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騎士になりました  作者: 比呂
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日はまた昇る

 

 アルベル兵団との戦争から、幾許の月日が過ぎた。

 その被害は今でも残っているが、再建へ向けて進み始めている。


 未曽有の危機をもたらしたこの戦いは、空が黒く染まったことから『黒陽戦争』と呼ばれていた。

 今では通称としてその言葉が使われているほどに、魔族の心情に爪痕を残していた。


 その黒陽戦争の幕引きは、アルベル兵団からの無期限不可侵条約と賠償金によって為された。

 ヴァレリア王国としても、兵力を半分失って国力も絶望的な状態のため、その条件を受諾するしかなかった。


 主戦派の魔族もいるにはいたが、魔王シアンが力ずくで黙らせた。

 その際、彼女が涙を流していたという噂が出た。

 しかし、主戦派の魔族が一人残らず敗れたため、負け惜しみで風説を流したのだということで落ち着いた。


「そういうこともありましたね」


 シアンは当時のことを思い出し、そう呟いた。

 彼女が見ている報告書には、黒陽戦争についての膨大な記録が残っていた。


「もう、これも整理しなくていいんですね」


 その言葉には、安堵よりも寂しさが含まれていた。

 魔王城の執務室で業務を務めてきた事に愛着を感じていたことがわかって、その意外さに頰が緩む。


「ユーゴから無理やり押し付けられて、王務など嫌なものだとばかり考えていたのですが、どうやら、満更でもなかったようです」


 彼女が執務机の上で、書類を元の場所へ戻した。

 必要な王印も全て返上しており、既にシアンの権限を離れている。


 シアンが執務室で業務を行うのは、今日で最後だった。

 それでも遣り残したことは多かった。


 これからヴァレリア王国を復興させていかねばならないというときに王位を離れるのは、罪悪感が募る。

 そのため、少しでも仕事を減らしておこうと、未だ執務室に居座っていたのだ。


 すると、重厚な扉の向こうから、騒がしい足音と喧騒がやってくる。

 勢いよく開く扉の向こうから、シアンの良く知る魔族が飛び込んできた。


「どうかしましたか」

「シアン様! そのお身体で執務など滅相も無い! どうかご自愛ください!」

「それはいいのですが、あなたの態度も魔王としてはどうなのですか?」

「いえ、偉大なる先代魔王様に敬意を捧げても問題はありません」


 エルザ・タワーズ――――が口元を引き結び、しっかりとした表情をして言うのだった。

 シアンは、そう、と真面目に頷いた。


「でも、この椅子は譲らなければいけないものでしたね。私も『あの人』から、押し付けられたのですよ?」

「――――いえ、滅相もありません」


 泣きそうな顔をするエルザだった。

 ようやく嫁入りができると思った矢先に、相手がいなくなってしまったのだ。


 ただし、シアンにとっては夫を亡くした事になる。

 エルザが悲しみを表に出すことは、難しいことだった。


 それを知っているシアンは、微笑んで見せた。


「感情を抑える必要はありません、魔王エルザ。悲しいことがあれば、いつでも頼りなさい。私も、先代魔王にはそうしていました。……いえ、先々代といった方がいいですか」

「そんな、身重のシアン様にそのような――――というか、そんな身体で仕事をしないでください! 私はそれを言いにきたのです!」

「ああ、そうでした」


 今更のように頷くシアンだった。

 自身の膨らんだ腹を愛おしげに撫で、苦笑いを浮かべた。


「いなくなる前に、しっかり子供を残していく辺り、あの人らしいですけどね」

「隙のない御仁です。そうありたいものです」


 腕を組んで頷くエルザだった。

 それを見て、シアンは首を横に振った。


「あ、いえ。私がユーゴに襲いかかって、腕を切り落としてベッドに連れ込んだのです」

「え?」


 エルザの顔から表情が抜け落ちた。

 次に彼女が浮かべた表情は、尊敬と恐怖が入り混じっていた。


 何故か視線を合わせようとしなかった。

 シアンは手のひらを出して抗議した。


「勘違いしないでください。もちろん、合意の上です」

「何というか、魔族の流儀ここにあり、といった感じで恐縮します」


 エルザの頭の中では、ユーゴとシアンが血みどろの死闘を繰り広げていた。

 その上で愛し合っていた。


 しかし、それをシアンは知る由も無い。


「まあ、いいでしょう。……では、後のことは任せましたよ。私も出来るだけ手伝います。ユーゴが救ったこの国を、放っておくわけにはいきませんから」

「その節はお願いする事になると思います。ですが、シアン様には是非、元気なお世継ぎの誕生をお願いします。出産の折はいっそ、国費で盛大に祝いますか?」


 好意でしかないエルザの問いかけだった。

 シアンの脳裏には、首を横に降るユーゴの姿が思い出された。


「それは必要ありません。そのような資金は、今のヴァレリア王国には存在しません」

「ああ、いえ、魔族たちの息抜きにもなると思ったのですが」


 意気消沈するエルザだった。

 そう言う考えもあるのですね、と不思議そうに首をひねるシアンだったが、やはり頷くことはなかった。


「それであれば、また別の機会に。どうしても、というのであれば受けて立ちましょう」

「は?」

「といっても私は無理なので、代わりにティルアとフィーナを送り込みます」

「……我が王国の最大戦力ですね。ところで、ティルア様はお元気ですか。軍を引退されてから、お目にする機会が減ってしまったのですが」

「ええ、元気ですよ。むしろ元気すぎて困っています。私は子供が産まれるまでティルアの家で世話になろうと思っていますが、何か伝言でもありますか?」

「いえ、お元気ならそれで結構です。いずれ挨拶に伺わせてもらいます」

「そうですか。では、世話になりました」

「はい。お元気で」


 エルザが見事な敬礼を見せた。

 微笑んだシアンは、答礼し、ゆっくりとその場を後にした。


 敬礼したままエルザが動かないことを、彼女は背中で感じていた。

 シアンが去った後も、しばらくは敬礼を続けているはずだった。


 忠義に厚く義を重んじるのは理解していた。


「私に似て、苦労するでしょうね」


 そんなエルザが可愛くもあり、苦笑いが浮かんだ。

 もっと苦労するユーゴの姿が簡単に想像できたからだった。


「……エルザを嫁がせていたら、ユーゴはどうしていたでしょうね」


 そうであるなら楽しかっただろう、という想いが浮かんだ。

 執務室を出て、絨毯の敷かれた廊下を歩く。

 城内の装飾は、それほど華美では無かった。


 ただ、大切な思い出が湧きあがっては、消えていった。


「まったく、私もまだまだです」


 そう言いながら、目尻に浮かんだ涙はそのままにしておいた。

 ――――もう自分は魔王では無く、一介の魔族なのだから、怒る者もいないでしょう。


「まあ、怒られてもいいですけど」


 魔族の流儀に乗っ取って、誇りを賭けて戦うまでだった。

 彼女は己の手を見る。


 ユーゴの敵討ちを唱える魔族たちを、片端から殴り倒した手だった。

 結局、最後にエルザから説得されて、我に返ったことを思い出した。


 最後の瞬間を見届けたわけではないシアンにとって、未だに実感の無いことではあった。

 しかし、直後のフィーナの憔悴振りと、ティルアの悲しみで理解するしかなかった。


「これで良かったのでしょうか」


 シアンは自分の左胸に手を置いた。

 そこには、完全な形をした《魔玉》があった。


 ティルアの《魔玉》も、修復されているということを聞いた。

 二人の《魔玉》が元通りになった原因など、ユーゴが何かしたとしか考えられなかった。


 それでも、ユーゴが祖龍エキドナと戦った場所で、彼の《魔玉》は見つからなかった。


 呪札として使われてなくなったのか、それともシアン達の元へ還ってきたのかはわからない。

 ただ、ユーゴがいなくなってしまったという報告だけが残った。


 自分たちだけ元通りになっても、ユーゴがいなければ幸せとは言えないだろう。


「幸せにしてくれると、約束したはずなのですが」


 まったくもう、と息を吐いた。

 すると、城門を警護する護衛兵が慌てて姿勢を正すのが見えた。


「ん?」


 考え事をしながら歩き続けていたので、城の外へ出ていた事に、今更ながら気づいた。

 空の日差しを感じて見上げると、どこまでも深い空があった。


「なんでもありません」


 誰にともなくそう言って、シアンは歩き去った。

 そして、手頃な馬車を呼び止めた。


 目的地を告げ、御者に多めの手間賃を渡そうとすると、言葉で遮られた。


「あー、別にいいよ。タダで乗っていきなよ」

「何をしているのですか、あなたは」


 御者の格好をしているのは、エドガー・スミスだった。

 彼が、ひひひ、と悪戯小僧のように笑う。


「あのさ、ユーゴくんがいなくなったから旅に出るよ。ここにいても、つまんないし。別にいいでしょ?」

「構いません。むしろエルザは喜ぶでしょう」

「だろうね。嫌われちゃったからなぁ」

「嫌われたかった、の間違いではないですか?」


 思ったことをそのまま口にしたシアンは、幌も無い荷台へ乗り込んだ。


「反応が面白いからね」


 少しも邪気の無い顔で、諜報機関の元最高責任者が馬車を走らせ始める。

 御者台から呑気な鼻歌が聞こえてきた。


 本来なら、王国の秘密を知り過ぎているエドガーを野放しになど出来ない。

 口封じして国家の闇に葬るべき案件だが、それも不可能だった。


 シアンの見立てだと、エドガーの強さはヴァレリア王国でトップクラスである。

 『暗殺』だけに限定すれば、ユーゴと同等かそれ以上なのは間違いなかった。


 そんな男を止められるはずは無い。

 むしろ、今のタイミングで彼女の前に姿を現したことの方が不可解だった。


「…………」


 そんなことを考えていると、鼻歌が急に止まった。

 いつの間にか城下町から離れて、行き交う魔族の姿も見えなくなっていた。


 馬車の車輪に削られた轍の続く道だけが、延々と続いている。


 エドガーの手元が陽光を反射した。

 それは、蜘蛛を模った武具だった。


 彼が空を見上げて、言った。


「さぁて、もういい頃合いかな」


 冷たい殺気が、シアンに叩きつけられた。

 特に彼女の首元へ、総毛立つほどの殺意が込められていた。


 シアンは何でもないことのように言う。


「私を殺しますか」

「――――」


 黙っていたエドガーが、腕を振るった。

 銀糸が中空に煌き、シアンの髪が舞う。


 ――――カタカタカタ、と車輪の音が響く中で、重いものが地面に落ちた。


 エドガーが呟く。


「殺す? 今更だね。あんたに価値は無いよ」

「…………」

「――――だから、ユーゴくんに感謝するといい。お腹の子供は、大切にしなよ。本当なら、殺してたところなんだからさ。あと、三匹まとめて相手にするのは面倒だし」


 ひひひ、と笑い声を残して、御車台から飛び降りていたエドガーが、霞んで消えた。

 馬車がシアンを乗せたまま、道なりに進んでいく。


 彼女は、銀糸で切られた髪に手をやった。


「恨み言、なのでしょうか。別れ方はそれぞれなのですね」


 息を吐いて、シアンは瞳を閉じた。

 もう一人、ヴァレリア城の地下を魔窟として住みついていたエルフ――――アンリ・カブラギも居なくなった。


 彼女の場合、書置きも別れの挨拶も無く、そして地下室を片付けることも無く姿を消していた。

 フィーナに渡した義手のことなど、聞くべきことが多数あった。


 しかし、それももう叶わぬ望みだった。


「よくもまあ、こんなに扱い辛くて有能な者を集めたものです……あら」


 シアンが愚痴を零すと、その筆頭でもある者達が飛んで来た。

 それは、よく似た親子だった。


 到着するなり、フィーナが鋭い眼つきで周囲を見回した。

 背中から光の竜翼を出したまま、臨戦態勢で問いかけてくる。


「何、今の凄い殺気! 母様、大丈夫だった?」

「ええ、心配いりません。恐らく、私のために迎えを呼んでくれたのでしょう」


 ひどく婉曲な方法ですが、と付け加えるシアンだった。

 それに、エプロンをつけて鉄鍋を持った姿のティルアが反応した。


「ふむ。ところで姉上、髪が短くなっているようなのだが」

「はい、切られました」


 その言葉で、ティルアの表情が固まった。

 今にも完全変貌して周囲一帯を焼け野原にしてしまいそうになった瞬間、フィーナが慌てて止めに入った。


「ちょ、ママ! お料理落ちるから!」

「そうですよ、ティルア。良き母になる修行中でしょう。娘に心配させてはいけません」

「いや、しかし」

「いいのです。髪形も上手に揃えてくれているようですし、仕事の報酬としては安いものです」


 シアンは、ティルアの肩に優しく手を置いた。

 それで少し大人しくなったティルアが、鉄鍋の中身を見て眼を細めた。


「ん、焦げているな? 軟弱すぎるぞ」

「貴方のことです、どうせ長く火に当て過ぎたのでしょう」

「そ、そんなことはないぞ姉上! 私が言っているのは鍋の方だ。ちょっと火力が弱かったから閃光咆で焼いたとはいえ、その程度でこの有様だからな!」

「ええ、もっと根本的なところから勉強し直す必要がありそうですね。台所が吹き飛んでいなければいいのですが」


 小さく首を横に振るシアンだった。

 ティルアの願いが叶う日が、風より早く遠ざかるのを、彼女は肌身に感じていた。


 『黒陽戦争』の後、ティルアが軍籍を辞したのは、ヴァレリア王国として痛恨の極みだった。

 唯でさえ人材不足の折に、有能な戦闘指揮官、それも軍の要職である航空部隊の長が辞任するなど、青天の霹靂であった。


 その理由もまた、ティルアらしいといえばティルアらしかった。


 ――――良き母になる。


 それだけで、すべての軍人を黙らせられるのは、彼女くらいだったろう。

 加えて、ティルアの後任としてフィーナを差し出すあたり、抜け目が無いとも言えた。


 シアンが微笑む。


「さて。頼りにしていますよ、フィーナ」

「はい、母様。私も頑張ります」

「むう」


 笑うフィーナと、唇を尖らせるティルアが好対照であった。

 三人は、同時にユーゴのことを思い浮かべた。


 彼が笑って、この場にいるような気がしたからだった。


 しばらくの沈黙の後、フィーナが言った。



「――――おかえりなさい」



 シアンは、差し出された彼女の手を取って、前へ歩き出したのだった。







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