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騎士になりました  作者: 比呂
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祈りの果て5


 筋肉の軋む、異様な音が響いた。

 胸の《魔玉》が輝き、エーリン・ヒルトの体躯が膨れ上がる。


「仕方あるまい。道を違えど、不肖の息子だ。儂の手で始末をつければなるまいか」


 エーリンが牙を剥き出しにした。

 鋭利な鉤爪が伸び、狼毛が逆立つ。


「……父さん」


 ユステンが呟く。

 立ち尽くす彼が、今まで一度も勝てなかった男の姿を瞳に映した。


 ただし、ユステンが気にしているのは戦いのことではなかった。

 視線を逸らさず、背後にいるフィーナへ告げる。


「早くヴァレリア城に向かってくれ。僕じゃ、そんなに時間稼ぎ出来ないからな」

「……何を自信満々に情けないこと言ってるのよ。私に仲間を見捨てて逃げろ、って言うの?」

「君は王女だ。僕とは責任の取り方が違うんだ。頼むから――――僕たちの国を救ってくれ」


 意を決したユステンが、完全変貌する。

 見まごう事なきヒルト家の毛並みをした、くすんだ灰色の人狼であった。


 勝てないこと知りつつも、ユステンの方からエーリンへ飛び掛った。


「時間稼ぎくらいは――――」

「無様だな」

「――――ぐぅっ」


 腕の一振りで横殴りにされたユステンだった。

 地面を転がり、立ち上がった彼が吼えるように叫ぶ。


「無様でも関係ない!」

「儂が言っているのは、お前の心根(、、)の方だ」


 落胆したエーリンが、顔をしかめた。

 ここで初めて、上半身を屈めた構えを見せる。


「それが分からなければ、お前に騎士を名乗る資格も無い」

「クソっ、無理難題ばっかりだ! 何なんだよ!」


 ユステンが吐き捨てながら身構えた。

 自分より圧倒的に実力差のある猛者と対峙するのは、これで二度目だった。


 何をしても勝てると思えなかった相手――――ユーゴの強さは理解を越えていた。

 ユステンからしてみれば、エーリンの強さもそれと変わりない。


「自分の得意分野で戦え、って言われてもそんなもの無いぞ!」


 ユーゴから言われたことを思い出した彼が、苛立たしげに叫ぶ。

 誰よりも優れていると思ったことなど一度も無い。


 かろうじて褒められたことがあるとすれば、食事の匂いに敏感だったことくらいだった。

 それも、嘲笑交じりの賞賛である。


 加えて、馬車の荷台へ巧妙に隠されていた非常食を見つけたことも思い出した。

 頭を抱えたいユステンであったが、エーリンが突進してくれば否応も無かった。


「その手足が動かぬようになれば、最早、儂の邪魔も出来まい」


 駿足を駆るエーリンの、鋭利な爪と牙が迫る。

 避けることも受けることも出来ないユステンには、相打ち覚悟で牙を突き立てるくらいしか望みは無い。


 だが、それもまた夢想に過ぎなかった。


「――――させないわ」


 横合いから剣を抜いたフィーナが割り込んで来た。

 その剣を牙で受けたエーリンが、鉤爪で薙ぎ払う。


「邪魔だ」

「くっ」


 ユステンが血の臭いを嗅いだ。

 その中に混ざり合って、フィーナの匂いがあった。


 普段から気にしてはいないことであったが、鉄や革の匂いがする。

 水の香り、木の香り、腐葉土の香り――――数え上げればきりがないほどの香りがあった。


「……くっ、はは、僕らしいなぁ」

「ユステン? あなた……」


 フィーナの見上げた先には、肩口を食い破られたユステンが立っていた。

 彼女が割り込んだ隙を見逃さず、ユステンが剣戟の中に飛び込んだのだった。


 夥しい血を流し、息の荒い彼が、今にも倒れそうな身体でフィーナを抱きかかえている。

 完全変貌の限界も近いようなユステンが、口元から舌を少し垂れさせて言った。


「やっぱり君は良い匂いがするよ、フィーナ」

「こんな時に何言ってるのよ! 早くどきなさい! 怪我の手当てをしなきゃ!」

「うん。……ちょっと目の調子も変だし」


 ユステンは視界の上に、緑色の濃淡が重なっていることに気付いた。

 その意味に気付く前に、視界の中へ赤い色が滲むように浸食してくる。


「う、うわ」


 赤色を警戒して避けると、エーリンの動きが止まる。


「お前、儂の何を見ている」

「何って……」


 ユステンが視界の中にある赤色を辿ると、エーリンに辿り着いた。

 エーリンの身体が赤い濃淡で示され、特に右腕が濃い赤色をしている。


「ひっ」

「――――ぬっ」


 突如、エーリンの赤く染まった右腕の鉤爪が振るわれたので、フィーナを抱えたまま跳躍した。

 距離を取った後で、肩に激痛が走る。


 その際に眼を閉じても、瞼の裏から緑赤の濃淡が消えることは無かった。


「これは……」


 ユステンが眼を見開いて、フィーナを見た。


「提案があるんだ、フィーナ」

「い、いきなり何よ。それより肩の治療を――――」


 顔を近づけてくるユステンに驚きながら、さっきより体調の悪化した様子をフィーナが心配していると、彼が微笑んだ。


「わかってる。もう変貌していられる時間は少ないから、やってみたいことがあるんだ」

「……そう。私の言うことに逆らってまでやるって言うのね」


 いつもの冗談を交わすように言うフィーナだった。

 ユステンが苦笑いを浮かべる。


 そして、語気を強くして言った。


「そうだよ。ユーゴは決して、仲間と協力するな(、、、、、、、、)とは言ってなかった」

「ずるいじゃない、ユーゴの名前を出すなんて」

「うん、その辺りは勝ってから悩むとして、取りあえず、僕の合図で光玉出せるかな? あのエルザ校長から逃げたときに使ったやつだけど」

「ええ、出せるには出せるけど、急に出すなら小さい光玉しか出せないわよ」

「それで充分さ」


 ユステンが顔を上げた。

 相対しているのは、訝しげな顔をするエーリンだった。


「儂の動きを先読みしているとしか思えんな。どういう理屈か知らんが、それはそれとして対応するまでのことだ。そこの娘を地面に置くくらいは待ってやる。ヒルト家の誇りを見せよ」


 エーリンが再び、上半身を屈める構えを見せた。

 今度は地面に顔が触れそうなほど低く、四足獣を彷彿とさせる構えだ。


「残念ですが父さん。僕は弱い。ヒルト家の誇りも見せられません。だから、フィーナを離すことも出来ないです」

「何と愚かな……もういい。ヒルト家の誇りを蔑ろにするのであれば、容赦はせん」


 エーリンが吼えた。

 怒気と殺気が入り乱れた気迫が、肌へ叩きつけるほどに放出されている。


「うわっ」


 ユステンの視界にも、遠目から見れば赤色の塊にしか見えない。

 眼を見開いて神経を焼くほどに集中しても、ほんの僅かな揺らぎしか掴めなかった。


 焦りが緊張を生む。

 本気を出したヒルト家当主の実力は、ユステンの想像を超えていた。

 フィーナだけでも逃がすべきかと考えた瞬間、髭を引っ張られた。


「いひゃいっ!」

「ねえ、ユステン? 今さら逃げる気かしら。もう手段を選べる状況じゃないのよ」

「あ――――うん」


 こんな状況でも微笑んでみせるフィーナを見て、ユステンが心を決めた。


 使えるものなら何でも使え。

 卑怯かどうかは勝ってから考えろ。

 地面に鼻を擦りつけてでも、勝利の匂いを嗅ぎ取ってやる。


 五感を集中したユステンが、視界に青い点を見つけた。

 それはエーリンの額に張り付いており、次第に小さくなっていく。


「受けて見よ――――」


 叫びと共に、エーリンの突撃が始まる。

 青い点が消えるタイミングを見計らっていたユステンが、フィーナに合図を送った。


「光を!」

「任せなさい!」


 突進してくるエーリンの鼻面に光玉が飛び出し、彼の顔を覆うように破裂した。

 しかし、エーリンが光を突き破ろうと突っ込む。


「これしきの目潰しで止まるものかぁっ――――がっ!」


 エーリンの顔面に、石が衝突した。

 これは、フィーナの光玉の後に、ユステンが投げつけたものだった。


 石投げが不得意な者でも、石を投げてはいけないということはない。


「ぬうぅぅぅっ」


 よろめくエーリンの背後に、ユステンが回り込む。

 そして、鎧に突き刺さっていた魔玉付きの短剣を引き抜いた。


「これでっ」

「ぐががぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 短剣を引き抜いた途端、エーリンが暴れ始めた。

 自身の骨が折れ、筋肉が千切れるのも構わず、背後のユステンを強引に殴り飛ばす。


「うあっ」


 倒れて後の無いユステンだった。

 仁王立ちとなり、エーリンが意識の無い目で彼を見下ろす。

 拳が振り上げられた。


 そして――――腹部から剣を突き出して絶命した。


 崩れ落ちるエーリンの背後に立っていたのは、血に濡れた剣を持つオリバーだった。

 血だまりに沈む仮の主人に、小声で呟く。


「『息子を守ってくれ』との命令、確かに果たしました」


 オリバーが剣を血振りしてから、鞘に納めた。

 その場で膝をつき、本当の主人からの命令を待つ。


「…………?」


 しかし、少し待っても何も言葉がかけられなかった。

 不安に駆られたオリバーが顔を上げると、エドワードもまた空を見上げていた。


 ――――黒く染まりつつある、空を。


「ちぃっ、あのクソ竜種め。契約違反にもほどがある! 大陸全土を滅ぼすつもりか!」


 ひとしきり溜まっていた鬱憤を吐き出すと、冷たい視線をオリバーへ向けた。

「後は任せる。俺は魔族もろとも人族まで焼き尽くそうとする馬鹿に文句を言ってくるからな。誰にも俺の邪魔をさせるなよ。……まさか俺の代で契約破棄とはなぁ、エキドナめ!」


 祖竜にありったけの罵詈雑言を投げつけながら、エドワードが馬に乗る。

 彼が一瞬だけ、フィーナを見た後で馬を走らせた。


「ちょっと、待ちなさいよ!」


 追いかけようとするフィーナに、立ちふさがるオリバーだった。


「邪魔はさせないからな」

「そういう問題?」

「その前に、ユステンの治療があるだろ」

「あ」


 完全変貌が解けて地面に横たわるユステンが、短い呼吸を繰り返している。

 真っ青な顔をしていて、出血量が尋常ではなかった。


「もう、そういうことは早く言って!」


 素早くユステンを助け起こしたフィーナが、傷口を素手で押さえつけた。

 止血する布と、体温低下を防ぐための衣類が無いか、周囲を見回す。


「ねえ、綺麗な布をたくさん持ってきて! あと火を起こして!」

「……わかった」


 オリバーが口を引き締めながら、言われた通りに動き出す。

 戦いに慣れた者なら、助かる出血量では無いと理解出来てしまっていた。

 しかし、それでも治療を止めない理由は、一縷の望みを捨てきれないからであった。


 ――――全力を尽くしても叶わぬなら、仕方がない。


 そういう思いをフィーナとオリバーが抱きかけていた時だった。


 フィーナのいる場所へ向かって、馬が駆け寄ってきた。

 より正確には、灰色のローブを着た背の高い女が騎乗していた。


「うん? 眩しい光を頼りに来てみれば、何やら大変そうだな、お前たち」

「すみません! お医者様を連れて来てはくれませんか! 礼金なら後でお支払いします!」


 相手が他種族とは知りつつも、懇願するフィーナであった。

 背の高い女が片眉を上げてフードを取ると、長い黒髪が垂れ下がり、尖った耳が見えた。


「お前たちは実に運が良い。私が医者だ。文句があるか?」

「い、いえ……」


 妙な雰囲気を感じつつも、藁にも縋る思いでフィーナが頭を下げた。


「お願いします、ユステンを助けてください!」

「ふむ、いいだろう。とてもとても幸運なことに、私は魔族を改造――――もとい、治療した経験を持っていてね。助けることは可能だ。任せたまえ」

「あ、ありがとうございます」


 背の高いエルフの女が恰好をつけて馬から降りると、足首を捻った。


「ぐうっ。……ぬぅ、日頃の運動不足か。少しは身体を鍛えておくべきだったな」

「え?」


 呆気に取られるフィーナであった。

 その彼女を手招きで呼ぶ。


「おい、やんごとなき理由で足を挫いたのだ。肩を貸してくれるか」

「は、はあ」


 このエルフ本当に大丈夫なのかしら、と至極真っ当な感想を持ちつつも、言われた通りに彼女が肩を貸す。

 その際にエルフの豊満な胸がフィーナの顔に当たり、やるせない思いを抱いたのだった。


「さて、治療は簡単だ。そこの坊主。私の馬に縛り付けてある袋を持ってきてくれ」


 今度はエルフがオリバーに指示を出し始めた。


 彼も不審な表情まで見せはしないものの、どこかいつもと違う様子でエルフの指示に従っていた。

 言われた通りに、たくさんの荷物が入った大袋を馬から降ろしてきて、エルフの前に置いた。


「ふむ、それでいい。後は、袋の中にある鎧を取り出して、そこの怪我人に着せろ。そうすれば後は勝手に治癒するだろう」

「――――《魔導遺物》でしょうか」


 オリバーの問いに、エルフが鷹揚に頷く。


「無論だ。それも呪い付きで、命尽きるまで脱げない仕組みになっている。ただし、命と引き換えとするには惜しくあるまい」

「それは……」


 言い淀むオリバーであった。

 確かにエルフの言う通りであるが、《魔導遺物》であれば魔族兵士一人とは釣り合わないほどの金を積まなければ買えない代物だった。


 そんなものを差し出されて、後からこのエルフに何を要求されるかわかったものではない。

 大袋から金属製の軽鎧を取り出したまま、オリバーが逡巡していた。


 そこで、フィーナが言う。


「いいわ、やってオリバー。責任は私が負うから」

「……わかった」


 意を決したオリバーが、横たわるユステンに鎧を着せていった。

 作業を黙って見つめるフィーナに、エルフが話しかける。


「ところでお前は、フィーナ・アイブリンガーで間違いないかね?」

「――――っ! ……ええ、そうよ」


 いきなり素性を見破られて驚くフィーナであったが、恩人に肩を貸していることもあって、動揺を隠した。

 ただし、エルフも全てに気付いた上で言う。


「お前に贈り物だ。ユーゴから預かっている。袋を開いて中身を見てみると良い」


 エルフが肩から離れ、一人で立った。

 彼女から促され、フィーナが地面に置かれている大袋を覗きこんだ。

 その中には、見覚えのある腕があった。


「な、これ、もしかして、ユーゴの……」

「そんなに驚く必要もあるまい。遺品と言うわけでもないだろう。……多分」


 まだ生きていれば、と呟くエルフに、フィーナが飛びついた。


「ユーゴはどうしたの! 何をしてるの!」

「決まっているじゃないか。戦っているのだ。お前のために。お前の住む故郷のために」

「どこで!」

「魔王城前の渓谷あたりだな。呪札の爆発を感知したから間違いあるまい」

「あなた、何者よ!」


 そこまで聞いたフィーナが、ようやくこのエルフの得体の知れなさに戦慄した。

 エルフが面倒そうに言う。


「そう喚くな。言ったろう、私は医者だと。ユーゴの治療を請け負っていた者でね。お前が持っている腕を良く見ろ。元々は私の手甲(ガントレット)だったのだ。それを譲り渡すためにお前を探していたのだがね」

「え――――」


 フィーナが腕らしきものを良く見ると、本当に中身のない手甲でしかなかった。


「さて、それを持って戦いに赴くといい。『威射磁手』……もとい、『破邪の盾』(イージス)の本来の使い方も教えてやろう」


 エルフが空を指差した。


「あれをどうにか出来るのは、お前だけだからな」


 そこには、黒い空が広がりつつあった。



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