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騎士になりました  作者: 比呂
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崩壊


 息を呑む緊迫感に、周囲が支配された。


 永遠蜘蛛の背にある者の視線が、ただ一人に集中する。

 オリビアが瞬きの間だけユーゴを見つめ、アンリに向き直って苦笑した。


「我は女王と切り離されている。同体と考えているならば知見不足だ」

「だからと言って、情報共有していない――――とは言えないかね。女王がユーゴを愛するために分かたれたのであれば……ユーゴ以外はどうなってもいいと考えている。違うかね」

「ふむ、概ねその通りだ《観測者》。我はユーゴの味方であって、他の味方ではない」

「そうであろうとも。だからこそ、アラクニド――――永遠蜘蛛を暴れさせて囮に使ったのだろう。女王の『情報探索』を邪魔させず、ユーゴを守れる最善の手法かね。利に聡いお前たちであれば、判断に寸毫もかかるまい」


 椅子に座って傲岸不遜な態度を取り続けるエルフの表情は、苦渋に満ちていた。


 彼女の手が鍵盤に触れると、部屋の中に複数の画面が浮かび上がる。

 その中には、ユーゴの見たことがある場所や、訪れたことの無い国もあった。


 それら全てに共通していることは――――空が赤いことだ。


 次々に炎の塊が落下し、大地を穿っている。

 王城を吹き飛ばし、草原を焼け野原に変え、麦畑を土くれに戻し、街一つでさえも簡単にひき潰した。


 アンリが息を吐く。


「アトモスフィアネットが崩壊を始めたのだ。これが、私の言った世界の終わり、というやつかね。ジゼルも知っていたのだろう?」

「本当、なのか」


 ユーゴの縋るような呟きにも、ジゼルは反応しなかった。

 彼女が顔を俯かせて、拳を握りしめている。


 両手を上げて見せたアンリが言う。


「これで少なくとも、大気に依存していた生命が壊滅するのは間違いないかね。この世界で唯一安全な場所は、永遠蜘蛛の内部だ。ここであれば、命は助かる。……そう、この場に居る者の命だけだがね」


 歯の軋む音が鳴った。

 表情を歪めたユーゴは、冷静さを装う努力が必要だった。


「俺が助かっても、意味が無いだろ……なあ、ジゼル。今から永遠蜘蛛を壊して、これを止めよう」

「無駄かね。永遠蜘蛛は保守防衛用に過ぎん。機能停止させたところで、崩壊は止められんよ」


 黙っているジゼルの代わりに、アンリが答えた。

 そして、告げる。


「そこの可哀そうな娘が必要だったのは、永遠蜘蛛の緊急脱出装置と、成層圏脱出のためのアトモスフィアネット崩壊――――そうではないかね?」


 ジゼルからの返答が待たれる瞬間、銀色が薙がれた。

 薄く笑う黒髪の女。


 腹に銀色の剣を突き刺されて立ち尽くすオリビアがいた。


「我にこのような―――――う?」

「黙りなさい、『端末』。人間を装ったところで、貴方は人間じゃないわ。だからこそ、オリジナルの《獣の心髄》は効くでしょう? 情報収集するためにパッシブ特化した《クリスタルム》ならではの弱点だわ。それに、対人戦闘スキルが省かれているのも確認済みよ」

「う、が……ワクチンが、効かぬ」


 オリビアが崩れ落ち、身体を丸めて震えていた。


 確かに《獣の心髄》の基本設計はジゼルが行っていた。

 オーベロンが《獣の心髄》を作り出すのに長い時間が必要であるが、以前に造られていた物があれば二本目は存在していても不思議ではない。


 そして、アレクの攻撃を受け流しはしたものの、肉弾戦には対応しきれなかったオリビアだったのも事実だ。


 それら全てを計算してこの場所に立っているのだから、彼女の思惑通りでもあったのだろう。


「ジゼルっ!」

「ごめんなさい、ユーゴ。私に触れるとシアンとティルアの《魔玉》を砕くわよ」


 彼女の手が、何かを握りつぶす真似をした。


 以前は触れずに二人の《魔玉》を修復して見せた彼女である。

 脅しとは考えられなかった。


「お前っ!」

「今までありがとう。何度も貴方に助けられたわね。もうこれで最後だから、私を救ってくれてもいいでしょう? 長い間、世話になったわ」


 そう言った彼女の瞳は、ユーゴだけではない誰かをも見つめていた。

 ジゼルが何事か小さく呟いてから、アンリを睨む。


「そこをどいて欲しいわね。今の私と戦うつもり?」

「ふん。私を裏切り者と呼んでおきながら、随分と都合よくユーゴを切り捨てたものかね」

「私の計画に察しがついていながら、傍観し続けていた貴方に言われたくないわ」

「《観測者》としての立場があったものでね」

「そう、なら同じことでしょう」


 半変貌状態のジゼルが、僅かに片手を浮かせて見せる。

 その気になれば、この場に抵抗できるものは一人もいない。


 事実、アンリが椅子から立ち上がって両手を上げた。


「ふん、誰がお前と戦ってやるものかね。私は弱い。それでいい。だからこそ――――ユーゴの背に隠れられる」


 得意気な笑みを浮かべた彼女が、無遠慮に歩いてユーゴの背後に回った。

 彼の耳元で囁く。


「さて、ここから出るぞ。ちゃんと私を地上に降ろして欲しいのだがね。流石に、自由落下しても生き残りそうなお前たちと一緒にされたくは無いのでね」

「おい―――――」


 言いかけたユーゴの口は、彼女の指で遮られた。

 ついでに足元を指刺し、丸まっているオリビアも連れて行くように指示された。


 不承不承にも永遠蜘蛛の操縦席から出ていくユーゴの背に、操縦席から声が掛けられる。


「ねぇ」

「……何だ」

「悪くないって思えたの、本当よ。どうでもいいことだけど」

「そうか」


 彼がそう言うと同時に、操縦席の隔壁が閉ざされた。

 すぐに永遠蜘蛛の挙動が変わり、《クリスタルム》の水晶湖から這い出そうと動き始める。


「では、落ち着いて話が出来るところへ連れていけ」

「あ、ああ」


 彼は完全変貌状態となり、身体を伏せた。


 立ったまま動かないアンリだったので、片手で摘まんで背中に乗せる。

 丸まっているオリビアを掴むと、彼は翼で風を受けながら離脱した。


 滑空するだけなので、羽ばたく必要はない。

 前もって見つけていた広場に向かって、旋回しながら速度を調節して着陸する。


 ユーゴは地面で伏せたまま乗客が降りるのを待っていたが、アンリは降りてこなかった。

 彼が長い首を折り曲げて背中を覗き見ると、彼女が居た。


 肘で頭を支えながら、横に寝っ転がって遠くを見ているようだった。


「何やってんだ?」

「そう大層なことでもない。強いて言うならば、感傷かね」


 彼女の視界に若干だけ入り込んでいると思われるのが、地響きを残して歩き去る永遠蜘蛛だった。

 彼も同じ方向を見つめて言う。


「これから、どうなるんだ」

「どうなるか、など気にしても無駄だ。必要なのは、どうするか、かね。そして私は、お前が何をするかくらい、知っている。愛人だからな」


 眠そうな目と、不健康そうな顔で、微笑む。

 頑強で名を馳せる竜鱗に、彼女が拳を打ち付けて言う。


「いいかね、よく聞け。《観測者》だった私は《クリスタルム》と妖精皇国の援助を受けて、世界中を旅した。その折に、各地の聖域を避難所として使えるよう整備してきたつもりだ。運が良ければ助かる人類魔族も居ることだろう」

「……はあ?」


 ユーゴの胸に、去来するものがあった。

 それは暖かくて、前を向いて足を一歩踏み出すに足るものだった。


「《観測者》でなくなった今だからこそ言える話だがね。ヴァレリア王国など、王城の地下を聖域並みに改造してやったからな。お前の子供も領民も助かるかもしれん。だから、彼らが聖域へ辿り着くまでの、時間稼ぎをするつもりは無いか?」

「――――っ」

「無駄な足掻きだろうし、こんなことをしなくても良いことなのだろうよ。残された時間を、私と過ごすのも良いかね。……だが、お前が必死で稼いだ僅かな時間で、何処かの誰かの命が救われるかもしれん。たった、それだけのことだ」

「ああ――――わかった」


 彼は静かに頷いた。

 決意などする必要が無い。

 まだ、やれることがある。


 家族を、生きようとする誰かを、助けられることが出来るのならば。

 この身を擦り潰しても構わない。


 誰かを救うことで、その実、救われていたのが自分であることに気付かされる。

 何の価値も持たなかった自分が、誰かを救った分だけ、生きることを許された。


 失敗した数の分だけ成功することで、被った罪を洗い流してきたつもりだった。


 きっと、正しいとは言い切れない。

 間違いでもないのだろう。

 答えは常に変化し続ける。


 しかし――――ユーゴが歩みを止めることだけは、決してなかった。


 彼は素直に、照れも無く言う。


「で、俺は何をすればいい?」

「《クリスタルム》の王城へ向かうと良いかね。次の惑星へ向けて飛び出そうとする飛翔体があるはずだ。その飛翔体が飛び立つことで、アトモスフィアネットが完全に瓦解する。だから、盛大に邪魔してやれ。私は私のやるべきことがあるのでね」


 起き上がったアンリが、黒竜の背中から自分の力で降りた。

 彼女にしてみれば結構な運動だったようで、乱れた息を整えてから、彼に背中を向けて言った。


「ではな、ユーゴ。お前と居た時間は楽しかった」

「もう行くのか」

「私は愛人だ。正妻を呼んでおいたから、私は必要ないだろう。それとも、尻でも揉みたくなったか」


 薄ら笑いを浮かべる彼女が手で示した先には、金竜の姿が確認できた。

 後ろも振り向かずに歩いていくアンリに、伝える言葉は一つしかない。


「アンリ、俺も楽しかったよ」


 彼女が無言で笑いながら肩を震わせ、背中越しに手を振っていた。

 そうしている間にも、金色の竜種が空から飛来して着陸――――せずにユーゴへ突っ込んできた。


「――――おげふっ」


 竜種同士のじゃれ合いに巻き込まれないよう、衝突直前で金竜から飛び降りたシアンが見守る中、黒と金が代わるがわる入れ替わって転がっていった。


 ようやく勢いが止まったところで、金竜の頭が押し付けられた。


「会いに来たぞ、ユーゴ」

「ああ、嬉しいよ。ありがとう」


 ぺしぺしと叩きつけられる金色の尻尾に気を付けながら、ティルアを抱えつつ彼は身体を起こした。


 地面に突いていた手に暖かみを感じると、そこにはシアンが抱き着いていた。


「シアン、ありがとう」

「ええ、当然です」


 息が肺に一杯溜まるまで再会を喜んだ後で、どちらともなく身体を離した。

 ユーゴが顔を上げた先にあるのは、《クリスタルム》の王城だった。


「さて、行くか」

「ええ、行きましょう」

「ふむ、行くとしよう」


 黒竜が翼を広げ、羽ばたき始める。


 金竜もそれに倣い、翼を広げた。

 彼女の背には、完全変貌したシアンが乗っている。


 一瞬だけ身を縮めたかと思うと、二匹の竜が勢いを増して滑空を始める。


 目指すのは王城――――水晶湖の女王が乗った飛翔体だ。

 眼下には水晶の森が広がり、永遠蜘蛛の通った痕跡が続く。


 その先、王城の端に、流線型の異様な構造物があった。


「――――あれか」


 『アーク』にも似た形をした飛翔体の根元から、噴煙が立ち上る。

 徐々に速度を増し、今にも地上から解き放たれんとする矢のようだった。


「させるかっ!」


 ユーゴは全力で翼を空に叩きつける。

 有効射程内に入ったら、重滅砲で飛翔体の横腹を貫通させるつもりでいた。


 その時、立ち上る噴煙に紛れて、雰囲気の異なる地響きが聞こえた。


 水晶の森から無数に湧き出る蝗虫――――メラノプルスの群体が浮き上がってくる。

 一匹二匹であれば相手にならないが、数百のメラノプルスならば前方に立ち塞がるだけで面倒になる。


 異常な数のメラノプルスが、空を覆いつくしてしまった。

 衝突するたびに挽き潰しても、やがてそれが速度を奪い、竜鱗にとりついた蝗虫が皮膚を削ぎ取る。


 それでも、と地面から離れた飛翔体を追いかけようとしたところで、ティルアが叫ぶ。


「行け、ユーゴ。前だけを見るのだ。道は私が用意する!」


 暗闇を斬り裂く、一条の光。

 極光とも言える閃光砲が、黒い空を裂いた。


 それは何処までも伸び続け、飛翔体に直撃する。

 すると閃光砲が拡散し、周囲に撒き散らされた。


 残ったのは、飛翔体まで続く何もない空だ。


 全力を使い果たしたティルアが、メラノプルスの大群が待ち受ける水晶の森へ墜落する。

 その寸前、金竜の背中に乗っていたシアンが言う。


「ティルアは私に任せて――――ユーゴは前を!」


 喉元まで出かかった言葉を、彼は飲み込んだ。


 今行くと。

 言えなかった。


 二人を守れなかった。

 また繰り返してしまった。


 守るべきものだった。


 守りたいものが、たくさんありすぎて、指の間から滑り落ちていく。


 この悲しみを、何度味わえばいい。

 この苦しみを、幾度噛みしめなければならない。


「わかってる。わかってるよ」


 愛する二人は、前を見ろと言った。

 フィーナとヨアネムは無事に逃げられただろうか。


 そんな。

 僅かであっても。

 希望や救いがあるのなら。


「前に進むしか、無いじゃないか――――」


 光によって切り開かれた道を征く。


 狭まっていく蝗虫の間を突き抜け、眼前に飛翔体が迫った。


 帰り道など考えない。

 今ここで、全てを振り絞る。


 ――――黒い光が、溢れ出した。


 余波に巻き込まれたメラノプルスが、黒光に触れる前に蒸発する。


 音すら消し去った世界の中で。

 重滅咆が終わりを告げる。


 彼の眼前には、少しだけ角度を変えた飛翔体が浮いていた。


「――――ああ」


 ユーゴは、空高く飛び上がる飛翔体を見つめながら、落下していった。

 飛翔体の噴煙を吐き出す部分から、強烈な光が溢れた。


 熱風が、《クリスタルム》の王城を焼く。

 全ては燃え墜ちるだろう、その中において。


 安堵の表情を浮かべたユーゴは――――炎に消えてしまった。





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