海水
聖域の中で、場違いな水の音が響いていた。
ウィードが辿り着いた先には、巨大で頑丈な鉄扉があった。
明らかに人以外のものが通る大きさであり、《剣兵》を思い出した少年が身震いする。
もしも、ヴァレリア王国を襲った《剣兵》が出てきたならば、手持ちの装備で戦える相手ではない。
カラハギから差し出された刀を使う気にもなれないし、使えそうなものと言えば、身体から生えてくるワカメくらいである。
「……とりあえず、キュロスを殴り返したら逃げようかなぁ」
そう呟きながら、彼は巨大な鉄扉を押し込もうと近づいた。
すると、地響きをさせながら扉が開く。
強い光が差し込んだと思うと、聖域の中に海があった。
その海に、黒い楕円形の物体が浮かんでいた。
海面が満ちれば沈んでしまう小島のような大きさだが、表面が湾曲した金属板で覆われていた。
その異様な存在感は、間違いなく《剣兵》に並ぶ程の古代遺物であることを示している。
「あれは――――」
ウィードがよく目を凝らすと、黒い小島に岸から板橋がかけられていた。
そこには内部へ入れる通路があり、両手を繋がれたエルフの村人たちが連れて行かれている。
列の最後尾に、キュロスが立っていた。
こちらを訝しそうに見つめている。
「なんじゃあ、おんし。どがいして扉を開いたんじゃ。そいつは、簡単に開けるもんじゃねぇで?」
「知るか、勝手に開いたんだよ。それより、そこの人達は返してもらう」
「……まさか、海藻だった奴じゃろうか?」
今まで偉そうな態度を崩さなかったキュロスが、ここに来て大きく表情を変えた。
そして妙なことに、驚愕というよりは畏怖といった感情が混じっている。
ただ、ウィードは素直に応じなかった。
「誰だっていいだろうが」
「そいつは困るんじゃわ。ほんなら、試させてもらうとするかの」
余裕を無くした顔で、キュロスが空中に腕を上げた。
すると、彼の一番近くにいたエルフが魔晶の塊となり、《ケリュケイオン》を生み出す。
それを掴み、扉の前に立つ少年へ突先を指し示した。
すると、エルフの村民たちが呻き出し、猿種の魔族に完全変貌した。
それぞれに叫びながら駆け出し、飛び跳ねながらウィードに襲いかかってくる。
「とりあえず、一発殴るからな」
足を肩幅に開き、半身の構えを取った。
飛び掛かってきた猿種のエルフを、捉える。
すれ違いざまに、彼らへ埋め込まれた《魔玉》を撃ち抜いた。
「――――なぁっ」
キュロスが驚愕の声を上げた。
それは、勢いを殺せず地面に転がった猿種の身体を見たから――――ではない。
一度、生物としては死んだはずの魔族エルフを、再び真っ当なエルフの肉体に戻したからであった。
代償として彼らの《魔玉》がすべて失われているが、それがつまり《魔晶変換》の証拠でもある。
「は、はは、こげぇなことがあるもんじゃのお。わいらが王の御業と同じもんが見れるとは、思うてもみんかったわ」
片手で顔を覆い、感情の無い笑みを浮かべるのであった。
「王?」
ウィードは首を傾げた。
アルベル連邦は王政だったのか、と考えたが、キュロスの声が聞こえた。
「そうじゃ。人族を総べる王――――アレク・レオ様じゃで。この御方こそが、『至高人』その人じゃわ。……こいつはアレク様に、ええ土産話が出来たけぇのう」
「土産話にさせると思うか?」
少年の姿で、真っ直ぐに距離を詰めた。
手から出した海藻で自身の身体を引っ張り、足から出した海藻で地面を蹴る。
まるで宙を滑空するかのように飛んでいた。
「かっかっか、そうじゃのお。サンプルの持ち帰りは諦めるしかないわ」
キュロスの《ケリュケイオン》が振るわれた。
ウィードは海藻を使って、空中で停止する。
魔杖が轟音を残して通り過ぎた後の、隙を狙った。
「こいつはお返しだ」
「何の話じゃ――――がっ」
困惑したキュロスの身体が、頬から持ち上げられるように殴られた。
殴られながらも蹴りを繰り出して反撃してきたので、ウィードは距離を取った。
「痛ぇのぉ、こいつはおえんが。何本かいったわい」
血と混ざり合った歯を、吐き捨てるキュロスだった。
酔った目でウィードを見つめてくる。
「おぉ、おんしが三人に見えるで?」
「もう三人くらい増やしてやるから、その前に応えろ」
「なんじゃあね。言うてみぃや」
「お前らが手に入れている《魔玉》は、何処から手に入れてるものだ」
「そねぇなこと聞いてどうするんじゃ」
「この場で俺が宣戦布告する」
ウィードは黒い小島の頂点に立ち、堂々と言い放つ。
見た目は少年に過ぎないが、その雰囲気は常人に出せるものでは無かった。
少し言い淀んだキュロスだったが、結局は口を開いた。
「かなり前に戦争があってのぉ、そん時に集めた《魔玉》がようけあるで。わいの初陣じゃったけぇ、まだアルベル兵団じゃった頃か。それ以外なら、農場じゃな」
「…………おい」
ウィードの眼が細められる。
彼の身体が前のめりになった所で、キュロスが溜息を吐く。
「面倒くせぇで、ありゃあ。魔族を繁殖させるのは適わん。同じ種族でしか繁殖せんけぇ、種族丸ごと攫ってこにゃあならんでな――――」
「その安い挑発、乗ってやる」
全速力で飛び出した彼は、キュロスの首に狙いを定めた。
それを待っていたかのように、《ケリュケイオン》が砕け散った。
「殴られんのは一発だけじゃけぇのぉ。そんかわし、行きがけの駄賃じゃ。とっとけぇ」
キュロスが後ろに飛んで、黒い小島の通路へ入り込む。
入れ替わりに、完全変貌した魔族エルフが大量に走り出てきた。
「くっ、逃げるな!」
溢れ出る魔族エルフを殴りながら、《魔晶変換》でエルフに戻していった。
そうしている間に、黒い小島から地響きがした。
魔族エルフがウィードを押し流すと、黒い小島の通路扉が閉まる。
勝ち誇ったキュロスの高笑いが、くぐもって聞こえた。
「また会おうで、海藻。どうせ来るじゃろう、アルベル連邦にのぉ」
「覚えてろよ、キュロス!」
「おんしのこたぁ、忘れとうても忘れんわい。適合サンプルを持ち帰れんのは痛手じゃが、もう一人の『至高人』を見つけたことは、快挙じゃわ。ほんなら、またな!」
黒い小島が、沈み始めた。
同時に、海水が流れ込んで水面が上昇する。
気を失って倒れているエルフや、意識を取り戻して呆然としている者が海水に流されそうだった。
「くそっ」
彼らを見捨てることが出来なかったので、ウィードは黒い小島の追撃を諦めた。
身体から無数の海藻を伸ばし、エルフを捕まえては入り口の扉まで運ぶ。
そうしていると、息を切らしたアンリがやってきた。
彼女が呪うように言う。
「は、っは、この私に、運動を、させないで、くれないかね……」
「取り込み中悪いが、あれは何だ?」
ウィードが指差したところには、既に海面しかなかった。
それでもアンリが告げる。
「……潜水艦だ。海中を進む巨大船かね。この船渠に来られるのは、それしかあるまい。無論、古代遺物ではあるが、あれを復活させて運用する技術も掘り起こしたということになると、厄介以上だな」
「海中を、か?」
「そうだ。それなりの人員も運べるし、海上の船を攻撃も出来る。奴らに妖精皇国海軍を無力化されたも同然かね」
「海軍戦力でアルベル連邦を叩けないとなると、戦力を集中して送り込めるって訳か。それなら都に殺到させれば、首都陥落も視野に入るってことだな」
「まあ、首都が陥落する前に、この遺跡が陥落しそうだがね」
アンリが冷静に指摘すると、海水が溢れかえっていた。
このままでは、助けた村人と一緒に溺れることになる。
「歩けるか?」
「無理だ。私の足を見てみろ、まるで生まれたての小鹿かね」
震える脚を指差して、一歩も動けないことをアピールしていた。
何か言うことを諦めたウィードが、少年の身体でアンリを背負う。
「はっはっは、これは思い出すな。いつでも尻を触るといい」
「そんな余裕があればいいけどな!」
海水が満ちて、船渠が崩壊を始めていた。
濁った水流が廊下を走って行く。
体中から海藻を出し、動けないエルフから順に巻きつけた。
全員を持ち上げ、走り出す。
「ぬ、ぐうぅぅぅぉぉっぉおおおおっ――――やっぱ無理っ!」
何歩か歩いたところで、転んでしまった。
水流で足を取られ、何十人という人数を抱えるなど不可能に近い。
ずぶ濡れになったアンリが、極めて冷静な声で言う。
「だったら、海藻の葉で船でも編めばいいだろう。幸い、この海水は出口に向かって流れているかね」
「もっと早めに教えて欲しかったな……」
肩を落としつつ、言われた通りに海藻の葉を多めに出して、底が平らな船を編んだ。
エルフを次々と乗せ、快調な滑り出しを見せる。
かなりの速さで進んでいるが、不安が拭えない。
「あのさ、これって曲がれないんじゃないのか」
「そうだな、舵もないからな。まあ、あの場で溺れるよりは良かったかね」
「説明しといてくれ! ちょ、壁、曲がり角!」
ウィードの正面に壁が迫る。
海水の流れが壁にぶつかって、白い飛沫を返していた。
アンリが真顔で彼を見つめる。
「最後に尻でも揉んでおけ。それが嫌ならどうにかしろ」
「わかってるよ!」
更に海藻の葉を何本も生やし、壁に向かって伸ばした。
海水の勢いに力負けして、伸びた葉が湾曲する。
それでも何とか船首の向きを変えることが出来た。
壁に激突することは避けられたが、勢い余って海藻船が壁に乗り上げる。
船底の形状を微調整して壁を走り、すぐに水面へ降りた。
彼の全身に、冷や汗が噴き出る。
手先が震えて、力が入らない。
既に海藻船の形状を保つので精一杯で、新たに海藻を生やそうとしても、短く薄いものしか生み出せなかった。
「……次はどうにもならないかもしれないな」
「では、あれはどうするのかね」
彼女の指差した方向には、ウィードが海藻から生まれ変わった部屋だった。
アンリが出てきたことで片側の扉は開けっ放しだが、遺跡側へ繋がる扉が閉まっている。
「なあ、《炎剣》とか持ってないか?」
「持っていると思うかね」
「いや、期待はしてなかったからいいんだが」
「揉んでいいぞ」
「それは諦めた後だ」
「……諦めた後なら揉むのかね。せめて手だけは残っているといいな」
そうして喋っている間にも、分厚い鉄製の扉が近づいてくる。
「仕方がない、ここまで来たら力技だ。体当たりで行こう。とにかく扉だけは開けるから――――」
ウィードが覚悟を決めた瞬間、鉄製の扉に衝撃が走った。
斬撃で切り取られた扉が、内側に落ちてくる。
その奥で、折れた刀を持ったセイカが立っていた。
「師匠! お待ちしており――――おげがぼぼぼっ」
全力の剣撃を三本も放った後なので、避ける暇さえなかったのだろう。
切り取った扉から流れ込んだ海水に流されてしまった。
アンリが呟く。
「師匠が師匠なら、弟子も弟子かね」
「そう言うな。これでも助けられたんだ」
水流に乗って扉から脱出する際、ウィードは沈みかけているセイカを、船から身を乗り出して掴んだ。
どこからか、カゲトキが海藻船に飛び降りて来る。
「一体、何をやらかしてきたんですかねぇ! 聖域ぶっ壊すなんて聞いたこともねぇよ!」
「壊したのは私ではない」
アンリが少年を見た。
その視線を追ったカゲトキが、眩しいものを見る顔になった。
「えっと……ワカメが生えた小僧って、まさか」
「誰が小僧だ、ぶん殴るぞ」
海藻船の端からセイカを引き摺りあげながら、ウィードが言う。
助けられた彼女が、少年を見た。
「な、あ、師匠が――――師匠になっているでござる!」
「何を言ってるのか分からないからな」
足元に縋りついてくるセイカを引き剥がしながら、彼は船首の方へ行った。
水流の向きは、外へと向かっていた。
ただし、ウィードの方向感覚では、歩いてきた道と違っている。
「何処に繋がってるんだろうなぁ」
「外に出られるのは間違いないかね。遺跡の構造は把握しているからな。ただ、このままだと着地がどうなるかわかったものではない」
「着地、だと?」
「無論だ。鉄砲水に押し出されていることを忘れていないかね?」
その場にいる全員が、船首の方を見た。
出口のから差し込む光が加速度的に大きくなり、その向こう側には青空しか無かった。
「つ、掴まれ――――っ」
ウィードが叫ぶ。
誰も彼もが海藻船にしがみ付いた。
水しぶきが上がる。
噴水が撒き散らされ、その中から海藻の塊が飛び出て宙を舞った。
加速が緩まると、有無を言わせぬ速度で落下するのだった。




