人斬
ウィードは、懐かしい声を聞いた気がした。
しかし、誰の声だったか思い出せない。
親しい間柄であったのは間違いないと確信しているが、その声は自分を探しているものではなかった。
ただそれでも、声の主に会いたかった。
暗闇の中で、声に向かって手を伸ばした。
その手が掴まれる。
「いい加減、目を覚ますといいかね」
「――――う、がごぼぼぼぼぼっ」
彼が喋ろうとすると、空気が漏れた。
慌てて周囲を確認すると、ウィードは横倒しになっている硝子筒の中に入れられていた。
海藻の身体は無残に崩壊し始めていて、葉が変色している。
アンリが彼の茎を掴み、暴れる海藻を強引に押さえつけて、培養液に浸しているようだった。
そして彼女が片手で、硝子筒の横にある操作盤を使っていた。
「《魔晶変換》だったなら、これでも少しは抑えられるかね。しばらく待て。私が何とかしてやろう。……愛人だからな」
不敵に微笑むアンリだった。
操作を続けるうちに、培養液に浸かった彼女の腕が焼け始めた。
ウィードが、芽を液面から出して叫ぶ。
「おい、もうやめろ!」
「いいから暴れるな。片腕で操作するこっちの身にもなって欲しいものだな。私がここで溶け落ちても、十二代目になるだけだ」
アンリが海藻を強引に培養液に押し込んだ。
その際に液が跳ね、彼女の半身を焼き溶かす。
既に培養液の濃度が急上昇し、生物を溶解させ、再構成させるための準備段階に入っていた。
「再構築モードスタンバイ。……後は、構成要素の人体と《魔玉》があれば完成かね」
彼女が懐から、《魔玉》を取り出した。
それは、魔操剣から取り外したものだった。
最後に操作盤のキーを押すと、アンリが薄く笑う。
「さて、それでは一緒に風呂でも入るとするか。この死に様なら十代目も満足するだろう」
「――――ふざ、けるな!」
ウィードが渾身の力を振り絞って、葉を突き出した。
アンリを入らせないように押さえる。
「お前を二度も殺させてたまるか!」
そして、最後に残った最後の一葉を使って、彼女の持つ《魔玉》を奪う。
そのまま、彼は《魔玉》を芽に押し込むように飲み込んだ。
無理に伸縮した所為で、海藻の体が崩れていく。
朽ちゆく葉を感じながら、ウィードは足掻いた。
「俺がもう一度、魔族になれば『永劫回帰』が使えるはずだろう!」
彼の体内で《魔玉》が光り――――破滅的な音が響いた。
海藻が醜く膨れ上がり、硝子筒から溢れ出る。
彼女の身体を支える葉を握ったアンリが、目前の光景を睨みながら唇を噛む。
「――――ああ、これこそが《魔女》の思惑だったのかね」
増殖を続ける海藻は、床を埋め尽くす勢いで広がった。
エルフの村人に埋め込まれていた《魔玉》も吸収してしまう。
鼓動が、アンリの腕に伝わった。
それは彼女の手に持つ、葉の向こう側から来たものだ。
膨らんだ海藻が大きな塊を形成し、裂け目が生まれている。
粘液が泡立ち、異臭が立ち込めた。
海藻の塊が、さらに膨張する。
破裂する――――かと思われた所で、熟れた果実がその皮を剥くように二つに割れた。
その種子が、姿を現す。
柔らかな皮膚が胎動している。
生まれたての肉から、双眼が開かれた。
「俺は――――」
少年が裸で立っていた。
両手は、間違うことなく人間の手だった。
その様子を見ていたアンリが、大きな息を吐く。
「自力で《魔晶変換》を行った気分はどうだね」
「どう、と言われてもな」
彼としては、《魔玉》を取り込んで『永劫回帰』を使ったはずだった。
それが、どうやったら海藻から人間に生まれ変わるなどと思うだろう。
完全に予想外の事態だったが、アンリの傷が癒えていることに安堵した。
恐らくは、海藻の葉で繋がっていた所為だと思われる。
そこでアンリが、苦笑を浮かべた。
「すべてはあの女の手のひらで踊らされていたのさね。なるほどそうだ、変貌しない魔族というのも頷けるかね。《魔玉》の大半を、他の魔族へ分け与えて生きていられるのも納得だ。ジゼルの奴め、一体、どれだけの犠牲を払って今までやって来たのやら……我らを笑えた義理ではないではないか」
「ジゼルがどうかしたのか?」
「そう訝しむな。結果は変わらん。ただ、《魔女》が辿ってきた道筋を思って感嘆していただけかね」
「そうか。……ところで、どうして俺は海藻から子供の姿になったんだ」
「それはな、最も現状に適した『進化系』を無意識に選んでいるのだろう。鳥や魚にならなくて良かったと思うがいい」
「自分でやったわけじゃないんだが」
「ふん、どうあろうとお前は戦う羽目になるし、戦えば《魔玉》を自分から取り入れることも織り込み済みだったのだろう。流石は《魔女》かね」
「まあ、それはともかく。あの男は何処に行った?」
ウィードは手を握ったり開いたりして、調子を確かめた。
それぞれ関節を動かし、筋力の程度を把握する。
素っ裸で準備運動をする彼を眺めながら、アンリが言った。
「どうする気かね」
「一発良いのを貰ったんでね、お返しが必要だろ。……あと、キュロスが《魔玉》を使っているってことは、何処かで《魔玉》を手に入れてるってことだ。ヴァレリア王国に害がありそうなら、早めの方がいいからな」
少年が、その年齢では出せない程の深みのある瞳を見せた。
眼底の奥に、暗いものが淀んでいる。
彼女が片目を瞑って言う。
「戦場へ魂を狩りに言っていた頃のお前を思い出すよ。本当にそれでいいのかね」
「俺だってそんなことわからないさ。ただ、答えを出している間に、俺の大事なものが手から零れ落ちそうになったら、俺はそれを止めるよ」
「ふん」
息を吐いた彼女が、横を向いてキュロスの立ち去った方向を示した。
膨らんで割れた海藻の塊から、ウィードが飛び出す。
溢れた葉の散乱する床へ着地して、走り出そうとするとアンリに止められた。
「ならば、言わせてもらおうかね」
「何だよ」
ウィードが振り向くと、彼女がとある一点を凝視していた。
彼もそこを見る。
「股間でぶらぶらしているものを隠した方がいいのではないかね。威厳的にも戦闘的にも。……まあ、私の前でだけぶらぶらさせているのは、やぶさかではないがね。いやむしろ、ぶらぶらさせてもらおうか」
「断る」
床に落ちていた海藻を拾って、彼はそれを腰に巻いた。
ちょっとした違和感があったが、無視することにした。
アンリによって微妙にやる気を削がれた気がしないでもないが、少しだけ懐かしさも感じていた。
「むぅ、これが十代目の感じていたものかね。記録だけでなく生で感情を受けるとなると、これは――――良いものだな! 愛人で良かった!」
「眼を輝かせるのはやめろ」
彼は嫌そうな表情を浮かべた。
何やら一人で愉悦に浸っているアンリを放っておいて、彼は先を急いだ。
キュロスが出て行った扉を抜け、聖域の通路を走る。
空気の中に、微かな潮の香りが混じっていた。
「また海に通じてるのか?」
そんなことを考えつつ、海藻の時に使っていた気配探知を使用した。
前ほどでは無いにせよ、視覚と聴覚を合わせて複合的な使い方をすることが出来た。
通路の前に、一人のエルフが唐突に現れる。
「――――せりゃあっ!」
有無を言わせぬ抜刀だった。
気配探知を使っていなかったら、斬撃が届いていたかもしれなかった。
「……外したか」
抜き身を納刀し、目を細めるエルフがいた。
肌は青白く、エルフにしては骨張った顔つきの男だった。
上半身は、必要なもの以外の全てを削ぎ落としたように細長い。
彼の持つ刀も特徴的で、普通の刀よりかなり太い鞘をしていた。
ウィードが片眉を上げる。
「そこをどけ」
「童よ、貴様は見た目通りの者では無いか。ならば、キュロス殿を追って来たのだな。さすれば争いは必定――――」
最初から見逃す気など無かったエルフが、更に殺気を増した。
長い手を折りたたんで身体を捩じり込み、鞘尻が天を突く構えを取る。
異形ながらも、完成された絶技の頂きであった。
争いの中で磨かれ、人を斬る事のみを追求した外道の業である。
ウィードも似たような道を通って来たからこそ、その業の成り立ちが理解出来た。
今にも漂ってくる血煙の香りが、男の刀から放散されていた。
町で噂の人斬りが――――この男であると確信を得た。
恐らくは、斬る相手を選んですらいなかっただろう。
ただ純粋にその剣技を完成させるためだけの研鑽の一環として、人を斬っていただけに過ぎない。
罪の意識も無ければ、高揚も快感も無かったはずだった。
あくまで例えるなら、大樹を削いで楊枝を掘り出すが如き苦行を淡々と行っていたのだ。
どうしてこの男が、とウィードは思った。
キュロスの名前を知っていて、その退路で待ち構えるエルフなど、心当たりは一人しかいない。
「お前がカラハギか?」
「いかにも」
油断など微塵も感じさせない瞳で答えるカラハギであった。
この際だから、と駄目元で聞いてみた。
「妖精皇国を裏切った理由を聞いてもいいか?」
「裏切ったつもりはない。これは我らエルフ族の問題である。余所者の人族が口出しすることではない」
「人族、ねぇ?」
もはや自分が何族かわからないウィードであったが、ここで歩みを止めるわけにもいかなかった。
「俺が何者であろうと、ここは通させてもらう」
「……貴様、海藻ではないようだが」
キュロスからある程度の話を聞いていたのだろう、少しの困惑が見えた。
ウィードとしても、予定外だったので言い訳の言葉も無い。
「元、海藻といえばいいかな」
「確かに、貴様が何者であろうと、ここは通さん」
通路一杯にカラハギの間合いが充満する。
何処を通ろうとしても、剣閃が飛んでくるだろう。
どうしたものか、と彼が眉根を寄せると、カラハギの気配が揺らいだ。
「来ないのなら、こちらから往くぞ」
抜刀術の構えのまま、エルフ剣士が突っ込んできた。
人を斬る事だけに特化した剣閃が迫る。
「…………」
ただ、ウィードは疑問に思っていた。
カラハギの抜刀術は、構えることで完成されていた。
それをわざわざ捨ててまで、走り込んでくるだろうか。
削ぎ落として最後まで残った執念を易々と捨てるくらいなら、ここまでの頂きに登れないはずである。
常態ならば愚策でしかない、剣戟を前にして半歩下がる、という行為を、少年がやってみせた。
ある意味、カラハギの執念を信頼した試みだった。
読みを外せば、胴から真っ二つにされるはずだ。
ウィードの予想を遥かに上回った速度で、剣技が繰り出される。
――――必死の斬撃が空を斬った。
走り込んできたはずのカラハギが、ウィードに触れて掻き消えた。
その正体は、実物と間違えるほどの気当たりだった。
ならば、実体は斬撃の方だ。
黒い刀身が抜き放たれていた。
刃は丸く潰れていて、刃物とはおもえない鈍らであった。
「秘剣、『鞘走り』を、そのような手で――――」
血を吐いて膝をつくカラハギだった。
彼の胸には、《魔玉》の取り外された魔操剣の刃先が、突き刺さっていた。
ウィードの掌から、見覚えのある海藻が伸びている。
「手、というか葉だけどな」
海藻から人間に成長した所為か、身体のどこからでも海藻を生み出すことが出来た。
魔操剣の方は、ウィードが腰に巻いている葉を拾い上げるときに見つけたものだ。
葉で魔操剣を持ち、死角から這うようにしてカラハギの胸へ送り込んだのだった。
薄く笑ったカラハギが、腰から鞘を抜いて、納刀した。
その刀を、ウィードに投げ放る。
彼は素手では無く、葉で受け取った。
「何のつもりだ」
「ジロウ様に渡してくれ。あの方が必要ないと言うのであれば、貴様が使え」
「村人を実験体にしておいて、よく言うじゃないか」
「……好きにしろ」
カラハギが、自分の胸に刺さっている魔操剣を握った。
それを、力を込めて深く押し込んだ。
致命傷だったものが、絶命に変わる。
身体を丸めて蹲り、小さな呻き声を残して動かなくなった。
ウィードは眼を閉じて、少しだけ祈った。
鞘の分厚い刀を腰に差し、先を急ぐことにした。
潮の香りが、更に強くなっていくのを感じるのだった。




