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騎士になりました  作者: 比呂
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光の道標

 空を覆う黒竜の群れの一端がヴァレリア王国の渓谷へ差し掛かると、赤竜を中心とした偵察飛行隊が飛び上がった。


 竜種を基幹にしているため、強行偵察が主任務であった。

 黒竜の総数を把握し、可能であれば遅延戦闘も行う重責を担っていた。

 

 そして偵察飛行隊は、黒竜の群れと接敵する。


 空中戦――――などと言うものは無く、ただ一つの咆哮によって、偵察飛行隊の全魔族がこの世から掻き消された。


 魔王軍で確固たる地位に座する竜種が、何もできずに斃された。

 そのことが、魔王軍の士気に与えた影響は少なくない。


 これを受け、魔王シアンが魔王城を放棄して段階的な撤退をすることを決めた。

 段階的な撤退としたのは、圧倒的な兵力差のある黒竜から撤退するためには、逃げるための時間を稼がなくてはならないからだ。


 ただ、一部の将兵には、魔族特有の気性が強すぎた。

 せめて一当てしてから撤退したいという魔族兵士たちの考えが撤退を遅らせ、悲劇を生むこととなる。


 魔族にも、黒竜を楽観視する者がいた。

 それは、竜種にとって弱点が無いわけではないからだった。

 要塞のような防御力と火力を有する竜種だからこそ、恐ろしいほどの体力を消費して行動していた。


 ならば、黒竜も竜種である。

 遠方より飛来する竜種が咆哮を浴びせてきたとして、一度か二度が限度であるというのが大方の予想であった。


 そして事実、その通りになった。

 黒竜がそれぞれに叫び、口を開け、黒い奔流を浴びせかける。


 ヴァレリア王国の魔族たちは、塹壕で息を潜めた。

 黒い衝撃が過ぎていくのを待ち――――そして、そのまま消滅した。


 アルベル兵団を待ち受けるための塹壕が、大地ごと姿を消した。

 地表が煮え滾ったように捲りあげられた様は、絶望と言うより他なかった。

 魔王軍の半数が、土くれと混ざり合っていた。


 紛うことなく、圧倒的な惨敗である。

 残された魔王軍は、既に組織的抵抗力もなく、ただただ蹂躙されていく。


 地に降りた黒竜が、その巨体で全てを圧殺していくという様があった。

 黒竜の群れが、城下に迫る。


 戦時とはいえ、数刻前までは穏やかな時間が流れていた城下町が恐怖に染まった。

 非戦闘員には可能な限りの避難をさせていたが、補給のこともあり、逃げ遅れた魔族たちがいる。


 黒竜の群れが城下の家々を目の前にして、咆哮のために口を開いた。

 それを見守るしかない、魔族たちがいた。


 次の瞬間には焼かれ消し飛ばされる運命に臨み、我が子を抱きしめて救いを求める母親がいた。


 ――――この子だけはどうかお助け下さい。


 それは祈りだった。

 純粋な祈りは光にも似て――――たった一人の、完全変貌も出来ない竜種に引き継がれた。


「ここから先、誰も通さないわ」


 黒竜の眼前に、少女が立っていた。

 彼女は、右腕に銀色の手甲を嵌め、美しい金色の長髪を風になびかせていた。

 白く華奢な背中からは、途中で折れたかのような竜の翼が突き出している。


 それでも黒竜が咆哮の準備を止めることは無い。

 黒い竜の波に、魔族一人が立ちはだかったところで、止められはしない。


「私の名前は、フィーナ・アイブリンガー。剣を持つ意味を知る者である!」


 そう宣言し、彼女が右腕の手甲を黒竜へ向けた。


 銀色の手甲――――『破邪の盾』が展開する。

 装甲が割れ、花が咲くように開いた。


 そして、無数に砕け散った。

 装甲の破片が散らばり、宙を舞う。


 フィーナの周囲を段階的に円周で囲い、回転を始めた。

 すると、小さく輝くものが彼女に集まってきた。


 それが何であるか、フィーナは知っている。

 魔族の魂。

 先程まで生きていた《魔玉》。

 彼女は、魔王軍の半数を占める数の《魔玉》を手にした。


 力の奔流が自身の身体へ強制的に流し込まれ、鼻から血を流した。

 眼は赤く充血し、頭が破裂しそうなほどの痛みが襲ってくる。


 しかし、後には引けない。

 剣を持つ意味を決めてしまったからだ。


 ヴァレリア王国を守る最後の番人――――そして、希望の剣となる。

 そう彼女が、自身で望んだ。


「ふふっ」


 フィーナが不敵に笑う。

 今もどこかで戦っているだろう男の姿を思い出したからだった。


 彼女の背中にある歪な竜翼の先から、光が放出された。

 それは巨大な光の竜翼となり、純然たる力として顕現する。


 フィーナは、最後の言葉を放った。


「――――『破邪の盾』、限界突破リミット・オーバー


 彼女の周囲を回転していた破片が、更に強い光を帯びた。

 破片の円運動は収束され、極光の球を創り上げる。


 黒竜が嘶く間もない刹那に、光が突き抜けた。


 ――――黒い竜の群れが、縦に割れる。


 超高出力の閃光砲が、直線上にあるすべてを焼き貫いた。

 フィーナを脅威だとみなした黒竜の群れが、自らの恐怖を塗りつぶすために怒号を上げながら、空と陸の両側から殺到する。


形態兵装モード、『最終戦争アルマゲドン』」


 彼女を覆っていた極光の球体から、無尽蔵の光線が照射された。

 フィーナへ襲いかかる黒い波濤に対し、曙光とも言うべき輝きが押し返す。


 閃光砲に串刺しとされた黒竜が、地面に叩き落とされる。

 地を這う黒竜の眉間に光が突き刺さり、黒竜が倒れ伏した。


 光が暗闇を駆逐して往く。

 朝日が昇り、闇夜を払うように、黒竜の群れは地に落ちた。


 その上空に、光る竜翼を羽ばたかせるフィーナがいた。


「――――っあ、行かなきゃ、ね」


 神経が焼き爛れ、視界が安定しない。

 『破邪の盾』を付けている右腕に、感覚は無かった。


 半死半生といった出で立ちだが、まだ決着はついていない。

 ユーゴの医者をしていたエルフから聞き出した話だと、ユーゴが祖竜エキドナと戦っているはずだった。


 アルベル兵団を止めるために、彼女は飛んだ。

 生まれて初めて自分の羽で空を飛んだが、感動は無かった。

 定まらない視界の中、どうにか速度を維持することで精いっぱいだった。


「……あそこかな」


 渓谷地帯の広場に、赤黒い肉の塊と、それに捕まえられているユーゴがいた。

 そのすぐ傍では、変貌していないティルアの戦う姿があった。


「待っててね、今いくから」


 落下するように飛ぶフィーナには、既に魔王軍兵士らの《魔玉》は残っていない。

 あるとすれば、最後の一つ――――己の《魔玉》だけだった。


 それでも、戦わない選択肢は無かった。


 フィーナは、赤黒い肉の塊を正面に据えて、地面へ降りた。


「貴方が、祖竜エキドナね」

「あらごきげんよう。あたしの滅びを邪魔するクソが、殺されにやって来てくれて手間が省けました」


 肉塊から上半身を突き出した人の顔が、醜く歪む。

 怖気を振るう悪意が、そこにあった。


 肉塊に拘束されているユーゴが叫ぶ。


「やめろ、逃げるんだ! こいつは――――」

「逃がすわけないでしょう? あなたもこうしてあげますから」


 ずるり、とエキドナの肉塊から、人の形をしたものが引き摺り出された。

 表面が溶解しているが、着ている服装と背格好からして、エドワードのなれの果てだと気づく。

 そしてエドワードが、再び肉塊に喰われた。


「今さら契約のことなんて持ち出すから悪いのですよ、クソ人間。もう『あの女』の言うことなど聞いていられますか。ねえ?」


 エキドナが、ユーゴに微笑みかけた。


「滅びましょう?」

「誰が滅ぼさせるかってんのよ!」


 フィーナは最後の力を振り絞ろうとした。

 光が舞う。


 エキドナが片頬を吊り上げた。


「その程度ですか? これならまだ、そこの光竜の方がマシよ」

「ふん、世辞にもならぬ」


 半変貌すらしていないティルアが、口から閃光砲を放った。

 面倒そうに閃光砲を払いのけるエキドナである。


 その隙に、フィーナを守る立ち位置へ移動したティルアだった。

 彼女がエキドナから視線を外さず、フィーナに問いかけてきた。


「……どうして、ここに来てしまったのだ」


 思いもよらない母親の冷たい声に、動揺するフィーナだった。


「だって、私は――――」

「ふむ。その姿を見れば、大抵のことはわかる。だが、そうならないように(、、、、、、、、、)と願っていたのだ。まあ、ここは母に任せろ。フィーは帰れ」

「そんなこと! 私だって戦えるわ!」


 彼女が右手を構えた。

 外装が壊れかけている『破邪の盾』だったが、最低限の機能は生きていた。


 それを見たユーゴが、必死に叫ぶ。


「やめろ! それは絶対に使うな!」

「……私だって、戦えるわ」


 フィーナが『破邪の盾』を起動した。


 『破邪の盾』は魂――――《魔玉》を吸収してエネルギーに変換する機能を持っている。

 そして周囲の《魔玉》の力も集めてしまう。


 ならば、半変貌すら抑え込んで閃光砲にエネルギーを回しているティルアにとって、それは何を意味するのか。

 今この場所では、使い手だったユーゴしか気づけない。


「間に合えぇぇぇぇっ!」


 ユーゴが力を振り絞りながら、襟元から引き出したままになっていた榴弾札を使おうとした。

 しかし『破邪の盾』の影響で、《魔玉》で書かれた呪札は力を失っていた。


 その隙を、エキドナが静観を決め込むはずが無かった。

 喉の奥の骨が抜けた爽快感さえ漂わせながら、鷹揚に呟く。


「さて、あたしの眷属を滅ぼしたくらいで、あたしの重滅砲を舐めないで欲しいわ」


 肉塊が横へ二つに割れ、巨大な口が現れる。

 ユーゴが覚悟を決めた。


「やらせるか――――『永劫回帰ウロボロス』」


 能力を自身に使った彼が、自らの半身を叩き割って、エキドナの拘束から脱出した。

 彼の失った半身が魔晶化して、砕け散る。


 自由を取り戻したユーゴが、『永劫回帰』で欠けた半身を再生させた。

 地面を蹴って、フィーナの隣に駆けつける。


「わっ」


 フィーナとティルアが両脇に抱きかかえられ、エキドナから間合いを取った。

 ユーゴが二人を、優しく地面に下した。


「その身体、平気なの?」


 フィーナの声に、ユーゴが言う。


「まあな。……さて、エキドナは俺が止めてくる」

「――――待て、ユーゴ。行かないでくれ」


 《魔玉》が尽きかけて瀕死となって倒れているままのティルアが、懇願した。

 ユーゴが首を横に振る。


 その様子を見て、フィーナは嫌なものを感じた。

 まるで、それが、別れの挨拶に見えてしまったのだ。


「ねぇ、何なの?」

「大丈夫だ、心配するな。何に代えても(、、、、、、)俺が護ってやる、って言っただろ。愛してるよ」


 そう言ったユーゴが、フィーナの頭に手を置いた。

 ユーゴの身体から、細かい光が落ちていく。


 魔晶化の浸食が進むにつれ、砕けた肉体が散っていたのだった。

 嫌な予感を否定して貰いたくて、フィーナは彼の名を呼んだ。


「――――ユーゴ」

「うん。もう行くよ」


 彼が飛び出し、エキドナに向かって疾駆する。

 始祖エキドナの重滅砲がこのまま放たれれば、フィーナとティルアが消滅してしまう。

 それどころか、魔王城で指揮しているシアンにさえ届く威力がある。


 幸いなことは、威力を重視しすぎて咆哮まで時間が掛かっていることだった。

 眷属を殺されて怒りに満ちているのは、エキドナも同じなのだ。

 ユーゴがエキドナの隣に立った。


「さあ、悔しいが君の言う通りになったな、エキドナ。いずれ朽ちる命だが、君を止めるためにくれてやる」

「――――」


 何も答えないエキドナの肉塊に、呪札と同じ文様を書き込んだ。

 それは本来、《魔玉》を原料にして描かなければならない。


 ユーゴが使ったのは、『永劫回帰』して全身魔晶化した己自身と、その身に残る血であった。

 エキドナの肉塊を吹き飛ばすことは可能だった。


 そのためには、ユーゴ自身が砕けることが代償である。

 犠牲に後悔は無いが、後に残す家族や王国のことが気がかりだった。


 そのとき、彼の背中に届く声があった。

 フィーナは叫ぶ。


「――――お父さんっ」


 ユーゴが驚いた顔で振り向いた。

 涙を流しながら、フィーナは言う。


「ねえ、お父さんでしょ? ママがこんな顔してるの、お父さんのこと考えてるときだけだわ! 何で一緒にいてくれなかったの――――何で教えてくれなかったの?」


 彼女の幼い頃の記憶には、父親が留守をしている間の母親たちの表情が殆どだった。

 心配し、悲しみ、父親の無事を祈る二人の母への心情は、やがて父親への憎悪に切り替わった。

 そうすることでしか、父親と言う存在を認められなかった。

 愛憎の違いはあっても、ユーゴのことを強く想っていたのは間違いない。


「すまなかった。でも――――ありがとうな」


 ユーゴが苦笑いを浮かべた。

 娘と一緒に過ごすことが出来れば、何よりもかけがえのない一生となったことだろう。

 夫婦となったティルアやシアンと一緒にフィーナを育てることができたら、素晴らしい毎日だったことだろう。


 しかし、そうはならなかった。

 理由があったとは言え、娘に悲しみを負わせたことは事実だった。


 それでも、生まれて初めて呼ばれた父親としての呼び名を、深く噛みしめた。


「ああ、嬉しいもんだな、こういうの」


 彼が照れるように笑って――――光に包まれた。


 一瞬の爆音と、肌を叩きつける衝撃波が生まれた。

 吹き荒れる熱風と、音の無い世界。


 フィーナには、砕けて散るユーゴの姿が見えていた。


「あ、ああ、あぁぁ――――」


 自分の声とは思えない声が、フィーナの口から洩れていた。


 動けない。

 立ち上がれない。

 理解したくない。


 爆風が止み、音が戻ってくる頃には、吹き飛ばされて跡形もなくなった形跡しかなかった。

 驚くほど雑音に満ちた世界で、フィーナは何も考えられないでいた。


「どうして」


 彼女の呟きが漏れ出す。

 同じ言葉を、繰り返した。


「どうして、どうして、どうして――――」


 そして、ティルアに気づいた。

 

 ティルアが身体を引き摺りながら、地面を見て歩いている。

 時折、何かを拾い上げては、手に抱えていた。


「…………」


 どれだけの時間が経っているのか分からないが、フィーナの前にティルアが立っていた。

 その手の中に、布きれと金属片があった。


 それを、フィーナに渡してきた。


「これだけしか集まらなかった。すまぬ」

「――――」


 彼女の手の中に納まる程度の、残骸だった。


 布きれは、ユーゴの着ていた外套。

 金属片は、ユーゴの義手の破片。


 ティルアが泣きながら無理に笑う。


「許せとは言わぬ。それが、私たち二人の母が愛した男で――――フィーの父だ」

「あ――――」


 それでフィーナは、ユーゴと父親を一緒に失ったことを、理解させられた。

 悲しみよりも先に、底の無い場所へ突き落されたような絶望があった。


 無声の慟哭が、綺麗な青空に響いた。




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