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騎士になりました  作者: 比呂
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祈りの果て4


 ヴァレリア王国が第二次防衛ラインと規定していた渓谷地帯が、既にアルベル兵団側に食い破られて乱戦状態となっていた。


 まとまって後退する余裕も無いヴァレリア兵たちが、複数の敵兵によって襲撃されている。


「――――なぁにやってんだゴラァ!」


 戦場に在ってひときわ目立つ黒い鎧の大男が、豪槍を振るった。

 それだけで数名の敵兵の骨が折れ、肉が弾け、物言わぬ骸となる。 


 飛び散る血肉を浴びた兵士が、口の中に入った血を吐き出しながら、大男に感謝した。


「すいません、マシュウ隊長!」

「動けるか!」

「はい!」

「なら後退しろ! 這ってでも城まで辿り着け! ケツ持ちはこの俺様だ!」

「いえ、なりません! 隊長こそ城に帰るべきです!」

「うるせぇ!」


 マシュウが部下の襟首を掴み、後方へと放り投げた。

 投げられた部下が地面を数度転がった後で、立ち上がる。


 今にも戻ってきそうな部下に、マシュウが叫んだ。


「この事態を伝えろ! いいか、絶対にだ! 俺の親父でも誰でもいい! そいつがてめぇの正念場だ!」

「……必ず、必ず伝えます!」


 部下がヴァレリア王国側に全力で走ったのを見送ったマシュウは、顎の無精ひげを撫でながら周囲を眺めた。


「さぁて。そう言ったもんの、どうすっかね」


 マシュウが眺めている光景は、控えめに見ても阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


 完全変貌した魔族同士が、全力で殺し合っている。

 一見では魔族の本懐とも取れそうな場面だが、その実、魔族の誇りとはかけ離れていた。


 マシュウの率いる大隊は、敵を引きつけて各個撃破しつつ、魔王城まで引いつける役目を担っていた。

 しかし、策も罠もない力技で、強引に突破された。

 損害を恐れない魔族の脅威を、身を持って教えられたのである。


「胸糞わりぃぜ、クソ」


 敵は紛れもなく魔族だった。

 そして、誰一人として正気な者はいなかった。

 涎をたらし、それぞれの完全変貌状態で、命尽きるまで暴れている。


 既に進退窮まり、マシュウに出来ることは少ない。

 それはつまり、仲間のために誇りを汚さぬしかなかった。


「俺ぁ姉貴みたいにゃなれねぇが、せめて一兵でも多く道連れといこうか」


 彼が槍を肩に担ぐと、近くを通りかかったアルベル兵に気付かれた。


 絶叫と共に飛び掛かってくるアルベル兵を、一槍の元に撫で斬る。

 アルベル兵が、上下に分かれて地面に落ちた。


 その光景の向こうに、戦場に不釣り合いなほど美しい黒髪の女戦士が立っていた。


「てめぇが親玉かぁ!」


 マシュウが牙を剥く。

 事前の作戦会議で説明された、最重要目標――――祖竜エキドナに間違いなかった。


 彼女が微笑みながら小首を傾げ、小さく呟く。


「身の程をわきまえなさい、獣くさい毛玉小僧。魔族どもの断末魔がきこえないでしょう?」

「ああそうかよ、そんじゃ一生聞こえなくしてやるぜ」


 マシュウが地面を蹴ろうとした寸前、エキドナの槍が腹に当てられていた。

 気配も初動作も彼には感じられなかった。


 自身の勢いを止められず、マシュウが槍に向かって進む。


「ぐぁ――――」


 槍の穂先が鎧を貫通して、刃先が腹に侵入した。

 マシュウの自滅を、滑稽な遊戯でも見ているようにエキドナが嘲笑う。


「クソがぁぁぁぁっ!」


 強くなりてぇ、と心の中で唱えながらも、自分から槍に突き進んでいってしまう。

 そして、マシュウの視界が黒く染まった。


 激痛が走るはずの、彼の腹部に痛みはない。

 眼も耳も効かない状況で、妙に納得するマシュウだった。


「ん、あぁ、そっか。………俺ぁ戦士になれたかよ、親父」


 歳を食っても未だに馬鹿強い父親は、尊敬の対象だった。

 父親のように武勲を立てることも出来ず、出来の悪い息子だとマシュウは思っていた。

 自棄になって反発したこともあった。

 しかし、褒めて貰いたかっただけなのだと、今になって知った。

 声が聴きたかった。


 すると、声が聞こえた。


「誰が親父だ。お前をフィーナの婿に貰った覚えは無い。どうしてもと言うなら、まず俺が相手だ」

「は?」


 呆けた顔で見上げるマシュウだった。


 そこには、外套を翻すユーゴの姿があった。

 マシュウが視界を真っ暗にされたのは、外套を被せられた所為だった。


 刺されたはずの腹は無傷だが、貫かれた鎧はそのままである。


「俺ぁ、生きてんのか」

「そりゃ助けたんだから、生きててもらわなきゃ困るな」

「何だぁ? さっきから、てめぇ……おい。確か城門前で――――」

「さて、元気になったみたいだな。よし、歯を食いしばれ。全部折る。そして娘はやらん」

「さすがにそれは大人気ないと思うぞ、ユーゴ」


 ユーゴの隣には、難しい顔をするティルアが立っていた。

 半変貌状態の彼女が、腰に手を当てて溜息を吐いている。


「へ? 姐さんじゃあねぇですか。この男とは知り合いで?」

「知り合いも何も、つがい(、、、)だぞ」


 なあ、と彼女が同意を求めてユーゴを見る。

 二人の視線に晒されたユーゴは、少し照れて小さく頷いた。


「お、おう」

「今さら何を照れているのだ。さっきまで私の背中に乗る体位をしてたろう?」

「体位とか言うな。ここまで飛んで来ただけだ」


 ユーゴが誤解を解こうと慌てると、マシュウが唖然とする。


「竜姫の姐さんに乗っかるだとぉ! 何者だぁ……」

「だから、私の旦那様だと言っているぞ」


 ティルアの再三の説明に、マシュウの頭脳がようやく理解を始めた。

 それと同時に、彼の表情も青くなっていく。


「そんじゃあ、てめぇは元魔王……親父の上司……殺される」

「いや、殺さないから。怯えなくていいから。それより、マシュウはここから離れてくれるか。そろそろ会話しながら攻撃を捌くのはしんどい」


 ユーゴは平静を装ってはいるが、無表情のエキドナが不可視の攻撃を連続して飛ばしてくるので防御していた。


「…………」


 エキドナが少しだけ眉を歪め、ユーゴとティルアを見比べる。

 そして、不本意そのものといった表情で問いかけてきた。


「ねぇ、聞かせて欲しいのだけれど。あなた達二人の子供は、実の子供なのかしら。ちゃんとそこの光竜が産んだの?」

「そうだ、私が産んだのだぞ。そこは間違いない、始祖様」

「そう――――あたしの複製体から派生した種族が、あたしより先に血を継いだのですね。本当にクソ忌々しいことだわ」

「ん? 始祖様?」


 ティルアが不思議そうにしていると、ユーゴが前に出て彼女を庇った。

 鋼の弾かれる音がして、エキドナの投擲した槍が地面に刺さる。


 ユーゴは自分の義手を確認すると、槍を受けた部分が凹んでいた。


「質問しておいて、答えたら殺気を込めた一撃か。乱暴すぎるだろ」

「どうだっていいでしょう。どうせ全て滅ぼすつもりですもの。遅いか早いかの違いだわ」

「俺にとって大違いなんだ、それは」

「そう?」


 小首を傾げるエキドナだった。

 一歩前に踏み出したユーゴは、正面から視線を外さずにティルアへ言う。


「それじゃあ、後は頼んだ」

「ふむ、任せておけ」

「……ん? あれ、いつもの冗談は無しか?」

「ここまで来たら、私は祈るだけだよ、ユーゴ」

「うん。そいつは頼もしい」


 ユーゴは一度も振り向かずに笑った。

 振り向かなくても、ティルアの表情くらいは分かっていた。


 万感の笑みを浮かべ、ユーゴが疾駆した。

 エキドナの放つ槍先が、無数に見える速度で飛んでくる。


 全ての槍の穂先を、腰の刀を抜いて打ち払った。

 白刃が煌めき、エキドナが槍を構え直した。


「その身、既に朽ちかけていますね。酷い運命を背負ったものだわ、あなたも」

「そうかな。俺と違う誰かに重荷を背負わせるよりは、マシだったんじゃないかと思うんだ」

「あら、脳髄まで腐っていますね。救われない話だわ。哀れな伽藍の器に過ぎないというのに」

「まあそう言うなよ。これで結構、後悔は無いんだ」


 刀を担いで構えたユーゴが、『多螺離亜』を使って加速した。

 既に槍を持って待ち構えるエキドナだった。


 渾身の力で斬撃を見舞うと、槍が斬り飛んだ。


「―――――っ!」


 返す刀で下からの斬撃を見舞う二連撃を放った。

 すると、斬り飛ばしたはずの槍を振り下してくるエキドナの姿があった。


 刀と槍が激突し、刀が真ん中から折れ曲がった。

 槍の腹で打ち付けられたユーゴは、『多螺離亜』を使って距離を取る。


 曲がった刀を地面に置いて言う。


「……その槍、さっき腕から生えてこなかったか?」

「あら、見えましたか。これはあたしの鱗が形を変えたものよ。無くなってしまうとは思わないことね」

「そりゃまた厄介な」


 ユーゴは嫌そうな顔をする。

 彼女が完全変貌したときの鱗数を考えると、鱗が尽きるまで戦い続けられるとは思えなかった。

 ただ、鱗を槍に形状変化させたり射出すると硬度が落ちるのか、ユーゴの手持ち武器でも対処できるのが幸いだと言えた。


「それじゃあ、出し惜しみ無しでやろうか」


 ユーゴが外套の中に左腕を入れた。


「また水筒でも爆発させる気ですか。馬鹿の一つ覚えね。進歩の無いクズは嫌いよ」


 今度はエキドナが突進してきた。

 空気を切り裂いて槍の穂先が迫る。


 しかし、この攻撃を凌いだとしても、身体中のどこからでも槍を出せる彼女に死角は無い。


「あなたの《魔玉》、粉々にして撒き散らしてあげるわ」

「それじゃ、どっちが先に粉々になるか勝負といこう」


 ユーゴが不敵に微笑む。

 外套から出した左手には、榴弾札が握られていた。


 不審な顔をするエキドナだったが、構わず槍を振るう。

 途端、ユーゴの持っていた榴弾札が起爆した。


 爆圧が大気を揺らし、土煙が立ち昇る。

 その中でも、二人の姿は倒れていなかった。


 防爆用に呪札で裏打ちした革製の外套に包まれるユーゴと、顔を俯かせて立つエキドナだった。

 彼女が顔を上げる。


「――――痛いじゃないですか、クソ人間」


 その表情の半分が、竜種に変貌していた。

 一度は吹き飛んだ顔面を、変貌させることで再生させたのだった。


 ユーゴは呪札に効果があることを確認し、更に外套の中から数枚の呪札を取り出した。


「流石に一枚だけじゃ止まってくれないか」

「いい加減、うっとおしいのよ」


 エキドナが完全変貌を始めた。

 彼女の身体の肉が溢れ、黒い鱗で覆われる――――前に、榴弾札が爆発する。


「があぁぁぁぁぁ、邪魔をするなぁぁぁぁぁっ!」


 竜種と人間を掛け合わせて作った奇怪なオブジェのように、黒竜の肩から人間の腕が生え、脇腹から足先が突き出ていた。


「ありったけ喰らうがいいさ。君が求めた《魔玉》だ」

「あああああああぁぁぁぁぁっ!」


 竜と人の塊から、鱗に覆われた尻尾が振り回された。

 榴弾札の余波を防ぐために外套を被っていたユーゴは、逃げる間もなく尻尾に薙ぎ払われ、地面を転がった。


 彼が右手で地面を掴むと、体勢を入れ替えてエキドナに視線を向ける。

 すると、肉塊のまま追撃に入ったエキドナがそこまで迫っていた。


 ユーゴと激突する寸前で、肉塊から女性の上半身が飛び出した。


「――――その程度ですか、『至高人』の末裔ともあろう者が」


 次に肉塊から生れ出た無数の竜の腕が、ユーゴの四肢を掴んで拘束する。

 そのまま宙に持ち上げられ、エキドナの両手で包むように顔を上げさせられた。


「このあたしが憎いですか」

「俺は家族を失いたくないだけでね。誰かを憎む余裕まで持ってない」


 口に溜まった血を吐き捨て、ユーゴは左腕の安全装置を解除した。

 義手の装甲が開き、手首から勢いよく諸刃の剣が突き出す。


 刀身が空気に触れると、耳障りな音ともに高熱を発し始めた。

 義手までも熱が伝わり、接続している生身が焼けた。


「『守護の炎剣(リットゥ)』を持ち出すとは、やはり、あなたはやはり――――」

「ただ、君は俺を恨んでくれて構わない」


 ユーゴは身体を捩じり、炎剣を振るって竜の手を切断した。

 焼けた切り口から竜の手が再生することは、二度となかった。


「うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 彼が渾身の力で、炎剣をエキドナに突き刺した。

 肉が焼け、血が蒸発し、炎熱で陽炎が立ち上る。


 その壮絶な光景の中で、エキドナが微笑んだ。


「ようやく出会えたわ、あたしの忌々しい最愛の人」


 炎剣で身体を焼き貫かれているというのにも関わらず、肉塊から何本も人の手を生やしてユーゴを抱いた。


「滅びましょう、一緒に滅びましょう。そして滅ぼしましょう、すべてを滅ぼしましょう。あなたの同胞は、もう既にいないのだから。そして、これからいなくなるのだから――――」

「――――断る」


 炎剣に力を込めたユーゴは、刃を捩じり込んだ。

 襟首に仕込んでおいた榴弾札を、口を使って引き摺り出す。


 するとエキドナが、聞き分けのない幼子を諭すように言う。


「無理だわ。あなた、あたしの槍を受けたでしょう? 槍はあたしの鱗と言ったでしょう。その身に呪毒が回っているのよ」

「――――っ」


 ユーゴの身体は、締めつけられたように動かなくなった。

 エキドナから逃げる際に槍を挿された箇所が、黒く変色している。


「さあ、滅びのときは来たれり。我が眷属の子らよ、今こそそのときです」


 彼女の言葉で、大地が震えた。

 渓谷の稜線から見える空の端が、徐々に黒く染まっていく。


 青い大空が黒色に浸食されるのは、根源的な恐怖を呼び起こした。

 誰しもが抱く闇への恐れを見たのだろう。


 操られて正気を失ったアルベル兵団の魔族でさえも、空を見上げて立ち止まった。


 ――――黒い空。


 よく見れば、その正体は黒い点の集まりだ。

 その点の一つ一つが黒竜だった。



 ――――絶望が、始まる。




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