうな物言いだが、彼女のことを知っているウィードには別の意味に聞こえた。


 つまり、勝手に話し合いを進めるな、ということだ。

 そこでジロウだけが憮然とした表情を作り、片眉を上げて言う。


「ところで、この場には陰陽頭(おんみょうのかみ)として来たのか、それとも裏司(うらのつかさ)として御出でなさったのか」

「どちらでもない。平素の言葉遣いでかまわんかね。それよりも、この男を口説くつもりならば苦労するぞ」


 アンリが薄笑いを浮かべた。

 眼を細めたジロウが口を曲げる。


「良く知った物言いであるな。流石は妖精皇国の生き字引殿、我々の与り知らぬところで魔族とも知己を得ておるようだ。職務を放って諸国漫遊しているだけのことはある」

「見識を深めるのが私の職務だがね。それと、姉の方には伝えてあるから心配するな」

「姉上に?」

「お前も私のことを言えた義理ではないかね。その恰好を見れば姉が泣くぞ」

「ぬぅ。言いおったな、この開祖ババアめが」

「ふん、ついこの間に生まれ変わったばかりだ。言い掛かりは止めて貰おうかね」


 涼しい顔で受け答えするアンリと、苦虫を噛み潰した態度のジロウだった。

 あまりに二人の問答が仲睦まじく見えて、ウィードの顔が自然と緩んでいた。


 それをジロウが見つける。


「中身が違うとはいえ、子供の姿で微笑みながら見つめるでないわ。そなたも何か言うがよい」

「いや、俺は言いたいことなんて無いぞ。自分の国に帰りたいだけなんだが――――あ、忘れてた。カラハギからジロウへ刀を渡す様に言われてたな」


 自室のことを思い浮かべるウィードであったが、そもそも刀があったかどうかなど覚えていなかった。

 見ずに押し流される過程で、何処にやったか忘れてしまっていた。


 首を傾げる彼の態度を眺めてから、ジロウが言った。


「そうか、あれはそなたがカラハギから受け取ったものか」

「まあ、好きにしろとは言われたが、話だけはしておこうと思ってな。今はジロウが持ってるのか」

「持ってなどおらん。手入れをして保管しているが、それはそなたが鹵獲した戦利品だと考えればこそだ。余には無用であるし、何より受け取るわけにもいかん。それがカラハギの遺志ならば尚更だ」

「……応えてやる気は無い、ってことだな?」

「遣り方の違い、だけのことではある。奴も奴でエルフ族のことを考えていたようだが、そのためにアルベル連邦の力を借りるのでは、本末転倒も甚だしい」

「確かに、なぁ」


 ウィードは腕を組んで眼を閉じた。

 エルフの村人たちを何とも思っていないようなキュロスがいる国に、本気で妖精皇国を助ける気があるのか疑問だった。


 考え込む彼の様子をどう受け取ったのか、ジロウが続ける。


「ときにそなた、エルフのことをどう思う」

「いきなり何だよ。特に何も思ってないぞ」

「それはそれで遺憾な気もするが、そなたらしいとも言えるな。まあよい。一般的な見地からして、エルフは美男美女が多く、長生きで、魔族と違い人間とも交わることが出来る――――それは、良い面ばかりではないのだ」


 ジロウが空中に手を出すと、控えていたダンゾウが紙束を持ってきて彼の手に置いた。

 その紙束が、ウィードの前に置かれる。


「これが、カラハギの屋敷で見つかったものでな。エルフ族の人身売買について記されておるものだ。元々、エルフは種族として知的好奇心が強く、外の世界へ旅立つ者も少なくない。そうすれば好むと好まざると、このようなことが起こることもある。エルフとて、すべてが同族想いの善人でも無い」

「…………」


 彼が紙束を拾い上げようとすると、隣にいたアンリに優しく取り上げられてしまった。

 ただ、それでも、視界に入った文字だけは記憶から消せなかった。


 ――――カナエ・カラハギ。

 

 その名前が記されていた。


 エルフがエルフを売る。

 冒険者のエルフが拉致され、奴隷にされる。


 許されるようなことではないが、事実として存在することだった。


「奴隷にされた者を探し出して助けるには、途方も無い金がかかる。アルベル連邦に、そこを突かれたのであろう」

「胸糞の悪い話だ」


 そうウィードは吐き捨てた。

 ジロウも頷く。


「確かにな。カラハギは村一つを売ることで、アルベル連邦の力を借りた。その罪は許しがたい。その目的がエルフ族の奴隷を無くすためであり、妖精皇国を富国強兵と成すためのものだとしてもだ。それでも、余はカラハギの刀を折ることはせぬ。だが、手に取ることも無い」

「……まあ、な」

「余の力を以ってしても、世界中に散ったエルフを助け出すことも出来ぬ。力を欲する気持ちは理解出来なくも無い。しかし、未来の無い話に縋ることも出来ぬことは事実である。……そういうわけだ。その刀はそなたが使えばよかろう」

「あのなぁ。そんな話を聞かされた後で、はいそうですかと貰えるか?」

「魔族のそなたが気にする事でも無かろう」

「それは俺の勝手だ。ジロウが使えないなら……セイカに渡すかな。この刀はエルフが持つべきだろ」

「そなたが刀をどうしようが、もう余には関係の無い話だ。好きにせよ」


 話がひと段落したところで、アンリが手を叩いた。

 周囲の注目を集めてから口を開く。


「よし、話は纏まったかね。では私の番だ。近々、この近くを軍船が通りかかる。この場にいる者達は、それに乗って都へ向かうことになる。準備を始めるといい」

「何言ってんだ?」


 反射的にウィードは呟いていた。

 その反応は織り込み済みだったようで、即座に彼女が応える。


「皇女殿下から、此度の功労として軍船一隻を貸し与えられるが、断るかね? まずは妖精皇国から出国しないと、故郷には帰れないと思うがね」

「はあ? 確かにそれは有難いが、どうにも話が上手すぎやしないか」

「私が執り成したからな。礼を言ってくれても構わん」

「ふぅん? じゃあ、それはいいとしても、同盟の説得と政略結婚はどうする気だ。それが済まないことには、ジロウが首を縦に振らないだろ」

「そこは皇女殿下――――チサキから話があるそうだ。そこの小童も、姉には頭が上がらないかね」

「余計なことを言うでない!」


 ジロウが肘置きを持って暴れそうになったところで、ダンゾウとカゲトキが慌てて止めに入った。

 ウィードはアンリに肩を押されて、部屋から出される。


「旅の準備でもしてくると良いかね。それではな」


 そう言われてすぐに、障子が閉められてしまった。

 部屋の中で暴れているジロウが取り押さえられ、アンリが小さな声で彼に何かを話しかけているようだった。


 聞いても仕方がないと思ったウィードが、飯場に向かって歩き始めた。

 枯山水のある庭を眺めながら、廊下を進んでいく。


 そこで温泉のことを思い出した彼は、この旅籠を出発する前に一度は入浴しておこうと考えた。

 人の姿で入る温泉を思うと、それなりに気分も優れてくる。


 そんな中、カラハギの最後の言葉を思い出した。


 ――――好きにせよ。


「そうだなぁ」


 結局そうすることしか出来ないだろう、というのが彼の感想だった。

 物思いに耽っていると、すぐに飯場へ辿り着いた。


 板場で作業をしていたユウメが、振り返ってこちらを見る。


「あら、遅かったんやねぇ。何処で食べはります?」


 彼女が、食膳に乗せられた食事を持ってきた。

 自室に帰るのも手間なので、飯場で食べることにする。


「ここで食べてもいいか?」

「そら構いまへんけど、用意するさかいに、少しだけ待ってんか」

「悪いな」


 飯場と続きになっている板間へ通されたウィードは、藁編みの座布団に腰を下ろした。

 そして間もなく、彩のある食膳が運ばれてくる。


 未だに慣れない箸を使いながら、彼は尾頭付きの鯛の身を摘まんだ。

 塩気と脂の乗って締まった身が口の中に入った。


 舌の上にある身は緩やかに解れていき、僅かな酒精の香りと昆布の風味が鼻を抜ける。


「ユウメはん特製、鯛の酒蒸しやえ? どない?」

「美味しいな、これ」

「ほんま? 嬉しいわぁ」


 そう呟きながら、彼女が板間の縁に腰かける。

 土間に降ろした足を揺らしながら、天井を見上げていた。


「どちらにせよ、この『竹雲屋』ともお別れやもんねぇ。寂しなるわぁ」

「政略結婚のことか?」


 食事を摂りつつ、話しかけるウィードだった。

 二人とも、視線は合わせず会話を続ける。


「まあ気にせんといてね。カラハギもおらんなったし、都に帰るのは予定通りなんえ。ただ、このまま帰るか棺桶に入って帰るかの違いだけやし……」

「大違いだろ、それは」


 彼は思わず口に入った米を盛大に吹き出すところだった。

 彼女が悪戯っぽく、にやりと笑う。


「なら、結婚してくれるん?」

「その話は保留中だ。何でも、妖精皇国の皇女様に呼ばれてるらしい」

「……あらぁ、それは難儀やねぇ」


 ユウメが味のある苦笑いを見せた。

 それだけで皇女様の性格もわかりそうなものだが、ウィードは何も言わずにご飯を食べる。


「あーあ、うち、どうなりはるんやろねぇ」


 様子を伺うために何度もこちらを見ては、天井を見直すユウメだった。

 食事を終えたウィードは、両手を合わせた。


「御馳走様」

「お粗末様でしたぁ。……って、食事の挨拶、教えて貰いはったん?」

「ん? あ、いや、そうだな。見て覚えたのかもしれないな」


 彼自身、教えて貰った記憶は無いが、誰かの食事風景を見真似たのだろうと考えた。

 そして、彼女へ背を向けて言う。


「あー、まあ、その、何だ。ユウメには世話になってるからな。どうにかするさ」

「ほえ? ……ん? もしかして、告白やろか」


 考え込んでいるユウメがいたので、事実として彼は言っておいた。


「俺はもう二人も嫁がいるからな。そして子持ちだ」

「いややん、それ酷薄やん。ほんまにいけずやん。……なら、愛人はどないやろ」

「自称愛人なら、一人いる」

「おおぅ、ちょっとユウメはん、心が折れそうになってきはりましたえ。でもあれ? お嫁はんが二人もおるんやったら、第三夫人も大丈夫な気がしないでもないんやろか」

「…………ん?」


 そこでウィードも考え込んだ。


 彼の脳裏に、兵術学校校長の姿が浮かび上がったからだ。

 確かあの時も嫁が増えそうだった気がしないでもなかった。


 そんな彼の様子を見て、乾いた表情を見せるユウメである。


「まさか、もう第三夫人もおりはるん?」

「そんなはずは、無いと思うんだが」

「それ、候補はおったいうことやんね? ……何かうち、燃えてきたかもしれまへんえ。妖精皇国を背負って、頑張らさせて貰いますよってに!」


 拳を握りしめたユウメが、瞳を燃やしていた。


 何も言えなくなったウィードが視線を逸らすと、廊下の端に、指を咥えたセイカが顔を覗かせていた。


「で、お前は何やってんだ?」

「……お腹が減ったのでござる。しからば、握り飯でもと飯場を訪ねてみれば、何やら師匠がお取込み中のようだったので、話しかけて邪魔をするわけにもいかず」

「なら、ユウメは忙しいみたいだから、外で飯を食べよう。俺のおごりだ。今すぐ行くぞ」

「良いのでござるか?」


 言葉とは裏腹に、セイカの顔が花咲くように綻んだ。

 彼は無言で頷き、彼女に近づいて頭を撫でる。


「おぉ、それでは拙者、天丼が食べたいのでござる!」

「わかった。何杯でも好きなだけ食べていいから、静かに行くぞ」

「はて、ユウメ殿はあのままでよろしいので?」

「ああ、そっとしておこう」


 激しく燃え盛る炎をユウメの背中に幻視しながら、二人はその場を離れた。

 飯場に一人でいるのを彼女が知ったのは、それからしばらく後のことだった。




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