剣先の彼方3
開戦から一日が経った日の夜、ユーゴの寝泊まりしている幽霊屋敷に人が集まっていた。
食堂の長テーブルで簡素な食事を取りながら、それぞれの近況を話し合うつもりでユーゴが開いた会合だった。
エドガーや、兵術学校のエルザも呼んでいる。
ヴァレリア王国側から来た士官のトリーニャが呟く。
「状況は良くありません。早々に第一線が破られ、国境警備隊で編成した隊が壊滅しました。指揮官だったエーリン・ヒルト大佐は行方不明です」
「……そうか」
ユーゴが口を曲げた。
こんなに早く前線が破られるとは思っていなかったし、大佐の息子であるユステンの動きも気になったからだ。
それを見たエドガーが、心を踊らせる笑顔で決定的なことを言った。
「あ、ヒルト大佐はウチを裏切って、アルベル兵団の後方に展開してるよ」
「なっ、本当ですか! どうしてそれをもっと早く!」
牙をむき出しにしたトリーニャが、机を叩きながら身を乗り出した。
面倒そうにエドガー手を振る。
「あー、うるさいな小娘。身の程を考えて口を開けよ。首を落とされたくなかったら、少し黙れ。ユーゴくんの表情を見逃しちゃうだろ」
「何を! 新参者が生意気な――――」
トリーニャが長テーブルを飛び越そうとした瞬間、ユーゴが机を叩いた。
「静かにしろ。あと、トリーニャさん? 言葉には気をつけてくれ。後の教育はエルザに任せる。いいか?」
「お任せください」
深々と頭を下げるエルザに対し、失望の色を隠せないトリーニャだった。
「エルザ様ほどの御方が、何故?」
「私も同じ失敗を犯したので忠告しますが、ユーゴ様は私や私の父よりも強いのです。私は本気で挑んだことがありますが、組み伏せられ、裸のまま容赦なく蹂躙されました。貴方程度の実力では、小指で妊娠させられるでしょう」
「――――ひぃ」
トリーニャが両手で自分の胸を守った。
ユーゴが指で眉間を押さえる。
「何かもう頭が痛いな……」
「いいね、その顔!」
エドガーが親指を立てて良い笑顔をした。
余計に頭痛のタネが増えたが、ユーゴがまとめなければ話が進まないので、色々と言いたいことを我慢するのだった。
「ともかく、話を戻すぞ。前線が破られる事は想定内だ。段階的な時間稼ぎをさせるつもりだったが、アルベル兵団の侵攻速度が早まることで計画に支障はあるか?」
話を向けられたトリーニャが、不審な顔をしつつも応える。
「物資の搬入が遅れていますが、戦闘に支障はありません」
「そうか。ならヴァレリア王国は計画通りとして、スパイの摘発はどうなった?」
ユーゴが話を向けると、エドガーが笑う。
「ちょっと強引に進めたから、六割くらいは削れたね。残りは潜っちゃったから、時間がいるよ。でも、組織立った反抗は出来ないはずさ」
「ふむ。それで、ヒルト大佐の周辺は調べたのか?」
「ここ数年は自分の屋敷に帰っていなかったみたいだね。血族関係はシロと見ていいんじゃないかな。彼が裏切ったと言っても、部隊の殆どはついて行かなかったみたいだし」
エドガーがそこまで言うと、トリーニャが立ち上がる。
「何を悠長な! そこまで罪が明白なら、爵位を剥奪の後、一族郎党を処刑すべきです。魔族の誇りを贖うべきです!」
それにユーゴは首を振る。
「却下だ。君は見せしめのつもりで言っているのかもしれないが、むしろ逆効果だ。戦争中に名門一族を処刑してどうする。それに、俺はそういうのは好きじゃないんだ」
「す、好きじゃない? 貴方は好きか嫌いで戦争をやっているのですか!」
「まあ、それくらいは選ばせて欲しいよな」
「私をからかっていらっしゃるのか。幾ら魔王様の伴侶の身と言えど、今は国家の一大事であります。私の命で刺し違えてでも――――」
「やめろって」
ユーゴが食べかけのパンを、本気で投げた。
それを苦も無く手で受けるエドガーだった。
エドガーが立っているのは、長テーブルの上である。
音も気配も殺気も無く、意識の間隙を突くような早業だった。
手で受けたパンを齧りながら、エドガーが自分の椅子に戻る。
狙われた当人のトリーニャは、何が起こったか分かっていない。
「あ、あの?」
「そう興奮する必要は無いさ。最終決定権は魔王にあるからな。君は魔王に従うと良い。それでも文句があるなら、魔族の流儀を受けるのもやぶさかではないよ」
「了解致しました」
あまり納得していない様子で、彼女が椅子に座りなおした。
そして今度はエルザが腰を浮かせる。
「つまり、異議を申し立てれば相手をして頂けるということでよろしいですか?」
「……この戦争が終わったら、褒賞として考えてもいい」
「ふふ、ふふふふ」
頬を赤く染めながら、妖しく笑うエルザであった。
妙な悪寒を感じたユーゴだが、彼女にも話を聞かなければならない。
「ところで、エトアリア共和国との交渉はあったのか?」
「そうですね。積極的な戦争参加は無理でしたが、教職員による防衛戦闘は認めさせました。引き換えに、護衛と称して見張りを付けられましたが、故郷の一大事とあらば即座に駆けつける準備を整えています」
「そういう事態にはなって欲しく無いが、エトアリアが攻められないとも限らない。防衛戦の準備だけは進めておいてくれ。あと、ユステン・ヒルトに護衛を頼む。逆恨みがあっても困るからな」
「はい、既に監視対象として手配済みです」
「うん、ありがとう。君が優秀で助かってる」
「光栄です」
頭を下げるエルザに、ユーゴは頷いて見せた。
「それじゃあ、少し娘を任せるぞ」
「は? よろしいのですか。魔王様から依頼を受けているのではありませんか」
「ああ。兵術学校のスパイの件なら、人物の特定は終わってるよ。昨日、確かめてきた」
「……私にもご相談頂きたかったところです」
「いや。エルザは、何かウチの娘と話をしたいみたいだったからさ」
「はあ」
眉根を寄せて不満そうにするエルザだった。
気にしていない様子でユーゴが続ける。
「スパイはオリバー・ハリスって子だ。恐らく、アルベル兵団からユステン・ヒルトを見張るように命令されていたんだろう」
「いつから気づかれていたのですか」
「入学当初だな。俺が校長室で騒ぎを起こした後、教室に入っただろ。そのとき一番驚いていた奴を、後からエドガーに教えて貰っただけだ」
「それだけで?」
「ヴァレリア王国の諜報機関で最高位の人間を侮っちゃいけないな。そもそも、スパイの摘発を頼まれたのはオマケだ。俺が本来やるべきことは、娘を救うことでね」
親バカですまんな、と苦笑いするユーゴであった。
それでも表情を緩めず、エルザが問う。
「ではオリバー・ハリスを、どうなさるおつもりでしょう」
「どうもしないけど」
「え?」
信じられないものを見る眼つきで、エルザが声を上げた。
娘の友人関係に敵国のスパイがいたとして、何事も無いように言うユーゴである。
「一応、娘には戦い方を仕込んであるし、兵学校の中はエルザとエドガーがいるし、大丈夫だろ」
「近しい者からの暗殺には対処が難しいのです」
「それは無いんじゃないかなぁ。喧嘩くらいなら、あの年頃には必要なことだと思うし」
「油断しすぎでは?」
「そうかもしれないな。でも、俺もいつまでもフィーナと一緒にいられるわけじゃないんだよ。だから、剣を持つ意味を、フィーナが自分で見つけなきゃいけない」
ユーゴの言葉に、エルザが眼を細めた。
「剣で傷つけ傷ついたとして、そのときに傍にいてくれる人は重要だと思いますが」
「傍にいる役目は他に譲るよ。今の俺の仕事は、騎士なんでね。まずはフィーナを護らなきゃいけない。あの娘の居場所を失わせるわけにはいかないんだ」
「では――――」
「ちょっと竜退治に行ってくる。……ははっ、何だか『おとぎばなし』みたいだな」
仕方なさそうに笑って見せるユーゴだった。
その表情を見たエルザが、拳を握りしめる。
そして、肩の力を抜いた。
「ご武運を……お祈りいたします」
「まあ、やるだけやってみるさ。一先ず、ヴァレリア王国に顔を出してみるよ」
席を立ったユーゴが、自室に戻ろうとする。
エドガーが、ひらひらと手を振っているので、彼はそれに応じて手を振った。
「頼む」
「いいんだけどね」
気のないエドガーの返事だったが、ユーゴは微笑んだ。
そして、自らの剣を持つ意味を思ったのだった。




