剣先の彼方
ユーゴとアンリが、強酸蟻の巣穴から抜け出した。
勢い余って空中を舞い、放物線を描きながら落下する。
『多螺離亜』推進剤が底を尽き、大きくバランスを崩した。
ユーゴは背負っているアンリと体を入れ替え、空中で抱きかかえる。
「また修理か――――」
迫ってくる地面を睨みつけながら、両足を突き出す。
激突の衝撃を膝で受けた瞬間に、破断音が轟く。
そのまま擦過音を響かせながら地表を滑り、巣穴の入り口から遠く離れた場所で、ようやく止まるのだった。
「追いかけて来ないみたいだな。よし、下すぞ」
そう言って彼女を支えていた手を離すが、アンリがぶら下がったままだった。
しばらくしても離れないので、ユーゴが息を吐く。
「はぁ、下りないのか」
「こういうのもアリだと思っていたところでね。さあ、尻でも胸でも存分に揉むがいい」
「やる気になってるところ悪いんだけど、俺、怪我してるから」
ユーゴは控えめに言うが、彼の左肩には長槍の穂先が突き刺さっていた。
それは柄の部分が折れてしまっているが、エキドナが変貌前に持っていた武器だった。
彼が水蒸気爆発を起こした瞬間、様子見とばかりにエキドナが爪先で弾き飛ばしてきたものだ。
水蒸気爆発が起こっている場所を通しながら、寸分違わず砲身の中を貫く精度で、ユーゴの肩を突き刺していた。
流石に無傷で帰してくれはしなかったが、ユーゴは見逃された気もしていた。
「さて、どうしたものかな」
さっきから離れようとしないアンリにどう対処したものか悩みながら、呟いた。
そして、その呟きを拾った者がいた。
「お迎えに上がりましたよ」
暗闇の中から、音も無く男が現れる。
暗褐色の服装を身にまとい、この場に不釣り合いな微笑と冷静さを見せる男――――エドガー・スミスが立っていた。
彼は蜥蜴種で構成された諜報機関の、トップを務める人間だ。
これは、暗殺に才を見いだされた魔族よりも、更に暗殺技術が秀でていたための人事だった。
ただし、彼の存在が諜報機関の業務を妨害してしまうため、半ば追い出される形で騎士学校の教師をやっていた。
これで本人に文句が無いのだから、ユーゴも口を出していない。
「ああ、来たのか」
「そうだよ。相変わらず、傷だらけの女泣かせみたいで何よりだ。嫉妬してもいいかい?」
「これ以上、話をややこしくしないでくれ」
「それじゃあ、その肩に刺さってる奴抜こうか。……久しぶりに、ユーゴくんの苦痛に歪む声が聴きたいな」
「断る。それくらい自分でやるさ」
ユーゴは断固として、拒否の意思表示を露わにした。
自分で肩口の長槍の穂先に手を伸ばそうとして、抱きついているアンリに手を払いのけられた。
「何だ、駄目なのか?」
「この槍は呪い付きだ。あまり気軽に《魔導遺物》を触るものでは無いと思うがね」
「ふぅん。それで、呪いの効果はわかるか?」
「正確なことは言えないが、《毒》系統ではなさそうだ。《禁止》系統の可能性が高いだろう」
アンリが暗がりの中で長槍の穂先を調べていた。
それでも限界はあったので、彼女が自分の手荷物から文様の描かれた包み布を取り出した。
包み布を広げてユーゴの肩口に被せ、穂先まで巻きつけて固定した。
「帰ったら、すぐに私の地下室へ行くことだ。まあ、ここにいるよりはいい、程度のものだがね」
「まあ、頼む。膝関節の調子も見て貰いたいし」
「請け負おう。……しかし、護衛はつけるなと言っておいたはずだがね」
じろり、とアンリがエドガーを睨んだ。
睨まれた方は、穏やかな表情を崩さなかった。
「護衛って言われても、僕は君たちを守ってないだろ? ユーゴくんにも忠告されてたしね。でもさ、魔王様から頼まれてる仕事を、民間人に止めさせる権利は無いと思わないかな」
「ふん、ぬけぬけと――――はっ。いや、一理ある」
アンリが素直に頷いた。
ユーゴとしては意外だったが、彼女の次の行為に顔をしかめた。
「何をやってんだ?」
「胸を押し付けているのだが、興奮しないかね」
「いや、しない。っていうか、止めてくれ」
「民間人に止めさせる権利など無い」
「これはあるだろ」
「うん、やはり無理があったか。……しかし、まったく効果が見えないと言うのも考え物だな。ユーゴは人前でないと興奮しないかと思っていたのだが、もしや戦闘中に興奮するタイプなのかね。つくづく変態だな」
「言いたい放題だけど、お前だって変態だからな」
「自覚のあるなしは重要だと思うのだがね」
「自覚してれば良いってもんでもないだろ」
「それはそうだ。自覚が無い方が、都合の良いときもあるのだからな」
思わせぶりなことを言いながら、アンリが笑う。
何かを見落としている気分になったユーゴだが、追求することが出来なかった。
代わりに、違うことを聞いた。
「ところで、アンリは『祖竜』とどういう関係なんだ? あれが敵となるからには、情報が欲しい」
ユーゴがそう言うと、急にアンリが押し黙った。身体を押し付けるのを止めて、静かにユーゴから手を離す。
そっぽを向いたアンリが問う。
「ユーゴはエキドナを見て、何か思い出したかね」
「いや、彼女とは初対面だと思うけど。あんな性格なら、会ってたら忘れないだろ」
「ならば、私に言えることはそう多くない。そもそも、私とてそれほど多くの事を知っているわけではないのだからね」
「なあ、思い出すってなんだ?」
「言えない。私は誓ってしまっているのでね。殺されても言えないことがある」
アンリが眼を閉じていた。
それだけで、何を問うても無駄なことが、ユーゴには理解出来た。
言いたくない、のではなく、言えないのだ。
彼も見たことのない強力な《魔導遺物》で誓約されているのかもしれないし、彼自身が知らないでいることに、意味があるのかもしれなかった。
可能性の話なら幾らでも出来るので、ユーゴは最後に一つだけ聞くことにした。
「誰との誓いなんだ」
「……それも言えない。誰かと問われて私が言える限界は、お前の知っている者だということくらいか」
「はあ、余計にわからなくなってきたな。まあいいか」
「いいのか?」
アンリが上目で聞いた。いたずらが見つかった小娘の態度だった。
珍しいものを見たユーゴは、頬を緩めた。
「お前の秘密主義は会ったときからだろ。今に始まったことじゃない。俺の身体に変な改造しなかったら、それでいいよ」
「複雑な気分にさせないでくれたまえ。まあ、出来る限りのことはしようじゃないか」
仕方なさそうに彼女が肩を竦めた。
ユーゴには、それで充分だった。
次に彼は、視線をエドガーに向ける。
「アルベル兵団の戦力に竜種がいるぞ。しかも『祖竜エキドナ』だ」
「裸足で逃げたくなる話だねぇ。僕の専門は人間であって、伝説じゃないよ?」
「諜報部で、アルベル兵団の動きは掴んでいるか?」
「それなりかな。人魔混合の戦闘単位が三つ、ヴァレリアとエトアリアの国境線を囲むように配置されてるね。実行部隊が二つ、予備が一つ、ってところかな」
「やっぱり居たか。それで、数が少なすぎるような気がするけど」
「ああ、もともと占領が目的じゃないんだろうね……とは思ってたけど、竜種が出て来ると話は違ってくるかな」
ヴァレリア王国の当初の見立てでは、アルベル兵団は攻撃力偏重の部隊で強襲し、短期決戦を以って和平交渉に挑む、というものが主な意見だった。
短期決戦に失敗して戦争が長引けば、アルベル兵団が送り込んできているスパイの破壊活動、という二段構えも考える必要がある。
よって、アルベル兵団の最初の強襲を阻止するのが第一前提となり、それに合わせた編成を行っていた。
それは、敵の大部隊を全力で叩きのめしてやろう、という乱暴且つ単純なものだ。魔族たちの気質にも合い、準備も最終段階に近い。
ただし、アルベル兵団の主目的である『魔族の絶滅』が行われるとなると、考え方を改めなければならない。
せっかく集めたヴァレリア王国の戦力を一気に叩き潰されでもしたら――――。
「……それが目的か。いや、それだけで済むのか?」
「それで、ユーゴくんはどうするんだい?」
エドガーが、表情に笑みを張り付かせていた。
その作り物のような笑顔に、ユーゴは眼を細める。
「戦況がどうあれ、お前は連れて行かないからな」
「えー、それはないんじゃないかなぁ。ユーゴくんは絶対に楽な場所は選ばないから、素敵な苦悶の表情が見れると思ったのにさ」
「趣味が悪いぞ」
「自主的にユーゴくんを傷つけてないのでセーフじゃないかな?」
「自覚のある変態が、ここにもいたか」
ユーゴは眉間を指で押さえた。
その行為さえエドガーを喜ばせると思うと余計に頭が痛くなってくるが、それどころではない頭痛の種もある。
「……それにしても、『祖竜』だよな」
アルベル兵団遠征軍との戦力差は、それほどでもない。
資金力は圧倒的にアルベル兵団が上だが、彼の国が攻めて来ている規模だけで見れば打撃力はヴァレリア王国が勝る。
互いに正攻法で戦い合えばどうにかなるが、エドガーと『祖竜』が正攻法でやって来るとも考え難いのに加え、『祖竜』一体でも手に余る存在だった。。
やはり最たる問題は、『祖竜』の動きで戦場の天秤が傾いてしまうといったところだ。
どうにかして『祖竜』を押さえ込んでしまえば、損害はともかく撃退は可能だと判断できる。
こうなると専門の遊撃隊を作るしかないが、機動力があって魔王国の編成を乱さない人材といえば、それも限られてくる。
「手伝おうか?」
喜びを隠しきれずに聞いてくるエドガーだが、彼には別に頼みたいことがあった。
「伝説は専門外じゃなかったのか? それに、エドガーにはスパイの一斉摘発を前倒しにしてもらおうと思う」
「準備はできてるけど、今すぐとあれば、ちょっと手間だね。タイミングとかいろいろあるからさ。まあそこは何とかして見せるけど……。あ、教師の休暇申請してないや」
「そこは俺からエルザに頼んでおこう」
「よろしくね。あと、どこまで持って帰っていい?」
エドガーが、飴玉をねだる幼子と同じ顔をしていた。
諜報部隊に無理を押し付ける以上、何らかの形で褒賞を与えねば組織が動かない。
ユーゴは仕方なしにため息を吐いた。
「今回に限り、制限は無しだ。欲張り過ぎるなよ」
「おお。それは、やる気になるってもんだよ。了解さ」
その様子をみていたアンリが、指を咥えて羨ましがっていた。
「いいな、お前は。私も改造用に幾らか欲しいくらいだ」
「はいはい、戦利品の話は勝ってからだ。やることは山積みなんだからな。アンリにも働いて貰うぞ」
「見返りを要求するが、良いかね」
「出来高払いでよければな」
その言葉を聞いたアンリとエドガーが、とても悪そうな顔をして笑っていた。
ユーゴは先ほどの発言を、少しだけ後悔したのだった。




