魔晶
異形のエルフが、笑みを張り付かせて歩き始める。
それは、かろうじて人の姿を保っているに過ぎなかった。
踏み出す度に身体が崩れ、ふやけた肉を落していく。
剥がれ落ちた胸の中で、《魔玉》だけが禍々しいほどに輝いていた。
哀れなものを見る目付きをして、アンリが言った。
「これが、適合できなかった者の末路かね。魔族に成ることも出来ず、ただひたすら肉体の崩壊を繰り返すだけのものだ」
「変貌しようとしたのか?」
ウィードの視線がエルフの両腕に注がれていた。
蜥蜴種の鱗が浮き上がっており、半変貌と近似している。
しかし、どこか成りきれていない様子だった。
「ふん、肉体が変貌に反応しきれていないのだ。魔族以外に、変貌出来る素養は存在しないはずかね」
「……待て。それじゃあ俺は、一体どうなる」
ウィードは魔族と戦い、心臓に穴を開けられ、魔王の《魔玉》を心臓へ埋め込まれた。
変貌までは出来なかったものの、魔族となって生きながらえていた。
アンリが小さく笑う。
「だからこそお前の存在はイレギュラーなのだよ。本来、《魔玉》を移し替えるなど魔族同士でも不可能なのだがね。種族別にも生体暗号が仕掛けられているのだから、そもそも異種族間で子孫が生まれるはずも無い。人族となど言わずもがなだ。それを解除することが出来るとすれば、《魔女》か『至高人』しかいない、という結論だ」
「『至高人』って――――」
「それはジゼルの方が詳しいと思うのだがね。何せ、元々我らは同じものであったのだからな。今となっては、こんな形をしているがね」
皮肉気に失笑する彼女が、エルフ特有の尖った耳を揺らせて見せた。
続けて話を聞きたかったが、ウィードの間合いに異形のエルフが入ってくる。
そして、話しかけてきた。
「いば、いばあ、いばば」
「何?」
葉を傾けるウィードに、彼女が付け加える。
「痛い、と言っているようだな。痛覚が残っている所を見ると、あながち失敗作でも無いらしい」
「おい、助ける方法は無いのか」
「《魔玉》を埋め込まれている時点で、エルフとしての生命は終わっているかね。こうやって動いているのも、《魔玉》からの反射作用だ」
「俺なら何とか出来るんだろう?」
「以前の姿ならまだしも、《魔玉》も持たない海藻の魔物に、出来ることなど無いと思うがね――――」
「『永劫回帰』だな」
海藻になってからは、一度も使ったことが無かった。
そもそも使えるとは思っていなかったこともある。
それでも何か出来るかもしれないと、葉を異形エルフの《魔玉》に伸ばした。
「いば――――」
途端、力なく崩れ落ちた肉体が、床へぶつかって一面に広がる。
原型すら止められなかった肉が、液体へと変化して流れた。
床には輝きを失った《魔玉》だけが残されていた。
「……駄目だったか」
失望を隠さないウィードに向かって、眉を顰めたアンリが言った。
「全くの無駄と言うわけでも無いかね。少なくとも、痛みからは解放されただろう」
「救える可能性を消しただけかもしれないだろ」
「お前は、よくそんな心持ちでここまで来れたものだ。こんな悲劇など見慣れてしまっていると思うがね。領主の一存で村が消えるなど、有り得ん話では無いだろう」
ウィードが葉を俯かせた。
最悪の可能性を考え、呻き声を漏らす。
その上で、事実として告げられた。
「そう、消えた村人たちは、この場所で実験に使われたのだよ。扉の向こうでカゲトキが戦った魔族モドキたちは、何処からやって来たかくらい想像がつくと思うがね」
「知ってたのか」
冷徹な声が、海藻から放たれた。
面白くなさそうにアンリが眼を細める。
「予想はしていたよ。その証拠を掴んだのが、ついさっきだがね。この技術はアルベル連邦のもので間違いないさね。事前に借りた魔操剣が決め手になったのだ」
「岩場に刺さってたこれか」
ウィードが背負い袋を下ろし、魔操剣を取り出した。
持ち手の端にある《魔玉》が、濁っているように見えた。
「《魔玉》を制御する技術は、ジゼルだけが持つ技能だったのだがね。それが今では、アルベル連邦も持つようになったことは知っているな? ヴァレリア王国と戦争の折に出してきた魔族奴隷のことだ」
「ああ、ひどいもんだった」
彼は、魔族が正気を失って完全変貌し、兵士に襲いかかる光景を目にしていた。
「それから更に、技術は向上しているのだ。戦闘時間の延長に加え、簡易な作戦行動も行うようになっているかね」
「アルベル連邦はそうまでして、魔族を滅ぼしたいのか……」
「ふむ? 知らなかったのかね」
そこでアンリが意外な表情を見せた。
意表を突かれたようで、眉が上ずっている。
彼もその理由が分からなかった。
「驚くことか?」
「……いや、理解した上で妖精皇国へ来たのかと思っていたのだがね。私はアルベル連邦のことを《子孫》と呼んだだろう? それは『至高人』の子孫と言う意味だ。要するに人族の中でも直系の血脈を持つ者達のことでな」
「俺も末裔とか言われた気がするんだが」
「『至高人』は一人では無いからな。アルベル連邦の創始者以外にも、血を残している可能性が無いわけでもない。まあ、ほぼ全滅したはずなのだがね」
薄目で見つめられるウィードであった。
彼としては正直、生まれが『至高人』だと言われても実感はなかった。
「ふぅん。けど、それで《子孫》が魔族を恨む理由にはならないだろ」
「アルベル連邦――――というか、『至高人』の使命が、人族世界の樹立だった所為だ。悲願の成就を目指しているのだ。その行いは信奉に近いものでね。人族以外の生物が、我が物顔で闊歩する世界を許せないのさ」
「それで戦争か」
「もちろんだとも。人族世界のためには、魔族は必要ない。裏切り者の妖精皇国も邪魔だろう。だからこそ人族には、《クリスタルム》が最大の敵対者となるのだがね」
「敵対者ときたか。まさか、アンリも《クリスタルム》が世界を滅ぼすとか言うのか」
「当たらずとも遠からず、かね。ある者には救いとなり、ある者には破滅となるだろう。そもそも、我らエルフはその判断から逃げてこその立場だからな。答えようがないかね。我らは結果を受け入れる、ただそれだけ故の《観測者》なのだ」
「余計にわからん」
海藻が葉を組んで斜めに傾いた。
それにアンリが微笑む。
「お前は好きにすればいい。ジゼルはお前が味方になってくれる自信があるようだが、私はそうは思わん。アルベル連邦へ行って、素直に事情を聞いてもいいだろう。《クリスタルム》へ赴き、遥かなる理想を聞くもいいさね。誰だって正義は持っている。正義など見方の一つに過ぎんよ。利害の一致に過ぎないことを、殊更に団結したなどとほざく者は、共同幻想を見ているだけだ。人は常に孤独なのだ。だからこそ『愛』は尊い――――まあ、これも受け売りだがね」
「おい」
ウィードは呆れた声しか出なかった。
アンリも肩を竦めて見せる。
「受け売りの何が悪い。コピーアンドエラーは人類の本質だぞ。ちなみにエラーこそがオリジナリティだがな」
「いや、何を言ってるかわからないんだが」
「失敬。懐かしくてつい、喋り過ぎてしまったようだ。……そろそろ来るかね」
アンリが嫌そうに息を吐いた。
ウィードが入って来た方向とは、逆にある場所から、軋む音が響く。
重々しい両開きの鉄扉が、みすぼらしい服を着たエルフたちによって開かれた。
その中心を、王族が進むかのように一人の男が歩いて現れる。
黒い外套に、逆立つ髪が印象的だった。
顔自体はどこにでもいる壮年の男性だが、落ち窪んで怪しく光る双眸が、常軌を逸していた。
その男がウィードを見つけると、自分の顎をさすって言った。
「なんじゃあ、えらいもんが生まれとるのぉ?」
すかさず近寄って来て、海藻に触れようとした。
その手をウィードが葉で払い落とす。
「お、わいに逆らうんか?」
「従う理由もないだろ」
「――――お」
払われた手を見つめていた男が、動きを止めた。
そこでようやくアンリに気づき、頰を掻く。
「こりゃあ《観測者》殿が連れて来たんか。契約はどうなっとるんかいね」
「お前たちとの契約は、既に《十代目》が終えているかね。それと、自衛のための戦闘は、エルフにも許されているからな。……この場所を何処だと思っている。アルベル連邦研究局――――キュロス・メゾットが気軽に訪れる場所でもないぞ」
殺気立ったアンリの瞳が、キュロスと呼ばれた男の周囲に注がれた。
目の虚ろなエルフたちが、膝をついて静かに命令を待っている。
キュロスが笑う。
「ああ、そげぇなことを言われてもな。うちの親分が良え言うたら良えんじゃ。大人しゅうしとけ、《観測者》殿。わいらは自分のもんを返してもらうだけじゃわ」
「返してもらう、かね。妖精皇国に、お前たちの所有するものなど無い」
「そいつはおかしいのぉ。魔導具は全部、『至高人』のもんじゃけえな。わいらが受け継ぐべきもんじゃけぇ。耳長ごときが吼えなよ?」
そう言った途端、キュロスの脇に膝をついていたエルフが立ち上がった。
そのエルフを、彼が掴む。
「耳長も全部、わいらのもんじゃけぇな。黙って差し出しゃあええんじゃ。こいつらみたいになぁ」
エルフの眼が見開かれたかと思うと、胸にある《魔玉》が輝き、その上半身が瞬時に魔晶化した。
結晶となった部分が音を立てて集まり再結晶し、球体となる。
そして、頂点から球体が割れはじめ、中から杖が現れた。
「わいも《観測者》が情報転写するところを見てみとうてのぉ。試してみてもええか?」
「いいわけないだろ」
ウィードが振り下した葉の一刀を、キュロスが杖を引き抜いて防御した。
「邪魔じゃな」
「そりゃそうだ。邪魔するつもりだからな。アルベル連邦をよく知らないが、少なくともお前は気に喰わない」
「ほう、知性はあるんか。これも《魔晶変換》じゃろうか。なあ、《観測者》殿」
興味深くウィードを眺めながら言う彼に、アンリが吐き捨てる。
「教える義理も無いがね。聞きたければ直接本人に聞いたらどうだ」
「はっ、そげぇなことを言うな。面白ぉないじゃろうが。海藻の相手は、ちゃんとおるけぇな。わいはその後じゃわ」
キュロスが言うと、残っていたエルフたちが皮膚を破りながら異形となる。
全身を褐色の鱗で覆った、蜥蜴種の完全変貌した姿だった。
「おいおい、エルフが魔族化してるぞ!」
「私も初めて見たが、生体暗号を解除できるはずが――――いや、《魔晶変換》か。つまりは移植ではなく再構成というわけさね!」
完全変貌した魔族化エルフが声も出さずに、全速力で飛び掛かってくる。
「ふっ!」
ウィードは葉を複数伸ばし、寸分違わずそれぞれの《魔玉》を打ち抜いた。
体勢を崩した魔族エルフたちが、受け身も取らず地面に激突して、そのまま潰れてしまった。
硝子筒から出てきた者と同じく、液体となって床へ広がる。
その液体が、踏込によって跳ねた。
「思うたより強ぇがな。おんし、何者じゃあ――――」
飛び込んできたキュロスが、杖を横薙ぎに振った。
避けきれず、茎へまともに打撃を受けたウィードが吹き飛ぶ。
床を幾度も転がって、ようやく海藻は立ち上がった。
「誰が教えてやるかよ」
気炎を吐くが、明らかに負傷している様子のウィードだった。
ただの打撃ならば、受け流しているはずである。
逆に考えれば、『杖』が異常であるということだ。
キュロスがその杖を肩に担いだ。
その表情が曇っている。
「……おかしいのぉ。『ケリュケイオン』に抵抗できる生物がおるんか。一本を無駄にしてしもうたな」
そう話している間に、彼の持っている杖が砕けて粉になり、空中へ消えていった。
杖を生み出したエルフも消えてしまっている。
「まあええわ、時間じゃあ。実験結果は得たし、あとはカラハギに任せようかのぉ」
踵を返すキュロスだった。
追いかけようとするウィードだが、攻撃を受けた部分が熱を発して激痛が走る。
ぼたり、と葉が溶け落ちた。
彼は意識が薄くなっていくことを感じながら、アンリの声を遠くに聞いたのだった。




