剣先の彼方4
「……そんな」
ユーゴがいなくなった事を告げられたフィーナは、膝から崩れ落ちそうになった。
それでも膝をつかなかったのは、目の前にいるのがエルザだったからに過ぎない。
ただ、あまりの落胆する様子に、エルザでさえも彼女を気遣った。
「グランエルタ本国の要請ならば仕方ないだろう。彼の国とユーゴ・クロックがアルベル兵団に恐れをなすとは思えない。何らかの理由があるのだ」
「はい、それは理解しているつもりです。しかし、何も言わずに出て行かれると、辛いものがあります」
「まあ、貴様は特に懐いていたものな」
エルザが複雑な表情を浮かべた。
ユーゴの秘密を知っているだけに、迂闊な事は言えなかった。
どうやって励ましてやろうかと言葉を選んでいたエルザに、フィーナが問うた。
「ユーゴは、また帰ってきますよね?」
「ああ、無論だ。このまま中途半端に兵術学校を出て行かれては、魔族の名折れ。彼には魔族というものを真に理解してもらわねばならん」
エルザが微笑みながら頷く。
「嫌がっても引きずり戻す。それは確約しよう、フィーナ・アイブリンガー」
「はっ、よろしくお願いします! その際には是非、私もお手伝い致します!」
「うん、良い返事だ。それで今後のことだが、現状ヴァレリア王国は作戦通りに動いている。ただ、前線で国境警備隊が壊滅した事は知っているな?」
「はい」
フィーナは表情を曇らせる。
友人であったユステンが軟禁され、時を同じくしてオリバーが逮捕された。
その場で教職員から説明を受けたが、フィーナは驚きのあまりに動けなかった。
状況は理解したが、納得することは出来なかった。
父親が子供を裏切るなど、許せたことではないとさえ考えている。
「どいつもこいつも……」
思わず怒りが漏れた。
彼女の記憶の中で、顔さえ曖昧な自分の父親――――ユーゴ・ウッドゲイトへの怒りも混ざっていた。
そして何よりも、父を想って哀しい顔をする二人の母が、不憫だと考える。
怒りを押し止めることが出来ず、歯噛みをした。
その怒った顔が父に似ていると母から言われていて、余計に腹が立った。
フィーナの表情を見たエルザが、釘を刺してきた。
「頼みがあります。これは魔王国臣民としての言葉を聞いて頂きたい。姫様はどうか、この地で己が身を守られよ。それこそが我らの願いです」
「わかっています。――――それでは退室いたします」
「よろしい、下がれ」
彼女の態度に、エルザが目を伏せて頷いた。
敬礼をしてから、フィーナは校長室から退室する。
そこでようやく、自分の立場を忘れることができた。
怒りにまかせて廊下を歩きながら、いつものテラスに向かう。
「いなくなるのはダメって言ったのに――――ダメって言ったのにっ!」
フィーナの様子を見た生徒たちが、一様に逃げ出してしまった。
誰もいない廊下を歩く。
「……ユーゴの馬鹿」
こんな状況でも、ユーゴであったなら何も気にせず自分に話しかけてくれただろう。
そう思うと、彼が居なくなったことを今さらに実感してしまう。
テラスに到着した。
ユーゴがいたらいいなと思って、花壇の裾を覗いた。
彼女の予想通り、そこで寝転がっている人間はいなかった。
何もかもが嫌になって、テラスに備え付けられてある白い椅子に座り、テーブルに突っ伏した。
そよ風で木々が揺れていた。
鳥の声も聞こえる。
その中に、聞いたことのある足音があった。
足音をさせる人物がフィーナに近づいてきて、椅子に座った。
フィーナが不機嫌な声で言う。
「何しに来たのよ」
「ユーゴ・クロックの行方について、聞きたくないか?」
彼女が顔だけ上げると、そこにはオリバー・ハリスの姿があった。
普段の制服を着て、普段通りの態度だった。
「捕まってたんじゃないの?」
「逃げ出してきた。誰も殺してない」
無罪を主張する仕草で、両手を広げるオリバーだった。
その動きでさえ、滑らかに過ぎた。
ユーゴに修行を受けてからというもの、フィーナの眼は格段に良くなっていた。
今では、オリバーの実力が相当なものであると理解できた。
逃げ出したのは本当だろう、とフィーナは思っている。
ただ、殺していないかまでは定かではないと考えた。
「何の用?」
「……フィーナは、あいつのことが気にならないのか」
「私の質問に答えて」
そうだな、とオリバーが腕を組む。
「あえて言うなら、友人を助けるためか」
「裏切り者のくせに」
「それは否定しない。けれど、ユステンを守るのが任務だ。ヒルト家の当主が寝返ったいま、ユステンが見せしめに処刑されないとも限らない。現に、処刑するべきだと言う意見も魔王国の貴族たちから集まっている」
「………校長先生からは、そんなこと聞いてない」
フィーナは視線を逸らした。
魔族の気質として、処刑の話は出るだろうと彼女も思っていた。
特に、ヒルト家は国境警備を任とする名門の大貴族だった。
『誰か』が責任を取らされるのは目に見えている。
いずれはエーリン・ヒルトが捕まえられるとしても、一先ず民衆の溜飲を下げるために、ユステンが責任を取らされる可能性は高かった。
オリバーが言う。
「あんたに告げるはずがない。想い人に去られた王族にすべてを伝えはしないだろう」
「お、想い人って……そんな関係でもないし……そうなりたかったというか、なれなかったというか」
顔を伏せるフィーナだった。
オリバーが息を吐く。
「だから、ユーゴの居る所まで案内してやる。あいつは戦場へ向かった」
「ええっ! だって、グランエルタの要請があったって校長先生が言ってたわよ!」
急に顔を上げて捲し立てる彼女に、首を傾けたオリバーだった。
しかし、すぐに言葉を続ける。
「内容までは教えられていないだろう。それに、要請があったというだけで、帰国したとは限らない」
「そうだけど」
「グランエルタと魔王国の過去に戦争があったとはいえ、今では友好関係だ。友好の印として、ユーゴ・クロックが差し出されたとしても不都合は無い。幸い、ユーゴは魔王国の兵術学校に通う人間だ。魔族に寝返ったとしてグランエルタから切り捨てられても問題は無いんだ」
「そんなことって――――」
有り得ないとも言えない話だった。
人間としては清廉潔白なグランエルタのフルクス・エイロンでも、国家の要人として下す判断は別物なのだ。
フィーナは唇を噛んでから言った。
「そうだとしても、私は魔族よ。アルベル兵団のあなたを、信用するとでも思っているのかしら」
「信用しなくていい。あんたが協力してくれなくても、ユステンを助け出すのには変わりない。……それに、戦場へ元魔王が戻ってくるって話もある。ゆっくりはしていられないんだ」
瞬間、フィーナは我を忘れて立ち上がっていた。
オリバーを殴り倒す勢いで迫る。
「――――それ、本当なの」
「アルベル兵団の上級幹部が、そう話していただけだ。けどな、自分の国が戦争を始めたのに、戻って来ない方が不思議だろう」
「……そういう奴なのよ。家族のことなんてどうでもいい、戦争狂のクズなんだから」
「そういうものか」
目を細めたオリバーが、俯くフィーナを見つめながら言う。
「で、どうする。協力してくれるのか」
「いいわ、協力する。……でも、魔族に攻撃しないよう監視するからね」
彼女は決意を固めた。
最初から、ユステンを助けることに異論はない。
しかし、彼を助け出すということは、戦闘は避けられないだろう。
そこでオリバーが虐殺を始めようものなら、これを止める役割がいるのだ。
「助かる。もう準備は出来ているから、ついてきてくれるか」
「分かったわ」
彼女は一度だけ校長室を振り向いてから、先を歩くオリバーの背中を追いかけた。
エルザへの罪悪感が無いわけではない。
ただ、それ以上の感情が胸に渦巻いていた。
何も言わずに戦場へ行ったユーゴに対する哀しみと、再び舞い戻ってきた父親に対する怒りが混ざり合っている。
――――ユーゴには、言いたいことがあった。
――――父親には、やらなければいけないことがあった。
「どうしてこう、男っていうのは自分勝手なのかしら」
「…………」
彼女の呟きを聞いたオリバーが、無罪を主張する仕草で両手を広げるのだった。




