知己
既に日が昇って、陽気を感じられる頃だった。
酒気が充満する浪人の居室で、ジロウが膝を立てながら胡坐をかいていた。
ユウメの姿は無く、キシマを自室へ送り届けるついでに女将の仕事へ戻っている。
他に姿があるとすれば、寝転ぶ海藻と、正座をしているダンゾウくらいなものだった。
「ぐ、飲み過ぎたわ。ユウメに合わせて盃を空けるのではなかったな……」
ジロウが顔を顰め、頭を押さえながら言った。
彼の吐く息は酒臭く、至高の銘酒であっても、二日酔いの呪いからは逃れられないでいた。
寝転がっているウィードは、葉の先でダンゾウを示した。
「ところで、この人なんとかしてくれないか?」
包帯の巻かれた細身の身体が痛々しかった。
傷が治ったばかりであるのに、意識が戻った途端、ウィードを監視し始めたのだ。
ウィードとしても怪我人を手荒に扱うことも出来ず、一応は恩人でもあるため、そのままにしておいた。
ジロウが、小僧でも追い払う仕草で手を振る。
「もうよい、ダンゾウ。そなたを救った恩人だぞ」
「大殿、これは危険すぎる。強さの底が見えない魔物は、生まれて初めて見た」
「それで、余を守りきれるのか」
横を向いたジロウが、欠伸交じりに問う。
ダンゾウの返答は、口を引き結んだだけだった。
「そこまで分かっているなら、大人しくしておれ。むしろ、余の邪魔をするつもりか」
「――――はっ」
ダンゾウが渋々ながら頭を下げ、後ろに下がった。
手の中に隠し持っていた暗器が懐に仕舞われて、ようやくウィードも姿勢を直す。
「いい配下がいるじゃないか」
彼は、自分の配下のだった諜報部隊の男を思い出した。
あれに比べれば、忠義に厚い男だと感心するしかない。
「よい配下であることに異論はないが、いささか小言が多すぎるわ。……それで、返事を聞かせて貰いたいのだがな」
ジロウの目付きが変わるのだった。
ウィードは、葉を起こしてジロウに向ける。
「配下になれと言われてもなぁ」
「どちらにせよ、そなたはキシマの村を救ってやるつもりなのであろう。であれば、余の目的とも一致しておる。この地に詳しい我らが先導した方が良いというものよ」
「なら、協力するだけでいいんじゃないか? 俺が下につくこともないだろ」
海藻の根が、他の根をポリポリと掻いた。
あまりのふてぶてしい態度に、背後にいるダンゾウから怒気が漏れ出すのを感じるが、気にしないことにする。
それを細目で眺めていたジロウが、鼻で息を抜いた。
「どうしてそこまで配下になることを嫌がるのだ。元王としての尊厳でもあるのか?」
「いや、王の尊厳とか、昔から無いしな。そんなのは今更なんだ。それより、俺は昨今の事情に疎いんでね。妖精皇国としての立ち位置を教えて貰えないままに、君の元へ世話になる訳にもいかないさ。こんな所まで皇族が出張ってくるんだ、理由が無いとは思わないだろ」
「そこは察しろ、と言いたい所であるが、そなたは他国の者であったな。よかろう、他言無用だ」
「大殿っ!」
ダンゾウが身を乗り出すが、ジロウがそれを視線で抑えた。
彼が素浪人の態度のままで、無精ひげを擦りながら語り始めた。
「まずは……そうよな。鎖国の理由は知っておるか」
「いいや。聞いたことも無い」
「なるほど。鎖国を知らなかったことといい、ここ数年は俗世と関わりが無かったということよな。そうでもなければ、魔導具の名産地が鎖国する大事件を聞かぬはずが無い」
「……海藻に期待して欲しく無いな」
ウィードは葉を横に向ける。
彼が人間だった頃にそんな話を聞いたことが無かったため、自爆してから少なくとも数年は経過していると考えた。
それをどう受け取ったのか、ジロウが笑う。
「よい、ただの確認よ。ともかく、鎖国の理由は他でもない、魔導具の過度な流出と密輸が原因だ。主導したのが犯罪組織――――ならばまだ良かったのだがな。相手は国家規模、それも超大国のアルベル連邦であった」
「アルベル……連邦?」
海藻の葉に、じわりと粘液が染み出た。
彼が知っているのは、アルベル兵団という名前である。
幾年の月日が流れれば国家の名称が変わってしまうのだろう、と不安にならない訳が無かった。
その様子を見て、ジロウが眉を寄せた。
「……それも知らんのか。アルベル兵団は三十年ほど前に、周辺国家を併合してアルベル連邦と名を変えたのだ。並ぶものの無い大国でな。戦争を始めれば連戦連勝で、覇権を欲しいままにしておる。ただ歴史上、戦争でつけた唯一の汚点は、魔族国家――――ヴァレリア王国のみだ」
「――――っ」
安堵とも疲れとも判別のつかない心の重みが、一気に放出されたのをウィードは感じた。
海藻の葉が力なく捩れるのも構わず、へなりと横になった。
ジロウがそれを見逃すわけも無い。
「ほう。そなた、ヴァレリア王国と繋がりがあるのか。元は魔族か?」
「多分な。純粋な魔族と言うわけでも無いし、人族の国家に居たこともある」
むくり、と起き上がって、姿勢を正すウィードだった。
そして頭を下げ、頼み込む。
「どんな些細な事でもいいから、ヴァレリア王国のことを教えてくれ」
「それは良いが、余もあまり知らんのだ。海を挟んで遠い国であるし、国交も無い。冒険者として妖精皇国へ訪れる魔族からの伝聞だけが情報源だったが、鎖国でそれも絶えてしまったようなものだ。……ダンゾウは何か知っておるか」
ジロウが話の先をダンゾウへ向けると、痩身の男が口を開いた。
「はっ、彼のヴァレリア王国と言えば、軍事国家として有名。特に竜の魔族が名を轟かせていたかと」
「その竜の名前を教えてくれっ」
ウィードが勢いよく葉を向けると、難しい顔をしたダンゾウが応える。
「確か、エルドゥーラと聞いたな」
「――――は?」
聞いたことのない名前を聞かされ、固まってしまうウィードだった。
誰それ、という状態になった海藻を心配するように、ダンゾウが首を振る。
「それ以外は何も知らん。確証も無い」
「あ、ああ、いや、助かる」
葉を広げて応えるウィードに、包帯に巻かれた痩身の男が頭を下げる。
「礼は要らん。こちらこそ、感謝している。礼が遅れてすまない」
「お互い様だ。頭を上げてくれ」
知らない竜種の名前が意識の中を駆け巡っているが、ウィードも一応は平静を取り戻す。
すると、立て膝に肘を置いて頬杖としているジロウが、悪戯を思いついた子供の笑顔をしていた。
「くくく、本当に、どういう巡り合わせであろうな。余がアルベル連邦で頭を悩ませている所へ、その仇敵であるヴァレリア王国の者が流れ着こうとはな。運命の差配にしては、気が利いている」
「…………まさかなぁ」
ウィードはジゼルの顔が頭に浮かんだが、考え過ぎだと思い直した。
彼が二枚の葉をくねらせて腕組みのようにしていると、ジロウが鷹揚に頷く。
「まあ、そういう訳である。共にアルベル連邦を敵視する者同士だ、仲良く出来ると思わんか」
「そう言われてもな。俺はヴァレリア王国の特使でも何でもないし、権限も無いぞ」
「構わぬ。こちらとしては、彼の国は未知に過ぎる。出身者としての意見さえ貴重なのだ。同盟を結ぶにしても、知識の多寡は重要であろう。――――なればこそ、殊更に配下にしたいのだ。この国での便宜を図るにも、肩書が必要になるのが常道というものよ。互いに得るものは多いぞ」
「言ってることは分からないでもないけどな」
悩むウィードであった。
肩書とは、その者を公的に証明してくれるものだ。
皇族の配下と言うだけで、妖精皇国での待遇は見違えることだろう。
ただし、これも武門と同じで、組織には目的と命令がある。
それが彼には気がかりだった。
「俺には目的があるし、俺だけ特別扱いするのも、組織の不和の原因になりかねないからな」
「……くどいワカメよな、そなたも」
口を曲げて吐き捨てるジロウだった。
後頭部をガリガリと掻いてから、不機嫌な声を出す。
「妖精皇国は、今まさに揺れておる。アルベル連邦の切り崩しで、商人に近しい藩主から懐柔されておるのだ。資金力で太刀打ちするのも困難だ。鎖国を選んだのも、少しでも時間稼ぎするためだな」
ジロウの手が強く握られる。
それが力の無さを悔いているのか、力を手に入れようと足掻いているのかは定かではない。
しかし、苦悩は充分にウィードへ伝わってきた。
「それが鎖国の理由か」
「うむ。余の姉君――――現妖精皇国皇帝陛下、チサキ様がお決めになられたことよ。余も愚弟ではあるが、その間に何とか出来ぬかと動いておるわけだ」
「なるほどな。それで、アルベル連邦が魔導具を集めているのか?」
「理由までは定かではないが、魔導具とは今では国家の生命線よ。理由が何にせよ、目的は余の国の魔導具に他ならぬ。物が物だけに、相手も懐柔する者を選んでおらんようでな。今ではカラハギのような豪族まで抱え込んでおる。此度の村潰しでさえ、表向きは軍船への補給港整備だが――――本音は密輸用の港が原因だ。それをどう思うかよ、ウィード」
「それは、阻止するしかないだろうなぁ。あわよくば証拠を掴んで公表して、国内世論を纏めたいとは思う」
国家が一枚岩になれば、海洋という天然の要害が極めて有効活用出来る。
アルベル連邦が大挙して押し寄せないのも、兵力輸送が困難であることが一因だろう。
万一に大軍が押し寄せて来たとしても、その兵站までも輸送となると莫大な費用が必要となる。
その上、侵略軍を引き摺りこんで戦闘を泥沼化させれば、古代遺跡から魔導具を探し出しているどころではなくなってしまう。
そこまで資金を使うくらいならば、妖精皇国から輸出される魔導具を買い取った方が良いだろう。
よって現在、商業集団から発展したアルベル連邦らしく、潤沢な資金による懐柔という手法が行われているのだ。
「確かに――――」
なりふり構っていられる状況では無いな、というのがウィードの感想だった。
味方が誰か不明瞭であるならば、いっそアルベル連邦と戦った経験のある他国の者を引き入れる理由も分からなくない。
しかし、そこまでウィードを信頼する理由が分からなかった。
「俺、海藻なんだが」
「見ればわかる。そなた、余の目が作り物だとでも思っておるのか」
「そうじゃなくて」
ウィードの葉を振る様子を見て、ジロウが眉を上げた。
「ああ、では評してやろう。そなたは喋るワカメで、酒が好きで、女子に弱い助平だな。実に御し易そうで何よりだ」
「…………少しは良いところを探してくれないか?」
葉をしおらせるウィードであったが、それも想定の内とばかりにジロウが口元を綻ばせた。
「ふん、察しろ。少なくとも、余は――――」
彼が言いかけた所で、廊下を走る音が聞こえてきた。
ウィードは溜息を吐く。
即座に対応を始めようとしたダンゾウの動きを、葉を広げることで制止させた。
その間に、障子が勢いよく開かれて、女剣士が飛び込んでくる。
「おおぉぉぉぉぉ―――――師匠ぉっ、ここに居られましたでござるかっ!」
「何をやっとるかお前は」
音を響かせる程度に、セイカの額へ葉が叩きつけられた。
彼女が顔を押さえて廊下を転げ回る。
「痛いでござる! 非道でござる! 拙者、師匠に会いたかっただけでござるのに!」
「同じ屋敷の中だろ。それに一日も経ってないぞ」
「拙者の師匠成分が足りなくなったことを女将に伝えたら、『一緒に温泉でも入りはったら? え? うちも入らせて』と言われたので、誘いに来たのでござる」
「……何だろう、二日酔いかな。頭的なところが痛いぞ」
「二日酔いでござるか?」
セイカが周囲を見回すと、空になった銚子や小さな酒樽が散乱していることに気付いた。
そこでようやく、ジロウと目が合った。
彼女が首を傾げる。
「……どこかで見た顔でござるな。確か、天覧試合の端っこの席で――――」
「いや、余はそなたと初対面である。それより、早く温泉へ行くのだ。二日酔いには温泉が良いだろうよ」
真顔で誤魔化すジロウだった。
そこで素直に頷くのが、彼女が彼女たる所以であった。
「そうでござるな。では、師匠の御友人には失礼するでござる」
「友人?」
ウィードとジロウの、視線がぶつかったような雰囲気があった。
その二人の間に立ち、セイカが大いに頷く。
「酒を飲んで、共に語らう――――これが友人で無くて、何なのでござろうか」
開け放たれた障子の外から、小鳥の鳴き声が聞こえた。
青空に雲の流れる様子も伺える。
「……では拙者、これにて失礼」
ぺこり、と頭を下げたセイカが、思考停止したウィードを抱えて部屋から出て行く。
荷物のように持ち運ばれているウィードは、開いた障子の向こうから、ジロウの小さな含み笑いを聞いたのだった。




