決別
クリスタルの柱が立ち並ぶ謁見の間は、厳かな雰囲気に包まれていた。
ユーゴは、握手していた女王の手を、ゆっくりと引き離す。
それを笑って見つめていた女王が、その場で胡坐をかいた。
「そうか、では肩肘を張る必要もあるまい。妾は偽者で、お前は勇者ではないのであろう? 無理に畏まらなくてもよいではないか」
「まあ、確かにそうかもしれないな。……なら聞きたいんだが、偽者扱いしたことを怒らないのか」
ユーゴの問いに、女王が微笑を湛える。
彼女の態度に邪気は無く、むしろ慈愛さえ見受けてしまった。
渋々、といった態度を見せながら、彼も床に座った。
こうしてみると、女王の体格はユーゴよりも一回り小さい。
形の良い唇が、静かに動く。
「怒る必要もあるまい。妾が偽者であるならば、いったい何であると考える? そもそも、何が女王を女王たらしめているのだ? 王冠か? この服か? この頭か? 考えるがよい」
「だから言ったろ、役割だ、って」
役割とはすなわち、肩書なのだ。
中身が何とすり替わっていようと、外側から女王と認識されている者こそが、今の女王だろう。
そこで女王が目を細める。
「ほう、お前は機能で物を語っているのか。では、お前と同じだ、ユーゴ。古きオリジナルを真とするならば、我らは等しく偽者である。その程度で、妾の『愛』を試す必要はない」
「偽者、か」
ユーゴは自嘲気味に呟いた。
妖精王オーベロンから告げられた頃から、小さな棘として彼の胸に刺さっていたものだ。
彼の気分を見透かして、女王が優しく語りかけてくる。
「そうだ。ユーゴ・ウッドゲイトという人間は、もう既に存在しないのだ。ジゼルの手によってクリスタル・コア――――『魔玉』からサルベージされ、再構築された『モノ』が、ユーゴを名乗っているだけであろう?」
「…………」
彼は言葉に詰まった。
脳裏には、過去の記憶が思い起こされる。
その記憶は、所々が欠けていた。
失ってしまった記憶の中に、大切な約束があったもしれないと思うと、悔恨しか残らない。
家族が大切だという思いは変わらなかった。
ただ、その大切な家族を騙しているかもしれないと、疑わない日は無い。
唇を噛むユーゴに対し、女王の表情は何処までも優しかった。
「出会った当初、妾が怒りを覚えていたのはそのためだ。お前にそのような責め苦を与えた者に対する憤怒である。あの『ニンゲン』は、諦めが悪い」
「ジゼルのことを知っているのか?」
彼の言葉が、重く静かな空気に吸い込まれていった。
口の端を僅かに持ち上げた女王が、遠く虚空を見つめる。
「そうさな。我らがこの地に降り立った頃から顔を合わせているか。あれは故郷へ還りたがっているようだが、それも――――もう終わる」
「……何をする気なんだ」
「我らの役割が終わるのだ、ユーゴ。この惑星から得られるものは、もう無い。……お前も妾に還るが良い。全てが望み通りの世界で暮らしていけ」
「ちょっと待ってくれ。世界を滅ぼすっていうのは本当なのか?」
クリスタルムの最終目的としてジゼルが言っていたことは、世界の破滅だ。
そこにはユーゴの家族も含まれている。
看過してよい言葉ではない。
身を乗り出して問う彼に対し、女王が首を振った。
「お前たちの生命活動と言う意味では、滅ぶことに違いない。この惑星の全ての生物を『魔玉』化し、情報体としてアーカイブする。そして、大気状態を管理している『アトモスフィア・ネット』を崩壊させ、次の情報探索を始めねばならぬ」
「生物の魔玉化だと。それが、俺の望む世界だっていうのか」
「情報体となって、家族と暮らせばよい。永遠の平和が続けられるだろう。都合のいいように記憶も改竄してやる。お前の望みだったのだろう?」
女王の顔には、好意しか無かった。
ユーゴは苦味を覚えながら言う。
「偽物の世界だったとしてもか」
「偽物と認識できなければ、真偽は意味をなさない。今のお前と同じことだな。安心しろ、お前の家族もすぐに用意してやる」
「俺が偽者なのは構わない。けどな、俺の家族に手を出すなら話は別だ」
彼の眼には、決意が宿っていた。
相手が何であろうと引くつもりは無い。
すると女王が押し黙り、哀しそうに言う。
「なるほど。それがお前の『愛』か。お前が『愛』を貫くというのなら、妾もそうしよう。『愛』は常に、心の中だ。そして、受け取るも受け取らないも自由なのだから」
女王が立ち上がった。
貫頭衣の裾が揺れ、威厳のある声が放たれる。
「アルベル連邦と魔族の群れが攻めてきているのであったな。『永遠蜘蛛』を出撃させて排斥しろ」
「はっ」
首を垂れ膝をついていたハリィが頷き、立ち上がって敬礼した。
ユーゴが腰を浮かせる。
「攻めてきている? アルベル連邦が? 勝てると思ってるのか」
『永遠蜘蛛』の大きさは城並みで、そもそも人間サイズが相手になる代物ではない。
ヴァレリア城を全壊させた《剣兵》でも、勝負にならないだろう。
ならば、戦鎧騎をいくら駆使したところで、蹂躙されるだけだ。
そのくらいのことであれば、誰にでも理解できる。
それを理解した上で戦いを挑んでいるのだから、何らかの勝算があるのだとしか思えない。
考えを巡らせて慌てるユーゴを一瞥したハリィが、告げる。
「魔族の群れの中に、第二世代の竜種と蜥蜴種――――あと、第一世代の竜種もおりますが、どうしましょうかね」
ワザとらしく笑って見せているあたり、ユーゴに聞かせているのだろう。
竜種と蜥蜴種の魔族といえば、ティルアとシアンに違いない。
状況としては最悪だった。
アルベル連邦と魔族が手を組んだことに驚きを隠しきれないが、ジゼルが手を出したのであれば可能性は高くなる。
ただ、連合を組んだくらいで勝算とは言えない。
事実、女王も命令を変更などしなかった。
「構わぬ。薙いで払え。アーカイブするまでもない塵芥だ」
「――――女王っ」
オリビアが叫ぶ。
手には銀色に輝く短剣が握られていた。
その短剣は、彼女の隣に居たハリィの胸に突き立てられる。
「え、こっちなの?」
水晶の髑髏が顎骨を落としかねない勢いで開く。
ハリィが膝をつき、短剣を掴んで蹲った。
その隙に、オリビアが跳躍する。
ユーゴの隣に着地したかと思うと、彼の襟首を掴んで飛んだ。
しかし、それを阻止するために女王が腕を振る――――が、何も起こらなかった。
「むぅ、反抗だと? アンチウィルスの類か。自己免疫作用に介入したな?」
女王が面倒そうに顔を歪めた。
その間にも、オリビアが彼を掴んだまま、距離をとって謁見の間を走り抜けていく。
流れる景色の中、息もままならないユーゴは、遠くなる女王の顔を見ていた。
――――戦乱の幕開けが、すぐそこに迫っていた。




