同士
相変わらす、アラクニドの足音が騒がしさが大気を揺らしている。
その喧騒から取り残された二人が、互いに睨み合っていた。
緊迫しているかと思われた空気の中、セイカは短く息を漏らす。
「ふむ。お主は、拙者と似ているでござるな」
ともすれば、同類相哀れむ言い方だった。
それに納得のいかないエドガーが、憎悪の込められた視線を返した。
「何を言うかと思えば――――冗談じゃない。君と一緒にされてたまるもんか。君がユーゴくんの何を知ってるんだ。その舌、切り刻んで踏みつぶしてやる」
「ほほう、お主、何をそんなに慌てているのでござるか」
尋常ではない殺気を前にしても、露とも気にしないセイカであった。
相手の脅威を見抜けない彼女ではない。
ジゼルとエドガーが戦った時と比べて、この男の気配が驚くほど違っている。
いわば――――命を賭しても戦う意気があった。
そして、セイカにしては珍しく、その意気を組もうとしない。
それは、エドガーの望みが理解出来てしまうからだ。
ユーゴ・ウッドゲイトの関心が自分だけに向けられるのは、それだけの価値がある。
たとえそれが、悪感情であろうとも。
殺しあう関係であろうとも。
いつか分かたれる運命であろうとも。
――――自分だけを見て欲しい。
そう願わずにはいられない。
「君にわかって貰う必要はないよ。そこいらに散らばって腐り果てろ」
悪意とともに言葉が紡がれ、同時に、風切り音が鳴いた。
目に映らない極細の糸が舞う。
触れれば皮膚を斬り裂き、骨を断つ。
縦横無尽に繰り出され、逃げ場は無い。
並みの剣士であれば、細切れにされて地面に撒き散らされるだろう。
「それもまた、答えでござる」
ただ、セイカ・コウゲツの才能を見誤ってはいけない。
剣の申し子と呼ばれる存在。
富嶽一刀流の開祖が、己を超える逸材であると確信に至った天性。
ユーゴだとて、刀剣の技法を教える必要が無かった。
極細の糸――――それが永遠蜘蛛から分け与えられた至極の糸だとて、属性は切断だ。
物に触れて斬ることが命題であるならば、セイカの極意に届かない。
「己が信じた師匠であればこそ、黙って見送るのが弟子の務め。それでこの世が終ろうと、何の不足がござろうか」
張り巡らされた蜘蛛の糸に、彼女が躊躇いも見せずに飛び込んだ。
触れれば切れる糸であろうに、何も起こらない。
衣服さえ斬り裂けないのであれば、木綿の糸と変わりない。
切断とは、極微で見れば線の摩擦である。
ならば、同じ方向に同じ速度で動いてやれば、止まっているのと同じこと。
風に揺られて千変万化する糸の動きを見抜き、切断個所だけ等速で身体を動かして切断を回避する荒業だった。
「かかったね」
しかし、それすらも織り込み済みであるとするならば――――。
糸に絡められた獲物を捕まえることこそ、蜘蛛の真骨頂であろう。
更に糸を送り込んでセイカを巻き固め、銀の槍を繰り出す。
これこそアラクニドの外皮から削り出された、最高硬度の槍だった。
目指すは糸に巻かれたエルフの女剣士。
その彼女が巻かれた糸玉の隙間から、刀身が現れた。
槍の刃と刀の刃が、音もなく重ねられる。
銀の槍と交錯し、互いに弾かれて方向を見失った。
「お主、師匠と一緒に居て何も学ばなかったのでござるな」
永遠蜘蛛の糸で編まれた毛玉が喋ったかと思うと、突き出ていた刀身が振り回される。
雑草でも刈るように刻まれた糸が、散らばった。
「君は……そうか違うな。ジゼルだ。その刀に、『獣の心髄』を焼き入れたね?」
「そのような難しいことは知らないでござる! 拙者が言っているのは、お主の心根の話でござる」
「無駄なことを言わないでくれないかな」
「無駄、でござるか。他人の生き様でしか生きている実感を得られぬような、お主が言う言葉では無いでござるな。拙者も、誰かと比べることでしかない『強さ』を求めていたのでござるが、それこそ、無駄でござったよ」
彼女にしては珍しく、乾いた笑いを浮かべた。
エドガーが吐き捨てる。
「はっ、それはただの言い訳だよね。届かないものに嫉妬しただけのくせに、偉そうな口を利かないで欲しいよ」
「届かぬからこそ、面白いのでござるよ。お主はもう少し、師匠の言葉を信ずるべきでござった」
「信じるだって? 僕の考える美しさには及ばないよ」
彼が言うなり、再び糸が舞った。
糸の量は、先ほどの倍以上はあるだろう。
これで決着をつける気が見て取れる。
「そうやって比べる事こそ、自信が無い表れでござる」
「ああそうかい。――――君じゃユーゴくんの代わりにならないけど、もう消えて良いよ」
エドガーが動く。
積み重なる糸の猛攻で、繭に包まれた見た目となるセイカであった。
彼が銀の槍を振るう。
繭から突き出た刀が、槍を弾き――――槍の影からもう一本の槍が現れた。
暗殺者の使う、暗剣の応用技だった。
影から生まれ出た銀の槍は、正真正銘の本物だった。
折り重なる繭を貫き――――中心から分かたれた。
「あ、が」
槍を突き出すために半身となっていたエドガーの、顔の半分が斬り落とされる。
槍ごと『勇者』を切り捨てたのは、セイカの左手だった。
刀は無くとも、斬撃は生み出される。
刀を囮にした、こちらも暗剣を応用した二段構えの斬撃である。
勝敗を分けたのは、技の優劣なのではない。
どちらがより、ユーゴを理解していたか、でもない。
一緒に終わろうとしたか、託して終わろうとしたか、それだけの差であった。
「さて、では拙者も参るでござるかな」
抜き身の刀身を鞘に納め、彼女は歩むことを止めなかった。
次なる目標は――――永遠蜘蛛を斬り捨てる。
鼻歌でも聞こえてくる長閑な雰囲気の中、セイカの足音が響いていた。




