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騎士になりました  作者: 比呂
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残心


 山間から陽光が差し、朝の訪れを感じさせた。

 仕事の早い者たちは、夜明け前から漁船を出して漁に出ている。


「うん、一つ勉強になった」


 そう頷いているのは、来客用の布団から身を乗り出しているウィードだった。

 まさか海藻も睡眠することが出来るとは、考えていなかった。


 彼の布団の横には、静かな寝息を立てるセイカがいた。

 その向こう側に、布団からはみ出して畳の上で寝ているミウミもいる。


 ミウミの寝相が悪すぎて、着物が肌蹴て褌が見えていた。


「む、若い娘がみっともないなぁ」


 ウィードは布団から出て、ミウミに布団を掛けてやる。

 それから、寝ている二人を起こさないように障子を開けて、廊下に出た。


 昨晩の騒動が嘘だったように、静けさと平穏があった。

 彼も宿泊する気は無かったのだが、キシマとミウミに懇願されたので、渋々ながら泊まることにしたのだった。


 キシマに頼まれたことは、卑怯な手で負けたセイカが怒り出して村を見捨てるかもしれないので、彼女の面倒を見ることだ。

 セイカの言動から考えて、そんな非道なことをするエルフでないことは周知の事実である。


 しかし、彼がここで村から出ていけば、悔しい思いを抱えたセイカがウィードを追いかけかねないというのだ。


「まあ……確かに」


 部屋を振り返って、セイカの安らかな寝顔を見た。

 その様な心根の素直な彼女が、どうしてカラハギの手下になっているか、という疑問が湧いていた。


 彼女ほどの腕ならば、妖精皇国の地方を治める藩主お抱えで、武術指南役くらいは楽に勤め上げられるだろう。


「実技の面だけは、飛び抜けてるんだがなぁ」

「――――くしゅっ、ずびっ」


 くしゃみをしたセイカが、上半身を起こした。

 寝ぼけた眼を擦りながら周囲を見回す。


「……はて、拙者はどうしてこのようなところで眠っていたのか」

「おはよう」

「はあ、おはようございまする。ところで厠はどこでござるかな?」

「多分、屋敷から離れたあの建物だろ」


 ウィードが葉で指した方向に、小屋があった。

 水洗式の厠など望むべくも無いので、推して知るべしだった。


 元魔王の肩書を持っているウィードでも、水洗の厠などヴァレリア城や上級貴族屋敷などでしか見たことは無かった。


「かたじけない」


 立ち上がったセイカが廊下に出て、自分の草鞋を履き、離れた厠へ歩いていく。

 そこへ、訝しげな顔をしたキシマが廊下の奥から現れた。


「おや? ウィード殿、仲直りされたのじゃろうか」

「いや、寝ぼけているだけだな。どうして自分がこの屋敷で寝ていたのかも忘れてたぞ。俺に厠の場所を聞いてきたからな」

「……早めに説明しておいた方が、良いのではないじゃろうか」

「そうは言っても、用を足しているところを邪魔するわけにもなぁ」

「むしろ、反撃されなくて良いじゃろう」


 厠にいる時くらい戦わないだろう、と言うのがキシマの意見だった。

 だが、ウィードにはどうしてもその気になれなかった。


 キシマの方が年齢を重ねて知識も豊富だろうが、変態の相手をしてきた経験は自分の方が上だとウィードは思っている。


 その経験によると、セイカが昨夜のことを思い出した途端に、何もかも放り投げて飛び掛かってくる確率が非常に高いと言わざるを得なかった。


「いや、止めとこう。もしも暴れ出したら、俺が責任を取る」

「まあ、それなら良いのじゃが。……おお、そう言えば朝餉はどうするかね。朝獲れの魚介もあるのじゃが――――お主、食えるかのう?」

「いや、俺もわからない。とりあえず、人目がないところで試させてくれないか?」

「ふむ、それではこの部屋に運ばせたらよいじゃろう。おーい」


 キシマが声をかけると、痩身で年若いエルフの青年が現れた。

 やはり海の男らしく、羽織と褌の姿だった。


 ウィードの姿を見て驚くと思っていたら、見えなかったもののように扱われた。

 キシマが言う。


「この子は近所の子でな。トウシと言うんじゃ。ウチは男手が足らんで、奉公して貰っておる。儂が居ないときには、孫かこの子を頼ってくれ」

「そうか、頼むよ」


 ウィードがそう言うと、トウシが小さく会釈するのだった。

 無視したのではなく無口なのか、とウィードは思った。


「それじゃあのう、膳の準備を頼むぞ」

「…………」


 キシマに頼まれたトウシが無言で頷き、屋敷の奥へ姿を消した。

 ちょうどそこで、眼が虚ろになっているセイカが、弱々しい足取りで戻ってきた。


 ウィードは気遣わしげに言う。


「そんなに臭かったのか」

「んなっ! 乙女に対してその言い方は無いでござろう!」


 一瞬で顔を赤くした後に、髪を逆立てる勢いで捲し立てるのだった。

 これに対しては、ウィードも素直に謝罪する。


「すまん。これでも一応、気遣ったつもりなんだが」

「気持ちだけ気遣っても仕方ないでござる! もっと言葉の内容を選んで欲しい!」

「えっと……そんなに大きかったのか?」

「全然わかってないでござる! 厠の話題から離れて!」


 今にも暴れ出しそうなセイカの剣幕に、ウィードは頷くだけだった。

 キシマが気の毒そうに言った。


「のう、セイカ殿。朝餉でも食べられぬか。用意はさせるでのう」

「まあ、それだけ出したら腹も減るだろう」


 ウィードがいらない言葉を付け加えた。

 それでセイカの一線を超えてしまったのか、彼女が急いで部屋に戻り、愛刀を探していた。


「儂は知らんぞ。厠にいるときに声をかけておいた方が良かったじゃろう」

「いや、それはない。もし厠から飛び出してきた下半身丸出しの女剣士と戦わされることにでもなってみろ、俺は逃げるぞ」


 ウィードがそんなことを言っていると、刀を見つけたセイカが飛んで戻ってくる。


「いざ、尋常に――――」

「君の方が尋常ではないんだが」

「うるさいでござる! 参る!」


 走って加速を付け、さらに抜刀術を披露するセイカであった。

 非凡な剣筋とも言えるが、勢いと怒りで剣が曇っていた。


 要するに、狙いが定まっていないのである。


「理の無い剣は、自分を傷つけるぞ」


 ウィードは彼女の抜刀術を紙一重で交わし、避けざまに手首へ一撃入れた。


「くっ」


 苦悶の表情を浮かべ、態勢を崩しながら通り過ぎるセイカだった。

 それでも何とか踏みとどまろうとして動きを止めたところで、わずかに足元が崩れた。


 そのまま転びそうだったが、ウィードの葉が伸びてくる。


「ぬ――――こら、離すでござる! 真剣勝負の途中であろうに!」


 手足を動かそうとして暴れるセイカであったが、葉に巻きつかれて身動きが取れなくなっていた。

 そこで彼女が関節を外して脱出しようとするので、セイカの動きを読んだウィードが拘束を解いた。


 セイカが一足飛びでウィードから離れ、再び刀を鞘に戻して抜刀術の構えを取った。。


「……何のつもりでござるか」

「別に。どう考えてもらっても構わない。ただ、朝飯くらいは食わせてくれ。キシマさんにも迷惑がかかるだろ」

「ぬぅ。わかったでござる。今はキシマ殿に免じて堪えるが、朝餉が済んだら続きを所望する」

「嫌だ」


 葉を揺らして佇むウィードに対し、セイカが笑みを浮かべて頷いた。

 何故か得意げだった。


「ふん。そうやって素直になっていれば、拙者も聞いてやらぬでは――――って、今何て言ったでござるか?」

「だから、嫌だ」

「え? だって、お主は魔物でござろう? 戦いに飢えた残虐極まりない存在で、人を襲いたくて身悶えしているのでは?」

「それだけ聞くと、全部、君のことだな」

「無礼な! ならば、ここで斬り捨てるまででござる!」

「まあ待て」


 ウィードは手のひらを見せるように、葉を広げた。

 腰の刀に手をかけているセイカの動きが止まる。


 そこで彼が告げる。


「昨日、君は自分が負けたら身柄は好きにしていいと言ったな?」

「せ、拙者は負けていないでござる! 汚い不意打ちに騙されただけであろう!」

「ほぅ、汚い不意打ちに騙されなければ、勝っていたのは自分の方だと言う気かな」

「当然でござる」

「だったら、どうして厠から帰って来たときに暗い顔をしていたんだ? 腹調子が悪かったわけでもないんだろう」

「それは――――」


 途端に彼女の表情が曇った。

 理由はウィードにも理解出来る。


「武人であるからには理由が何であれ、勝負の最中に意識を失った時点で負けたも同然だ。汚い不意打ちだとしても、君が倒れたことに違いは無い。それこそ、寝首を掛かれていても不思議じゃないだろ」

「確かにそうでござるが、では何故、拙者は生きている?」


 返答次第では刀を抜きかねない態度で、セイカが問うた。

 それも構わぬと、ウィードは無防備にも背を向けた。


 表か裏か分からない姿を見せて、彼が言う。


「君の剣には、まだ先があるからだ」

「それはどういう意味でござろうか」


 セイカが訝しげな表情を浮かべた。

 既に剣気は薄れており、戦おうとする様子は見られなかった。


「君の剣は、まだ完成されていない。生きていればその剣で、俺に勝つ日も来るだろう。そして生きるためには、飯を食べなければいけない。飯を食った後なら、君が襲いかかってくるのも止めはしないさ」


 根っこを動かして器用に歩き、ウィードは縁側に立った。

 すると、渋々といった態度ではあるものの、彼の後をセイカが追ってくるのであった。



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