祈りの果て
虫の鳴き声と木葉擦れの音だけしか聞こえないはずの夜に、フィーナとオリバーが木陰へ潜んでいた。
彼女らが見つめる先には、元貴族の邸宅がある。
その元貴族は、エトアリアが王国の時代から王に仕える男だった。
王政が瓦解しても民からの信頼は厚く、今も議員として働いている。
元貴族ということで、他国との儀礼に通じており、ユステンを軟禁するために屋敷を提供していた。
他国の貴族の子弟、しかも重要参考人を軟禁するにあたっては、貴族の邸宅が良かろうと、共和国側がとった措置だった。
そして今日、ユステンは準備が整ったエトアリアの王城に移送されるのである。
王城に移送されれば、手の出しようがないフィーナたちにとっては、これが最後のチャンスと言える。
「ねえ、本当にユステンが出てくるの?」
「確かな情報だ」
「『あの男』が何を考えているか知らないが、そう聞いている。俺は任務を果たすだけだ」
「あの男って、誰のことよ」
「さあな。俺が『あの男』に、フィーナに正体を明かしても良いか聞いてない以上、俺から言う訳にはいかない」
「何それ。よくそんな男の言うことが信じられたわね」
「拘束されていた俺を逃してくれたからな。一先ずは思惑に乗ってやるさ」
「ふぅん」
フィーナは片眉を上げて腕を組んだ。
拘束されていたオリバーは、ヴァレリア王国にとって重要参考人だった。
政治的な取引にも使えるため、彼を拘束していたのは相当な精鋭の筈だ。
それを『誰も殺さず』助け出すなど、並の技量ではない。
「もしかして……」
ふむふむ、と彼女が頷いていたら、オリバーから肩を叩かれた。
「おい、出てきたぞ。ここから先はわかってるな」
「ええ、もちろんよ」
既に計画は手筈通りだった。
邸宅から出てすぐに襲撃すると、邸宅の警備兵が応援に来てしまう。
それを回避するために、ユステンの乗った馬車が邸宅から離れた場所で襲撃するつもりだった。
騒ぎにならないように馬車の護衛が少数なのは、オリバーが言った通りだ。
二人は覆面代わりに布を顔に巻きつけ、馬車の後を追った。
フィーナたちが馬車を襲撃するための場所へ先回りしたときに、状況が変わる。
「あれ、馬車が止まってるわよ」
「俺に言われても知らん」
二人は首を傾げた。
襲撃するための場所から少し手前で、馬車が停車している。
そして奇妙なのが、先ほどまでいた護衛がいないのだった。
罠と言われてもおかしくない状況に、オリバーが顔をしかめる。
「嵌められたか?」
この状況では、そう考えても仕方がない。
スパイを泳がせて追跡し、敵を一網打尽にすることは珍しくない方法だ。
だからオリバーも、アルベル兵団との連絡は取っていなかった。
すべての情報は『あの男』から得たものだった。
「さて、どうする」
「……どうしようもないわ」
フィーナは首を振った。
木々の枝を無造作に振り払って、居場所でも教えるように立ち上がった。
「お前!」
「隠れるなんて無理よ。あの馬車に誰が乗っているか、わかったわ」
「何だと?」
オリバーが覆面の下で訝しげな表情を浮かべるも、視線を馬車に向ける。
そこには、馬車の客室から降りてくる二つの人影があった。
片方は目的の人物であるユステンだった。
もう一人は――――エルザ・タワーズその人だ。
「残念です、姫様。私の忠告を聞き入れて下さらなかったのですね」
彼女の気迫は、正に戦場のそれと同等だった。
エルザにしてみれば、元魔王から娘を直々に任されたのであって、命を賭すことにためらいは無い。
「うわ……」
フィーナは彼女の気迫を感じて、説得することを諦めた。
曲がりなりにも魔族同士が正面から向かい合ってしまえば、戦いは避けられない。
相手がエルザであったとしても――――否、エルザであるからこそ退路を断たれたも同然だった。
「ちっ」
フィーナの隣で難しい顔をしていたオリバーが殺気に当てられ、無意識に腰の剣へ手を伸ばそうとする。
それを見逃すエルザでは無かった。
「おい、小僧。私の間合いで妙な気を起こすな。今だに貴様が生きていられるのは、その口からアルベル兵団の思惑を聞き出すためだけだ。だが、その領分を超えた時点で、貴様は殺す」
エルザが僅かに歯嚙みを見せた。
「よくも姫様を誑かしてくれたな」
鋭い殺意がエドガーに向けられていた。
そこでフィーナが、エルザの視線へ割り込んで言った。
「それは違うわ、校長先生。ユステンを助け出すことに賛同したのは、私の意志よ。例え誘われただけであっても、私はその手を取ると決めたの」
彼女は、顔を隠していた覆面を投げ捨てる。
徒手空拳で構えた。
「ごめんなさい。でも、私は私を曲げる訳にはいかないの」
「姫様、そのような……」
エルザが複雑な表情を見せた。
フィーナの構えがユーゴのものとそっくりなことに加え、覚悟を決めた顔がティルアと瓜二つだったからだ。
ただし、即座に迷いは消える。
魔族として立ちふさがったのだから、流儀は通すべきなのだ。
魔族が誇りを捨てたなら、ただの魔物と変わりない。
誇りによって立つことこそが、魔族の本領である。
「……随分と立派になられましたね。それでこそ魔族です」
腹が据わったエルザも、無手で構えた。
二人の間に緊迫したものが流れた時、ユステンが止めに入った。
「お、おい、ちょっと待ってくれ! 僕のことはどうでもいいから、二人が争うのはやめてくれ! 二人とも魔族の重鎮だぞ! 怪我でもしたらどうするんだ!」
「そういう話じゃ無いのよ、ユステン」
視線を逸らさずに、フィーナは言う。
「これは私の魔族としての問題よ。魔族を裏切って戦争に逃げた元魔王の娘として、友を見捨てる訳にはいかないの。ここであなたを見捨てたら、あの男と同じになってしまう―――」
彼女の拳に力が入った。
《魔玉》から光が漏れ、半変貌する。
フィーナが外套を脱ぐと、背中の開いた胸甲が露わになった。
その真っ白な背中から、歪な竜の羽が突き出した。
「――――」
竜種として不完全で、魔族として完全変貌が出来ないことを晒してしまった。
エルザなどは身を斬られたように唇を噛む。
ユステンが唖然としていた。
オリバーが眼を細める。
誰もが息を呑むその中で、フィーナは走り出した。
背中の両翼の間に、光の玉が生まれる。
「いくわ!」
「良いでしょう。姫様の覚悟、お受けいたします!」
その光が光竜の閃光砲と全く同じものだと看破したエルザが、即座に完全変貌した。
舐めるつもりなど毛頭ない。
向かってくる相手は、全力で捻り潰すことこそ礼儀なのだ。
フィーナ程度の閃光砲ならば、灰白熊の爪で弾くことも可能だろう。
毛皮でも、照射されてすぐに貫かれることは無い。
お互いの間合いが重なる瞬間だった。
突然――――銀糸が闇夜を裂く。
飛び退くフィーナとエルザだった。
そして、先に銀糸の正体に向かって吠えたのはエルザであった。
「邪魔をするなっ! 事と次第によっては貴様とて許さんぞ!」
「えー……まあ、別に許してくれなくてもいいんだけどね」
暗闇の中から浮かび上がってきたのは、エドガー・スミスだった。
普段の教師然とした姿であったが、一つだけ違っている所があった。
彼の手には、蜘蛛を模った篭手が嵌められていた。
そこから伸びた銀糸が、生き物のように宙を漂う。
「おい、あんた。一体何のつもりだよ。どうして今になって現れて来たんだ」
オリバーが言う。
それに対し、エドガーが口端を曲げた。
「何って、何のこと? 僕が君を逃がしたことかい? それとも、ユステン・ヒルトの居場所を教えたこと? もしかして、彼女たちの戦いを止めたことじゃないよねぇ? あはははははっ」
腹を抱えて小刻みに震えながら、壊れた人形のように笑う。
その暗がりの底を覗きこんだ眼に、怖気を感じない者はいなかった。
――――異質な者。
誰もがそう実感したときに、エルザが一歩前に出た。
「貴様、一体何が目的だ。オリバーたちの襲撃を私に教えたのも貴様だろう」
「何、何、何って、少しは自分たちで考えてくれないかな。僕にも思惑ってものはあるけれど、懇切丁寧に教えてあげる義理はないんじゃない?」
「答える気がないのなら、遠慮はいらんな」
エルザの拳から突き出た爪が振り下される。
宙を漂う銀糸を斬ろうとして――――弾くだけに終わった。
彼女が忌々しげに呟く。
「これは……永遠蜘蛛の糸か」
水晶湖の奥深くに住むと言われる永遠蜘蛛は、有史以前から生き続けている魔物だった。
竜種を喰らう唯一の生物として恐れられている。
そのため竜種に対して高い抵抗属性を持ち、咆哮系の攻撃をほぼ無効化してしまう特性を持っていた。
永遠蜘蛛の糸は自己再生機能を持ち、強靭無比であり、水晶湖の女王に認められた者だけが下賜される。
エドガーが銀糸をたわませた。
銀糸が風を切り、嫌な耳鳴りをさせてエルザの周囲を漂う。
「ま、君は大人しくしてなよ」
「そうはいくか。姫様を守る役目を仰せつかったのだ。……それは貴様も同じだろう」
「守る? 殴り合うことが?」
「姫様の……御命を守るためだ」
エルザが苦いものを飲み込むようにして言う。
それをエドガーが、笑いながら否定した。
「命を守るためなら殴り倒してでも止めるんだね。いやぁ、実に魔族らしい」
「そういう貴様はどうなんだ。オリバーを脱走させ、無用な混乱を招いただけだろう。貴様のやっていることは、ヴァレリア王国に刃向かう行為だ」
「へ? だって、僕に任せたんだからねぇ。確かに、学校の中までなら僕は命を賭して彼女を守ったよ。でもね、彼女は決断したんだ。それなら、それを守るのが僕の仕事だ」
「詭弁だろう。貴様は何もわかっていない!」
「うん、そうだね。でもまあ、最後はこの娘が決めるんだよ。ねえ、フィーナ・アイブリンガーさん?」
エドガーから話を向けられたフィーナは、戦闘態勢を崩さないままに応える。
「私はユステンの処刑に反対です。この後の罰は覚悟の上です」
「そうだろうとも。だから僕は協力したのさ」
微笑むエドガーだった。
フィーナは彼の表情に違和感を持つ。
単純な好意だけではなく、軽い悪意も含まれて見えたからだ。
「……エドガー先生、それはどういうことでしょう」
「んー、いや別に。君と同じようなことをした人を知っていてね。仲間を助けようとして、その仲間達から嫌われた偉大なる愚か者の話さ」
「はあ、それと私に何の関係もありませんけど」
理由は分からずとも『愚か者』と同列に扱われて、フィーナは腹立たしく思った。
彼女の気持ちを見透かして、エドガーが今度こそ純粋な笑みを見せる。
「そう、関係は無い。ただ僕は、君の行く末が見たいだけだ。同じ結末なのか――――それとも違う未来が待っているのか。興味あるねぇ」
どちらにせよ悲劇だけどね、とエドガーが無用な一言を付け加えるのであった。
これに怒りを覚えたフィーナは、拳を強く握りしめる。
そして、横目でオリバーに合図した。
「悲劇かどうかは、私が決めるわ」
彼女の背中に生えている両翼の間にあった光玉が、ゆっくりと浮遊した。
フィーナの意思通りに動き、両手の中に納まる。
「姫様?」
身構えるエルザだった。
流石に光竜の光玉を全力でぶつけられれば、それなりの破壊力にはなる。
エドガーもわずかに警戒しているようであった。
「私だって、誰かを助けたいときはあるんだからっ!」
――――そして、光が炸裂した。
地上に彗星が衝突したかと思い違いしかねない光量だった。
衝撃も破壊も一切無いが、瞼の裏まで焼き尽くす光の大瀑布が顕現する。
攻撃に気を取られて両目を奪われたエルザと、暗殺者の本能で未見の技を回避するために大きく距離を取ったエドガーに、彼女たちの行動は止められなかった。
フィーナは疾走して、ユステンの襟首を捕まえて馬車に乗り込んだ。
合図を受けていたオリバーが自分の目隠しを外し、御車台へ滑り込む。
「いくぞ、舌を噛むなよ!」
暴れる馬をなだめようとせず、混乱のままに馬車が走り出す。
無茶苦茶な方向へ走る馬を手綱で強引に操りながら、土煙を残して馬車が走り去った。
その場に残されたのは、エルザの怒号とエドガーの高笑いだけだった。




