勇者
水晶の輝きを湛える木の葉が、振動にかき乱される。
永遠蜘蛛――――『アラクニド』が歩を進める度に、大地が揺れた。
それを哀れそうに見つめたエドガーが、銀色の鎗を肩に担ぐ。
「さあ、この星の終末まで僕に付き合ってくれるよね」
彼が頬を歪めると、顔面の皮膚がひび割れた。
頭髪の一部が白く変色しており、加速度的に老化が進行していた。
ただ、その狂気に彩られた両目だけが、何も変わっていない。
「断る。……俺をよく知るお前なら、俺の望みも知っているだろう」
ユーゴは徒手空拳で構えた。
《魔玉》が輝き、全身から黒い竜鱗が生み出される。
半変貌状態で、彼の姿を捉えた。
「そこをどけ」
「嫌だよ。僕をよく知るユーゴくんなら、僕の望みをわかってくれてるよね?」
ゆっくりと、静かに銀槍が構えられる。
勇者に下賜される武器であれば、只の鎗であるはずがない。
加えて、銀手甲もある。
「そんなに気になるかい? まあ、そうだよね。ユーゴくんも勇者だったもんね」
涼やかに語るエドガーが、過去を見る瞳をしていた。
その眼にどんな光景が映っているか、知る由もない。
しかし、何かを失った者の眼をしていることは確かだった。
「この世界を壊すためなら、何にだってなっていたよ、僕は。――――だって、美しいじゃないか。破壊の寸前にある輝き。人間の見せる一瞬の火花。魂がすべてを振り絞る一瞬。それが愛おしいんだよ」
「……そうか」
ユーゴは口を引き結んだ。
誰かを救いたいと願う者がいるのならば、誰かを壊したいと願う者もいるだろう。
己自身の手段も褒められたものではないと理解しているだけに、彼は肯定も否定も出来なかった。
そこでエドガーが、少し笑う。
「真面目だね。そんなに気にするものじゃないよ。僕がそういう人間だった、ってだけさ」
昔の部下が戻ってきた気がして、ユーゴも少し頬が緩んだ。
「そんな『勇者』がいてたまるか」
「あのね、僕の言う『勇者』ってのは、理解しやすいように名付けられた役割なだけだからね。女王様が言うには、この惑星のあらゆる危険地帯へ派遣される情報収集端末――――だったかな。強くて便利な消耗品だよ。ユーゴ君も、僕も同じだ。けど、ユーゴくんは女王様に『愛』されてしまったんだ。それだけさ」
ご愁傷様、と言ったエドガーが、視線をずらした。
そこには、腕組みをしたオリビアが立っていた。
彼女が睨み返す。
「なんだ。我に用事はあるまい」
「僕にも無いよ。僕が見てるのは、君の後ろの方だからね。話しかけないでくれる?」
「うぬぅ、貴様が勇者でさえなければ……ぬ」
悔しそうに呻く彼女が、気配に気づいて後ろを振り向いた。
目に映る光景は、何も変わらない水晶の森が広がっているだけだった。
けれども、確かな違和感がそこにある。
「何だ、これは……」
彼女が得体の知れない気配について、必要以上に警戒を強めた。
それは間違いなく、ある一点を目指している。
その場所に立つのは、ユーゴだ。
彼は非常に複雑そうな顔をして、その気配を見守っている。
「あいつ、どこでこんなものを覚えたんだ?」
その呟きは、明らかに得体の知れない気配へ向けられていた。
オリビアが理解できずに首を捻る。
ユーゴは溜息を吐いた。
「はあ、どうしてこうなった」
迫りくるのは、息苦しい程の濃密な殺気だった。
おぞましく練り研ぎ澄まされ、常人であれば一目見ただけで気を失うだろう。
およそ、武人が発する類のものではない。
獣でもここまで殺意を抱かない。
武人でも獣でもない殺意の塊が、木立の間から飛び掛かってくる。
「―――――師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「ちょっとお前、そこに正座」
呆れた顔のユーゴは、地面を指さした。
言われた当の本人が、非難の声を上げる。
「何故でござるっ! 感動の再会でござろう!」
「いや、台無しにしたのは自分の所為だろ。何でそんなに殺す気満々なんだよ」
飛び上がっていたエルフの女剣士――――セイカが、空中で膝を曲げて正座となり、静かに着地する。
彼女が頬を膨らませて言った。
「師匠の匂いがしたので、つい、興奮してしまったのでござる。だから拙者は悪くないのでござる」
「…………」
セイカの物言いに口を挟みたくなるユーゴだったが、既に肩から力が抜けてしまっていた。
暫くぶりの再会だというのに、何も変わっていなかったからだ。
「……そうか、まあ、久しぶりだな。で、何しに来たんだ?」
「師匠に会いに来たのでござる! あ、ついでに大師匠からの伝言も預かってきていたような気がするでござる?」
「俺に聞かれてもなぁ」
「確か、忘れてはいけないので半紙を貰ったと思うのでござるが……」
彼女が着物の懐へ、えいや、とばかりに腕を突っ込み、羊皮紙を引っ張り出した。
ただしその羊皮紙は汗に濡れ、文字が溶け出し、読めなかった。
「これは面妖な……もしや炙り出しでござるか?」
「ああ、いや、もう大丈夫だ。とにかく、ジゼルが《クリスタルム》に来てるんだよな。もう戦ってるのか」
「何かをするとは聞いているでござる。されど、何をするかは知らないでござる」
「……そうか。わかった」
セイカに伝言を頼むことだけはしないように誓うユーゴであった。
確かに、戦場を単独で駆け抜ける戦力と、ユーゴを見つけ出す能力にかけては最適である。
ただ、何かを伝える役割を与えるのは、難しいと言わざるを得ない。
それをジゼルが理解していない訳がないのだ。
そこから類推するのであれば――――理由は取り合えずどうでもいいとして、早急に合流したいということだろう。
速さだけなら、ジゼル自身が完全変貌して竜種の翼を使って飛べばいい。
ティルアが飛んでも構わないのだ。
それをしないのだから、ユーゴが動く以外に無い状況となっているはずである。
「ところで、ジゼルのいる場所はわかるか?」
「あっちでござる」
今度は迷わず指を向けるセイカであった。
その先は、遠くで巨体を移動させているアラクニドだ。
ユーゴは歯噛みをして、先を急ごうと考える。
瞬間――――銀槍が閃いた。
「行かせると思うかい?」
「師匠の邪魔をするのでござるか?」
正座したままのセイカが腰の刀を抜き打ちし、刀身の切っ先で銀槍を押しとどめていた。
舌打ちを残したエドガーが、後ろに飛んで距離をとる。
「不愉快だよ、君」
「そうでござるか。では、お互いさまでござるな」
薄っすらと笑みを残したセイカが、ゆっくりと立ち上がった。
ユーゴに背を預ける形で一歩前に出ると、抜刀していた刀を鞘へ戻す。
「では師匠。先に行って欲しいのでござる」
彼女の背中は、以前にユーゴが見たものよりも、頼もしく見えたのだった。




