剣先の彼方5
砂利を踏みしめる音が、滔々と響いていた。
ユーゴは横目で、斜め後ろを歩くトリーニャを見た。
「…………」
それでも反応は無く、黙ってついて来るだけだった。
幽霊屋敷を出発する前に、エルザから何か言われていたことは間違いない。
ユーゴがエルザに会話の内容を聞いても教えて貰えなかった。
ただ、トリーニャの苛烈な物言いが無くなったのも事実だった。
それからというもの、二人の間にずっと会話が無い。
「……何か駄目なことがあるのか?」
自分の旅装を確かめるユーゴだった。
確かに使い古されていて、あちこちが擦り切れている。
お世辞にも綺麗とは言えないが、洗濯と修繕は欠かしていない。
しかし、見た目がみすぼらしいのは否定できなかった。
「ふむ」
彼は頭を掻きながら、離れて歩く彼女に言った。
すると、ようやく根負けしてくれたのか返事があった。
「別に、先に行っててくれて構わないんだが?」
「自分も、あなたが王族でなければそうしていたであります」
「ふぅん。それはいいけど、足元気を付けてな」
「――――あうっ」
ユーゴの忠告虚しく、トリーニャが足元の小石に躓きそうになった。
彼が思わず手を差し伸べると、その手を振り払って更にバランスを崩し、尻餅をついた。
「……余計な事をしないでくださいませんか」
「悪かった。立てるか」
「無論です。魔族軍人を侮らないで頂きたい」
ユーゴは手を貸すこともできず、彼女が立ち上がるところを眺めていた。
何か恨まれるようなことしたかなぁ、と彼は心の中で呟く。
立ち上がったトリーニャが、恨めしそうにこちらを睨んでいた。
ユーゴは視線を逸らした。
その先には山々が点在し、麓とはいえ起伏に富んだ旅路だった。
普段のユーゴなら倍の速度で踏破しているはずの道程も、彼女を気遣って遅れている。
このままでは山中で夜を過ごさねばならなくなりそうだった。
「さて」
どうしたものか、と考える。
ユーゴ自身はそれなりの装備を背負ってきているが、トリーニャなどは軽装だった。
行軍訓練は受けているものだと思っていたが、とユーゴが首をひねる。
迷ったあげく、彼は空を見上げて言った。
「このままだと、山中で一夜を過ごさなきゃいけないなぁ」
「――――っ」
トリーニャが警戒して、戦闘態勢になった。
半変貌すらしかねない勢いだった。
肩を落としたユーゴは、力なく首を振る。
「何もしないって。それより、山を抜けるのにそんな軽装で大丈夫なのか」
「……ええ、まあ、自分は夜目が効くのであります。歩き通しでも問題ありません」
「なるほどね」
最初から休むつもりなど無いのであれば、装備は最低限で済む。
魔族であるが故の、体力に物を言わせた強行軍であった。
ただしそれは、何事もなければ、という前提条件が必要だろう。
戦乱の最中に、そこまで都合良く物事が進むとは思えないユーゴであった。
「……俺が狙われさえしなければなぁ」
そう呟いた。
アルベル兵団の情報網は多岐に渡る。
ユーゴが出国したことくらいは、把握されていると考えて行動していた。
彼の動きに対して一軍を差し向けることは無くても、妨害をされることは想像に難くない。
「とにかく、魔王国には辿り着かなきゃな」
彼は頷いて歩き出す。
すると、トリーニャも少し距離をとりながらついてきた。
獣道ですらない草むらを進み、藪こぎしながら山に分け入った。
街道を使えばこんな苦労はしなくても良かった。
しかしユーゴが見つかれば騒ぎが大きくなることに加えて、戦闘が起これば最悪の場合、総力戦の引き金になりかねない。
ヴァレリア王国の邪魔をしないためには、人のいない場所を進むしかなかった。
草を押しのけるユーゴは、トリーニャから声をかけられた。
「あの、そこまで丁寧に道を作って頂かなくても良いのであります」
「うん? そうか」
後を追ってくる彼女のために、歩きやすいようにしていたユーゴだった。
それも必要なくなる頃合いだったので、素直に頷く。
藪を分け出ると、小さな広場があった。
空が薄暗くなり始めているが、山中は木々に光を遮られているので、日没が驚くほど早い。
「俺はここで休むが、君はどうする?」
「大休止でありますか」
「いや、寝る」
「…………急ぎなのでは?」
トリーニャが不満を表す眼で見つめてきた。
両手を上げるユーゴだった。
「ちょっと、やる事があるんだ。気にしないで行っていいぞ」
「ユーゴ様こそ、自分のことは気になさらないでください。それでは周辺警戒を行うであります」
彼女が口を尖らせ、不満を見せつけて歩いて行くのだった。
その歩き方を見るに、山行は得意そうであった。
躓いて転んだのが嘘のようだ。
「うん、よくわからん」
ユーゴは大きく頷いた。
よくわからん筆頭候補であるティルアとは別種のわからなさだった。
わからないことはともかく、準備を始めることにする。
「お、これ使いやすそう」
周辺に落ちている小枝を集めて組み上げ、簡易テントを作った。
葉を集めてベッドを作り、外套をその上に広げて座り込む。
背負っていた背嚢から金属の細長い棒を取り出して、膝の点検を始めた。
「便利なような、不便なような……」
外装を外して、内部機構を見る。
無論、見るだけだった。
アンリほど知識が無いので、修理は出来ない。
ただ、自分の身体なので保守点検くらいは覚えていた。
「駆動範囲よし、ギア噛み込みなし、異音なし」
同じ点検を両膝、両足首とも行った。
これで万全の態勢を整えた。
そして再び背嚢から長期保存の効く堅パンを取り出して、噛り付いた。
本来なら火を使って暖かい食事や暖を取りたいところだったが、山中で準備も無く火を焚くことは難しい。
「まあ、目印になっていいかもしれないけど、あの子は夜目が効くなら無い方がいいよなぁ」
そう言って、また堅パンを齧った。
咀嚼しながら顔を上げると、木々の中に人影があった。
その人影が感嘆する。
「――――ほぅ、拙者の気配に気づいたかね。同門の出であろうか」
「さあ? ところで、パンが欲しいのなら半分だけやろう。もう半分は連れの分を残しておかなきゃならんのでね」
ユーゴはもっともな顔をして、半分にちぎったパンを差し出した。
人影が林の中から姿を現し、その威容が露わになる。
エルフの古式服を身に纏い、腰に刀を差していた。
「馬鹿にして――――いるのではないのだな」
「もちろんだ。飯のありがたみは、人間の頃に良く身に染みている。むしろ、ここで俺のパンを捨てようものなら、本気で殴り倒しているところだ」
「人間の頃、か。ならば、捨て置くわけにはいかんなぁ。頂戴しよう」
着流しを男帯で留めた長身の男が、ユーゴの前にどっかりと座った。
手渡しでパンを受け取り、豪快に齧る。
「はっはっは――――これは不味い」
長身の男が、不味い不味いと言いながら笑ってパンを平らげた。
懐から羊の膀胱を使った水筒を取り出して、口を付ける。
そして、その水筒をユーゴに渡してきた。
「パンの礼だ。中身はエールだな。ワインで無くてすまんが、拙者はこちらの方が好みだ」
「助かる。このパン、日持ちはするけど喉が渇くからな」
ユーゴは喉を潤してから、水筒を返した。
その後は、エルフの国についての話で盛り上がった。
とりわけ、魚の干物や漬物、酒についての話題が多かった。
長身の男がひとしきり笑ったところで、居住まいを正した。
「さて、貴殿との語らいもここまでか。拙者、トウレンと申す。御命頂戴仕る」
「どうしてもか。ここに来るまでに、魔族の軍人を見たはずだと思うけど」
「ほう、あれは軍人だったのか。これはしたり。迷い子かと思って山より外に案内したが。それより――――」
トウレンのわざとらしい演技に、苦笑いを浮かべるユーゴであった。
出来れば殺し合いをしたくない相手だった。
「是非、一手御教授お願いしたく候」
「トウレン殿。そこを曲げてくれないか。君はトリーニャを見逃してくれた。その恩に報いたい」
ユーゴは正座をして、地面に手をついた。
それでもトウレンが、首を縦に振ることは無かった。
「弱者を斬るのは誉にあたわず。しかし、恩に報いてくださると言うのなら、是非にお立合いくだされ」
「アルベル兵団に頼まれているのなら、俺に出来ることは無いだろうか」
「ありませぬ。……お恥ずかしながら拙者の国には金が無く、民が飢えておりました。殿はお心を痛められ、アルベル兵団に借財したのです」
「金のことなら相談に乗るが」
「心配ご無用。拙者がヴァレリア王国の元魔王と戦えば、借金が相殺される次第で御座る。借金とはいえ、殿のお心と民衆を救えたのは事実。アルベル兵団に対する恩義に候」
「そうか。そうだな」
「加えて拙者、殿にご下命を頂いておりまする。命とは魂そのもの。失すればすなわち、拙者も失するということ。貴殿を見逃せば命無く、負けても命は無いものと思っておりますれば――――戦うことこそが誉なり」
威容を湛えたトウレンが立ち上がり、刀を抜いた。
彼が見据えるのは、木々の向こうから全速力で駆けてくるトリーニャだった。
ユーゴが何もしなければ、彼女は一刀のもとに切り伏せられる。
「誉か。そんなもののために――――とは言わない。ただ、残念に思う。君は魔族と気が合いそうだ」
「それは重畳。いずれ、再び酒でも酌み交わすことが御座ろう」
トウレンが、刀を担ぐように構えた。
緊迫した空気が周囲を支配し、この場所だけ時が止まったように静かだった。
その静寂を、走り込んできたトリーニャの声が破る。
「ユーゴ様! その男は刺客であります!」
「――――弑っ!」
刀が超速で振り下された。
ユーゴは刀をどうにかすることを諦めるしかなかった。
ただ、剣先が超速だったとしても、手元は違う。
『多螺離亜』を使って全力で踏み込み、トウレンの手元を捕まえる。
それを良しとしないトウレンが前蹴りを放った。
避けきれない蹴りを膝で受けたユーゴだったが、更に手首の返しだけで斬りつけてきた刀を躱すため、距離を取った。
再度、刀を担いで構えるトウレンだった。
「さてはて、珍妙な足だ。普通なら折れておるはずだが」
「そう言われると、頭以外の全身が珍妙っていうことになるからな、俺は」
「ならば斬るまで、斬り捨てるまで。この刀の前に立つ生物で斬れぬ者なし。生者殺しの魔剣、とくと見よ」
金属を弾いたような音が響いた。
トウレンの持つ刀が、更に威容を吹き荒らした。
彼が正体を現したときから身に纏っていた威容は、トウレン自身のものでは無く、刀から発散されているものだった。
そしてトウレンの言うことが正しければ、その刀は最上位クラスの《魔導遺物》に違いない。
「――――あ、かっ」
まともに殺気を受けたトリーニャが、呼吸が出来なくなって倒れた。
そのまま身体を丸め、震えさせている。
ユーゴにとって、勝負を急ぐ理由が増えた。
ここまでの威容であれば、魔王国の偵察隊に見つかるかもしれない。
そうなれば強敵対策として、ティルアが飛んでくることだろう。
「さて、俺の身内の為だ。早々に決着をつけようか」
「身内可愛さはこちらも同様。貴殿とは純粋な戦いをしてみたかったが、所詮は命の獲り合い――――外道の所業でな。アルベル兵団に頼まれなければ出会うことも無かった。なればこそ、この縁に感謝しよう」
「まったくもって同意するよ。君の選んだエールは旨かった」
「貴殿のパンは、とてつもなく不味かったがね!」
ユーゴとトウレンは、互いに笑い合い、地を蹴った。
ユーゴはまず、魔剣の持つ威容に絡め取られた。
水の中を歩くが如く、身体の動きが緩慢になる。
初撃は完全に奪われた。
「『威射磁手』――――展開っ」
咄嗟に機関を解放して右義手を出すも、刀が一閃した。
音も無くユーゴの右腕が転がり落ちる。
トウレンの刀が跳ね上がった。
そして跳ね上げたまま、絶命していた。
ユーゴは、トウレンの胸に突き刺した左腕を引き抜く。
トウレンの身体を支えながら、地面に横たえた。
ユーゴが使ったのは『暗剣』の応用だった。
右腕の派手な『威射磁手』に眼を惹かせておいて、本命の左腕を隠し剣とする。
タネを明かせば何のことは無い技である。
しかし、極限の最中で相手を騙す技術と度胸が、程度の低いわけも無い。
互いに死力を尽くしたと言えた。
「縁に感謝か。そういう考えも悪くない」
ユーゴはエルフ式に、両手を合わせて冥福を祈った。
すると、ユーゴの《魔玉》あった場所――――左胸に、暖かいものが流れた。
普段ならそれで魂を取り込んだことになるが、今回は少し違っていた。
「――――な、んだ?」
ユーゴの脳裏に、見たことが無い景色が流れた。
おろし金で脳を削られる感覚と同時に、他人の記憶が見えた。
状況から考えて、トウレンの記憶に違いない。
早回しで見せつけられる他人の人生。
最後に胸を貫かれた衝撃と共に、我に返った。
「くっ……ふぅ。何だったんだ?」
時間は経っていなかった。
痛みも苦しみも残っていない。
「《魔晶化》の浸食が、頭まで回り始めたかなぁ」
そうであれば、ユーゴも苦笑いするしかない。
今まで良く耐えたもんだ俺の頭よ、と褒めておくことにした。
彼が横を向いてみると、トリーニャがへたり込んで茫然自失となっている。
とりあえずトリーニャも息が出来ているようなので、先にトウレンを埋葬してやった。
刀も彼に抱かせて埋めた――――はずだった。
「ん?」
その刀が、埋めた土から突き出ている。
何故か、ユーゴの方に柄を向けていた。
先程までよりかなり弱いが、威容も放っている。
「ああ、これ『呪い付き』か。参ったな」
負けた相手から戦利品として武器を奪うようで心苦しいが、こうなると運命を捻じ曲げるレベルで追いかけてくるのが《魔導遺物》最上位クラスの『呪い付き』だった。
「うぅむ。まあ、いずれトウレンの故郷に戻してやるか。それまでなら、付き合うよ」
ユーゴがそう言って左手で刀を握ると、すぐに威容が収まった。
刀を持って肩に担ぎ、トリーニャの傍に立つ。
「えっと、大丈夫か?」
「へっ――――ふうぅぁぁぁぁっ」
目の焦点が合っていなかったトリーニャが、ユーゴを見て自分を取り戻した。
いきなり顔を歪めて泣きはじめ、ユーゴの足もとに縋りついた。
「……そりゃ、あんな達人の殺気を受けたらそんなもんだ。俺でも『威容』に呑まれたからな。仕方ないって」
わずかな水の音に気付き、そう慰めるユーゴだった。
彼としても、血塗れで真っ赤な左腕を洗いたい気分である。
おまけに素手で地面を掘り返したため、全身土まみれだった
取りあえず川に行かなきゃなぁ、と考えるのであった。




