祈りの果て3
エトアリア共和国の国境線付近にある雑木林の中に、フィーナたちの乗って来た馬車が停められていた。
フィーナは何も言わず、腕組みをして空を見上げている。
その近くにある石に座って、ユステンが非常食の堅パンを齧っていた。
彼女のため息が、静かな林の中に響く。
「はぁ、やっちゃったわ……」
「ご、ごめん」
泣きそうな顔をしてユステンが頭を下げる。
それにフィーナは、苦笑いを返した。
「あなたが気にすることじゃないわ。私が我侭だっただけよ」
「それでもさ、僕の父が裏切らなければこんなことにはならなかっただろ?」
「馬鹿ね。ユステンと父親は違うでしょ。父親の責任を、どうして子供が気にしなくちゃいけないの。それを言ったら、私なんてヴァレリア王国を滅ぼしかけた男の娘よ?」
ねえ、とフィーナが笑った。
ユステンが口を真一文字に結んだ後で、思い切り堅パンへ齧りつく。
まるで、言いかけた泣き言を無理やりに飲み込んでしまうように見えた。
彼が、喉に詰まりかけたパンを飲み下す。
「……僕は、騎士が嫌いだった。父は屋敷に帰って来ないし、習い事ばかりさせられたことを恨んでた。父の見栄のために生かされている気がしていたんだ」
短く息を吐いたユステンが、顔を上げた。
「でもね。僕は今、騎士になりたくなったよ」
「もう騎士になってるでしょ」
茶化すようにフィーナは笑う。
ユステンが首を横に振った。
「ようやく、クロック――――いや、ユーゴの奴が言ってたことがわかったんだ」
「え? 何か言ってたかしら」
思い出そうとするフィーナだったが、彼女の記憶の中ではユーゴとユステンの話し合っている姿が無かった。
記憶にあるのは、一方的にユステンが言い掛かりを付けているだけだ。
彼もそれに気づき、乾いた笑いを浮かべる。
「まあね。それでもユーゴが居なくなる前日に、稽古をつけて貰ったのさ。今から思えば、餞別だったんだと思うよ」
「私には何も言わなかったのに。……それで、何て?」
無意識に身を乗り出してしまうフィーナであった。
嫉妬交じりの視線に耐え切れなかったユステンが、じらすことも無く白状した。
「頭を使って戦え、ってさ」
「うんうん。凄く大事なことよね。ところで、私のことを何か言ってなかった?」
「さあ。僕が負けたら次はフィーナの番なんだから気を抜くな、って言ってたけど」
「え、私ユステンに守られるの? 私の方が強いのに?」
真顔で問われて、返答に困るユステンだった。
彼が何も言わないところを見て、フィーナは催促した。
「他には? 誰かを好きだー、とか、必ず迎えに行くー、とか無いの?」
「そんなのは無かったね。自分の得意分野で戦え、とは言ってたけどね。後は、勝ってから考えろ、とか」
「それが出来れば苦労はないでしょうに……。まったく、ユーゴったら、私を見捨てないとか、守るとか言っておきながら、自分だけ戦場に行ったのよ。私に一言も無しでね。本当に許せないわ」
頬を膨らませて自分の膝を叩くフィーナだった。
それを見てユステンが笑う。
「男として、その気持ちはわかるけどなぁ。大事なものほど、傷つけないために遠ざけるものさ」
「遠ざけられる方の身になって欲しいものよね。守ってくれるのは嬉しいけど、一緒に居なきゃ意味ないじゃない。好きになったら嫌がられても追いかけるのが、アイブリンガー家の家訓よ」
「……そっか。なら、君の母君はどうして、元魔王を追いかけていかなかったんだろう」
「え? そういえば――――そうね。ウチのママなら、立場を投げ捨てても飛んでいきそうなものだけど」
二人が腕組みをして唸っていると、アルベル兵団と連絡を取りに行っていたオリバーが帰って来た。
「今さら何を考え込んでるんだ、お前たち」
「あ、おかえり」
呑気そうに挨拶を返すフィーナだった。
オリバーが舌打ちをする。
「お前な、俺はアルベル兵団のスパイだぞ。もう少し警戒しろよ」
「そういう割には、気を使ってくれるわよね」
フィーナが指さした先には、食べ物の入ったバスケットがあった。
オリバーがそれを持ち上げてみせる。
「飢えられてもも困るんでな。近場の村で適当に食い物を分けてもらってきた。チーズとワインもあるぜ。……ん? どうしてユステンの奴は悔しそうな顔をしてるんだ」
「そうね。オリバーの帰りを待ちきれずに、非常食を食べてたからじゃない?」
ため息をついたオリバーが、呆れた顔で言う。
「非常食の意味わかってんのか?」
「う、うるさいな。お前が遅いからじゃないか!」
「へいへい、俺が悪かったよ。まだ腹に隙間はあるんだろ。一緒に食おうぜ。チーズの柔らかいとこ切ってやるから」
「子供扱いするな! あ、僕は焼きチーズが食べたい!」
「アホ。隠れてんのに火が使えるか」
オリバーがそう言いながら、どうやったら煙を出さずに焼きチーズを作れるか考えていた。
二人の様子を眺めながら、フィーナは微笑んでいた。
「ほんと、仲がいいわよね。あなたたち」
「やめてくれ。昔から手のかかる奴だから、放っとけなかっただけだ」
オリバーが嫌そうに顔を歪めた。
ユステンも苦い顔をする。
「誰も友達がいないくせに、よくそんなことが言えるな」
「お前だって、俺以外に友達がいるのかよ」
「…………」
図星を指されたユステンが言葉を忘れた。
二の句を継げず、息を忘れた魚のように口を開けて固まっている。
オリバーが横を向いて詫びた。
「すまん。急所を突いちまった」
「うるさいなほっとけよ謝るな! 僕は全然平気だからな! と、友達だっているし!」
「誰だよ」
どうでも良さそうに問うオリバーだった。
ユステンが苦し紛れに応える。
「ユーゴ、かなぁ?」
「……あれは止めとけ。ちょっと尋常じゃない。あれは違うものだ」
「どういう意味よ、それ」
二人の会話の中に、フィーナは割って入った。
オリバーの返答によっては、殴り合いも考えている。
それでも彼が口調を緩めることは無かった。
「言葉通りだ。お前らの言うユーゴって奴は、人の形をしたものに妄執をブチ込んで出来上がった『何か』だ。正気に見えるだけ、性質が悪い」
「で、何が言いたいの?」
「俺もわからん。だけどな、傍にいたいとは思わない」
「つまり、オリバーはユーゴのことが怖いの?」
「怖い? ……そうか、そうだな。怖いよ。ああいう風にはなりたくない」
「そうかなぁ。ユーゴは優しいわよ。強いし」
納得がいかない様子で首を傾げるフィーナだった。
処置なし、といった態度でオリバーが両手を上げる。
「そこについて話し合う気はないし、反論もしない。正しかろうが間違っていようがどうでもいい。確かなのは、アルベル兵団最大の敵になりかねない、ってことだ」
ユステンがため息を吐いた。
「はぁ、流石はグランエルタが送り込んできた使者だなぁ」
「あの国は色々とやり手だからな。妙な隠し玉を持っていても不思議じゃないが、あいつは……」
オリバーが顔を顰めた。
急に話を止めたので、フィーナとユステンが顔を見合わせる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。とにかく飯を食うぞ。早くしないと、ユステンの親父が到着するからな」
「え、あっちからやってくるの?」
「その方が都合が良いらしい。まあフィーナとしても、アルベル兵団のど真ん中にいきたくはないだろう?」
「それはそうだけど」
フィーナはユステンを見た。
すると彼が、口を引き結んで頷いた。
「僕はもう、覚悟を決めてるよ。やりたいこともあるし」
「何をしたいの」
「騎士になりたいって、言っただろ。さあ、早く食べようか」
「まあ、いいんだけどな」
釈然としない様子で、オリバーがバスケットの中身を取り出した。
ナイフで全粒パンをスライスして、同じく切り分けた山羊のチーズを乗せただけの食事だった。
ただし、非常食の堅パンとは柔らかさと旨味が段違いである。
三人とも大いに食べ尽くし、バスケットが空になってしまった。
一息ついたところで身だしなみを整え、座って話が出来るように馬車も掃除した。
「もう、そろそろか」
太陽の位置を確認して、オリバーが言う。
雑木林の向こうを三人で眺めていると、二頭の馬が見えた。
馬には男がそれぞれ騎乗しており、迷いも無くこちらへ向かって来ていた。
オリバーが雑木林から出て、赤い色のスカーフを振った。
馬が速度を落としつつ、フィーナ達の前までやって来た。
一人は武人然とした鎧を身に付け、体格の良い壮年の男――――エーリン・ヒルトだった。
もう一人は、どう見ても供回りにさえ成れないような優男だ。
その優男が馬から降りようとすると、エーリンが手伝った。
「ああ、すまないね」
「いえ、当然のことです」
傍から見れば、まるで村人をエスコートする騎士といった様相だったが、エーリンが強面過ぎて誰も何も言わなかった。
「さてはて、ヒルト殿の御子息はどなたかな。俺はアルベル兵団北方……とまあ、難しいことは無しでいこう。そこそこ偉いと思って貰えればいい。エドワード・チューリングだ。よろしく」
「はっ」
三人が揃って敬礼した。
エーリン・ヒルトが世話をして見せると言うことは、確実に階級が上位者であることを意味する。
そして、ユステンだけが一歩前に出て、もう一度敬礼する。
「私がユステン・ヒルトであります」
「ああ、休みたまえ。というか気楽にしていいよ。俺たちは助けに来たつもりだからねぇ。ところで、もう一人は亡命希望者かな?」
微笑んだエドワードが、視線をフィーナに向けた。
彼女も微笑みを返す。
「いえ。アルベル兵団を怨敵と仰ぐ、ただの魔族であります」
「おや、こいつは手厳しい。それに度胸とユーモアもある。並大抵の魔族ではないねぇ」
エドワードが嬉しそうにしていると、彼の背後に控えていたエーリンが耳打ちした。
「この少女は、フィーナ・アイブリンガーです」
「おお、君があの有名な竜将軍の娘君か。いや、確かに美しいね」
「……本当にそう思っておられますか」
フィーナは眉を寄せた。
彼女はエドワードの軽薄さが、どうにも信用ならなかったのだ。
そんな彼女の言葉に、手を叩いて喜ぶエドワードであった。
「いやいや、こいつはいいじゃないか。俺も心にも無いお世辞を言った甲斐があるってもんだ。ふーん、いや、確かにそうだ。面影がある。いっそ、本当にアルベル兵団に招きたいくらいだ」
「お戯れを……」
エーリンが諭すと、面白くなさそうにエドワードが話を続ける。
「いや、お前の息子の件を忘れたわけではないよ? うん。で、どうする、ユステン・ヒルト。アルベル兵団に庇護を求めるか? 別にこちら側へ来ても戦闘は強制じゃない。ヴァレリア王国と戦う心配も無いぜ。そこの御嬢さんも連れて来るといい。ただし、アルベル兵団の敵に回るならば、戦いは避けられない」
簡単な話さ、と彼が片目を瞑る。
対するユステンが、真っ直ぐエドワードを見返した。
「父さんと話をさせてもらうお許しを頂きたいのですが」
「ん? ああ、もちろんだとも」
エドワードがそう言うと、背後に控えていたエーリンも前に出る。
先に口を開いたのは、父親の方だった。
「この儂を許せとは言わん。だが、この戦はヴァレリア王国が敗北するだろう。その時に儂がアルベル兵団にいれば、幾らかは魔族の救いとなる」
「……そうですか」
ユステンが顔を俯かせた。
その場にいる誰もが、深い悲しみを抱いていると思っていた。
だが、再び顔を上げたユステンの顔には、怒りが満ちていた。
「残念です。先駆けの一番槍として、常に誉を説いてきた父さんはいないのですね」
ユステンの記憶には、父の言葉が残っていた。
『一番最初に敵と戦い、一番最初に全滅するのが我らだ』
そう言い放った父親の背中に、当時のユステンは不安しか感じなかった。
しかし、今は違っていた。
「父さんの行いは尊敬しています。裏切りを決めたことは簡単な事では無かったでしょう。けれど、僕は魔族の騎士になりたいと思います。護りたいものを正面にして戦うことも、見ぬ振りも出来ません。魔族の矜持を示します」
「そうか――――」
無念を悔いるように空を仰いだエーリンが、そのままの体勢で止まった。
エドワードが、そんな彼の背中を優しく叩いてから前に出た。
「いや、無理をさせて悪かったね、エーリン・ヒルト」
――――少し調整が甘かったみたいだ。
彼が懐から、柄に宝石が装飾された短剣を取り出して、エーリンの背中を刺した。
身じろぎすらせず、物のように立ち尽くすエーリンだった。
すると、鎧すら貫通して見せた短剣の宝石が光る。
「年経て輝きを増した《魔玉》なら、あるいは人格を残したまま操れると思ったんだけどねぇ。まだまだ改良の余地がありそうだ」
エドワードが顎に手を当てて納得していた。
その間に、フィーナとユステンが戦闘態勢になっている。
即座に動いたオリバーが、機先を掴んだ。
「では、俺の任務は終わりですか」
「ん? ああ、後は好きにしろ。……と言っても、そこの二人は俺に用事があるみたいだぜ」
エドワードの言葉を聞くなり、オリバーが二人の前に立ち塞がった。
「お前らに言っておく。もうこれ以上、アルベル兵団に関わるな。魔族は全て操られて戦争奴隷になるか、《魔玉》を刳り抜かれて魔導具にされるしかない。今なら――――」
「うるさい、そこをどきなさい」
狂想の宿った面持ちで、フィーナが剣を抜いた。
オリバーも仕方なく腰に手をやる。
「待て、お前らの相手になるような人じゃない!」
「――――そうだよフィーナ。考え直すべきだ」
ユステンの一言に、その場のすべてが凍りついた。
視線が集中した彼の顔は苦渋に満ちていたが、その瞳に灯る光に揺らぎはない。
「……あなたねぇ、自分の父親が操られて、裏切り者扱いされて、刺されて、それでも剣を抜かないって、どういう神経をしてるのよ!」
血を吐くようにして、ユステンが言った。
「やるべき事があるんだ。僕は騎士だ。護るべきものを優先する」
「何なのよ、護るべきものって!」
「この僕の、ほんのちっぽけな誇りさ。ここで戦ってフィーナを死なせるわけにはいかない。父さんが操られていたっていう事実を伝えなきゃいけない。アルベル兵団が魔族を操る道具を持っていると、ヴァレリア王国の皆に伝えなきゃいけない! 負けたら何も出来ない!」
ユステンがフィーナの襟首を掴んだ。
「僕は君を死なせないぞ、フィーナ!」
「……そんな大きい声しなくても聞こえてるわよ」
「あいたぁ!」
フィーナは遠慮なく、至近距離からユステンの顔面を殴りつけた。
その殴った拳を少しだけ見つめて、ようやく深い息を吐いた。
「はぁ、もう、馬鹿なんだから」
「いや、良い判断力だ」
エドワードが真顔でユステンを評価した。
今までの軽薄な雰囲気が消えており、生来の冷酷さが浮き彫りとなっていた。
「魔王と言い、エーリンの息子と言い、魔族にも頭の回る奴がいるんだなぁ」
「母様を知ってるの?」
「そっちの御飾りじゃない。今も昔も、魔王と言えば、あの男しかいないだろうが。グランエルタの内乱を鎮め、いにしえの巨人を殺し、今なお戦場を駆けずり回っている戦神のことだ」
「――――え?」
「この前お目にかかったがな、普通にしか見えなかった。いや、普通でありながらあの領域に達する神経が理解できなかったな。名刀で石を斬るってのはまだわかるが、なまくら包丁で鉄を斬ってみせる逸脱さが尋常じゃない」
詰まらなさそうにエドワードが言う。
「ああ、気が変わった。別に魔道具のことを言いふらされても結構だが、俺がこの場所にいることを伝えられるのは、いささか面倒だ。時間稼ぎに付き合って貰おうか。――――エーリンも、息子の成長具合を知りたいだろうしな」
彼が言うと、エーリンが視線を動かし、フィーナとユステンを見た。
《魔玉》が輝き、完全変貌となる。
獰猛な人狼が、そこに立っていた。
「さて、お手並み拝見といこうじゃないか」
エドワードのその言葉で、戦いが始まるのであった。




