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騎士になりました  作者: 比呂
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希望



 ――――世界は崩壊した。



 海水は蒸発し、剥き出しとなった大地は熱射と寒波に晒されて風化した。。

 およそ命と呼べるものが、存在しなくなった。


 轟々と風が吹き、砂が舞い上がる。

 時折、砂嵐の中から思い出したように石造りの建造物が現れて消えた。


 無残に砕かれた尖塔が、基部を残して横たわっている。

 砂と瓦礫に埋もれてしまった、生命の痕跡。


 諦念も後悔も無い、ただ続いているだけの砂山。

 石と石が重なり合い、風化を待つだけの伽藍洞。



 ――――世界は、崩壊した。



 救いも祈りも無く、あるがままの風景だった。

 事実が事実として積み上げられるだけ。


 意味を持たない風景が、飽きもせず繰り返される。


 誰も美しいとは評さない。

 誰も愚かしいとは呟かない。



「――――へっくしょい」



 はずだった。


 粒子の細かな砂粒が鼻孔をくすぐり、見事なくしゃみが飛ぶ。

 人差し指で鼻元を擦りながら、厳重に布をかぶった女エルフが呟いた。


「はて、誰か噂でもしているのでござろうか」


 布の塊にしか見えない存在が、岩の隙間を縫って地下へと進んでいく。

 時には飛び降り、時には転がりながらも、目的の場所へと到達した。


 厳重に気密された聖域の扉が、女エルフの前にある。

 彼女は、力強く扉を叩いた。


「頼もう、拙者でござる」


 扉に反応は無い。

 彼女が首を傾げ、何度も分厚い扉を叩き続けた。


 それでも何も起こらなかったので、彼女は心に決めた。


「よし、斬るでござるか」


 僅かに女エルフが腰をかがめたところで、聖域の扉が開き始めた。

 光が漏れ、その間から、呆れた顔の女魔族が現れる。


「だーかーらー、何度言えばわかるのよ! 扉の前では顔を見せなさいよ! 誰かわかんないと開けられないでしょ!」

「まあまあ、開いたのだから良いでござろう」


 からからと笑う布の塊と、頭痛に耐える女魔族だった。

 ゆっくりと隔壁が閉じられている間にも、二人は揃って歩き始めた。


「しかし、腹が減ったでござるなぁ」


 セイカ・コウゲツは、器用にも歩きながら片腕で布を脱いでいた。

 それを咎める視線で見つめるフィーナ・アイブリンガーだった。


「わかってるわよ。ちゃんと用意してるから」


 地表が崩壊してしまった結果、食糧難の時代に突入してしまっている。

 言うほど簡単に食事にありつけるわけではなかった。


 それでも用意してくれているのだから、セイカとしては申し分ない。


「かたじけないでござる」

「少しでもそう思うなら、脱ぎ散らかさないでくれる?」


 彼女らが通る道に点々と落ちているのが、全候服と呼ばれている布だ。

 今では全候服も無しに地表へ出ると、有害な光線によって肌や体組織を貫かれ、寒暖差によって焼き凍らされ、空気も無いので窒息する羽目になる。


 そんな貴重なものを脱ぎ終わった彼女は、エルフ族の伝統的な衣服に戻った。


 右袖だけが、ひらひらと風に揺れている。

 腰元には、拵えの地味な長脇差を差していた。


「元気そうね」


 フィーナが揺れる右袖を見つめて言った。

 当の本人は、食事の事しか頭に無い。


「寿司が食べたいでござる」

「海も無いのに無茶言わないでよ――――って、え?」


 フィーナの視線がずれて、セイカの胴回りを捉えた。

 異様に膨れ上がっていた。


 これが食べ過ぎでなければ、もう疑うことなど一つしかない。


「な、な、なによそれ」

「む、ん? ああ、これのことでござるか」


 セイカは左手で、己の膨らんだ腹部を優しく撫でた。

 その瞳は珍しく慈愛に満ちたもので、女としての誇らしささえ伺えた。


「拙者は大切なものを見つけたのでござるよ」

「ええええ、ああああ、いや、それはそうでしょうけどさぁ! 相手は誰なの?」

「焦らずとも、後で教えるでござるよ。それより寿司でござる」

「だから寿司は無いって! もう、いいわよ。用意するわよ! 二人分ね!」


 顔を顰めたフィーナが、早足で先に歩いて行ってしまった。

 すぐ近くの建物に入り、外からでも聞こえるほどの喧騒で捲し立てている。


 セイカが片腕を失って彼女の前に現れたときよりも、騒々しかった。


「……まったく、未熟でござった」


 今でも彼女の脳裏には、永遠蜘蛛と対峙したときのことを思い描くことができた。

 全身全霊――――渾身の一刀。


 いかに硬き表皮であろうと、潰えぬものは無し。

 斬ることだけに全てを懸けて、斬ることだけしか考えていなかった。


 その結果、セイカは永遠蜘蛛の足を一本だけ切り落とすことに成功する。

 ただし、本当に斬ることだけしか考えていなかったため、永遠蜘蛛からの反撃や超斬撃の反動を一身に受けて、腕を失った。


 命が残っただけでも僥倖、永遠蜘蛛を人の姿で斬ることも奇跡。

 偉業と称して不足ないが、彼女の心の中に居る人物が、それを認めてくれるかは別だ。


「――――師匠」


 セイカの腹部を優しく撫でる手に、力が籠る。

 そうしていると、彼女の長い耳にフィーナの声が届いた。


「何してるの、具合でも悪い? 準備ができたわよ」

「ほう、では頂くでござる」


 悠然と歩を進め、フィーナの待つ建物へ入った。

 質素な大衆食堂といって差し支えない場所だが、逆に言えばマナーに気を張らなくても良いということだ。


 食堂のテーブルの上には、奇妙に飾り付けられた食事と思しき物体が鎮座していた。

 小さく切り取られたパンの上に、ベーコンが乗せられている。


 それが、小高く盛られるほど大量にあった。

 どう好意的に考えても、寿司ではなくベーコンとパンだ。


 セイカは、皿の上の物体とフィーナを見比べた。


「……何よ」


 彼女が口を曲げる。


 それがとても可笑しくて、自然と笑みを零すセイカだった。


「ああ、なんとなくでござるが、師匠の気持ちが理解できたような気がするでござるな」

「どういうこと?」

「秘密でござる」


 澄ました顔で椅子に座り、寿司とは名ばかりのベーコンパンを食べ始めた。


 対照的に難しい顔をしたフィーナが、対面の椅子に座る。

 食べているというよりは飲み込んでいるという速さで、寿司もどきが消えていった。


 テーブルに頬杖をついた彼女が、気のないふりをして言う。


「それで、どうだったの?」

「はへへほはっは」

「……そう、駄目だったのね」


 何を言っているかわからないセイカの言葉を完全に聞き取った彼女も凄いが、水なしでパンを食べ続けるセイカも凄かった。


 皿の上から偽寿司が無くなった頃に、フィーナが落胆の溜息を漏らす。


「はぁ、そっか。見つからないわよね」


 彼女は、家族を探していた。


 地表が吹き飛んでしまった現状において、王族に連なっていたフィーナは、ヴァレリア王国の避難民たちにおける精神的実務的支柱であった。


 そんな彼女が、領民を放り捨てて自分だけ家族を探しに行くわけにもいかない。

 弟であるヨアネムも良く補佐してくれているが、外の世界へ行かせるのは無謀だった。


 ヴァレリア城の地下奥深くの聖域――――此処にさえいれば、贅沢は出来ないまでも生きては行ける。


 そんな中、ふらりと魔王国に現れたのがセイカだった。

 彼女も目的は同じで、ユーゴを探していた。


 そして、フィーナが私財を投じてセイカを援助し、魔族にしてもエルフにしても長い年月が流れている。


 いつ諦めてもおかしくは無い。

 いつまでも私財が続くわけではない。


「はあ――――」


 重く深い溜息が吐き出された。

 彼女の視線が自然と下に降りて、セイカの膨らんだ腹部を見つめる。


「それは、何があったの?」


 何気ない呟きだった。

 セイカは自信に満ち溢れた顔で言った。


「ふむ。『愛』でござるかな」

「あ、愛って、その、そりゃそうでしょうよ」


 顔を赤らめるフィーナに対し、彼女は動じもしない。

 そればかりか、勢いよく胸元から服の中に手を突っ込んで、腹部の膨らみを取り出した。


「うわああ、何やってんのよ――――っ」


 絶叫が反響する。

 テーブルを叩き割る勢いで立ち上がるフィーナだった。


 セイカは椅子に座ったまま、手の中にある布の塊を振って見せる。


「何を勘違いしているのか知らぬでござるが、これを見ると良いのでござる」


 白い布の包みがテーブルに置かれ、幾重にもある布が解かれていく。


 そこから、黒い鱗が露になった。

 その形と色を見て、竜種であるフィーナの眼が見開かれる。


「え、何、何なの。って、これ、お父さんの……」

「無論でござる。アルベル連邦の生き残りが、拙者の隣で発掘作業を進めていたのでござるよ。あの……せ、せん、げ? ……大きな人形でござるな」

「えっと、そんなのどうでもいいから、見つかったの?」


 身を乗り出す彼女に対し、セイカは首を横に振った。


「師匠はおられなかったでござるが―――――その竜鱗の近くに、複数の魔族の足跡があったのでござるよ」

「それって」

「その足跡が、新たに発見された聖域の入り口で見つかったのでござる。しかしまあ、見つかった聖域も大きすぎて、一筋縄では行かぬようでござってな。取り急ぎ、伝えに戻ってきたのでござる。拙者は準備が出来たら、また出発するでござるよ」

「うん――――うん」


 フィーナが眼に涙をためて、膝から崩れ落ちた。


 希望は――――あった。


 とてつもない安堵と放心が押し寄せてきて、どうでもいいことを言ってしまう。


「何でこれをお腹に隠してるのよ……」

「大事なものでござるからな」

「そうよね、『愛』だもんね――――ん? え、はあ? 愛って、それって……」

「では拙者、準備があるのでこれにて失礼」


 腹も膨れたセイカは服装を正すと、目標を見定めた猛禽のように素早く食堂から出て行った。


 一人残されたフィーナが、背中から翼を出した。

 光を湛えながら立ち上がり、大きな声で叫ぶ。



「ちょっと、待ちなさいよっ!」



 その声は、遠く遠く響いた。

 生き残りの領民たちが、フィーナの元気な声を久しぶりに聞いて、顔を上げた。


 前を向くと、家族や隣人がいた。

 その誰もが、微笑を浮かべていた。


 こんなことで笑えてしまうのかと、苦笑に変わった。


 悲しみは終わらない。

 苦しみは続いていく。


 それでも。


 それでも――――誰かに笑って欲しいと。



 ユーゴと同じように、誰もがそう願ったのだった。




















 えー、お疲れさまでした。


 これにて、『騎士になりました』に区切りを付けさせて頂きます。

 本来であれば去年の年末に終わっているはずが、ここまで長引いてしまいました。


 これもまあ、やりたいことやったので後悔はありません。


 ここまでお付き合いして頂いた方々には、御礼と謝意を述べさせてください。



 ありがとうございました。



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