王の帰還2
ヴァレリア城――――通称、魔王城の城門前で、門番とユーゴが言い争っていた。
「あの、俺、元魔王なんだけど」
「何を言ってるか知らんが、予約の無い面会者を通すわけにはいかん」
黒い鎧に銀の装飾を施した筋骨隆々の魔族が、槍を持ったまま見下して言うのだった。
魔王城には、ユーゴの顔を知らない者も多かった。
先の戦役で魔王軍は壊滅状態に追い込まれ、城も造り直されている。
そんなところへ兵士として入隊してくれるのだけでも有難いと言えよう。
ただ、この門番は素行が悪そうだった。
「ったく、何でこの俺様が門番なんぞをせにゃならんのだ。クソ親父め」
「親父?」
ユーゴが聞き返すと、門番が牙を剥くように吠えた。
「お前は黙ってろ! ここで縊り殺してやっても構わんのだぜ」
門番が槍の穂先を下げ、ユーゴの肩に乗せる。
「このまま首を刎ねてやろうか」
「……この門番で大丈夫かな」
ぽつり、と彼が漏らした言葉を聞いた門番のこめかみに、血管が浮き出た。
「ああん! いい度胸してんじゃねぇか!」
「うお」
ユーゴが突き飛ばされた。
よろけて数歩ほど後ろに下がる。
彼の首元を、白刃が通り抜けた。
門番が槍を構え直している。
「打ち首にしてやらぁ!」
「……まずいことになったな」
ユーゴとしては、特に何の問題も無く殴り倒せる相手ではあるが、これ以上の問題を起こして、シアンの怒りに油を注ぐ真似をする訳にもいかなかった。
時間が経つごとに、周囲が騒がしくなっていく。
「こうなったら仕方がないか」
彼は心に決めた。
この場にいるすべての魔族を気絶させよう、と考えた。
右腕の義手が、肘から手首までにかけて無数に割れた。装甲がわずかに展開される。
その隙間から魔気が漏れるように溢れ出し、義手の内部で魔導機関に火が入った。
「てめぇっ!」
ユーゴの右腕が何か知らないにも関わらず、門番は粟立つ肌を隠しもせずに槍を突き出した。
狙いは肩だった。
口が悪いくせにユーゴを突き殺そうとしなかったのは、門番の矜持かもしれない。
ただ、相手が悪かった。
「かはっ――――」
門番が膝から崩れ落ちる。
圧倒的な理不尽を前に、為す術なく倒れる己を、省みることすら出来なかった。
「よっと」
ユーゴは左手一本で、地面と激突しそうな門番を押しとどめた。
そして、怪我をしないように石畳の上へ転がした。
すると、背後に気配が生まれた。
ゆっくりと後ろを振り返る。
「久しぶりだな」
「本当に、お久しぶりでございます」
そこには、白い顎髭を生やした偉丈夫が立っていた。
歴戦の勇士もかくありや、といった風体で、片眼には眼帯をしてある。
この偉丈夫を見た野次馬たちが、一斉に最敬礼で直立不動となっていた。
偉丈夫が敬意を込めた言葉で言った。
「城門で騒ぎがあり、背筋が凍るような魔気を感じて来てみれば、やはり閣下でしたか」
「閣下は止めてくれ、カール将軍」
「もう将軍ではありません。私も、軍は既に退役しております。ですが、閣下はいつまでも閣下であらせられる。……どうしても、と言われるならば、魔族の流儀に乗っ取りましょう」
カールは自分の髭を揉みながら言った。
魔族の流儀とは、誇りをかけて戦うことだ。
歳を食って尚更に好戦的となったカールに、ユーゴが溜息を吐いた。
「駄目だ。シアンに怒られる」
「もう相当にお怒りだと思いますが。『現』魔王閣下のところまでご案内致しましょう」
「……おい、そういえば」
ユーゴは顔を上げて、カールを薄目で睨む。
カールが、知らぬ存ぜぬ、といった顔で視線を受け流す。
「なんでしょう」
「全部知ってたんだろ」
「はい、知っておりました」
「なら最初から言ってくれよ。そうしたらスムーズに城内へ入れたんじゃないのか?」
「そうでしょうなぁ。ただ、そこのマシュウは、私の息子でしてな。最近、調子に乗っておりまして。門番をやらせたのはお灸をすえる意味もありましたが、『本物の強さ』というものを直に体験させてやりたかったのです」
元とはいえ、近衛兵長にして魔王陸軍総司令官カール・タワーズ大将が、一筋縄ではいかない笑顔を見せるのだった。
ユーゴも、昔の記憶を思い出した。
「そうか、あのときの小さいのか。……でかくなったなぁ」
「血筋でしょう。私に似たのが息子で良かった。姉の方が私に似ていたら、婿の貰い手が無かったでしょうから」
「そんなことはないだろ。強い女は好意を持たれやすいはずだけど」
魔族ならではの価値観かもしれないが、という言葉を飲み込んだユーゴであった。
満更でもない顔でカールが言う。
「嫁の才能に、私の体格を合わせれば、そこらの男なぞと取るに足りませんぞ。まあ、今でも姉の方は魔王軍で上位には食い込むでしょう」
「……親バカだ」
「なに、閣下には負けますぞ。帰還されてそうそう、竜将軍と一緒に演習を台無しにしたそうではないですか」
「すまん」
「ああいえ、非難している訳ではございません。我らは魔族であります。目の前の困難は演習であろうが実戦であろうが、実力排除が決まりです」
ユーゴは苦笑いを浮かべて、足元のマシュウを見た。
素行が悪そうなこの男でも、気を失っているときはあどけない顔をしていた。
「そうか。……それで、そこに倒れてるお前の息子はどうする?」
「放っておきましょう。我らが介抱したとて嬉しくも無いでしょうし、親に見られていたと思えば反発もしたくなりましょう。負けた恥は、己で飲み込まねば身になりません」
「色々考えてるんだな」
「それほどでもありません」
「俺も娘に何かしてやれればよかったんだけど」
「立派な母君がおられるではないですか。父親など、いつもは必要ないものです」
「立派、か?」
ユーゴが首を捻ると、カールが難しい表情になった。
「そう言われると何とも……」
「いや、変なことを言って悪かった。それと、後でマシュウにも謝っておいてくれ」
倒れ込んでいるマシュウに視線を向けてユーゴが言う。
カールは表情を改めた。
「いえ、魔族は鼻っ柱を折られて強くなっていくのです。さて、それではご案内致しましょう」
「ああ、頼むよ。それで、俺とシアンの仲を取り持ってくれると助かる」
「それはご勘弁を願いますな。それでは鼻どころか首から上が消し飛ぶでしょう」
「そんなに?」
「はい。あのような眼に睨まれ続けるのならば、まだ竜将軍の閃光砲を受けた方かマシです」
「あー、アレな」
ユーゴは曖昧に頷くのだった。
あれはあれで目の奥には優しさがあって可愛いんだけど、と考えていた。
それをどう思ったか、カールが物憂げな顔をする。
「心中、お察し致します」
「どこの家庭も一緒か」
二人は勝手に魔王城の門を開き、我が家のように歩いていくのだった。




