浪人
屋敷の行燈に火が入れられ、薄明りが僅かに揺らめく。
素浪人の部屋には、手傷を負った男と、キシマが寝かされていた。
キシマの方に怪我は無く、襲われた心労で横になっているらしい。
ただし、手傷を負った男の方は、短い息を繰り返し、呻き声を漏らしている。
ユウメが男の傍に座り、布団をめくった。
巻きつけている包帯が血に染まり、雫を垂らしていた。
「さ、包帯変えよか。良かったなぁ、美人さんに変えてもろて」
彼女の言葉でも、重苦しい雰囲気は変えられなかった。
ジロウが瀕死の男を見ながら、言う。
「怪我人を動かすことが出来ぬから部屋まで案内したが――――さあ、できる限りの治療というものを余に見せよ。まさか、ここまで来て無理とは言うまいな」
脅す言葉に聞こえるが、怒気も悲哀も含まれていなかった。
単に、ウィードの行う治療行為が知りたいだけかもしれないが、それにしては興味のある素ぶりも見せない。
そうしている間にも、ユウメが手を血に染めながらも包帯を手際よく外し、縫われた傷が露わになる。
縫われた間の傷口から、鼓動に合わせて弱々しく血が溢れていた。
ユウメが困った顔で、ウィードを見つめる。
「もし苦しむんが長うなるだけやったら、楽にしてやってくれん?」
「確約は出来ないが、大丈夫だろ」
ウィードは、己の海藻の中で大きめの葉を伸ばした。
葉からは粘液が染み出していて、見た目がひどく妖しかった。
斬られた傷跡の上へ巨大な湿布でも貼り付けるように、ウィードの葉が覆い隠した。
そのままの格好で、沈黙の時が流れる。
粘液だけ残して葉が持ち上げられ、ウィードは畳に座り込んだ。
「骨は綺麗に折られてるが、傷は見た目より深くないな。切れ味の悪い物でやられたか、もしくは、魔導具あたりの仕業だろ」
「あのな、わかめはん。うちにもわかるように言うてくれはります?」
小首を傾げたユウメと、口元を歪めたジロウの顔があった。
ウィードは頷いた。
「ああ、衝撃波を生み出す魔導具を使うと、同じような傷になるんだ。まあ、それはいいから、この男にしばらく無理はさせるなよ。安静にしてれば、三日くらいで骨も繋がるさ」
「ほんまなん? やっぱり幻の霊薬みたいやねぇ」
ユウメが嘆息し、粘液に塗れた男へ包帯を巻き始める。
それを眺めて、ジロウが無精ひげに手を添えた。
「ふん? それで何が所望だ。そなた、言ってみろ」
「必要ない。これはキシマさんを救ってくれた、この人への礼だ」
「……余に礼を言えと申すか」
明らかに不機嫌な表情をしたジロウが、薄目で海藻を睨んだ。
その程度で心を乱すことも無く、ウィードはふんぞり返る。
「別に、君から礼を言われる筋合いはない」
「筋合いだと? ダンゾウは余の配下だ。余の命令で動いていた。それを助けたと言うのであれば、余を助けたのと同義よ。道理は通っておる」
「そうか。なら、礼は受けるぞ」
「断る。余は頭を下げぬ」
ジロウが険しい顔をして、横を向いた。
たまに横目でウィードを睨んでは、舌打ちを繰り返している。
「――――ちっ」
「…………」
いつになったら浪人の怒りが爆発するのだろう、とウィードが興味深く見守っていると、それより先にユウメから声をかけられた。
「なあなあ、ワカメはん? 後生やからこの方の言う通りにしはってくれへん? 代わりにうちが御礼しますよって」
「君からの御礼よりも、そこの面倒くさい男が頭を下げる方がいい」
ぎり、と歯噛みする音がした。
腕組みしたジロウが、噴火寸前の火山を思わせるほどに怒りを溜めていた。
「……あかんわ」
それを見て慌てたユウメが、ウィードにしな垂れかかった。
芽茎を優しく抱きしめて、甘い吐息で耳打ちする。
「堪忍してくれへん? うちが出来ることやったら何でも言うてんか? ほんまに何でもええよ」
「おい、そこの浪人。部下にこんなこと言わせて――――むぐ」
海藻の芽をユウメの手で塞がれた。
彼女が小さな声で言う。
「誰かは言えへんけど、この方は妖精皇国でとてつもなく偉い方なんえ? 普通なら口さえ聞けへんほどやんか。せやから、な?」
「ああ、こいつが偉そうなのは態度でわかる。けど、部下のために頭も下げられん――――うおっ」
ウィードは押し倒された。
ユウメが片手で自らの帯を外しながら言う。
「こうなったらもう、無理やりにでも御礼を受け取ってんか。ワカメはんが聞き分けのないことばっかり言いはるから悪いんよ」
「それは光栄なことなんだが、辞退させてもらおうか。房中術で御礼されたくないからな」
「何や、気づいてたん?」
ユウメが手を止めた。
房中術とはつまり陰陽和合の術で、互いに高め合うための術ではあるが、彼女は誘惑の術として使っていた。
ウィード自身は、あまり必要のない知識だと考えていたが、魔王であったときの配下に説得されて、一通りではあるが、夜のお勉強を強制させられていた。
権力者が色仕掛けで狙われることが多いのも、それが効果的であるからだ。
対抗する手段を整えるのは、王としては当然のことだった。
「一応、勉強させられたからな」
「ふぅん、いけずなわかめはんやな。そんならうちとどっちが上手か、試しとうなりますえ?」
甘く、喉の奥に張り付くような香りが立ち上る。
ユウメの手の中で、刺繍の入った豪華な香り袋が握られていた。
恐らくは媚薬か興奮剤の類だろう。
しかし、相手は海藻だった。
「ははは、その程度で俺の防衛術は突破できないぞ」
「え? ほんなら、この真っ直ぐ立っとる根っこは何なん? ん? 言うてみ」
根っこを優しく握りしめたユウメが、薄笑いを浮かべた。
ウィードは事態を飲み込むことに苦労した。
彼の意志とは反して、本当に一本だけ根っこが直立していたのだ。
「………は? いや、え。おかしいな」
「つまり、うちの勝ちやね。あーん」
ユウメが口を開けてウィードの葉を口に含もうとしたとき、ジロウが呟く。
「――――やめよ。そなたの臭いは鼻に付く」
その一言で、ユウメが残念そうに口を尖らせた。
指先で葉にのの字を書いて、悔しがっている。
「ああん、もうちょっとで食べれはったのに、ジロウ様のいけず」
「阿呆だな。そこなワカメはいつでも逃げられたわ。むしろ、余の反応を見ていた」
「えっと、それは、衆道ってことなん?」
頬を染めて言うユウメに、苦虫を噛み潰した顔を見せるジロウだった。
「ええい、気色が悪いことを抜かすな! ワカメ無勢が余の器を測っておったということよ。……まあ、おかけでワカメの素性も少しは見えてきたがな。房中術を知っているだけならまだしも、対抗手段を備えているとは、そなたの生い立ちも知れたものよ。おかげで態度のでかさも納得であるぞ」
「態度のでかさはお互い様だと思うけどな」
葉に指で落書きされることを不満に思ったウィードは、ユウメから少しだけ離れて座りなおした。
それでも彼女が畳を這って追いかけてくる。
「こら! めっ、やでワカメはん。この方をどなたと心得るん?」
「浪人でいいんじゃないのか? 聞いても面倒そうだし」
両手を回してこようとするユウメを、伸ばした葉で阻止しながら言った。
そこでジロウが、肩の力を抜いて笑みを漏らす。
「そなた、何処ぞの王であったのだろう。それも大国だ――――それが今ではワカメの魔物か。何たる運命の川の道化よな。川を流れる石でさえ丸くなるというに、ワカメ風情が威を張るなど、片腹痛すぎて腹が捻り切れるわ」
「……うん、俺は馬鹿にされてるのか?」
殴っていいよな、と訴えかけるウィードの視線が、ユウメに向けられた。
すると、彼女も苦笑いを返してくる。
「わかりにくいやろうけど、これでも褒めとるんよ。大絶賛やえ? わかりにくいけど」
「そうなのか。嬉しくないな」
曖昧に頷きつつ、ユウメの苦労を感じるウィードであった。
そんなことを露とも気にせず、ひたすら唯我独尊を地でいくジロウが、名案を思い付いた時の態度で言い放った。
「おい、ワカメ……いや、ウィード。余の部下と――――」
「断る」
「――――なれ」
ジロウの言葉が終わる前に断言するウィードであった。
彼は魔王国に帰りたいのであって、妖精皇国で士官したいわけではない。
しかし、この類の相手が一筋縄でいくこともなかった。
「ふん、その返事も織り込み済みよ。生意気なことにな。しかしまあ、許す。余は寛大だ」
「いや、俺は断ってるんだが」
顔があるだろう場所の前で、彼は葉を横に振る。
それを見てユウメが首を振る。
「あきまへんえ? このお人はな、見かけよりもしつこう来ますえ」
二人の会話を聞いていたジロウが、頬を歪めた。
「おい。そなたら、余の力を侮るなよ。情報とてダンゾウから仕入れておる。……ときに、そなたは魔導具でワカメにされたそうだな。嘘か真かまではわからぬが、この国で魔導具を探すのに余の力を借りぬ手はないぞ」
「面倒なんで外を当たるよ」
背を向ける彼に、してやったりとジロウが高笑いした。
ウィードが困っていることを確信したからだ。
「ふはは、良いだろう。そなたは余の手を借りずに魔導具を見つけるか。まあ、万歩譲って元に戻れたとして、問題はそれからよ。どうやって故郷に帰るつもりなのだ。妖精皇国は現状、鎖国しておる」
「……は?」
最初は言われている言葉の意味が分からなかった。
そして、鎖国という意味が遅れてやってきた。
ウィードが葉を巡らせてユウメを見ると、彼女が頰に手を当てて顔を傾けた。
「そうやよ。知らんかったん?」
「列強に名だたる妖精皇国海軍が、領海で綿密な海上防衛を行なっておるわ。ま、ワカメなら見逃すだろうが、人族は見逃さぬであろうよ」
「なんで、そんなことに――――」
誰とも向けられていない呟きが、ウィードから漏れた。
彼が知っている妖精皇国は、自然の要衝とも言える海に囲まれた島国家だった。
稀にみる古代遺跡群の特発地帯であり、その故あって冒険者の聖地とまで呼ばれていた。
内陸奥深くにある魔王国ですら、知らない者は居ないと言える。
交易も行っており、特産品といえば当然、魔導具だ。
商人や冒険者のあこがれの地で、一攫千金を狙うものは後を絶えない。
妖精皇国も、交易で莫大な利益を生み出していたはずである。
それが鎖国、というのはウィードでさえも驚きを隠し得なかった。
彼の様子を見ていたジロウが、無精ひげを擦って言う。
「流石は大国の王よ、それなりに政治的見解もあるらしいな。我が国のことも知っていたようで、余としても満足な反応だ。良きに計らえ」
「――――はぁ」
ウィードは大きく溜息を吐いた。
帰国する最後の手段として、セイカに頼み込んで渡航することも考えていたが、鎖国しているのであれば無理な相談だった。
彼女ならば、一緒に泳ぐでござる、などと言い出しかねないから今まで黙っていたが、これで八方塞がりとなった。
ジロウの嬉しそうな視線を受けて、彼は葉を広げて見せた。
「わかった。状況を教えて貰って感謝する。……けどな、俺は故郷に帰るつもりだから、部下にしても仕方ないだろ。鎖国だって、どうにかなる物でも無し」
「ふわはははっ、話を聞く気になったか」
かんらからと高らかに笑うジロウが、腰元の瓢箪を取り出した。
振って中身を確かめ、量が少ないことを知った。
「ユウメ、酒を持ってこい。一番良いのをな。出し惜しみするなよ。そなたの同僚の祝いである」
「え、ほんまですえ? 一番となると『天樹の雫』なんやけど……」
「そなた、何というものを持ち出してきておる――――まあよい。二言は無い。開封せよ」
「え、え、うちも飲んでええんですか?」
「よいから早く持ってこい」
「まかしといてんか。今日はええ日やねぇ、もう」
ユウメが立ち上がり、着崩れた着物を直す時間も惜しいとばかりに、急いで部屋の外に出た。
彼女の鼻歌が聞こえなくなる辺りで、ジロウが居住まいを正した。
胡座をかいていた膝が揃えられ、正座をしている。
背筋に鉄の棒でも刺さっているかと思うほどの直立姿勢だった。
それでいて、神聖な雰囲気さえ漂わせてくる。
最初からジロウがこの様子であったなら、ウィードも大きな態度は取らなかったろう。
「――――気づいておると思うが、余は皇族に連なるものである。此度は配下の命を救って貰い、感謝する」
ジロウが、会釈にも満たないほどに頭を動かした。
殆ど頭を下げたとは思えない動作だが、その行為の重みが違う。
国家元首に類する者ならば、その者の謝罪は国家の謝罪となる。
会釈だけで戦争が起きかねない事態もあるだろう。
ウィードも海藻ながらに姿勢を正し、真面目に答える。
「こちらこそ、恩人を救ってもらって感謝している。これで手打ちに――――」
「いや、せぬよ」
素浪人の顔に戻ったジロウが、意地の悪い笑い方をしていた。
急に態度を戻した所為で、態度の悪い彼にウィードが感謝する構図となっている。
「……一回殴ってもいいか」
「酒が入ったら良いのではないか? まあ、余が許しても、他の者がうるさいかもしれぬぞ。まったく、気軽に感謝も喧嘩も出来ぬ立場は困ったものだ」
「その割には、上手く立場を使い分けるもんだな」
ウィードの皮肉を聞いて、ジロウの表情が崩れる。
無精ひげが生えている年齢であるというのに、少年の笑顔だった。
「かっかっか、小気味よいな。今宵の酒は旨そうだ。そなたも存分に呑めよ。今日を逃せば、当分は飲めぬ酒だからな」
「酒、ねぇ」
色々と誤魔化された気がしないでもないウィードだったが、興味はあった。
あのユウメが眼の色を変えて飛び出すぐらいだから、相当の酒であることは感じていた。
ただ、妖精国の物の価値がよくわかっていない彼には、あまり見当がつかない。
そんな考えを知ってか知らずか、ジロウが得意そうに言う。
「大したものでは無い。妖精皇国の宝物殿にある献上品でな、酒瓶一つで大城が買える程度の物よ……だが、市場に出しても意味は無いぞ。素性がわかれば高値がつくが、出所も同時に判明するからな。皇帝印の入った酒を勝手に売買するなど、斬首では済まん」
「厄介な酒だな」
素直なウィードの感想に、ジロウが頷く。
彼が持っていた瓢箪をひっくり返し、最後の一滴まで酒を飲んだ後で、含み笑いを零す。
「それだけの価値はあるぞ」
「ふぅん」
ウィードは気の無い振りをしつつ、廊下を走って戻ってくるユウメの足音を聞きいた。
怪我人の横で酒盛りしてもいいものかと、少しだけ考えたが、満面の笑みを見せる彼女が部屋には行って来た時には、そのことをすっかり忘れていたのだった。




