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騎士になりました  作者: 比呂
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旅籠


「やっぱり、身体が海藻というのはどうにもなぁ」


 ウィーイドは益体も無いことを呟きながら、畳の上で腹筋を鍛えていた。

 茎を真ん中から折り曲げるだけで、効果は期待していない。


 どうしてそんなことをやっているかというと、暇なのである。

 朝から外を眺めたり、部屋の中を走り回ったり、身体を鍛えられるか試していたりしたが、夕暮れ時には何もすることが無くなってしまった。


「……ふう」


 彼は腹筋運動を止めて、畳に寝転がる。

 木目が見える天井を見て、この旅籠について考えた。


 彼が逗留しているのは、キシマの知り合いが経営する小旅籠だった。

 宿場から少し離れた閑静な場所へ立てられており、華美でこそ無いが雰囲気のある建屋をしていた。

 キシマ家が漁師をしているので、魚を卸す関係で知己を得たらしい。


 その旅籠は家族経営で成り立っており、住居が二棟あった。

 片方を家族で使い、もう片方を旅籠として使っている。


 旅籠の客間は三組の宿泊客が泊まれるようになっており、ウィードたちの他には素浪人が一人だけ泊まっていた。

 セイカたちは出払っていて、話し相手もいない。


「暇だなぁ」


 彼も魔王国のことが気がかりで、動きたいのに何もすることが出来ないというのは、苦痛であった。

 それというのも、旅籠に到着してすぐに各人の役割が決まったからだ。


 旅籠に宿泊するとして、各人の懐具合が乏しかった。

 特にウィードとセイカは無一文である。


 いつまで旅籠屋に世話になるか決まっていないので、キシマの財布を当てにするのも難しい。

 加えて、キシマなどは村人の行方を聞き込みをするために忙しいが、他の二人と一束はあまりやれることが無い。

 

 そこで旅籠屋『竹雲屋』の女主人であるユウメ・ホウマの提案があり、ミウミが飯場で手伝いをする代わりに、宿賃を安くしてもらうことになった。

 

 ウィードとセイカの扱いには困った様だが、セイカには護衛の仕事があった。

 近頃、この界隈で辻斬りが出ているというユウメの話で、それに女剣士はうってつけだった。


 問題は、ウィード自身である。

 流石に旅館の主人にまでは嘘を吐けず、元人間であることを話しておいた。


 始めは魔物扱いであまり理解されなかったが、最終的には『喋る観葉植物』ということで落ち着いた。

 無論、人前へ出てはいけない、という条件を出されている。

 他のエルフに見つかると目立ちすぎるためだ。


 ――――しかし、暇過ぎた。


 暇潰しの腹筋運動にも飽きた彼は、この旅籠にある温泉風呂のことを思い出した。


「ふむ。湯を張った泉とは珍しいよなぁ」


 エルフは毎日、湯を張った風呂に入る習慣がある。

 彼がまだ人間だった頃、そこまで水と薪を消費した生活は送れなかった。


 これだけで、妖精皇国が資源豊かであることがわかる。

 流石は音に聞く『黄金の都』がある国だと、感嘆するしかなかった。


 更に温泉とは、湯水が溢れ出る泉だと聞かされていた。

 風呂は見た事があるものの、彼でさえ温泉は見たことが無い。


 暇を持て余すウィードに、興味を止めることが出来なかった。


「よし、行ってみるか。隠密行動の良い訓練になりそうだ」


 訓練という名目で理論武装したウィードが、跳ね起きて立ち上がった。

 周囲に人の気配は無い。

 少なくとも、客間のある建物には誰もいなかった。


 襖を開いて、廊下に出た。

 音を殺して廊下の端に沿って歩く。

 そのまま廊下から外に降りた。


「大丈夫か、これ」


 エルフ建築は、誰でも簡単に家屋へ入り込める造りになっているので、賊などの襲撃が心配になるウィードである。


 彼なりに建物や地形を把握して、もしものときの防衛計画を練りながら、匍匐前進で温泉を目指す。


 生い茂った草木の中で、這って進む海藻を見つけられるものはいない。

 入宿の折に、女将のユウメから周辺の間取りは聞かされていたので、迷うことも無かった。


「こっちか」


 時折周囲を確認しながら、雑草を縫って匍匐した。

 段々と隠密行動が楽しくなってくるウィードだった。


 僅かな硫黄の香りと、温い湿気を葉に感じる。

 彼は崖の突端に辿り着く。

 そこはちょっとした岩場の高台となっており、見下ろした所に石造りの温泉があった。


「ほう、これは凄いな」


 敷石で組まれた泉に、並々と湯が溜まっている。

 泉の端にある大岩に開いた穴から熱湯が溢れ出ており、蒸気が揺らめいていた。


 そのため、近くを流れる川から水を引き、ちょうど良い温度にする工夫がされている。


「………うん」


 ウィードは自分の葉を見ると、泥や枯葉で汚れていた。

 肩のような場所を回して、こきり、と茎を鳴らす。


「まあ、ここまで来たら試してみたいよなぁ。後払いで入らせて貰うとしようか」


 年齢を重ねた為か、彼も湯船に浸かる誘惑を絶ちきれなかった。


 彼は岩場の高台から、勢いよく飛び降りた。

 衝撃もなく、ふわりと地面に着地する。


 石組みの上まで近寄って、温泉に根っこをそろりと差し込むと、ちょうど良い湯加減だった。


「いいなぁ、どういう構造なんだろうなぁ。魔導具でも地下に埋まってるのか? そうだったら一つ欲しいところだが」


 葉で湯を掬い、身体を洗い流してから湯の中に滑り込んだ。

 ほかほかと心地良く、涼しい風が葉を撫でて行く。


 そのとき、ウィードは気付いていなかった。

 ――――己の体色が鮮やかになっていき、とある成分が湯の中に染み出していることに。


「うあー、いいなぁ」


 どうにかしてヴァレリア王国に持って帰りたい気持ちが湧きあがってきた。

 湯の中で泥が舞い上がらないように敷き詰められている平らな石を、持ち上げて見たくなってくる。


 葉が少し捩じられたが、それだけだった。


「仕組みも分からないものを勝手に動かして壊したら、それこそ面目ないからな。止めとこう……ん?」


 温泉の気持ち良さで緩んでいた気配探知だったが、二人のエルフが近づいていることに気付いた。

 脱衣所となっている東屋から、女性たちの声が聞こえる。


「女将、本当によろしいのでござるか?」

「ええんよ。今日は護衛してもろて、ほんまにありがとうねぇ。狭いとこやけど、喜んでくれると嬉しいわぁ」

「滅相も無いでござる。こんなに広い温泉の貸切など……ん、温泉に師匠の気配が?」

「――――まずい」


 ウィードは全力で気配を消した。

 水音すら立てずに温泉から滑り出ると、一目散に岩肌を駆けあがった。

 草木に紛れ、呼吸の必要も無いのに息を殺す。


 遅れてセイカが素っ裸で走り込んできた。

 首を振って周囲を探す彼女であったが、ウィードを見つけることは出来なかった。


「……むぅ、おかしいでござるな」

「もう、セイカはん? 前くらい隠して温泉に入りはったら?」


 ユウメが静かに追いかけてきた。

 彼女は薄手の手ぬぐいで申し訳程度に身体を隠していたが、豊かな身体の膨らみを隠しきれるものでは無かった。


 眉を寄せたセイカが、温泉の匂いを感じて言う。


「これは?」

「正真正銘、天然の温泉やえ。少し硫黄の匂いがしはりますやろ」

「うーん、確かに師匠を感じたのでござるが……」


 屈みこんで温泉の中に手を差し込み、湯を掬ったセイカが、水質と粘りを確かめてから飲み込んだ。


「ごくり」

「へ? 飲みはったん? ぺっ、しなはれやぁ。お腹壊しますえ」

「……この香り、この艶、この旨味は、師匠のもので間違いないでござるが――――流石は師匠、まったく気配が読めませぬ」

「はあ? あのワカメはん、温泉に入りはったん?」


 呆れた顔をするユウメであった。

 少し迷惑そうな態度を見せたが、セイカの表情が輝いていたので、嘆息するだけに止めていた。


「どないしはります? 湯が入れ替わるまで待ってもええよ?」

「そんなもったいない! 今すぐ入るべきでござるよ女将」


 女将の困惑を意にも介さず、すかさず温泉に滑り込んだセイカであった。

 湯に一浸かりするなり、彼女の肌が艶やかに輝き始める。


 長髪もしっとりと色味を増し、外回りで日に焼けた肌が白くなった。

 セイカが温泉に浸かったまま、手のひらを広げてユウメに見せた。


「師匠の効果は凄いのでござる! 骨まで見えていた傷が、ほらこの通り、跡形も無く治っているのでござる」

「へぇ、凄いんやねぇ、あのワカメはん。幻の霊薬みたいやね――――」


 ユウメが半信半疑で頷きながら、そっと足先を温泉に入れた。

 それだけで、普段と温水の重みが違っていた。


 粘りのある温かみが、皮膚からじわりと浸透していく。

 彼女が腰まで湯に浸かった時には、背筋を這いあがっていく独特の快感に支配された。

 隅々の毛穴が開き、肌が甦っていくことが実感できる。


「何やこれ、うちの温泉やないみたいやわぁ……」


 気持ちが蕩けてしまう快楽を味わい、上気した頬を桜色に染め、静かに悦を漏らす。


 火照った身体を涼やかにしてくれる微風が、何とも言えず心地よい。

 疲れという疲れが、体の芯から手先足先に向けて流れ出ていった。


「あぁ……うち、いつまででもこうしてたいわ。ほんま、セイカはんの言う通りやったねぇ」

「師匠は食べても美味でござるぞ。この世のものとは思えぬ至福であった」

「え! 食べはるの? お師匠はんを?」


 普段から細めの目を完全に見開いたユウメが、湯から飛び出す勢いで驚いていた。

 これにはセイカも苦笑いを返す。


「いやあ、今さら頼んでも無理でござるがな? 師匠に敗北して首を差し出そうとしたところ、拙者を慮って下さり、生きろと言わんばかりにその身を分け与えて下さったのでござる」

「はあぁ。強いんやねぇ。そこまで言われはるなら食べてみたいんやけど、流石に首はよう出しまへんえ」

「はっはっは、師匠は強いと言うものではござらぬ。謙遜すれども、あの方こそ天下無双にござる」

「そらね、そないに強いワカメはんがようさんおったら、うちら暮らしていけまへん……でも、毎日この温泉に入れるんやったら、うちに居って欲しいわぁ」

「あ、それは全然無理でござる。師匠は拙者と旅をする予定でござるので」

「もう、いけずやなぁ」


 二人の笑い声が、岩場まで響いてきた。

 今までずっと繁みに隠れていたウィードは、温泉に入ったことをユウメが怒っていなくて安堵した。

 そして、勝手なことを言ってるなぁ、とセイカに呆れていた。


「……ま、仕方ない。部屋で大人しくしてようか」


 彼は匍匐して、元来た道を戻る。

 せっかく温泉に入ったものの、帰り道で泥だらけになってしまうことを思うと、少し憂鬱だった。


 落ち葉の上を音もさせずに歩く。

 ウィードは己自身の身体について、わからないことだらけであることを思い知った。


 まさか湯に浸かると、粘液が染み出すとは考えてもいなかった。

 これが努力で止められるのかも不明なので、色々と試す必要があった。

 

 今までに判明している海藻の特徴は、ほぼ食材としての利点くらいだろう。


「この調子だと、いつになったらヴァレリア王国に辿り着けるか、わかったものじゃないな」


 嘆いていると、彼の目前で落ち葉が舞った。


 ウィードは手刀でも振るうつもりで、葉を斜めに振り下す。

 落ち葉は何事も無かったように地面へ落ちると、鮮やかな切り口を残して二つに分かれた。


「うーん、切れ味は良いけど、葉がしなるから切り返しが難しいんだよなぁ」


 未だに使いこなせていない、海藻の身体である。

 ウィードの葉の中で、一葉だけ斜めに斬り落とされた箇所があった。


 セイカに斬られたところで、治すのを保留していたのだった。

 もういいだろうと、実験ついでに生やしてみることにした。


「ふっ」


 息を膨らませる要領で、斬られた箇所に圧力をかけた。


 すると、粘液まみれの新葉が、違う生き物でも生まれるように生えてきた。

 あまり気持ちのいい光景でもなかったので、考えないことにする。


「人間離れし過ぎるのも、困りものだな。……というか、人間に戻れるのか?」


 初歩的な疑問を思いついたウィードだが、誰も答えてくれる者などいない。

 ただ、答えが無いからといって、やるべきことが変わるわけでも無い。


「ヴァレリア王国が平和なら、家族で温泉旅行でも行きたいところだがな」


 願望を呟きつつ、ウィードは匍匐前進を再開する。


 部屋に帰れば、頃合いの時間だろうと考えた。

 一先ずはキシマが集めた情報を踏まえて、今後の策を練るつもりであった。


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