祈りの果て2
「ふん、そうして東方の剣士から魔剣を奪い取ったのだな」
ヴァレリア城の地下にある研究室で、アンリが酒を飲みながらそういった。
その酒は米を発酵させてつくったもので、濁酒とよばれている。
彼女の正面に座るユーゴは、蝋燭の火で干したイカを炙っていた。
トウレンに斬られた腕を修理してもらうために、ここに来るまでのことは説明してあった。
ユーゴは苦笑いを浮かべる。
「まあ、間違ってはいないが、もっと男同士の友情的なものがあったと思うぞ」
「心臓をぶち抜いておいてよく言ったものだ。汚れた腕の分解清掃していたら、肉片が出てきたぞ」
見るか、とアンリが肉片を探し始めた。
彼は首を横に振って、視線を干しイカに戻した。
「……いや、見たくない。男同士の友情は複雑なんだよ」
「複雑なのは男同士だけというわけでもなかろう。あの、何といったか、鳥系の女兵士がいたな?」
ユーゴは少し考えた後で、護衛と称して一緒にヴァレリア城まで帰ってきた魔族のことだと理解した。
「トリーニャのことか」
「そいつだ。あの女とかなり高度な変態プレイをしたらしいじゃないか。野外お漏らしの上に、川で下半身を洗わせて下着も洗濯させるという、マニア垂涎の行為だったのだろ。私にもしてくれ。今すぐ漏らすから」
キメ顔で腰を浮かせ、灰色のローブを摘まむアンリだった。
彼女の言葉が冗談だと信じたいユーゴは、一応言ってみた。
「いや、下着つけてないだろ、お前」
「――――はっ! すまん、今から買ってくる……」
ユーゴは、本気で落ち込んだアンリに頭を抱えた。
準備不足の己を呪って城下町に行こうとする彼女を、全力で引き止めた。
「待て。行くな」
「しかし、ユーゴも下着を洗いたかったのだろう?」
「俺の気持ちを捏造するな。あと、漏らしても自分で掃除しろ。俺は手伝わないからな」
「……いや、それもありかもしれん」
別のプレイを見出すアンリだった。
変態相手に冗談は禁物だと悟ったユーゴが、真摯に言う。
「すまん、言い方が悪かった。漏らすな。頼むから」
「ふん、わかっている。今までの会話は、ほんの小粋な世間話だ。私は何処ぞの光竜と違って、分別をわきまえている」
「どっちもどっちな気がするけど、ティルアならノータイムで行動しかねないからなぁ」
ユーゴは遠い目をしたまま、少し焼きすぎた干しイカを咥えた。
世間話を堪能したアンリが、テーブルの上にある義手を指差した。
「で、この右腕だがな。直すのは無理だ。魔剣の所為だと思うが、物理的に繋げても神経系に反応が無い。どうにか廃材で腕自体は組み上げてやるが、『威射磁手』は諦めろ」
「そうか、すまない」
「なに、『威射磁手』は壊れていない。他で役立ってもらう。それより、改造するのに何がいい? どうせ魔導遺物を持ってきたのだろう。さあ、早く出せ、今すぐ出せ、とっておきを出せ!」
「興奮してるところを悪いが、それほど大したものはないからな」
ユーゴは、足元に置いていた大袋を引き寄せた。
口紐を解いて、中から武具を取り出す。
「雷の剣とか、夜を見通す眼鏡とか、取り敢えず使えそうなものは持ってきたけどな。いまいちエキドナに通用するとは思えないなぁ」
「ふん、それなら重くないだけ、素手の方がマシだろうな。魔導遺物であの重滅咆を突き破るのは不可能だ」
「重滅咆? あの黒い閃光咆のことか」
彼の脳裏に浮かんだのは、何もかも引きずり込む暗闇の奔流だった。
どんなに素晴らしい盾を持っていたとしても、受け止めようと考える者はいない程の威力だった。
「そうだ。重滅咆に触れると、この世界にあるすべての物は消滅する。厳密には完全に消えてしまう訳ではないが、何の防御も役に立たないことは変わりない。よくもまあこんなに面倒で迂遠な攻撃をするものだ」
「そんなに凄いのか」
「私の言っていることが理解できるとは思えないが、一体どういう理解をしたものかね」
ユーゴは眉根を寄せて考えていた。
何かを思い出したように顔を上げ、言葉を出しかけて止まった。
彼の不可解な行動を見て、アンリが表情を消す。
「……記憶が甦ったのかね?」
「いや、見たことが無い景色が頭に浮かんだことはあるけど、それほどじゃない」
「――――っ」
アンリが急に腰を浮かしたため、彼女の座っていた椅子が後ろに倒れた。
今にも襲いかかって来そうな彼女に、ユーゴは苦笑いを浮かべた。
「心配しなくていい。俺は何もわかっちゃいない。ただ、トウレンから魂を受け取ったときに、彼の記憶が見えただけだ。あまり実感はないけど、《魔晶化》が頭にまで来てるんじゃないのか?」
「一つ、聞かせてほしい」
話の流れを断ち切って、アンリが言った。
それだけですべてが解決する魔法の言葉を求めて、彼女が口を開く。
「ジゼルという女の名前に聞き覚えはあるか」
「ああ。前々代の魔王、ゼルヴァ―レンの嫁だろ」
彼女が僅かな違和感も見逃さない鋭さで、ユーゴの瞳を睨み続けていた。
彼もそれに応じて、アンリの眼を見返し続ける。
二人は真剣な表情で見つめ合っていたが、先に根負けしたのはアンリの方だった。
「……そうか。まあ、それならそれでいい」
「いいのか」
「あまり良くは無いが、許容範囲内だ」
「ふぅん。……で、いつまでこの体勢なんだよ」
アンリがテーブルの上に四つん這いになって乗り上げていた。
椅子に座っているユーゴを見下ろす形だった。
視線を合わせている間に、ゆっくりと距離を詰めて来ていたのだ。
既に二人の吐息が交わるほどの近さである。
「いかん、興奮が止まらないのだがね。責任を取ってくれるか」
「無茶言うな」
「何、ほんのちょっと、口吸いから始まって、色々するだけだ」
「それ全部する気だろ」
「もちろんだ」
「絶対に駄目だ。俺はしないぞ」
「いいじゃないか。脳まで《魔晶化》が及んでいるのなら、もう意識を保っていられる時間は長くないぞ。中枢神経まで浸食されれば、動くことさえ出来ないだろう」
「そうなる前に、片づけなきゃいけないことがあるんだよ」
「そんなこと知らん。とうっ」
アンリが勢いをつけて抱きついてきた。
彼女が怪我をしないように受け止めるユーゴであったが、片腕が無いためにバランスを崩して後ろに倒れた。
その拍子に、ユーゴが持ってきた大袋が倒れて中身が散らばる。
「おい、大丈夫か」
「さてね、確かめてみるといい」
「悪いけど、本当に今は無理だ。……この戦いが終わったら考える」
「ふん。気も無いくせに抜け抜けと。――――いや、わかった、約束だ。今回は私も我慢しよう。ただし、次は我慢しない」
意外にも引き下がるアンリだった。
次は契約も無効だろうしな、と小さな声で呟く彼女には、気付かないことにした。
それでもユーゴの背筋に悪寒が走ったが、一先ずの危機は去った。
彼が片腕で身体を起こすと、それに押されてアンリも上体が起き上がった。
「それで、勝つ方法があるのかね。無策で挑むと言うなら、このまま押し倒すからな」
「幾つか考えてるさ。古典的だけど落とし穴とか」
「竜種だから空も飛べるだろうがね」
ふふん、とアンリが高圧的な女教師の態度で否定した。
頷きながら、ユーゴは言う。
「エキドナの周りを火の海にして、酸欠を狙ったらどうかな」
「あの黒竜が火の海の中で大人しく待っていてくれれば、良い案だと言うにやぶさかではない」
アンリが鷹揚に条件付きで賛同した。
彼は口を尖らせる。
「自分でも難しいと思ってるさ」
「私の態度は気にするな。案を述べるのは良いことだし、検討だって悪くない。駄目な案を組み合わせても良いのだ。話し合うのは有用だと思わないかね」
「確かにそうだ。後は、俺の『右腕』が通用するか、とか」
「ふん、それは保証しよう。ただし、黒竜の鱗が切れても、あの巨体ではな。牛に針で挑むようなものだ。痛くはあるだろうが、致命傷を与えるには程遠い」
「そうか」
ユーゴは考えを廻らせたが、他には何も思いつかなかった。
力んだその手が、何か紙を握りつぶした。
二人が倒れた拍子に大袋が倒れ、その中から散らばったものの一つだった。
「ん、何だこれ」
彼の手の中には、懐かしいものがあった。
戦争後の煩雑な作業に追われて、自分の荷物を詰め込んでいたことすら忘れていた。
その呪符は、王立魔術研究所が凄惨な研究の果てに開発した魔術の結晶だった。
アンリが、彼の手の中を覗きこんで言う。
「何だ、それは。……我々の技術体系には無い、独自規格の呪いか。魔導遺物ともまた違っているな」
「ああ、これはエトアリア王国時代に発明された魔術だ。《魔玉》を素材にして作る呪符だから、ヴァレリア王国が禁止したものだけど」
「これは――――やってくれたな」
憎悪とも取れるアンリの感情を見て、ユーゴが顔をしかめた。
「おい、何でアンリはジゼル王妃の名前を知っていて、魔術のことを知らないんだ?」
「魔術のことは知っていたのだがね。実物を見たのはこれが初めてだ。エトアリア王国が解体されて以降、魔術に関係していたものは根こそぎ消されていたからな。興味はあったが、こそこそと嗅ぎまわって捕まりたくはなかったものでね」
「まあな。《魔玉》のために魔族狩りがあっても困るから、情報統制してたのは事実だし」
既に、魔術は技術として失われていると言っても良かった。
ヴァレリア王国側が諜報機関を総動員して根絶させたのだ。
片手で顔を押さえたアンリが、薄く笑う。
「……なるほど。そういうことかね」
「何を言ってるんだ?」
「いずれユーゴにも分かるさね。答えはお前の中にある」
「俺か?」
ユーゴは自分を指差してみたが、答えに関する心当たりは一つも無かった。
ただ、別の案が頭に浮かんだ。
「ところで、アンリはこの呪符を作れるか?」
「ふん。その呪符を見る限り、道具を揃えれば何とかなる代物だな。王立魔術研究所がどの程度か知らんが、エルフ最高の叡智を侮るなよ」
「じゃあ、すぐにでも頼む。俺は必要な道具を揃えてくるから、大量に作ってくれ」
「それは構わんが、一体どうするつもりかね」
「戦うしかないだろ」
首を傾げるアンリに、彼は笑ってみせた。
その表情から彼の思惑を感じ取ったのか、彼女が不機嫌な顔をしたのだった。




